#12.海の王の祠にて
「はー……結構早く着きましたねー」
「ああ。とりあえず入ってみるか」
ニーニャ東の灯台についたカオル達は、さっそく中に入ろうと、門の中へと進む。
灯台には灯台守と、祠を管理する巫女が暮らしているとの話なので、開けてもらえるように入り口の扉をノックした。
「おーい! ニーニャから用事があって来た者なんだけど、開けてくれないかー?」
ついでに上を向きながら声も張り上げてみる。
すると、少しして上の方から「んぉ」という、間の抜けた声が聞こえた。
そうかと思えば、上の窓からいかつい顔の中年男がひょっこり現れる。
「おぉ、ニーニャからの人か! 入り口は開いてるよ、勝手に入ってくんな! 今はちょっと忙しいんだ!」
「解った。ありがとう」
随分と不用心な気もするが、目的は果たせるので、と、カオルもサララも顔を見合わせ、扉を押す。
きぃ、と、錆びを感じさせない静かな音と共に軽やかに開いた扉。意外と手入れも行き届いているらしかった。
「お邪魔するぜー」
「お邪魔しまーす」
二人してもう一度声を掛けながら入っていった。
石造りの灯台は、その内部も灰色の壁、同じ色の床で構成されていて、どこか無機質であった。
それでも上の方から人の声が聞こえる辺り、まるっきり寂しい訳でもなく。
とりあえずカオル達は、地下の祠にいるのだという巫女に会うため、階段を下ってゆく。
昔からある灯台だとは聞いていたが、不思議とその内部は埃などなく、空気も爽やかであった。
『事情あってしばらく留守にします。お祈りをしたい人はどうぞご自由に』
階段の下。少しばかり広くなっているフロアのドアには、こんな張り紙が貼られていた。
「……」
「……」
虚しい風が、二人の心の隙間に音もなく吹いていた。
「いないみたいだな」
「いないみたいですね」
参っちゃったなこれ、と、二人して途方に暮れてしまう。
用事があって来たのに当の本人が居ないのだ。どうにもならない。
「とりあえず、入ってみるか?」
「そうですねー」
巫女さんはいなくても、どんな場所なのかくらいは見ておこうかと、ドアを押そうとするカオル。
かちり、と、引っ掛かりの様なものがそれを阻む。
ドア、開かない。
「……鍵掛かってるじゃん」
「開かないですねー」
酷い話だった。「ご自由に」なんて書いてある癖にきっちり鍵がかかっているのだ。
これにはカオルもサララも溜息しか出ない。
「巫女さんろくでもねぇな」
「同感ですねー、来るだけ無駄だったとか一杯悲しいですよー」
やんなっちゃう、と、テンション駄々下がりのサララ。
カオルも悪態をつきながら、「せめて灯台守の人の話でも聞くか」と、少しでも建設的な方向で考えようとする。
ここまで来た道のり、せめて何がしか収穫が欲しかったのだ。
それがどんな雑談でも、この際構わなかった。
「へ? 鍵がかかってた? ああ、あの巫女さんの仕業だな……ったく。相変わらず変なところ几帳面っつーか……待っててくれ」
階段を上って少し。
上のフロアに居たさっきの中年男にいきさつを話すと、苦々しい顔で手に持っていたハタキを壁に掛け、肩をとんとん、と、叩きながら歩き出す。
もう一度地下に、という事らしい。
「掃除でもしてたのかい? なんか、忙しいって言ってたけどさ」
「ああ。ウチの巫女さんは変に綺麗好きでさあ。一日に何度も掃除したりするんだよ。んで、留守にするからってんで俺に灯台の掃除押し付けていきやがったんだ」
「掃除は、まあ……大切だとは思いますけど」
「あの巫女さんはやり過ぎなんだよ。まあ、見てみりゃ解るけどよ」
話しながらに、灯台守がズボンのポケットから鍵を取り出し、祠のドアを開く。
きぃ、と軽い音と共に開かれたその先は……一面煌びやかな聖域だった。
「うぉっ、なんだこれ……」
「うわあ……壁が光沢出してますよ……どれだけ磨いたらこんな事に」
まず、まばゆい光がカオル達の視界を阻害する。
石造りのはずの壁は磨き抜かれて燭台から発せられる光を反射し、床はピカピカのツルツル。
その上に紺色の絨毯が敷かれているのだが、この絨毯もまるで仕立てたばかりの新品の如きツヤを発しており、靴で踏む事すら躊躇われる有様である。
「俺は『これは流石にやり過ぎだろ』って突っ込んだんだが、巫女さんは『そんな事ない、これくらい常識だ』とか喚いてなあ」
「あんたも苦労してるんだな……」
「同情します」
「解ってくれるか……いや、ニーニャからの人にこんな事を言っても仕方ないんだがな、一緒に暮らしてても合わない事が多くて。しばらく留守にするってんでようやく気楽な独り暮らしになるかと思ったら、不在の間の掃除やる羽目になっちまうし、もうやんなっちゃうぜ」
これがただ普通の掃除すらやる気がないというならただの怠慢男でしかないが、実際問題祠以外の場所も十二分に綺麗になっているのだから、彼は頑張っている方である。
その上で灯台守としての仕事もこなさなくてはならないのだから、これは相当な手間のはずだった。
カオルもサララもその点については否定的に見る気はなく、あくまで「灯台守の人可哀想」という印象だけが募っていった。
「ま、祠は好きに見ていって構わねぇからよ。お祈りも自由だぜ。ただ、真ん中にある『祈りの海』……あの小さな水場のところな。あそこは荒らさないでくれな。教会や神殿で言う所の女神像とかと同じもんだからさ」
わざわざ指さして説明してくれる灯台守に、二人も神妙な顔でそれを見ながら頷く。
「ああ、解ったよ。ありがと」
「ありがとうございます」
「帰る時はまた声をかけてくんな。んじゃ、俺戻るから」
二人がきちんと解ってくれたのが嬉しくてか、灯台守は気さくに笑みを見せ、片手を振りながらに去っていった。
わざわざ言葉にはしないが、また掃除を続けるつもりなのだろう、と二人は判断し、早速祠の中に入ってみる事にした。
巫女さんに関しても気になる事はあるにはあるが、とりあえず入る事が出来たのだから。
「ちょっとしたお祈りのスペースしかないみたいですね……」
「こんな狭いところで、船の乗組員とか、皆お祈りしたのか……?」
「うーん……どうでしょうね。さすがに戦時中の事は解らないですけど、船団なんかだと代表の船長さんが他の皆の分もかねてお祈りするみたいですから、当時もそんな感じだったのでは?」
「ここ自体にはあんまり話のネタになりそうなものもないな……シンプルっていうか。もうちょっとお供えとか置かれてるものかと思ったぜ」
思った以上に面白みのない場所、というのがカオルの感じた第一印象であった。
ここの機能や海の王についてのあれやこれやを巫女さんに説明してもらおうと思っていたのに、実際にはその本人がいないのだから無理もないが。
カオルはいささか、信仰というものには不勉強であった。
「供物を捧げるのは荒神や魔神、悪霊のような、怒らせると怖い存在を鎮めるために祀っている祭壇とかですね……カオル様、祠は別に、怖いものを祀ってる訳ではないので……」
「そうなのか? なんかよく解んないけど、違いとかってあるのか?」
「祠や神殿というのは、基本、お祈りを捧げる事で神様や精霊、自然界の王のような偉大な力を持つ存在の加護を得る為の場所だと思ってください」
教会なんかもごくごく小さな神殿のようなものだったりします、と、指を立てながらに説明を始めるサララ。
この世界の信仰に関しては全く知らないので、カオルも神妙な面持ちで聞いていたが。
やがて小さく手を挙げ、確認するように問いかける。
「つまり、人にとって便利な場所って事か?」
「そんな感じですねー。逆に言えば祈らなかったからって何か罰がある訳じゃないんです。対して危険な存在を鎮めてる所は、祈らないと鎮められないので、その地域やそこに住む人達に何らかの不幸が降り注ぐ事もあります」
「祈らないデメリットがないのが祠とか神殿で、祈らないとデメリットがあるのがやばいのを鎮めてる祭壇とか……か。なんとなく解ってきたような」
「まあ、普通に生きていく上では細かくは知る必要はないですけどね。ただ、普通の神殿とかで『ここは供物置かないんですか?』とか聞くと、どんなに親切な僧侶の人でも眉をぴくぴくさせながらお説教始めますから、気を付けた方がいいです」
「サララはよく知ってるな」
「経験済みですから」
「お前がやったのかよ」
「ええ、まあ」
あの頃は若かったんです、と、遠い目でどこかを見つめるサララ。
今でも十分若いが、この猫娘、一体どこに想い馳せているのだろうか。
カオルは「ある意味サララらしいんだけどな」と苦笑いしながら、その小さな肩に「とん」と手を置く。
サララは目を丸くしてカオルを見たが、カオルは素知らぬ顔で、当たり前のようにその肩の手を置いたままにしていた。
「そんで、そのお祈りっていうのは、どうやってやればいいんだ? 教会みたいに手を組んでやるのか?」
「えっと……色々作法っていうのがあるんですよ。自然界の王なんかだと、それぞれお祈りの方法が違ったりするんです」
「ほう」
「海の王の祠なら……こんな感じに」
説明しながらに、サララは『祈りの海』の手前でぺたんと座り込み、両足を投げ出すような姿勢になる。
更に腰の後ろに手をつき、姿勢をやや後ろへ。
よく「あー疲れたー」とやってる時のサララのポーズであった。
「……何やってんだ? 疲れたのか?」
「いえ、ですから、これが正しいポーズなんです」
「マジか」
カオルにはどう見ても疲れた時のポーズにしか見えなかった。
というより、これがお祈りのポーズには見えないのだ。
「こうやって気を楽にして~……『今日も一日良い海に出会えますように』」
一言、サララがやや上の方を見ながら呟くと、サララの周りに青色の光がぽわん、と浮かび上がっていった。
燭台の光で十分明るいこの祠の中でも解るくらいにはっきりと、サララの周りが光っていたのだ。
「おお……なんか、青いな」
「これが海の王の加護ですね。カオル様もやっておくといいです」
三か月くらい有効ですから、と、説明も付け加えながらのサララに促され、カオルもサララと入れ替わって、同じように足を投げ出して座る。
「え、えーっと……?」
「『今日も一日良い海に出会えますように』」
「『今日も一日良い海に出会えますように』」
サララの言葉の後に続いて口ずさむと、ぽわん、と、今度はカオルの周りが青い光で包まれていく。
サララの光は消えていたが、こちらはもう一度光る事はなかった。
不思議に思い首をかしげているカオルに、サララは同じように首を傾げるようにしながら、にぱ、と笑って見せる。
「一度加護を受けると、効果が切れるまでは掛け直しができないんですよ」
「なるほどなあ」
ただ見ていただけで察して説明してくれていた。
流石いつも一緒にいるだけあって、ある程度は言わずとも伝わるようになっていたらしかった。
これがツーカーって奴か、と、どこか照れくささも感じながら、カオルは誤魔化すように後ろ手に髪を掻く。
「加護を受けると、ちょっと変な感じになるんだな。でも、ここ自体に特に変わったところはない……のか? 妙に綺麗なくらいで」
「そうですねえ。ピカピカになってる以外は、特に変なところはない気がします」
「……帰るか。あんま時間かけて明日に支障が出ても困るし」
「巫女さんが居ない以上、無理にここに留まる理由もないですしね」
特別、これ以上ここに留まる理由も考えられず、二人は帰る事にした。
帰り際、灯台守に一言声を掛けて、灯台の外に留めておいた馬車に乗り込む。
「待たせたなポチ。んじゃ、戻ろうぜ」
『ブルルッ』
もういいのかご主人、とでも言いたそうな目で見つめてくるポチに、カオルは「ああ」と短く返し、手綱を握る。
「行くぜポチッ、ハイヤー!」
「ぷっ……カオル様、また……っ」
やはりというか、サララが笑う。
どうやらツボだったらしい。
二度目ともなるとカオルも「またか」と苦笑いするのみだが、内心では「これでサララが笑ってくれるなら割とありかも知れない」とも思うようになっていた。
可愛い女の子が笑うのを我慢する顔は、意外と貴重で可愛らしかったのだ。
(これからは、サララが思わず笑っちゃうようなネタも探すか)
ただの思い付きではあるが、日々の潤いと癒しの為に、それは割と大切な事なんじゃないかと思うようになり、カオルは思案する。
思案ながらの手綱取り。
それでもポチは爆走し、白の丘は容易に乗り越えられていった。