#17.海の幸は大胆に煮る
それからというもの、カオルは町中を回り、困っている人、問題になっている事を見つけては、手を貸し解決し救っていった。
今は廃れた漁師町である。それほど多くの住民は居らず、毎日のようにアクシデントが起きている訳でもないが、人手不足というのは中々に深刻らしく、特に漁師や港での荷降ろしの手伝いをする事が多かった。
かなりの重労働となったが、この辺りカオルは農村での日々のおかげである程度力がついていて、そこまで苦でもなかった為、重宝された。
「いやあ、助かったぜ兄ちゃん。最近は中々若い奴が港に来てくれなくてよ」
「へへへ、坊主のおかげで助かっちまったよ。老いぼれに酒浸りばかりじゃ、中々網が引けなくていけねぇ」
「ああ、こっちもいいモノ貰っちゃったし、お互い様だぜ。それじゃ、またな」
「また来いよー!」
「なんだったらこの町に住んじまってもいいんだからなー」
不慣れながらも、文句ひとつ言わず言われた通りにこなそうとするカオルは、漁師や港の男衆からの評判も良かったのだ。
元々人手不足で苦しんでいたのもある。今は、臨時でも何でも手を貸してくれる人手が欲しかったのだ。
カオルもカオルで、漁師仕事を手伝ったお礼に、巨大な魚を丸々一匹くれたりしたのでほくほく顔である。
「なんだカオルちゃん、随分でけぇ土産をもらったもんだな。ほら、これ持ってけよ。運ぶの楽だから」
「いいのかい親方? ありがとうな」
「気にすんなよ。後で返してくれりゃいいからよ」
魚を両手で抱えてなんとか歩いているところで、積み下ろし作業を担当している親方から声を掛けられ、運搬用の小さな荷車を貸してもらえた。
感謝しながらも、カオルは魚をこれに載せ、ゆうゆうと運ぶのだ。
運んでいる途中も「おお、いいヒゴノカミじゃねーか」だとか「今年は大漁みたいだな」だとか、様々な声を受けながら、カオルは港から宿へと戻ってゆく。
「あら、お客さん、今日はお早いお帰りですのね?」
宿に戻ると、宿屋の女主・ハーヴィーが表で箒がけしていた。
晴れ晴れとしたいい冬の日である。
先日などは雪が降ったりもしたが、今はもう雪が融け、宿の周りもすっきりとしていた。
「思ったより早く目標数釣れたんだよ。それよりこれ、見てくれ」
ハーヴィーの前でぴた、と荷車を止めて上の魚を見せる。
青い鱗のこの大魚、口先が尖っていて、背びれなどは刃のように鋭利であったが、その身はでっぷりと太っていていかにも食いでがありそうであった。
「わあ、ヒゴノカミですね。お客さんが?」
「ああ、漁師のおっちゃんに貰ったんだけどさ、俺一人じゃどうやって捌くのかとか、いい感じの調理方法とか知らないから、知ってたら教えて欲しいんだが」
「なるほど……お魚でしたら私よりも妹のリシュアが得意ですので、そちらに聞いてみましょうか」
「頼むぜ。俺も勉強したいから、できれば見せてもらってもいいかい?」
「勿論ですわ。では、こちらへ」
ハーヴィーに案内されるまま、宿の裏手口から調理場へと荷車を押してゆく。
壁にぶつけたりしないように気を付けながら調理場へと運ぶと、既にリシュアが夕食の準備に取り掛かろうとしていたところだった。
「あ、ハーヴィー姉さん。どうしたんです?」
「お客さんが、ヒゴノカミをいただいてきたんですって。リシュアは調理方法知っているでしょう? お客さん、是非見てみたいって言うから――」
「ああ、なるほど――どれどれ」
白いエプロンをつけたリシュアが、布巾で手を拭きながらこちらへと寄ってくる。
ハーヴィーの後ろで待っていたカオルを見てペコリ、お辞儀をして、荷車の上の巨魚を見て一言。
「うわ、超大物ですね」
漁師町の娘をして、かなりの大物だったらしい。
驚きというか若干困ったような、そんな悲鳴である。
「ですがすみませんお客さん。このサイズのお魚は、私一人では捌くのは無理です」
そうして、眉を下げながらの一言。
どうやらこの巨魚、リシュアの手には負えないらしかった。
これにはカオルも困ってしまう。
「それは参ったな……まさかこのまま焼く訳にもいかないし……」
「流石にこのサイズとなると、私の力では無理ですから……お客さんがご自分で捌くのでしたら、方法を教えますけど……」
「魚って、俺でも捌けるの? 俺、この魚触るの初めてなんだけど」
「こういう大きなお魚は、むしろ男性の方が捌くの上手いと思いますよ。力仕事ですから」
「そうなのか……解った。やってみるぜ」
カオルは知る由もないが、魚を捌くというのは存外力を使う作業なのだ。
捌く為の包丁も普通のものと比べ大き目になり、魚を切る為にその大きな身を手で押さえ、時として抱えなくてはならない。
労力は魚のサイズによってどんどん増してゆくのだから、まだ少女であるリシュアには厳しいのも無理はなかった。
その点、カオルはこの魚を抱えられる程度には力がある。
このサイズの魚を捌くのは初めてだったが、向き不向きで言うならカオルの方が向いている、というのがリシュアの弁である。
という訳で、カオルも早速挑戦してみる事にした。
荷車の上のヒゴノカミを抱え、調理場のまな板の上にできるだけ丁寧に置く。
既に息絶え血抜きもした後なので抵抗はないが、それでもぴち、と、尾ひれがまな板に当たり、うっかり落としてしまいそうになる。
なんとか保ってホッと一息。これには見守るハーヴィーも、傍に控えるリシュアも同じように胸をなでおろしていた。
「まずは鱗を落として、それが終わったら、水洗いしてくださいね」
「あいよー」
言われた通り、包丁を手に、ささっと鱗を剥ぎ落してゆく。
青みがかった大き目の鱗がぽろぽろとまな板の上に落ちていったので、用意されてある洗い用の水桶を使い、丁寧にその身を洗っていくと、流された鱗がキラキラと銀色に光りだした。
「わあ……ヒゴノカミの鱗って綺麗よねえ」
「私は見慣れてるからお魚の鱗はあんまり好きじゃないですけど……次に、胸ビレから包丁を入れるんです」
「胸ビレから……こうか?」
キラキラと光る鱗にうっとりするハーヴィーを余所に、次の指示が出される。
胸ビレからさっ、と包丁を差し込むと、サクサクと身に刃が入ってゆくのを感じ、カオルは頬を緩めた。
「でかいけど、結構簡単に入るんだな」
「最初はそうなんですけどねえ。そのまま胸ビレを取っちゃってください。同じように背びれと腹びれも」
「取るのは解ったけど……これ、結構肉ついてるんだな。捨てちまうのかい?」
「捨てるなんてとんでもない。良いお出汁が出ますから、これを使ってスープを作ったりするんですよ」
「なるほどなあ」
切り取りながら、綺麗な赤い身がぴっしりとついたままの胸ビレを見て、「ちょっと捨てるのはもったいねぇなあ」と思っていたカオルであったが。
直後のリシュアの『もったいない講義』には素直に感心させられてしまっていた。
出汁の概念が同じようにあるのもカオル的には驚きだが、食材を無駄にしないように使えるモノは使うという考えは、こういった世界にもちゃんと存在しているのだ。
「次に、頭を落とします。これが結構力が要るので、上からぐぐっと、体重を掛けながらぐいぐい押していってください」
「ああ、解った」
「あ……手、手を切らないように気を付けてくださいましね……? ふああっ、そ、そんな強くおしたら――」
「姉さんは黙っててください」
「はい」
ハラハラと見守るハーヴィーに「余計なこと言ってプレッシャーをかけないように」としっかり釘を刺すリシュア。
普段は宿を取り仕切る姉であったが、こと調理の場に限っては、妹の方が上らしかった。
そうこうしているうちに、《スコン》と間の抜けた音がして、ヒゴノカミの頭がまな板の上に躍る。
「……ふぅー。結構堅いな、これ」
「そうなんです。ヒゴノカミって骨がすっごく硬いんですよ。ぐつぐつに煮ても全然柔らかくならないくらい」
解っていただけましたか、と、にぱーと笑うリシュア。
サララのようなドキリとする笑顔ではないが、これはこれで癒される純真な笑顔だった。
「次は……中骨ですね。頭を切ったところから骨が見えてると思いますけど、この骨に沿って身を切り取っていってください」
「……おおぅ」
重厚肉厚な赤身が、ぎっしりと重い骨を包み込んでいるのが見えていた。
これを手に取り、まずは骨の上に刃を向ける。
「これだけ大きな魚だと、手を動かすだけでは刃が入っていかないと思うので……大変ですけど、身の方も一緒に動かすといいです」
「身を……うぐぐぐ……ふぉぉぉぉっ」
気合を入れて魚体を持ち上げ、ずりずりと刃を入れてゆく。
ずぶずぶと入りながらも、時々骨に当たってか《キチン》という音がして刃が止まり、その都度ずらす。
かなりの力仕事で、なるほど、これをリシュアがやるのは無理だとカオルもよくよく理解できた。
「はぁっ……はぁっ、うぉぁっ」
ぴちり、と、上身と骨とが離れ、ようやく軽くなる。
一旦まな板の上に魚体を置き、一息。
「おー……」
「流石男の方はすごいですね。私じゃ姉さんの力を借りても無理ですよ」
「わ、私頑張りますよ!?」
素直にパチパチ拍手してくれていたハーヴィーだったが、リシュアの気の無い一言に涙目になりながら力こぶを作ろうとしていた。
残念ながら、それらしいものは全くできていなかったが。
やはり、見た目相応に普通のお嬢さんだったらしい。
「うぅ……リシュアが冷たいわ」
「別にそんな事は……あ、お客さん、今度は下身を抑えながら、中骨を切り落としてください。今度はサクサク切れるはずです」
「解った。こうか……? おお、ほんとだ、サクサク取れるな」
「そうでしょうそうでしょう」
どうやら一番大変な作業は終わったらしく、リシュアもほっこりとした顔で指示を下してゆく。
カオルもそれに従い、不慣れながらもなんとか魚の巨体を切り分けていった。
そのまま、調子に乗ってしまえばあれよあれよという間に進んでしまい、「さあこれをどうしようか」という所であった。
「ヒゴノカミはミルク煮が一番だと思います」
何を作るか意見を出し合おうとしたその瞬間。
何故かサララがその場に現れ、一言、こう告げたのだ。
一瞬、沈黙が場を支配する。
「それじゃ、サララはお風呂に入りますので。カオル様、頑張ってくださいね」
「何しに来たんだよお前」
「カオル様の姿を探していたら美味しそうなお魚の匂いがしたもので。見てみたらカオル様が宿屋の娘さん達と楽しそうに何かやってるので、お邪魔したら悪いかなあって、サララ、気を遣ったんですよ?」
偉いでしょう? と、人を食ったような事をのたまうサララ。
特別ヤキモチを焼いた風でもなく、しれっと言ってのけた辺り、「きっと手伝いたくないから適当な事言ってるんだろう」とカオルは判断した。
「むしろサララ大歓迎だぜ?」
「解ってくださいよカオル様。私は愛しい殿方の前で少しでも良い匂いをさせていたいんです。お風呂に入っていい香りになりたいんです」
「別に飯の用意手伝ってからでも入れるよなそれ」
「この宿には私以上のお皿並べのプロがいるようですので、プロの仕事はプロに任せる事にしてるんです」
「マジかよ」
ハーヴィーを指しながらにこやかあにお手伝い回避を狙うサララ。
カオルはというと、なんで自分が指さされているのか解らずとりあえず華のように笑っているハーヴィーを見て「この娘も割と残念な子だよなあ」と、最初の印象とはまた別の一面を見た気がした。
ぱっと見では良いところのお嬢様っぽいのに。
いや、だからこそなのかもしれないが。
「それじゃ、頑張ってくださいねー」
結局何一つ手伝うでもなく、サララは調理場を去ってゆく。
その速度、カオルをして目で追えぬほどのものであった。
サララは逃げ足に関しては一級品であった。
「……サララめ」
憎まれ口の一つも叩いてやりたかったが、よくよく考えればここは宿屋なのだから、サララが手伝う道理も特には存在せず。
ただ遊んできたわけでもなく、情報収集の為に町中を歩いてきたサララを労わることなく無理矢理手伝わせるのは、それはそれでちょっと酷い事をしているようにも思えたので、それ以上は黙る事にしていた。
「……まあ、確かにヒゴノカミはミルク煮にするのがいいかもしれません。今の季節なら焼くよりも煮る方が身体が温まるでしょうし」
少し間を置いてのリシュアの肯定。
こちらはサララの思い付きとは違い、カオル的に信頼が置けるものだった。
確かに、寒い中外に居たのだから、身体が温まるものが食べたいし、どうせ食べさせるなら少しでも喜んでもらえる方がいいに決まっていた。
だから、カオルも素直に頷く。
「解った。それじゃ、これはミルク煮にしよう」
「解りました。それじゃあお客さん、後は私がやっておきますので、お客さんもお風呂にでも入っていてください。準備が整ったら姉さんが呼びに行きますので」
「あ、そうか……自分で作る必要はないんだった」
「ふふふっ、お客さん、ここは宿ですわ。どうぞ、疲れた体をお休めくださいませ」
リシュアに言われ、自分も作ってもらう側だった事を思い出し、頬をポリポリ。
ハーヴィーの勧めもあり、カオルは調理場を後にして部屋へと戻っていった。
一旦部屋に戻り風呂場に。
そして上がって戻ってくると、風呂上がりのサララの姿。
程よい感じに蒸気した顔でほくほくと微笑みながら「おかえりなさい」と出迎えてくれた。
「あの後、『お客さんは休んでて』って言われちゃったよ」
「そうでしょうそうでしょう。忘れがちですが、私達はお金を払って泊まってるんですから、お手伝いなんてしなくてもいいのです」
したり顔で頷くサララ。
今度ばかりはカオルも文句は言えず「そうだな」と苦笑いで返すのだが。
どちらかというと視線は、湯上りのブラウス、その胸元やらに向きそうになっていた。
必死に抑えてはいたが、最近少しずつ大きくなっているように感じていたのだ。どこがとまでは言わずとも。
(……そういや、前に女神様が言ってたっけか)
随分前のことながら、女神様が夢の中語っていた『獣人は背丈と胸とお尻にばかり栄養が向く』と語っていたのを思い出していた。
特別変わりないように思えるサララだが、なんだかんだ、育ってきているのだ。
「うに? どうかしましたかカオル様?」
「いや、なんでもねーよ。夕飯はヒゴノカミのミルク煮だぞ」
「ほんとですか!? やったー! ヒゴノカミ! しかもミルク煮とかもう最高じゃないですかー!」
カオル様解ってるー、と、満面の笑みで大はしゃぎになるこの猫娘に、今少しの思慮と色気でもあれば……と思わない事もないカオルではあったが。
同時に「こんな可愛くて色気まですごかったら洒落にならねぇ」と、若干怖いモノであるかのように胸が高鳴っていた。
そう、怖いのだ。
そんな風に育ってしまったサララを前に、自分がどうなってしまうのか、それを考えるのが。
「……?」
「楽しみだよなミルク煮」
「……はいっ♪」
今はまだ、無邪気に夕食を心待ちにできるサララに感謝しながら。
カオルは、いくばくか落ち着きを取り戻し、その日の出来事をサララと語らい始めた。