とと、かかの名前
翌日、育也達が詰所へ足を運ぶと、選利は既に衛兵一〇人の小隊を編成して準備を整えていた。
「準備は整えておりますが、馬をもう一頭用意せねばなりませんな」
選利の言葉に、連がすぐに首を横に振った。
「副隊長の後ろに、乗るからいい。弥素次、賢治を頼む」
頷いて見せて、育也は選利と連が初対面だと気付く。
「今回の件は、妖霊山の主も手を貸して頂けることになった。昨日、楓手に到着されたばかりだが、状況は説明している」
連にとってはただの退屈しのぎに過ぎないが、退屈しのぎで関わるとは言えない為、恩義で手を貸すかのように言っておく。
連がこちらの言葉に合わせて、頷いた。
「随分厄介な件だが、心配しなくて良い。だが、気を抜くなよ」
本人も退屈しのぎだと言う気がない為、育也の言葉に合わせるように言葉を紡ぐ。
「選利と申します。主が手を貸してくださるとは、思ってもおりませんでした。いや、心強い」
選利の背筋が緊張するように伸びたが、連の本心を知っている為か、育也は申し訳ない気がする。隣で弥素次が苦笑いを浮かべ、他の衛兵達がいる為に姿を消している小闘竜が育也の左肩で笑いを押し殺している。
「気遣いは無用だ。何かある時は副隊長に言うから、自分達の任務を遂行しろ」
山の主は、国王以上に雲の上の人に見られる。主が滅多に人前に現れない為であると同時に、人前に出る時は連のように自分が主だとは言わないことが殆んどである為だ。滅多に人前に現れない主がいると気付いて、衛兵達に無用な混乱を招いてしまわないように、また緊張感を保たせる為に先に言ったのである。
賢治を先に馬に跨らせた弥素次が、自分も跨る。育也も馬に跨ると、連は片手を馬の背に乗せ、軽々と飛び乗ってしまう。
「承知致しました。では、参りましょうか」
見計らうように言った選利の言葉を合図に、全員が馬を歩かせだした。
「馬で、半日か。面倒臭いな」
後ろで連が小声で呟いていたが、育也は何も言わずに馬を操る。
「やしょじ。賢治は、お馬しゃんに乗るのは、二回目でしゅ」
賢治が、楽しそうに弥素次に話しかけていた。
「誰かと、乗ったのですか?」
くすりと笑って弥素次は、賢治に聞き返す。
「はい。ととと、乗りました。ととは、やしょじみたいでしゅよ」
とと? 不思議そうな表情をして聞いた弥素次に、連は父親だと答えている。賢治の父親は、雰囲気でも似ているのだろうか。
「ととと私は、似ているのですか?」
「はい。賢治は、ととが大しゅきでしゅ」
弥素次の視線が、連に向けられた。表情からして、何か言いたげなのは分かる。
「連、賢治の父親は誰なのですか?」
確かに気になる処だが、複雑そうな表情に変化することではないと思う。
「誰だと思う?」
育也の後ろで聞き返した連が、意味ありげに笑っている。否、雰囲気が笑っていると伝えているのだ。
「あまり、聞きたいとは思えない気もします」
誰か気付いたのか、弥素次の複雑そうな表情は、名前を口に出したくなさそうだ。
「じゃあ、聞くな」
婆、聞くなって言うのはどうかと思うけどと、内心思う。案の定と言うべきか、弥素次は複雑そうな表情のまま連を見ている。
「婆、意地悪しないで教えてやれよ」
仕方がないので、一言言っておく。但し、答えるかどうかは、連次第だが。
「聞きたいと思わないなら、教えない」
連を見ると、そっぽを向いてしまっている。だが、表情は退屈しのぎを見つけたと言わんばかりだ。性格が悪すぎると思いながら、視線を弥素次に向けた。
「連、聞きたいとは思えないのは確かですが、知りたいとは思っています。ですから、教えて頂けませんか」
弥素次は複雑そうな表情に、呆れた表情まで加えて聞いている。
「嫌だ。面白いから言わない」
やっぱりと思いながら、溜息を吐いている弥素次が、次に何を言うか待つ。仕方がないと表情に現しながら、弥素次は賢治を見た。
「賢治、ととの名前は分かりますか?」
連が教えないもんだから、賢治に聞くことにしたらしい。まあ、賢いといえば、賢いやり方だろう。
「ととは、ととでしゅねえ」
知らないんだと思いながら、連を盗み見る。実に愉快そうに笑みを見せているところを見ると、賢治が知らないことを分かっていて何も言わなかったらしい。
「では、かかの名前は分かりますか?」
弥素次も意地になっていると思いながら、賢治の答えを待つ。
「かかは、かかでしゅ」
結局、どっちも覚えないと分かると、弥素次はくすりと笑った。
「賢治にはかかの名前も、分かってはいないようですよ」
「賢治、かかの名前は教えただろう」
一瞬顔を引き攣らせた連が、慌てたように賢治に言っているが、賢治は分かっておらず、無邪気に笑顔を見せている。婆、弥素次に意地悪するから、反撃食らってやがる。姿が見えない小闘竜と共に、育也は連に顔が見えないように笑う。
「笑うな、馬鹿者」
顔は見えなくても、連が頬を膨らませて言っていることくらい分かる。これ以上笑うと八つ当たりされそうだが、育也は可笑しくて堪らない。
「賢治は、かかが大しゅきです。賢治がねんねしゅる時は、お唄歌ってくれましゅよ」
賢治の言葉にやっと笑いが収まり、育也は同時に微笑ましく思えてしまう。素直に母親が好きだと言える賢治が、衛兵達には和やかに感じるのだろう、微笑ましそうな表情で賢治を見ていた。
「そうですか、賢治のかかは、賢治には優しいですからね」
しかしながら、連に意地悪された弥素次は、ここぞとばかりに反撃していたりする。仏頂面になった連が、言葉を返せずに弥素次を睨んでいるが、弥素次は素知らぬ振りをして賢治を見ている。
「ととは、賢治にしゅりしゅりってしてくれましゅ」
頬ずりしてくれると無邪気に言った賢治を、弥素次は優しげな眼差しで見ていた。




