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篠木の伝承 忘却の時代  作者: ながとみコケオ
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黒い靄

 森の奥で、鳥の囀る声が聞こえた。薬草を摘んだ喜助≪きすけ≫は、顔を上げて囀りが聞こえる方を向いた。いつもと変わらない森の中で、鳥は心地よい囀りの声を聞かせてくれる。心が和む感覚を覚えながら、ほんの少しの間聞いていた。

 この森には楓手≪かえで≫の町から、二日かけて薬草を採りに来ている。森に入る時は、目的こそ違うものの、一〇人前後で入ることが多い。時折、一緒に森に入った者を見かける。今も、先の方を乾物屋の主人が横切りながら目的の物を探している姿を見えていた。何時もと変わらぬ風景を見やると、再び薬草を探すべく下を見る。

「もう少し、奥の方に行ってみようかな」

 今いる辺りの薬草は、まだ育っていない。辛うじて幾つか摘んだものの、別の場所に移動した方が効率もいいだろう。視線を上げ、先程乾物屋の主人が横切った辺りに行ってみる。

 歩きながら、自分の故郷にいる父親を思いだす。森に入る時はいつも一緒に行っていたのだが、楓手の町に来てからは一人で森に行っていると聞いた。早く一人前になって戻りたいのだが、まだ二年しか経っておらず、戻れるのは当分先になりそうだ。

 小さく溜息を吐いて、足を止める。この辺りなら、薬草も育っているだろうと思いながら、腰を屈めて手を伸ばし、途中で止めた。森のずっと奥から、誰かの叫ぶ声が響いたのだ。姿勢を崩さぬまま、顔を向ける。危険を知らせるように、鳥達が一斉に飛び立った。姿を隠していた動物達も人がいるのも構わず横を走り、一斉に森の外へ向けて駆け出している。

「一体、どうしたんだ?」

 乾物屋の主人が、気付いて声をかける。

「分からない。でも、動物が逃げてるし、誰か叫んでた気がする」

 胸騒ぎがする。早く森から抜け出たい気分を抑えながら、立ち上がった。

「何かあるな。他の連中を探して、森を出るぞ」

 長年森に入り続けていた為か、乾物屋の主人は危機感を覚えたらしい。言葉に頷いて、もう一度森の奥を見た。遠くに何か見える。目を凝らして良く見てみると、かなり離れているが、森を黒い靄のようなものが覆っている。徐々にこちらに近づいているように思えた。

「何、あれ」

「早く出た方が良さそうだ」

 乾物屋の主人が他の者を探すのは危険だと察したのか、行こうと声をかけ、すぐに森の外に向けて走り出した。

 走りながら、後ろを振り返る。黒い靄は、這うように森の中を覆っていた。音を立てることなく、背後に迫るように不気味に靄は伸び、意思でもあるように、走っている者達を追いかけてくる。

「早いな。喜助、急げ。追いつかれるぞ」

 まだ、遠いものの黒い靄との距離は、徐々に狭まってきていた。大きく頷いて、全速力で走り続ける。邪魔をするように両脇に草が生えており、足や腕が容赦なく撥ねていたが、構っている暇はない。

 喜助が、後ろをもう一度振り返る。自分達よりも後ろを走っている動物達の数が、減っているように思った次の瞬間には、黒い靄のすぐ前を走っていた動物が足を取られて転倒した。動物が立ち上がるよりも早く、黒い靄が絡め捕るように飲み込んでしまった。

 慌てて前を向いて走り続ける。今は黒い靄の正体が何なのかよりも、逃げ切らなければならない。

「川に向かえ!」

 乾物屋の主人が、走りながら怒鳴った。楓手の町からは二日かかる道のりだが、川を伝えば走って道を通るよりも早く森を抜けられる。分かったと大声で答えた喜助は、歯を食いしばると走ることに集中する。

 川までは、半刻程かかる。黒い靄が追いかける早さから考えると、途中で飲み込まれそうな気がする。追いつかれるまでに川に出られるか不安になりながらも、喜助は動きが鈍くなってきた足を動かす。

 三度振り返り、何処まで追いかけてくるかも分からない黒い靄を確認する。黒い靄の早さが、若干遅くなっている気がした。よく見てみると、黒い靄は止まっている。乾物屋の主人も後ろを振り返り、黒い靄が止まっているのを確認すると、走る速度を落として止まった。

「止まった」

 乾物屋の主人と同じく喜助は足を止めると、呟いて乱れた呼吸を整えようと深呼吸する。

「何なんだ、あれは」

 呼吸を整えながら乾物屋の主人が言うが、黒い靄の正体を知っているわけではないので答えずに見詰めていた。

「走りなさい。もうそこまで来ている!」

 ふいに聞こえた女の声に、弾かれたように喜助と乾物屋の主人は再び全速で走り出した。今まで居た場所から、黒い靄が土を撥ね上げ飛び出てくる。女の声がなければ、飲み込まれていたと思うと、冷やりとしたものが喜助の背筋を走った。しかし、黒い靄の方が早いのは、先程見ている。飲み込まれるのも、時間の問題だと思った矢先、乾物屋の主人が何かに足を取られた。走っていた分、勢い余って転倒してしまう。

「行け!」

 一瞬止まったが、怒鳴られて頷くことも忘れて喜助が走りだす。乾物屋の主人の悲鳴を背に浴びながら、歯が折れそうなくらいに食いしばり走り続ける。声が途絶えた後も振り返らず、ただ逃げる為に走っていた。

「少し先に大木があるの。根の間に貴方が入れるくらいの空間があるから、そこに隠れなさい」

 女の声が再び聞こえた。誰等と聞く余裕もなく、頷いてみせる。

「いい子ね。貴方が隠れるまでの時間を稼いであげるから、急いで頂戴」

 もう一度頷いてみせると、何かが羽ばたく音がした。次いで黒い靄を遠ざけるように黒い炎が現れたかと思うと、森の中を駆け巡る。

 何も考える余裕等、何処にもない。時間を稼ぐとは言われたが、どれだけ時間を稼いでくれるか分からない上に、大木に辿り着けるかも分からないのだ。

 喜助が今出来るのは、大木を目指して走ることだけ。息を切らせ、走ることさえままならなくなった自分の足を無理矢理前に出させる。

 右側から襲ってきた黒い靄を、黒い炎が阻止し、脇を擦り抜けるように走り、見えてきた大木を脇目もくれずに目指す。もう少しで、大木に辿り着く。辿り着いたら、根の間の空間を探さなくてはいけない。動きの鈍い足に苛立ちを覚えながら、大木の前に出る。

「裏側に行って」

 三度女の声が聞こえると、急いで大木の裏側へ回り空間を探す。他の根よりも盛り上がっている根のすぐ裏を見ると、中に入れる穴があった。

 確認するよりも早く、身体を滑り込ませる。乱れた呼吸が、落ち着いてくれない。肩で息をしながら、入口から外を見ようとしたが、勢い良く入ってきた何かに穴を塞がれてしまった。手も見えない程の暗い空間が、妙に息苦しい。しかし、息苦しさよりも黒い靄が、何時この空間に入り込んでくるか不安でたまらない気持ちが、喜助の中で広がっていた。

「大丈夫よ」

 頬に何かが頬ずりした。すぐ横で女の声が聞こえ、頬ずりしたのは喜助を助けた女だと気付く。

「私もあの子も、今はここに居るから、心配しないで」

「あの子?」

 未だ乱れた呼吸が落ち着かぬまま、喜助が聞き返すと女が微笑むような雰囲気を漂わせた。

「見せてあげて」

 女の声に反応するように、金色の双眸が目の前に現れる。手も見えないのに、金色の目だけがはっきりと分かる。身を硬くさせながら、じっと見詰めてしまう。

「この子が居るから、あの靄もここには入って来られないの。だから、安心して頂戴」

 じわりと、体の緊張を解いていく。大丈夫だと確信すると、大きく溜息を吐いた。

「必死に走っていたから、少し疲れたでしょう。暫く眠ってなさいな。次に目が覚める頃には、状況も変わってくる筈だから」

 再び頬ずりをされると、急激に眠気を覚える。女が誰なのか、金色の目のあの子が何なのか、聞く間もなく身体の力が抜け、意識が遠のいていった。

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