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篠木の伝承 忘却の時代  作者: ながとみコケオ
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暗闇の声

 何処までも続く闇の中で、地面が何処なのか感覚が狂ってしまいそうだ。立っているのかすら、判断がつかずに不安がよぎる。加えて何かに体中を押さえつけられている感覚があり、動くことすらままならない。

「離せ!」

 叫んでみても、闇に声が吸い込まれているような気がして、聞こえているのかさえ分からない。

 耳元では、ざわざわと耳障りな音がする。首を振って音から逃れようとしてみたが、頭を押さえられているようで振ることも出来ない。嫌悪感を顕わにするが、闇の中では自分がどんな表情になっているかも分からず、焦りと不安が混ざりながら募っていく。

 耳障りな音は、徐々に聞き取れてはいるが、一つ、二つではないらしい。不安を押しのけるように耳に神経を集中させ、一つ一つを聞き取ろうと試みる。

 話し声、悲鳴、怒声、すすり泣く声、呪うように紡がれる声、妬ましげな声、助けを求める声。どれも、耳を塞ぎたくなる声に耐えようと育也は歯を食いしばった。

「綺麗な肌、羨ましい」

 耳元ではっきりと聞こえた声の主だろうか、頬を冷たい何かになぞられる。

「触るな!」

 噛み付くように怒鳴っても声の主には届かないらしい。二度、三度と羨ましいと呟きながら頬をなぞっていく何かは、何時、指一本動かせない自分に牙を向けてくるか分からないことに、恐怖心が芽生えてくる。

「嫌!」

 悲鳴に近い声で叫んでも、止めるどころか、身体を触られる感覚が伝わる。うるさいと、男の怒鳴る声と共に口を塞がれた。言葉にならないまま叫んだが、全く聞き容れてくれない。

 何度繰り返したかと思う程叫んだ後、ふいに触られていた感覚が消えた。呼吸が乱れているが、整えるよりも早く後ろから何かに抱き込まれる。動けない程、強く抱き込まれてはいないにも関わらず、身体は言うことを聞かない。すぐ横で、誰かの呼吸を感じる。ゆっくりとした動作で頬ずりされたかと思うと、今度はじっと育也を眺める視線を感じた。

 抱き込まれて眺められたくらいでは、身体は震えたりしない筈だが、言うことを聞いてくれない身体は、無意識に嫌がっているのか、大きく震えている。

 呼吸も先程以上に乱れ、上手く息をしているのか分からなくなっている。

 耳元に相手の息がかかった。一瞬だけ、更に大きく震える。

「見つけた」

 囁いた声が聞こえた瞬間に、体中に冷たいものが走る。

 逃れたい。この相手は自分にとって危険過ぎて、触られるのも傍に居るのも嫌だ。全ての感覚が逃れろと教えているにも関わらず、育也の身体は動こうとはしてくれない。

「助、け、て」

 乱れたままの呼吸が邪魔をして、上手く声に出来ない。怖い、相手が見えないからではなく、存在自体が怖いと感じる。

「助けなど、誰も来れぬ」

 耳元で再び囁かれ、再び冷たいものが体中を駆け巡った。

 息が吸えずに苦しさが増し、意識が朦朧としてくる。

「弥素、次」

 無意識に名前を呼びながら瞼が閉じだすのと、胸元で何かが光るのとどちらが早かったか。光が服の中で、安堵するような温かさを感じさせてくれ、朦朧としていた意識がはっきりとする。

 動けなかった身体が自由になると同時に、すぐ後ろで悲鳴が上がった。

 縋るように服の上から光を両手で握り締めると、瞼をしっかりと閉じた。

「それを捨てろ。近づけない!」

 囁いていた声は、怒声に変わっている。しかし、聞こうとも思わない。握り締めたまま、何処かへ行って欲しいと願う。

「捨てろと言うに!」

 怒りが頂点に達したように、怒声が響き渡る。

「捨てるもんか!」

 早く消えろと願う変わりに、育也は腹の底から出せるだけの声で怒鳴り返す。左腕を強く掴まれ、痛みを感じながらも絶対に従わないと思う。掴まれた腕が引っ張られ、抵抗する間もなく身体が引き寄せられる。引き寄せられた身体が、何かに当たると同時に、背と後頭部を押さえられた。

 誰かが、名前を呼んでいるような気がする。何処かで聞いたような声が、心配そうに発せられて、身体を揺すっている。次いで、右頬を触られた。

「育也」

 はっきりと、声が聞こえた。瞼を開くと、心配そうに顔を覗き込んでいる弥素次の顔が見えた。

「弥素次」

 呟いて、慌てて弥素次にしがみついた。まだ、身体が震えたままで、呼吸が乱れている。

 驚いた様子だった弥素次だが、すぐに背を擦ってくれた。背に弥素次の手の温もりを感じると、幾分震えが治まり、呼吸も整いだす。

 暫くして、落ち着くと、育也は自分の状況を確認した。引き寄せられた時に当たったと思ったのは、弥素次が自分の方へ引き寄せたからで、押さえられたと思ったのは、弥素次の腕が身体を支えていたからだと、今更のように気付く。

 次いで、ゆっくりと周囲を見渡してみる。育也を飲み込んだ靄は、森の奥へ遠ざかっており、殆んど見えない。

 大きく息を吐いて、漸く全身の緊張が解れた気がした。

「育也、落ち着きましたか?」

 未だ背を擦っている弥素次は、声をかける機会を窺っていたらしい。緊張が解れるのを見計らって、発した言葉にニ、三度頷いてみせる。

「飲み込まれたと思ったら、急に靄の中に光っている物が見えて、彼に取り出して貰ったの。そうしたら、あなただったから驚いたわ」

 弥素次の左肩の上から、小闘竜が声をかけた。

 弥素次の横から顔を出した黒蛇が、頬ずりしてくる。答えるように笑いかけ、弥素次を見上げる。昨日から口を利いていない上に、勝手に抜け出している為、余計怒らせたかなと思っていたのだが、今の表情からは全く感じさせない。後で説教されそうな気もするが、心配させてしまった分を考えると大人しく受けようと思った。

「あまり心配させないで下さい。本当に貴女って人は」

 言葉の途中で溜息を吐いて、安堵したような笑みを見せた。

 説教されると一瞬身構えたのだが、言葉を続ける代わりに擦っていた右腕をこちらの脇に通し、少し身体を屈めて左腕をこちらの膝の裏へ回した。何をする気だと思った途端、一気に抱き上げられてしまった。

「選利殿、小屋に戻りましょう」

 驚いて再び弥素次にしがみついてしまう。育也が目を白黒させているのもお構いなしに、弥素次は選利を見た。

「分かりました」

 選利は育也から見えない場所に居た為、表情は見えないが雰囲気は何故か微笑ましそうにしている。しかし、今は選利に構っていられない。

「下ろせ、自分で歩ける」

 一度も抱き上げられたことが無い為、地に足が着いていないと落とされそうで不安に感じるのだ。

「聞きませんよ。人に心配をかけた上に、あんなに怯えて。その上、疲れ果てた表情をされたのでは、歩けなど言えるわけがないでしょう」

 弥素次に言われて、初めて育也がどんな表情になっているのか気付く。そんなに酷い顔をしていたのかと思いながら、ちらりと地面を見た。

 既に歩き出している為、歩く度伝わる振動が、落ちたくない気持ちに拍車をかけてしまい、腕に自然と力を入れてしまう。

 気付いた弥素次が、笑いかけた。

「あまり騒いでいると、前触れなく手を離してしまいますから、大人しくしていて下さい」

 眉間に皺を寄せて頬を膨らませてはみるものの、落とされるのはごめんだと思い、表情だけで抗議する。

 育也の表情が可笑しいのか、弥素次は笑顔をみせたまま、言葉を続ける。

「次回から、大人しくしていただく時は、貴女を抱え上げた方が良さそうですね」

 逆に言えば、言うことを聞かなければ抱え上げるぞと、脅迫していることになる。

 膨れっ面のままでいると、弥素次は安堵させてくれるような笑みになっていた。

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