#12.反転攻勢
トーマスらが再びカルナスを離れて、ちょうど二週間が経過した頃であった。
執務室にて、部下達と今後の新兵鍛錬方針などを話し合っていた最中の事。
「――失礼する。主席隊長殿は居られるか。城兵隊長のトーマスである」
議論の場は、この三度現れた城兵隊長殿によって空気が変わり、それどころではなくなってしまう。
まるで狙いすましたかのように自分がいる時に戻ってきたトーマスに、隊長は苦笑いながらに「今外に出ますので」と、部下らに後を任せ、本部から出た。
建物裏にて、トーマスと二人、対峙する。
「ドラゴンのところには、カオル殿は居らんかったようだ」
「そ、そうでしたか……ドラゴンは如何に?」
「蹴散らした。今回はワシの部下も幾人か犠牲になってのう……これは致し方ない事ではあるが、あまり面白い話ではない」
衛兵隊では甚大な被害が出るかもしれない相手である。
それを表情も変えず『蹴散らした』の一言で済ませたトーマスに、彼は内心驚愕を覚えてはいたが。
それとは別に、トーマスの締め上げるような厳めしい視線に、背筋が震えそうになっているのも自覚していた。
――トーマスが、明確に自分に対し疑念を抱いているように感じたのだ。
「まさかとは思うが……貴公、カオルらをどこぞへかくまったりは――」
「滅相もありません」
内心の怯えを悟らせまいと、つい、言葉をかぶせてしまう。
前回冷静に振舞えていたのは、あくまでトーマスが自分に疑念を向けていなかったから。
だが、今回は違うのだ。
――恐ろしい。ああ、なんと恐ろしいのだ城兵隊長殿は。
眉一つ動かさぬこの老齢の男が、しわがれた声で「ふむ」と呟く。
そうして、ジロリと瞳の奥を覗き込むが如く見つめてくるのだ。
ただそれだけが、彼にとっては震えるほどに恐ろしい仕草に見えていた。
まるで「嘘を申せばこの場で斬り捨てる」とでも言わんばかりに。
彼とて多少なりとも腕に覚えありと思っていたが、このトーマス、それどころではない次元の遣い手であると、その一瞬漏れ出た気迫で思い知ったのだ。
「……まあ、良かろう。次の行き先を申せ」
「は……?」
「知っておるのだろう? 次はどこへ行けばよい。言っておくが、これで見つけられねば我らも城に戻らねばならぬ。つまらぬ細工はしてくれるな?」
解っているだろうが、と、釘を刺すように呟きながら、腰の剣へと手を伸ばす。
チャキ、と鳴る剣の柄に、彼は思わず自らの剣へと手を伸ばしそうになり……すぐに理性で気づき、手を引っ込めた。
そうして、深く深呼吸し、努めて冷静にトーマスを見つめた。
「――カオルについては、ドラゴン以降は何も解らないままですが。ただ、高貴ないでたちの若い娘が、若い男と共に南にあるリコ海岸付近にいたらしい、と、部下から報告を受けました」
「ほう。高貴な娘が、な」
「カオルとは関係の無い話ですが、何がしかお役に立ちますでしょうか?」
「いいや、何の役にも立たぬ。だが、貴公がリコ海岸に向かえというならば、何がしかの意味はあるのだろう」
それが一体どういう意味での発言なのか。
城兵隊がここに居る事の矛盾を孕んでいる事に気づいているのか、それすらも彼には解らなかったが。
トーマスは今一度、今度はいくらか皺の緩まった表情で「ふむ」と頷き、背を向ける。
「では、これからそちらに向かう事にしよう。世話になったな」
「は……」
「――そして、大きくもなった。私も歳を取る訳だ」
カカカ、と、外見相応な笑い声を響かせながら、トーマスは立ち去っていった。
「そろそろ、時間を稼ぐのも限界のようだ」
その日の夜。
次の隊長と交代した彼は、すぐに兵舎へと戻り、カオル達にこう告げた。
時間稼ぎ自体は今回も成功したものの、トーマスの様子に、ただならぬ違和感を覚えたのだ。
カオルらも、タイムリミットの訪れに「とうとうその時が来たか」と頬を引き締め、頷く。
彼の問いは、カオル達に「これからどうするつもりだ」と問いかけているようにも思えたのだ。
「ありがとうな兵隊さん。兵隊さんが時間を稼いでくれたおかげで情報も沢山集まったし、本当かどうかの検証も十分にできた」
世話になったこの人を少しでも安心させたくて。
カオルだけでなく姫君も、笑顔で頷いていた。
「皆が協力してくれたおかげだけどさ。これで、なんとかこっちから打って出られたらって思うんだ。お姫様と相談してさ。これから城に戻ろうと思う」
「城に戻るのか……大丈夫なのか……?」
時間稼ぎは終わった。
それ自体は彼自身理解してはいたものの。
それでも、どうしても心配になってしまったのだ。
下手に王城に戻ったりすれば、姫君を誘拐した咎で捕らえられるのではないか。
そういう恐れが、まだ完全に払しょくされたとはいいがたかった。
だが、カオルは笑う。
いつもの自信に満ち溢れた顔だ。
彼がよく知る、英雄のいつもの顔だった。
「問題ないぜ。俺は、今回も勝つ。その為に色々考える時間があった。今なら多分、いける」
だから心配しないでくれ、と、告げる共に、彼はそれ以上の言葉は出せず、ただ「ああ」とだけ返し、頷いた。
こんなに心強い男の言葉なのだ。どうして止める事などできようか。
「今はむしろ、少しでも早く城内に戻らないといけないんだ。邪魔が入らなくなったところで、今回の話の裏にある問題も解決しなくちゃいけない。これはベラドンナに探ってもらって気づいた事だけど、思った以上に複雑な話になっててさ」
情報をまとめていく上で、カオル達は当初気づきもしなかったいくつもの事実に気づくことができた。
まず、全ての問題を考える上で最も障害となっていたのは、他でもない城兵隊である。
隊長であるトーマスは、生粋のお姫様信奉者。
城の兵達も、姫君と、それをさらったカオルに対し必死の形相で食らいつこうとしていたのを見る限り、多分お姫様が大好きなのだろう、とカオルは考える。
姫君が教えてくれたことながら、若かりし頃より数々の武勲をあげ国に貢献したトーマスは、立場的には大貴族にもひけをとらぬ国家の重鎮で、王妃や侍女長とも対等に、ともすればその言葉を無視できるほどの権威を誇っているらしいのだ。
幸いにして、トーマスは敬愛する姫君の警護に心血を注いでおり、今のところ野心を抱いたりすることはないが、そのトーマスと城兵隊のおかげで城内の空気は、ギリギリのところでとどまっていた反面、決して暴発する事が出来ぬまま、改善させることもできなくなってしまっていた。
一度どこかのタイミングで弾けてしまえばここまで酷く膨らむことはなかっただろうに、王妃も侍女長も延々ガス抜きが出来ぬまま、トーマスに頭を押さえつけられていたのだ。
些細なぶつかり合いも許されぬほどに、城兵隊は城内の至る所に目を光らせ、一見して城の平和は保たれていた。
保たれてしまっていたのだ。
だからこそ、と、カオルは思う。
その頭をずっと押さえつけていたトーマス達がいないのだから、今城に残された王妃と侍女長は、互いに互いを潰すべく、好き放題やらかしているところだろう、と。
そんな中でも国王が動く様子が無かったのがカオルにとっては不思議だったが、姫君曰く「お父様は平和主義者だから、誰も傷つかない方法を模索しているのでは」との事で、どこの世界でもこういった事なかれ主義者は何の役にも立たないのだと、カオルは呆れてしまっていた。
「不思議なものだ……かつては君の言う事は冗談にしか思えず、笑って流していた事すらあったというのに。今ではもう、君の言葉は全て聞かねばならぬもののように思える。すべて真実で、信じるに値するものであると。君はきっと、正しいのだな」
「はは、正しいかどうかは解んねぇよ。だけどさ、俺を頼ってくれた人が居て俺が助けられるなら、国だって助けたいって思うぜ。多分、自分からじゃ絶対に首を突っ込まないだろうけどな」
自分自身、随分大きな問題に関わってしまったという不安はあったのだ。
それでもカオルは、悪戯じみた子供のような顔で笑い、拳を握って見せる。
「ちょっくら行ってくるよ。そんで、問題解決したら街に戻る。仕事、探さなきゃだしな」
「ああ、気をつけてな」
互いに拳を見せ合い、そうしてこつん、とぶつけ、笑い合った。
行き倒れとそれを救った衛兵が、今では親友同士。
互いの立場の違いこそあれ、互いを信じあう事の出来る、忘れられぬ相棒であった。
「――なんか、ごめんなお姫様。結局、あんま兵隊さんと話させてやれなくってさ」
カルナスから王城までの道のり。
再び二人、馬車での旅であったが、カオルは馬の手綱を握りながら、荷台でポツンと座る姫君に話しかける。
宿舎から出る時、姫君が兵隊さんの顔をじっと見つめていた事には気づいていたのだ。
結局、一言も話さぬまま別れてしまったが、カオルはずっと、それが気になっていた。
姫君がずっと静かなので、落ち込んでしまっていたのではないかとも思ったのだ。
だが、姫君は静かに首を横に振る。
「いいえ。今は私事よりも、お城の、この国の未来の方が優先です。それに――」
「それに?」
「話してしまったら……この想いが止め処なく溢れてしまいそうで、その、ちょっと、自分でも怖くて」
「あー……」
思い出しながら語る姫君の頬は、夕陽の如く朱色に染まっていた。
それを見て、カオルは「思ったより気にしてないんだな」と、視線を前方へと向け、操馬に集中する。
「一度だけ、カオル様がお風呂に入っていて、あの方と二人きりになってしまった事があったのですが……危うく、襲ってしまいそうになって、踏みとどまるのが大変でした」
「襲われそうになったんじゃないのか」
「そんな事になったら、嬉しくて死んでしまいます」
妄想だけでキャーキャー言ってしまう姫君なのだ。
実際に恋する男に襲われでもしたら、確かに心臓が止まって死んでしまうかもしれない、と、カオルは頬をひくつかせた。
――それにしても襲いそうになるのはねぇよなあ。
華奢で愛らしい見た目に似合わず肉食動物な姫君に呆れながらも口には出さず、ただ、言葉を待つ。
「あの方も、それとなく私の事は覚えていてくださったようですし……はあ」
うっとりとした表情で、頬に手を当てながらに悩ましげにため息をつく姫君。
カオルは、苦笑しながらも行く先を見る。
まだまだ遠い道のり。来る時はこのお姫様の変な妄言を聞かされ続けたが、これからはのろけにも似た話を聞かされ続けることになるのだ。
退屈はしない。ただ、少しだけ心境に変化もあった。
(ただ聞かされるだけなのもアレだし、あいつの事について聞いてみるか)
ただ聞くだけでなく、自分の思う事、サララとの距離の詰め方など、この姫君に相談などしてみたらどうだろうと考えたのだ。
ただ恋する姫君の話を聞き流すよりは、何倍も楽しいかも知れない。
その全てに意味があるとは思わないが、何がしかでも取り込めるものがあれば、役に立つ物でもあれば、とカオルは思うのだ。
何せ、恋愛初心者である。
女性との距離の詰め方、より親しくなるためにどう接すればいいのか、どのような口説かれ方が女性にとって好ましいのかなど、全く分からない。
そんな、中々人に聞けない事を聞けたらと、そんな事をカオルは考えていた。
「なあ、お姫様。俺も話したい事があるんだけどさ――」
また、長い馬車旅である。
目的が定まっているとはいえ、時間は大量にあった。