#14.夏の夕暮れ
大海戦となりながらも比較的少ない被害で勝てた事に酔いしれ、圧倒的勝利へと艦隊を導いてくれた提督殿を称えながら、艦隊は祝杯を挙げていた。
それは緒戦で散っていった者達への鎮魂の宴でもあり、戦いに傷ついた者達の心を人へと戻す為の、大切な儀式でもあった。
人の心は、決して強くはない。
圧勝ではあったがやはり人的被害もあり、とても美しく決まった陣形戦術はしかし、同時にいくらかの損害をもたらしていたのだ。
15隻あった所属船は、今では半分の7隻しか残っていなかった。
中心部に残っていた敵艦隊は、投降すら許されぬと知るや、必死の抵抗を続けた。
回避すら出来ぬ艦隊の中央。ただ撃ち込まれた砲弾を受け続けるだけの地獄。
そんな中でも、ヤケクソ気味に放たれた砲弾がまぐれ当たりする事はあり、それによって沈むのは決しておかしな事ではなかった。
短時間で片は付いたが、王国艦隊は最後の最後で痛手を被った形になる。
旗艦『クイーン・パメラ』もまた、緒戦よりの無茶でいたるところボロボロになり、ニーニャを出たばかりの頃の勇壮ないでたちは、最早見る影もなかった。
必死の修復によってなんとか航行はできるが、砲撃できる火砲は20ある内の2門のみ。
辛うじて生き残った程度のものである。
それでも提督が船を乗り換えず乗船し続けたのは、その船名が国王の愛する王妃からあやかったものであるから。
彼なりの愛国心と、そして国王への敬愛と愛着あってのものであった。
艦隊陣形を輪形へと変え、その中心に旗艦を置く形で彼らは休息のひと時を迎えていたのだが、それは夜遅くに起きた。
ただ波が船体に打ち付けられるだけの夜。
大はしゃぎだった若い兵もそのほとんどが眠りにつき、わずかな見張り番のみがまどろみながらも船内を歩く、そんな時の出来事。
波に打たれていたのは、何も自軍の船ばかりではなかったのだ。
灯りもともさず、粛々と艦隊の灯りを見つめ目標と捉えた彼らは、既に狙いを定め、準備万端となっていた。
《バゴォン!!》
砲火。雷が落ちたかと紛う音に、水兵らはすぐに跳び起き「何事か」と海を見た。
自分達以外には誰もいないはずの海。
すわ、魔物の襲撃か、と目を擦る彼らが見たものは――自軍と同じか、それ以上の規模の、黒塗りの艦隊。
隣国ラナニアの所有する主力艦隊が、そこに在ったのだ。
「――馬鹿な、何故ラナニアがこの海域に!?」
「解りません。我々と帝国軍が疲弊するのを待っていたのでしょうか……?」
既に目視できる距離にまで近づかれている事に気づき、提督は狼狽した。
最初の砲撃は直撃こそしなかったが至近弾で、敵が狙いを定めている事は必定。
すぐさま動かねばならないが、輪形の状態から陣を変えるのには幾分時間がかかる。
防御陣形ではあるが、ここまで近接されてはもはや意味をなさなかった。
「くっ……反撃しろ! 艦隊規模はこちらと変わらん! 先制は取られたが、この距離ならば練度の差で――」
指揮を執ろうとがなりたてる提督。
だが、その合間にも爆水は繰り返され、やがていくつかの船に直撃する、過大な爆発音が聞こえていた。
「レベンザード、航行不能! パニックです!!」
「……馬鹿な」
自身の油断を呪ってか。
あるいは、それでも尚勝利しようとするその執念を悪魔にあざ笑われてか。
提督は蒼白になり、しばしぱくぱくと口を開いては閉じするだけであった。
「て、提督、ご采配を! このままでは艦隊は――」
「――フラグを立てろ!」
この期に及んで、彼が取れる策はそう多くなかった。
数が足りない。兵の士気も低い。そして何より、突然の夜襲に自分自身が情報を把握しきれていなかった。
この状況下で彼が取れたのは、旗艦を犠牲に敵の注意を惹きつけ、わずかなりとも時間を稼ぐ事のみ。
奇しくも帝国軍に対し行った作戦と似ていて、それでいて比べ物にならぬほどに悲壮なものであった。
今回は、自分が引き付けている間に砲撃してくれる友軍船も少ないのだから。
「全艦隊員に告ぐ!! これ以上は死なせん! 何が何でもニーニャに帰るのだ!! 生き残れ、どんな手段を用いてでも、生きてニーニャに帰れ!! 全船、散開しつつ敵に砲撃せよ!!」
自船に残る火砲2門は、既に火を噴き爆発していた。
敵艦隊の砲撃をまともに浴びたクイーン・パメラは、瞬く間に爆砕され、その鮮やかな帆は黒焦げに溶ける。
「決して諦めるなぁっ! 帰るのだ、皆で生きて帰り、妻を、子を、町の人々を笑わせる! 何が何でも、生きて帰るのだぁぁ!!」
「や、やー!!」
2隻、3隻……次々に仲間達が倒れ、爆発し、沈んでゆく。
自軍の何倍もの大艦隊を蹴散らした精鋭艦隊は、儚くも夜戦の砲火の中、散っていった。
それでも、クイーン・パメラは沈まない。
ボロボロになったはずの船体のどこに、それだけのタフネスが残されていたというのか。
傷だらけの王妃は、それでも尚、敵艦隊に向け海に立ち、毅然としていたのだ。
「――放てぇぇぇぇぇ!!」
壊れたはずの火砲が奇跡的に火を噴く。
ラナニア艦が一隻、甲板に直撃し、火の海となった。
だが、放った砲弾の十倍もの弾が全てクイーンパメラの船体へと降り注ぎ、その身は大炎上。
直後、火薬に引火し爆発してしまう。
「まだだ、まだ終わらん! 海の王に、お前たちを必ずやニーニャに連れて帰ると誓った!! 私は、私達は、こんなところで――おわっ」
誘爆し続ける船体。
焼き焦がされ、吹き飛ばされる人の形。
かつて民に勇壮を見せつけた王妃船は、悲しくも海に倒れ、その白い背を夜空へと晒す。
最後の音が響いたのは、そのすぐ後だった。
『――夕暮れ、か』
それから幾日が経っただろうか。
クイーン・パメラは、まだその姿を海の上に残していた。
敵は一体どこに逃げたというのか。
あの戦いの中、どのようにして生き延びたというのだろう。
ボロボロに壊れた船の中。提督とその水兵達はまだ、そこに居た。
『生きているのなら、戻ろう。これ以上の襲撃を受ける前に、ニーニャに戻り、無事を伝えなくては』
お決まりの三角帽を手で弄りながら、提督は操舵に命じ、戻ろうとしていたのだ。
『沢山の者が散ってしまった。沢山のモノが失われてしまった。それでも、私達は生きているのだ。それを伝えよう。きっと彼らは満面の笑みで迎えてくれる。善く戦った、おかえりなさいと笑ってくれる。だから私達は、帰らなくては――』
物言わぬ部下達にそう命じ、提督は動かぬ口元を歪ませ、笑おうとした。
笑おうとして、身体が妙に熱い事に気づく。
そうして彼は思ったのだ。「そうか、今は夏だったのか」と。
赤に染まった世界。彼は夏の夕暮れを、冬の陽の出の中に見ていた。
『ああ、なんて赤く美しいのだ。あの夕陽に向かい進み続ければ、きっと我がニーニャに戻れるに違いない』
提督の言葉に従い、クイーン・パメラは、海を進む。
それがどれだけ遅い路であろうとも。
いつたどり着けるともしれぬ海路であろうとも。
彼らは、自分達が出港した港へと、戻ろうとしていた。
あの日の、あのニーニャの人々の笑顔を、また見る為に。