#2.英雄的活躍
その日、カオルとサララは、王妾ソフィアの頼みもあり、王子アレクと対面していた。
対面の場所は、アレク王子ご本人の私室にて。
王子の私室とは言っても、そこは王族の部屋だけあり広く、当たり前のようにティー・テーブルが用意されていた。
「君がステラ姉様を助けてお城の問題を解決したっていう、カオルかい?」
「ああ、そうだぜ。よろしくな」
「うん、よろしく。そっちの……綺麗なお姉さんは?」
「まあまあ、『綺麗なお姉さん』ですって。聞きましたかカオル様ぁ?」
「(無視)こっちの猫耳と尻尾が生えたねーちゃんは『サララ』って言うんだぜ」
初めて見る二人に、お澄ましながらも気になってしょうがない様子で見上げてくる王子に、カオルもサララもにっこりである。
ただ、サララが若干調子に乗りそうなので、カオルは敢えてサララのノリはスルーした。
この時には最初にお城に来た時の街娘の格好に戻っていたので、余計にいつものサララのように感じられたのだ。
「サララさん……? 僕知ってるよ。猫耳と尻尾が生えている人は、『猫獣人』って言うんだよね。隣国エスティアの人だ」
「ええ、そうですよアレク王子。よろしくお願いしますね」
「うん、よろしくね!」
中々に聡明なご様子の王子殿下に、サララは上品な笑顔を見せた。
村でよく見せた猫かぶりの笑顔ではなく、年上なりにお姉さんらしい、ある意味サララの素に近い笑顔のようにも感じられて、カオルはまた一つ、知らなかったサララの顔を見た気になってしまう。
「二人とはいつか会ってみたいと思ってたんだよ。僕も少し前までのお城の空気はちょっと嫌だなあって思ってたし」
「まあ、気持ちは解るぜ」
「姉弟でいがみ合っている訳でもないのに、その周囲がいがみ合うんですものね。継承権問題は王族につきものとはいえ、本人同士が仲睦まじいのに起きる対立は悲劇でしかないです」
ステラ王女しかり、このアレク王女しかり、とても素直で人が善いのに、周りの人間の所為で悩ましい立ち位置に立つことになるのはさぞ心苦しかっただろうと、二人はアレク王子の心境を想い、同調した。
うんうん、と頷きながら、王子はその細い腕を組んで、妙に大人びた顔になる。
「僕は姉様の事大好きだし、姉様も僕の事は好きって言ってくれたもん。ベスもテリア様も僕達の事を見習えばよかったのにね」
「ははは、王子はお姫様の事、大好きなのか」
「うん! 姉様にはもう好きな人がいるけど、そうじゃなかったら僕がお嫁さんにもらってあげたいくらいだよ!」
「まあまあ、おませさんですねえアレク王子は」
まだまだ少年というにも幼いこの王子の『姉様大好き発言』に、カオルもサララも微笑ましい気持ちになる。
こんな純粋な笑顔を守れたのだ。
人に言われた以上に、自分達のした事の重さ、そしてその意味を知る事が出来て、誇らしくもあった。
「そういや王子、『ベス』って、侍女長の事かい?」
「うん、そうだよ。エリザベスって呼ぶのは長いから、ベスって呼んでるの。ベスは恥ずかしがり屋さんだから他の人には呼ばせたがらないけどね」
「あはは……まあ、ご本人には複雑な心境もおありなんでしょうね」
「……?」
何か意味深な事をのたまいながらつくり笑顔になるサララに、カオルは首をかしげていたが。
すぐに意識をアレク王子に戻す。
クッキーをもふもふと食べているさまは、どこか小動物じみてて、男の子ながら可愛らしくも感じられた。
「僕ね、姉様の事が一番好きだけど、ベスの事も、テリア様の事も大好きだよ。テリア様は、僕と会うといつもお菓子をくれるんだ」
「王妃様が?」
「うん。テリア様はベスと仲が悪かったけど、僕は別にテリア様と仲が悪い訳じゃないもん。だから余計に、お城の中が変な風になっちゃったのが悲しかったなあ」
ちょっとしんみりしながらも、はむはむとクッキーを口に入れ、紅茶をこくりと口に含んで飲み込んでいく。
そうしてカップを置きながら「うん、おいしい」と、また無邪気な笑顔を見せていた。
たったそれだけで、カオルはじん、と目元が熱くなってしまう。
「……王子にとっちゃ好きな人ばっかなんだな、この城」
「うん。みんな大好きだよ」
「大好きな人達が争うのは……見たくないですよね」
「見たくないね。だからね、二人に会いたかったんだ。このお城を、皆を救ってくれた、お礼が言いたくって」
「お礼? 俺達にか?」
「うん! 姉様を助けてくれたこともだけど、僕にとっても大切なこのお城を助けてくれたんだもん。お礼も言わないまま返しちゃったら失礼じゃないか」
そういうのは『れいぎにもとる』って言うんだよ、と、ちょっとしたり顔で語る王子は、やはりまだ幼く。
だけれど、だからこそそんな王子までもが城の内情を憂いていたことに、二人は心を痛めてしまう。
(……あの王様は、もうちょっと自分の子供達の事を考えるべきだよなあ)
(そうですねえ。陛下は陛下でお城や国の事を考えていたんでしょうけど、ステラ姫やアレク王子を見ると、冷徹になり過ぎてしまうのもなんだかなあと思えてしまいます。為政者としては正しい姿なのでしょうが)
深いため息。二人とも、自分の溜息の原因が何であるか気づきながらに、なんとも難しい気持ちになってしまっていた。
それは国王に向けてのもの。
確かに国難を摘み取る為には、時には人の心が傷つく事すら見過ごさなければならない事もあるのかもしれないが。
それでも、やはりこうして心を痛める者がいて、それがこんなに幼い王子だというなら、もう少しやり方というのを考えるべきだったんじゃないかと、二人はそう思ってしまったのだ。
「それはそうとカオル。カオルはカルナスで魔人を退治した事もあるんでしょ? どうやって倒したの?」
「うん? 魔人? あれは……こいつで倒したんだ」
話の空気は変わり、ワクワクするようなキラキラの瞳で聞かれ、カオルもちょっと自慢げに腰に下げていた棒切れカリバーを取り出す。
相変わらず、どこからどうみても棒切れであった。
「……なんか、すごく微妙だね。杖……っていうには微妙だなあ」
「棒切れカリバーって言うんだ」
「名前も格好悪いね……」
王子は、見るからに残念そうな表情になっていた。
子供の夢が壊れる瞬間である。
「でも、すごく強いんだぜ。なんたって女神様からもらった武器だ」
「女神様から? それほんと!?」
「ああ、マジモンの強武器だぜ! モンスターだってヴァンパイアだってこれで倒せた」
「うわあ! こんな見た目なのに強いなんてすごいよ!」
女神様からの、というくだりで目に見えて輝くを取り戻す王子の瞳。
とても解りやすいお子様具合でカオルも一安心だった。
(ていうか、女神ブランドすげぇ)
今まで全く気にしていなかったことながら、女神様という単語だけで子供が興味惹かれるというのはかなりイメージ戦略として重要なモノなんじゃないかと思ったのだ。
見た目がこんな棒切れでも、その一言で信用されるというならかなり有用なのでは、と。
「ねえねえ、触らせて触らせて!」
「いやいや、危ないから触らせるのはちょっと――」
「大丈夫だよ! ねえいいでしょう? ちょっとだけだよぉ! お願いだよカオル!」
「そうはいっても……」
「駄目? ダメなの? 僕はカオルの事すっごくかっこいい英雄だと思ってたのに、そんな――」
「ああ解った解った! でも絶対に人に向けて振るなよ! ぶつけたりしないでくれよ!」
「ありがとうカオル! やっぱり英雄ってすごい優しいね!」
子供ではあったが、王子は『子供』を最大限利用できる子供であった。
流石はステラ王女の弟、あの王様の息子というだけあって聡明なのだ。
どのように言えば周りの大人が自分の言う事を聞いてくれるかなど、もう理解してしまっていた。
(ちくしょう……子供相手じゃ、王様よりもやりづらいぜ……)
子供には気を付けよう、と、カオルは堅く心に誓いながら、棒切れカリバーを王子に手渡す。
「へー、持った感じは意外と軽いんだね。僕でも使えちゃいそう!」
「うわ、振りかぶるなよっ、うっかりサララに当たったら大変なんだからな!」
カオル、マジビビりである。
自分にぶつけられたらたまらない、というのも勿論あるが、それ以上に隣に座るサララにまかり間違って当たりでもしたら、と、不安で仕方なかったのだ。
おかげで英雄のすごく情けない様子が王子にありありと晒されてしまったが、王子は楽しげにくすくすと笑うばかりである。
「カオルは、サララさんの事が大切なんだね。うん、ありがとう」
子供にまでからかわれる始末である。
これにはカオルだけでなく、サララまで頬を赤くしてしまっていた。
「まあその……なんだ、ちょっと危ないからな」
「そ、そうですね。カオル様以外が持つと善くない事になるかもしれませんし」
二人、しどろもどろになってしまう。
純粋な子供の手前、下手な嘘をつく事もできずにいた。
「ねえねえカオル。でも僕には無理だろうけどさ、カオルならできるんでしょう? ちょっと振りかぶって見せてよ」
「ええ? いや、でもなあ」
「私も見てみたいです。カオル様って、どんな風にその棒切れを使いこなしてるんです?」
(うふふ、可愛いアレク王子――今すぐ私のモノにしてあ・げ・る♪)
そんな三人のやりとりを覗く者が一人。
アレク王子の丁度真後ろに置いてある姿見の中に、それは居た。
鏡の中に生きる魔人・マグダレナ。
人々の心を操り、崩壊させ、快楽を貪り喰らうこの魔人は今、エリザベスの最も大切としていたアレク王子に、その触手を向けようとしていたところであった。
同じ魔人であるゲルべドスを倒したのだというあの英雄がいる事も気づいてはいたが、鏡の中の彼女には「そうは言っても所詮は人間だから」と、甘く見ていたところもあった。
事実、鏡の中の彼女は、人間には決して手を出す事の出来ない存在。
仮に鏡を割ったところで彼女には傷一つつけられるはずもなく、だからこそ、絶対に邪魔をされないという自信があったのだ。
そうして、魔人は王子へと手を伸ばす。
不可視の身体は、スルリと鏡から抜け出て、誰にも見つかることなく王子の背筋へと。
そうして、その小さな身体に触れようとした、その矢先――
「なんだよ二人して……しょうがねぇなあ、一度だけだぜ? これはこうやって、こう振りかぶって……」
(可愛い王子様、これであなたは私のモ――)
「こう振る――あっ!?」
「えっ?」
「おお!?」
――二人に言われるがまま立ち上がり、棒切れを構えて見せたカオルは、つもりだけだったはずのモーションで、そのままつい、棒切れを投げてしまった。
轟音を立て放たれる棒切れは、王子の顔の横を抜け――
『ぎゃうん!?』
――すぐ後ろに居たマグダレナの顔にクリティカルヒットした。
「な、なんだ今の声!?」
「今確かに聞こえましたよね? アレク王子っ?」
「ぼ、僕は大丈夫だけど……あれ? 何かいる?」
見えないながらも、三人はその声を聞き、訝しげな視線を声のした方へと向ける。
姿は見えない。だから何が居るのかは解らなかった。
だが、確かにいる。
そう確証させる事実は、そこにあった。
(う、うぅ……一体何が……とにかく、早く逃げなくては、逃げ……う、動かない!?)
突然の衝撃に昏倒しかけていたマグダレナは、混乱しながらも逃げようとした。
だが、本来人からは触れる事すらできない不定形の身体は、ぴくりとも動かなくなっている。
(い、一体何が……)
「なんか、凍ってるな」
「ねえねえ、これなに? どういうこと?」
「王子、とりあえず私の後ろに……カオル様?」
「何か不定形な奴にぶつかるとこうなるらしいぜ? つまり、ここに何かいるんだ」
(ひ、ひぃぃぃぃっ!? なんで? なんでなんでなんで!?)
自分の存在に気づかれたことを理解したマグダレナは、カオル達からは見えないながらも真っ青になっていた。
パニックになりかけていたが、自分の身体が凍り付いたことにも気づき、何故そうなったのかを考えようとする。
(ど、どういう事? なんで私が……? まさかっ、まさかあの棒切れは――!?)
「よーし、とりあえずとどめ刺しとくかー」
「わー、頑張れカオルー!」
魔人である自分が、こんなところでこんな適当な扱いのまま滅ぼされようとしている事に、マグダレナは酷く絶望していた。
そう、本来人間の絶望を望むはずの自分が、人間相手に絶望させられていたのだ。
なぜそうなったのかは解らない。解らないが、何かが解りそうな気がして、棒切れの正体に勘付く。
『に、人間っ! 何故お前があの方の魔杖を――ひぎっ!?』
しかし、叫び声をあげたその時には既に、二打目が鼻先に当たる寸前だったのだ。
辛うじて凍結を免れていた部分も、二回目の直撃により完全に凍り付き、その造形が露わになる。
(……し、信じられない……)
「なんか言おうとしてましたね……?」
「なんなんだろうなこいつ。しかしまあ、これで――」
直撃の間際に叫んでいた言葉の真意が解らず、首を傾げながらも足をあげるカオル。
相手が何をしようとしてきたのか理解し、身動き一つとれぬまま、マグダレナは言い様の無い屈辱と恐怖を覚えた。
(私が、このマグダレナが、人間なんかに――!!)
「――終わりだな!」
凍り付いた女の彫刻に向け、カオルは蹴りを放つ。
直立していた身体は、それだけでピシピシとヒビ割れてゆき……ほどなくして軋み、砕けて消えていった。
結局その『襲撃者と思しき誰か』の正体はしばらく解らないままだったが、監獄でエリザベスが発狂したという報告があり、彼女の口から『アレク王子が魔人に襲われる』という言葉が幾度となく出ていた事から、この襲撃者の正体が判明した。
カオルらのもたらした情報から彼女の言っていたことが真実であると証明され、エリザベスは涙ながらに最愛の王子と再会し、自らのした事の愚かさをつとつとと告白した。
マグダレナという名の魔人に『王子を王にしたい』という願望を見透かされ、付け入られたこと。
王子が襲われたのは、自分に関わりを持ったことでマグダレナが王子に目を付けたから、という事。
そして自分が利用していた姫君の元婚姻候補者たちも、同じようにマグダレナによって心の隙に付け入られ、狂わされたことも、彼女は証言した。
これらによって彼女の罪が無かったことになる訳でも、先に処刑された二人の名誉が回復する訳でもないが、それを聞いた王は深くため息をつき、ステラ王女は、悲しみに涙を湛えていた。
結局今回の一件は、人間同士の醜い争いを、その心を、魔人に利用されていただけだったのだ。
幸いにしてアレク王子への襲撃は未遂に終わったが、もしこれが起きていたなら、城内が今まで以上の混乱に晒されることは言うまでもなかった。
そして、アレク王子だけで終わるとも限らないのがまた恐ろしく、だからこそ未然に食い止められた功績の大きさは計り知れず。
偶然とはいえ、二度も魔人を撃破し、しかも危機に陥っていたアレク王子を助けたという事から、カオルは『街の英雄』から『国家の恩人』として、友人である国王から多大な感謝を受ける事となった。