#6.帰ってきた老兵
雪積るカルナスの街。
その外れの厩で、カオルはスレイプニルに餌をやっていた。
「相変わらずよく食うなあお前」
『ブルルルッ』
軍馬だけあって普通の馬の何倍も食べるスレイプニルは、冬場であってもその食欲を落とすことはなかった。
この時期ともなると馬の餌となる飼葉を用意するのも容易ではないので、代用品として『ターニット』という、白くてこぶし大の、まんまるな野菜を与えていた。
(ていうか、カブだよな、これ……)
馬に食べさせるのに良い物はないかと探していた中、以前仲良くなった御者の兄貴に教えてもらい、「スレイプニルなら、これがこの時期は最適だ」との事で見繕ってもらったのがこのターニットである。
元の世界でカブという名で売られていた野菜に酷似しており、どうにもターニットという名前が馴染まずに複雑な気持ちになる。
『ブルルッ、グバァッ』
「ああ解った解った、ほら、食っていいよ」
『ブシュルル……』
もっと食わせろとばかりにねだってくるスレイプニルに、カオルもほいほいと餌を渡していく。
このターニット、普通の馬ではあまり好まれないらしいのだが、スレイプニル種にはたまらない逸品らしく、次々と桶を空にしていくのだ。
あんまり馬は一度には食べられないと聞いていたカオルだったが、興奮気味にねだってくるこの愛馬の様子から「こいつはそんな事ないんだな」と変に感心してしまう。
馬については知らない事もまだ多いが、それにしてもよく食べる馬だった。
「――ほほう、良い馬を貰ったなカオル殿。この寒さだというに、一向に食欲が衰えておらん。この辺りの馬は、あまり寒さに強くないはずだが」
不意に声を掛けられ、カオルはやや驚きながらに振り返る。
見覚えのある老人の姿。
だが、鎧などは身に着けておらず、一般市民とそう変わらぬ質素ないでたちで腕を組み、巨馬を眺めていた。
「トーマスさんじゃないか。怪我してたって聞いたけど、いつカルナスに?」
「今しがたでござる。陛下より『しばし休め』と暇を出されてのう。そうは言うても一つ所にじっと留まるは、どうにも性に合わぬ」
「仕事人間ってそんな感じだよな」
「うむ、そうなのだ!」
王城で会った時には恐ろしげな雰囲気も漂わせていたが、今ではこの老人、すっかり人の善いご老輩にしか見えず、カオルもほっと胸をなでおろしていた。
いつぞやの一件、あれはトーマスも知った上であのようになったのだと解ってはいたが、それでも「やるな」と言われたことをやったのだ。
多少なりとも叱責の一つもあるのではないかと思ったが、そんな様子もなかった。
「姫様がお産まれになり、こう、まんまるなお身体を腕の中で抱かせていただいてのう……あれ以降、私はもう、姫様の為に生きる以外の道を見失ってしもうた」
「意外と昔からお姫様大好きだったんだな……」
「うむ! だが今回はその姫様の思い人が絡んでの事だからのう。他の馬の骨なら謀殺してでも蹴落としてやるところじゃったが、流石に姫様の思い人を手に掛ける訳にもいかぬ!」
からからと機嫌よさげに笑うこの老人だが、本気になればそれくらいできてしまえそうだから洒落になっていなかった。
やはり、王城は怖いところなのだ。
カオルは愛想笑いを浮かべながらも「そうならなくてよかったぜ」と、実感の籠ったため息をついた。
「そういえば、身体の方はもう大丈夫なのかい? トーマスさん、大怪我したんだろう?」
「ううむ……実はその一件で、カオル殿に相談があってのう」
「俺に?」
「ご自宅に向かったのじゃが、シャリエラスティエ様より『厩にいるはず』と聞いてな。こうしてここに参った」
「シャリエ……そ、そうか、サララに、な」
未だに覚えきれないサララの本名。
しかしトーマスは噛むことなく言える辺り、実はこの辺りの人にとってはそんなに発音が難しい名前ではないのかもしれない、とカオルは思うようになった。
王様もステラ王女もすらすらと言えていたし、言えていないのはカオルだけなのだ。
「ていうか、トーマスさんはサララの正体、知ってたのか」
「幼き日に一度、王城にいらした事があったからのう。あれはエスティア国王に連れられてだったが……そんな方を隣に置いての来城じゃ。カオル殿についても『何かあるな』と思い、姫様と会わせる事を認めたのだ」
既に終わった話だが、と付け加えながら、王城での一件を思い出しまた笑う。
いかつい顔立ちながら、かつての背筋を凍らせるような殺気は微塵も抱かせぬような様子であった。
「そういう裏があったんだな……それで、相談って?」
「姫様へ送った手紙で、カオル殿も私がニーニャで世話になっていたのは知っているとは思うのだが――」
「ああ、うん、船幽霊相手に大怪我させられたんだろ? だから心配してたんだけどさ」
「情けないことにのう……」
あれは不覚であった、と、元老兵はため息混じりにその辺においてあった薪束に腰かける。
カオルも、合わせるように組木に背を預け、楽な姿勢になった。
「町の者から話を聞き、小舟を使って乗り込んでやろうとしたのだが、狙ったように高波に飲まれてしもうてな。なんとか泳ぎ、船幽霊に乗り込もうとしたんじゃが、近づいたところで砲撃を受けてしもうた……」
「改めて聞くとすげぇ無茶だな……よく生きてたっていうか」
カオルも、この世界の砲撃とやらがどれほどの威力なのかは知らないが、火砲をまともに受けてピンピンしているこの老人にはファンタジーを感じずにはいられなかった。
謎が多すぎる。
「まあ、エメラルドドラゴンのポイズンブレスよりはマシじゃったな。アレは受けた部位が腐食していくから即対処せねば腐り落ちるところだったし、それに比べれば大砲など大したものではない」
「そういえばドラゴン倒したんだったなトーマスさん。城兵隊って強いんだなあ」
「無論だとも。城を護る使命を受け、幼き頃より城が為王が為民が為剣を振り続けた生粋の愛国者ばかりなのだ。覚悟も実力も生半可ではないぞ」
誇らしげに語るトーマス。
自分自身も勿論ながら、部下であった城兵達をも誇らしく感じ、深い愛着があったのだと感じられ、カオルは羨ましく感じられた。
自分と仲間を戦力で誇れる仕事。
それはとても魅力的なのでは、と、そんな事を思ったのだ。
ソレとは別に「でもこの人達お姫様の為に城をがら空きにさせたんだよな」とツッコミも浮かんだが、これは黙っていた。
「格好いいな」
「格好よかろう。私も幼少の頃、そんな父上の姿を見て育った。だが、ついぞ父上を超える事はできなんだが……あの頃は戦争もあったしのう」
「やな響きだな、戦争」
「本当にな。戦争は全てを変えてしまう。場合によってはそれで国の経済や技術が発展する側面も見られようが……民、特に女子供が悲しむ姿を見るのは、心苦しいものよ」
カオルの抱く戦争というイメージと、トーマスの知る戦争という化け物の存在とでは多少なりとも齟齬があるに違いなかったが。
それでも、二人ともが共通して「戦争は嫌だな」という気持ちを共有できていた事が、どこかカオルには嬉しかった。
世代が違おうと、自分が知る常識が異なろうと、嫌なものを共有できていれば、それは起きずに済むかもしれないのだから。
「話が脱線したな。負傷し、海に流されていた私を助けてくれたのは、町外れ、海沿いに住むご婦人でな……砂浜で見つけた私を介抱し、自らの家に連れ、傷が癒えるまでの間置いてくださったのだ」
「へぇ、その人のおかげで助かった訳か」
「うむ。このご婦人にはいくら感謝しても足りぬ。だが、ご婦人は足を悪くしてらっしゃってのう。船幽霊がこれ以上町に接近するようなら、逃げる事も出来ず、砲撃の餌食にされるかもしれないという事で、色々と諦めてらっしゃったのだ」
「それは……なんか、悲しい話だな」
「本当にな」
悔しそうに目を瞑るトーマス。
彼としては彼女を救いたかったらしいが、自分一人ではまた同じように返り討ちに合うのが目に見えているのだ。
今のままでは、どうしようもない。
「そこでな、恩人を救いたいという想いもあって、力を貸してくれそうな者を探すことにしたのだ。町で話を聞けば、船幽霊は少しずつ、ニーニャを目指し近づいているらしいからな……」
「その恩人の人もそうだけど、ニーニャに住む人達全員が危ないって事か」
「そうだな……あの方は特に海辺に近い場所に住んでおられる。もし町に向け砲撃が放たれるならば、最初に狙われるのはまず間違いなく――」
「解ったぜ。俺達にできる事なら手伝わせてくれ」
自分の恩人を助けたい、力になりたいという気持ちは、カオルにも理解できるものだった。
この世界に来て、自分によくしてくれる村の人達に、その恩に報いたいという気持ちを抱いて努力した彼にとって、トーマスの言葉は初心を思い出させるに十分なものだった。
今は恵まれている。だが。
そう、今の自分があるのは、間違いなくその日々のおかげなのだから。
まだ落ち着くには早いな、と、そう考えたのだ。
その考えに至れば、結論などあっさり出るもの。
カオルは二つ返事で頷きながら、預けていた背を起こし、トーマスをじ、と見つめた。
「船幽霊を倒せるかは解んないけどな。できる事はやろうぜ」
「おお……ふふ、流石は英雄殿。きっと力を貸してくれると思っておった。いや、これは打算ではなく、私の勘のようなものでな……そんな気がしておったのだ」
「そんな風に思ってくれてただけで嬉しいぜ。頼りがいがあるって事だからな」
「うむ。うむ! では、詳細を話したい。船幽霊についても、私が知る限りを詳しく説明せねばなるまいし、な」
「解った。それじゃ、家に行こう……あ、ちょっとだけ待っててな」
すぐにでも家に戻ろうとしていたカオルだったが、思い出したようにスレイプニルの前の空桶を取り、近くの木箱からカブを詰め込んでゆく。
そうして桶がいっぱいになってから、またスレイプニルの前に置くのだ。
「すぐにお前の出番になるからな。たっぷり食べて、力つけといてくれよ」
『ブルルルル!』
解った、任せろとでも言わんばかりに力強く返答する馬。
カオルも「これなら大丈夫だ」と満足し、トーマスに向けて笑い掛けた。
「待たせたな。じゃ、行こうぜ」
「うむ……心強いのう」
早くも築かれたカオルとスレイプニルとの絆を見て、「これほど馬が懐くのが早い御仁は久方ぶりに見るわ」と、声には出さないながら内心で感心し、トーマスも後に続いた。