前の世界
「創造主と呼ばれる幻夢王 郭が最初に創った世界、アリトレウスには、陸地があり、川と湖があり、川は陸地を通り海に続いていた。世界は、人と生き物達が生きるには十分な広さで、争いも暫くは起こらなかった」
言葉なく、連の話に耳を傾ける。連は、何を話そうとしているのか。
「人が増え、文明が発展していくと、それだけ食糧や土地を確保しなければならなくなる。発展と同時に争いが起こりだした世界は、小さな戦が耐えなくなり、三女神は世界を二つの国に分けることで、争いをなくそうとした。分けた国は呪術の秀でた者、ラルにハンカナート国を、武術の秀でた者、カルフにイクレシス国を治めさせた」
育也が、困惑した表情を見せている。弥素次も初めて聞く話で、答えようもなく、ただ聞くだけしか出来ない。
「暫くの間、争いも下火になり、更に文明は発展していった。だが、発展した為に国を治める者達と女神達だけでは目が届かなくなり、監視の役目を負う者達を創った。その一人が、霊獣の番人だ」
霊獣の番人が存在する本来の意味は、広すぎる世界の監視だったらしい。しかし、監視が役目なら、何故霊獣が存在するのか。
「霊獣の番人が、私達霊獣を創ったの。番人が見えない部分を補う為でもあるけれども、何時も一人だったから気を紛らわせる為でもあったのよ」
霊獣の番人の名前が出た途端に、小闘竜が口を挿んだ。陽影が小闘竜に合わせるように尾を振ってみせる。
「なあ、今までの話なら、別にそのままでも良かったんじゃねえの?」
育也の言葉通りだ。今の処、世界が破滅してしまうようなことは、一切ない。では、何故破滅したのか、気になる処だ。
「確かにな。だが、二つの国に分けたのが、返って悪い方に向ってしまった。ハンカナートを治めていたラルには、ティナという娘がいたんだ。カルフはティナに好意を寄せていた。ティナには婚約者が既にいて、カルフが来る度に断っていた。カルフも婚約者がいたことは承知していし、自分は国を治めなくてはいけない。だから、冗談で言っていたようだ。冗談を言っていたカルフだが、自国であるイクレシスは不穏な情勢が続いていて、内部紛争が絶えない状況だった。何とか収めようとしていたカルフは、謀反を企てた者達に無実の罪を着せられ、捕らえられてしまった」
胸に、重く圧し掛かる。無実の罪を弥素次も着せられ、国を出た。カルフと自分が妙に重なる気がして、思わず俯いてしまう。
「ハンカナートに、亡命しようとした。逃げもしなかったカルフに、無理矢理罪状を突きつけて、牢獄に入れたんだ。牢獄に入れられている間に、謀反者達は、ハンカナートに戦を仕掛けて滅ぼしてしまった。カルフがいれば、確実に戦をさせない。謀反者達は知っていたからこそ、無実の罪を着せて投獄することで、ハンカナートという世界の半分にあたる土地を手に入れる手段を手にして、実行したんだ」
静まり返った部屋で、何か言うべきなのだろうか。しかし、何も言えない。今は、ただ黙って聞く。
「謀反者達はハンカナートを滅ぼす際に、ティナを捕らえていた。ティナは一切の食事を与えられぬまま、投獄されたカルフの前に連れられ、そのまま放置された。当然、カルフは手が届かない。ティナも連れてこられた時には、既に自ら動くこともままならない状態だった。殺されもせず、生かされることもなく衰弱していくティナを前に、カルフの精神状態も徐々に蝕まれていった。言葉しかかけてやれない自分を、カルフはどれだけ恨み、ティナを見殺しにする謀反者達をどれだけ恨んだか。ティナが息絶えた後、カルフは牢番に少しでいいからティナに触れたいと懇願した。牢番も哀れんだのか、カルフの牢獄の鍵を開けたが、ティナをなくしたカルフの精神は既に崩壊していて、牢獄を出た瞬間から、今までのカルフとは全くの別人のように無慈悲で残虐になってしまった。牢番の剣を奪い殺してしまうと、ティナの骸を抱きかかえて、牢獄を後にした。そして、向ってくる者も、逃げる者も殺していった」
少しだけ顔を上げ、育也を見る。視線を下に向けて、育也は何を思っているのだろうか。
「丁度その頃、憂いた幻夢王がアリトレウスを無に還そうとした。だが、女神達が二つに分け、全く別の文化を創ることでやり直せると反撥した。結局は、女神達の言葉を聞き入れた幻夢王が、アリトレウスを二つの世界に分けたんだ。女神達は、ほんの一握りの人と生き物達を二つの世界に逃す為、保護した。残された者達は、アリトレウスと共に滅んだ。死魂の女神は、その時に死者の一部を放置していたんだ」
連の膝の上で、陽影を撫でていた賢治が、陽影の身体に顎を載せた。陽影が、重たそうに鳴いている。
「賢治、陽影が嫌がっているから止めろ」
陽影から顎を下ろすと、賢治は連に寄りかかった。
「賢治は、ねんねしたいんでしゅ。かか、お歌唄って下しゃい」
「もう少し、待ってくれ。まだ、話が終わっていないんだ。終わったら唄うから、それまで我慢してくれ」
くすりと笑った連は、賢治を左に向けながら言う。はいと返事をして、賢治は左手で連の服を掴んだ。
「世界は、海に覆われた世界、大海≪たいかい≫と、陸に覆われた世界、大樹≪たいじゅ≫に分けられた。お前達が居るのは大樹で、大樹から大海には渡れない。無論、大海から大樹にもだ。但し、女神達や霊獣の番人達は渡れるがな」
連が、言葉を切ったと同時に弥素次は顔を上げた。
「一つ、疑問に思うことがあります。女神達と夢で会ったことがあるのですが、あれと女神達が呼んだ者がいるのです。女神達が言うには、あれと呼んでいた者が、目を覚ましたと。私が玄封の主だと気付いて、国王を刺殺した濡れ衣を着せたと。私の考えが間違っていなければ、私が玄封の主だと気付き、追いかけて来るあれは、現存している神話に関係している存在で、霊獣の番人が自身を犠牲にして封じ込めた、悪心の神と呼ばれた者ではないのかと。そうでないと、私を追う意味がありませんから。だとすれば、悪心の神は何処から出てきたのでしょうか。大樹に変わった世界で生れたのならば、何処かにその文献も残っている筈ですが、目にしたことはありません。連の話を聞いていると、アリトレウス時代から存在していたようではないように思えます。悪心の神とは、一体何者なのですか」
答えを連が知っているかは定かではないが、知っているのなら教えてほしい。連が知らなかったとしても、小闘竜は知っているのではないかと、小さな期待も持っていた。
「悪心の神の正体は、分からん。だが、悪心の神はアリトレウスには居なかった存在だ。大樹で生れた可能性は高いが、確証もない」
やはり、連でも分からない存在なのか。そうねと、育也の肩の上で小闘竜が同意している。
「悪心の神の正体も、何処で生れたのかも分からないわね。でも、一つ言えるのは、霊獣の番人だけでは封じるだけで精一杯だったことくらいかしら」
小闘竜の言葉が、途中から小さくなっていった。五〇〇年先に産まれてくる霊獣の番人と縁があるからといって、育也に会いに来るくらいだ。小闘竜にとって、霊獣の番人は掛替えのない存在だったのだろう。
「気を落とすなよ。まだ、何も動いてないんだから。それに、もしかしたら、黒い靄に悪心の神の正体が分かる手がかりがあるかもしれない」
一瞬、耳を疑ってしまった。育也の口から、黒い靄に手がかりがあるかもしれないと出てくるとは思わなかった。
「貴女、靄の中で何を見たの?」
覗き込みながら、小闘竜が聞く。黒い靄に呑み込まれてから育也を引き出した時、異常に震えていた。呑み込まれている間に、育也は何を見たのだろうかと思う。
「実を言うとさ、あんまり思い出したくないんだよな。でも、婆もいるし、何にも話してないから言った方が良いかなって」
一度、言葉を切った育也は、覚悟を決めたような表情を作ると、黒い靄の中で何があったのかを話し出した。
始めは、震えていなかった育也だったが、途中から手が小さく震えだし、話し終える頃には震えていた手を無理矢理止めるように、寝床の掛け布団を強く握っていた。




