第一話
喫茶ふるる
営業時間:7:00~17:00
モーニング:7:00~11:00
「ど、どうしよう……お客さんが一人も来ない……」
時計の針は、10時40分。
喫茶店をオープンしたのは1か月前。
順調に客足も伸び、徐々に常連さんも増えてきたというのに。
なんで?
どうして?
飽きられちゃった?
競合店でもできた?
「ラジオをつけよう」
喫茶店によって、音楽を流す、有線を流す、テレビをつける、ラジオをつける、いろいろあるようですが、うちはクラシック音楽のCDだとか癒しの音楽だとかを流しています。いや、版権関係の音楽を喫茶店で流すのにも契約してお金を払わないといけないので、そういうのが不要なものを使っています。お金をケチっているわけでなく音楽って好き嫌いが人によってあるので、なるべく皆が心地よく過ごせるようにと選んだ結果がアルファ波が出るとかいう系のクラシックだったわけです。
でも、お客さんがいないときにはラジオつけます。
ずっと一人だからね。ラジオが聞きたいときもあるんだ。
聞く時間帯もチャンネルもその時々でいろいろだけれど、いちさんさんうぃーとーかいら……。名古屋弁全開のパーソナリティーの掛け合いが楽しいチャンネルを選ぶことも多いです。人気名古屋弁パーソナリティーが問題を起こして降板したときは、SNSもざわつきましたよねぇ。
名古屋弁パーソナリティーの地元ラジオ番組は地元の話題が豊富なのと、ラジオに参加している視聴者が遠くにいる親戚や友達みたいな気分になれて孤独感が薄らぐんですよね。たぶん、東京や北海道とか旅先で「山」といえば「川」みたいな感じで、ラジオといえば「つぼい」っていって「の○○」って答える人とは握手できると思うんです。
『ここで、続報をお伝えいたします。アメリカにあるハーストキャッスルが何者かに占拠されたもようです。トルコのウチヒサル城、ペルーのマチュピチュに続いて、何者かによる占拠は3か所目となり世界同時多発テロではないかと警戒を強めています』
え?
世界同時多発テロ?
城とかを占拠するのか?ホワイトハウスとかでなく?ハーストキャッスルってどこだろう?キャッスルっていうことは城?城を占拠する?
あ、そういえば、バーミヤンでは歴史的建造物が破壊されて歴史的な遺産を失ったことに対してずいぶん世界が動揺した。テロ組織は「要求をのまなければ城を破壊する」みたいな脅しに使うつもりだろうか。
マチュピチュって、すごく有名な神秘的な場所だよね。インカ帝国の異物らしい。なんかすごく神秘的だ。
……そうそう、岐阜県に日本のマチュピチュと呼ばれる城跡があるんだよね。まぁ、全然規模は小さいけれど、霧が立ち込めた緑の段々な場所がちらちら見えるのは幻想的で素敵だった。
って、そうじゃなくて、マチュピチュを破壊するとか脅してるなら許せないよ。テロ組織。……人質を取らないだけましなのかな?
どうするんだろう。脅しには屈しないと、遺跡が破壊されようとも要求をのまないのかな。
ラジオで気を紛らそうと思ったけれど……。
お客のいない店内を見て、不安がよぎる。
「開店からほぼ毎日のように通ってくれてる留さん……今日はどうしちゃったのかなあ……。具合でも悪いのかなぁ」
常連客の一人、仕事をリタイアした一人暮らしのおじいさんの姿を思い浮かべる。
「今日は幼稚園は休みなのかなぁ?」
幼稚園に子供たちを送ったあとにママ友モーニングによってくれる常連さんを思い浮かべる。昨日、明日の日替わりモーニングは何?と尋ねられたから、今日も来ると思ってたんだけど……むしろ日替わりモーニングの内容が気に入らなかったのかなぁ。
「天気は悪くないよねぇ……。公園、使えないのかなぁ?」
毎週水曜日は近くの公園でゲートボールの練習があると、帰りに顔を出してくれるようになった老人会のみんなの姿も思い浮かぶ。
おじいさんって言うのは失礼かなぁ。60代はまだ若いし。
レジ奥の壁に掛けられたコーヒーチケット置き場を見る。
常連さんの名前がチケットの頭に描かれたコーヒーチケットがいくつかぶら下がっている。
名古屋圏の喫茶店では当たり前の光景だ。ボトルキープではないけれど、先払いでコーヒー何杯は分のチケットを購入し、店に預けておく。もちろんチケットは財布に入れて持ち歩いてもいい。普通に注文するよりも、チケットをまとめて買った方が少し安くなるので常連ともなればチケット購入は当たり前だ。
チケット置き場にぶら下がっているチケットは、わずかに12本。開店からまだ1か月だ。だけど……その5倍は置くことができるチケットキーパーが壁にはかけられている……。
「うん、落ち込んでも仕方がない!居心地が良くて、モーニングもコーヒーも美味しい、ひいきにしてもらえる店になるように頑張ろう!」
お客さんがいないなら、今のうちに日替わりモーニングのメニューや日替わりランチ、日替わりアフタヌーンサービスでも考えよう。
カウンターに座って、ノートを開く。そのとたんにベルが鳴った。
チリンチリンチリーン。
入り口のドアの上に取り付けたベルの音だ。
名古屋圏の喫茶店では一般的なもの。ドアが開けばベルの音が鳴る。別の作業をしていても、お客さんの来店を知ることができる便利アイテム。
「いらっしゃいませ」
慌ててノートを閉じて、カウンターの裏に置いて振り返る。
「あ……」
店の入り口に立つ男性を見て、思わず動きが止まる。
待ちに待った今日一人目のお客さんである……が。
「えーっと、いらっしゃいませ」
動揺のあまり再び同じ言葉を繰り返してしまった。
頭を下げないとドアをくぐれないほどの長身の男性がそこにはいた。
薄茶色の髪の毛に、薄茶色の瞳。彫の深い顔。身長も高いけれど、筋肉もすごい。ボディービルダーから俳優に転身した海外の映画俳優をほうふつとさせる……。アクション俳優の、あの人とかその人とか……。
年齢は、30歳前後だろうか。それとも実は若い?もっと年上?
明らかに西洋風の顔。外国人の年齢はさっぱり分からない。
立ち尽くす外国人は、驚いた顔できょろきょろとしている。
「お好きな席へどうぞ」
言葉、通じるかな……。英語でなんていうんだっけ?
「ここは、なんだ?」
はい?
日本語だけど、意味がよくわからない。看板には、喫茶ともcoffeeとも書いてあったと思うんだけど……。
「喫茶店です。えっと、飲食店……食事や飲み物を提供する場所ですが……」
日本語が分かるんだから、日本について知ってるはずだ。いや、そもそも日本語を学べるような先進国にいたなら喫茶店を知らないわけがない……。
それなのに、目の前の剣士はきょろきょろと驚きを目に浮かべたまま店内を見回している。