#10.たくさんのよわみをにぎったぞ!
「……今日で六日目、か」
衛兵隊本部の執務室にて。
書類仕事などをしながら、衛兵隊長殿は憂鬱な気分に一人ごちていた。
城兵隊長トーマス達がカルナスを発ってから、今日で六日。
首尾よくオーガを討伐するなり、洞窟内で諦めて戻るなり、いずれにしても早ければ今日中には戻ってくる可能性があった。
そう、またトーマスと会わねばならないのだ。あのピリピリとした威圧感と共に。
「六日目? 誰か恋しい人の手紙でも待っているのかしら?」
そんな彼の呟きが聞こえてか、口元をにやけさせながら、女性隊長のメアリーが彼のデスクへと寄ってくる。
どうやら交代の時間らしかった。
「女の子からの手紙だったら、喜んで待つんだがね……生憎と、そんなに嬉しい物でもないのだ」
「そうなの? 貴方はモテるみたいだから、行く先々で女の子を引っ掛けてるんじゃって、噂になっていたものだから」
「なんだそれは……誰が流したんだそんな噂」
「街の女の子達よ? 格好いいし、ドキっとするような事ばかり言う癖に、いつまでたっても言い寄ってくる素振りが無い。だけど話していると浮ついた気持ちになってしまって辛い。こんなに私達の心を掻き乱すなんて、なんていけない衛兵隊長さんなのかしら、って」
「……それは、なんというか」
頬をぽりぽり。困惑に眉が下がっていた。
彼としては、村の若い娘達同様、普通に接していたつもりだったのだ。
それがこのような事になるなど、想像だにしていなかったのだ。
だが、カルナスという都会において、村娘と同じように親しみを前面に出してのコミュニケーションは、いささか刺激的過ぎた。
常に相手と一歩距離を置こうとする街娘にとって、ぐいぐいと前に出てくる彼のその態度は、まるで自分を全力で口説きに来ているようにも感じられ、否応なしに意識してしまう。
それでも憎めない。むしろ憎たらしい。
自分達の気持ちを知ってか知らずか曖昧な態度ばかり見せて、酷い人なのだと、街娘達は悲喜こもごもなため息を漏らすのだ。
そして、彼はとても鈍感な男であった。
そんな娘達の気持ちなど微塵も気づかない。未だに自分の事をモテないダメ男だと思い込んでいる。
だからか、メアリーのそんな言葉もただのからかい文句としか思えず、苦笑いするしかなかった。
「私はそんなにモテる男じゃないよ。せめて老け込む前に嫁さんでも貰えればと思っているが、ね」
「ふぅん……まあ、いいけどね。別段、女の子を泣かせるような事はしてないようだし」
「女泣かせだと言われるような程モテてみたいよ」
困ったものだ、と、腕を組みながら笑う彼に、メアリーは「どこまでが本気なのかしら」と頬を引きつらせながら溜息。
そうして、空気を入れ替えびしりと姿勢を正した。
「交代の時間よ。何か引継ぎ事項は?」
「ううむ……それなんだが……」
メアリーに問われ、いましがた溜息したばかりの『引継ぎ内容』を伝えようとしたところで、執務室の扉が開かれた。
「主席隊長殿に今一度問いたい! カオルはどこへ行った!!」
例によってトーマスであった。
部下を引き連れ、どこか疲れたような表情も見え隠れするその顔は、厳めしいながらも最初程の気迫は薄れていたように、隊長二人には感じられていた。
「これはトーマス殿。西の洞窟では会えなかったのですか?」
「貴公の話の通りに向かったが、それらしい者は微塵も見かけなんだわ」
「オーガは?」
「邪魔くさいから斬り捨てた。それで、カオルはどこに向かった? 知っているのだろう?」
何故端から決めてかかっているのかは解らないものの、どうやら嘘がばれたという訳でもないらしく。
当てが外れ、次の場所を探すつもりらしいこの城兵隊長殿の為、彼は口元に手をやり、しばし思案顔になる。
「……となると、もしやどこぞでエメラルドドラゴンの噂を聞きつけ、北の『オール山脈』へ向かったのかも――」
「なに? エメラルドドラゴンとな?」
「ええ。北からのキャラバンが襲撃を受けたとかで、こちらも対策を急いでいたのですが……カオルの性格からして、ドラゴンがいたとなれば無視もできないのではないかと」
「北、北か……解った、協力感謝する!」
「ええ、お気をつけて」
もう二、三、何がしか疑いの言葉でも掛けられるのではないかと構えていたのだが、彼にとっては幸いというか、トーマスはそれ以上に何かを聞くことはせず、すんなりと部屋を出ていった。
後に残されたのは、衛兵隊長二人である。
「え、えーっと、今の人、この間も来たわよね……?」
「ああ。城兵隊長殿だ。なにやらカオルを捜しているらしい」
「ふぅん……カオルさんって、魔人を倒したあの人の事よね? なんでまた、城兵隊が?」
「さあ、それは解らないな。ただ、あまり口出ししない方がいいだろうね」
「そう……解ったわ」
ここで彼女に協力を仰ぐのも悪くないかもしれないと迷いはしたが、下手に巻き込んで方々に飛び火するのは旨くないと考え直し、とりあえず誤魔化す方向で進める事にした。
公の場においては、彼は何も知らぬ、善良な衛兵隊長なのだ。
(……オール山脈まで一週間。流石にドラゴンの討伐までは難しかろうが、できるだけ時間を掛けてくれよ……?)
自分でも嫌な奴だと思いながら、城兵隊の奮戦を期待し、彼は引継ぎを続けた。
「とりあえず、次にトーマス殿が戻ってくるまで、二週間は稼げたと思う」
情報の収集を始めたカオル達の元に戻った彼は、開口一番にこう告げた。
色々と気にしなくてはならない事は多いが、タイムリミットを把握させる意味でも、先に伝えなくてはならなかったのだ。
「二週間か……それだけあればなんとかなる、かな……?」
椅子に腰かけ、腕を組みながら考えるカオル。
姫君はというと、当たり前のようにベッドの上に腰かけ、声には出さないながらも頬を赤らめながらコクリと、小さく頷いていた。
ベラドンナを通してサララとも情報のやり取りができるようになって、カオル達は急激にできる事の幅が広がり、現状の把握もリアルタイムで補足できるようになりつつあった。
同時に、問題の候補者二人の悪事も、少しずつ明らかになっていったのだ。
他人の悪事を暴き、まとめていく作業は、カオルにとってもお姫様にとっても気持ちのいいものではなかった。
特に当事者であるお姫様は一つ、また一つ、それまで知られていなかった悪事を知ってしまう事になり、時にはショックで落ち込んでしまう事もあったほどである。
「ありがとうな兵隊さん。おかげでなんとかなりそうだよ」
「私にできるのは、精々が城兵隊をかく乱する事くらいだ。だが、それもいつまでもという訳にはいかないな」
「時間を稼いでくれてるだけでも十分だよ。俺達にとっちゃ、ここにかくまってもらってるのだってすごく助かってるんだから」
追われる身であるカオル達にとって、外出の自由はないとはいえ、衣食住の整っているこの兵舎に寝泊まりできることは大変にありがたい事であった。
机があるこの部屋を拠点にできるからこそ、ベラドンナも転移できる。
トーマス達をだまして時間を稼いでくれることも当然ながら、カオル達はもう、感謝しても足りないほどに彼のバックアップを受けていたのだ。
これにはお姫様もこくこくと、先ほどよりも一生懸命頷いてくれていた。
「そう言ってくれると……だがカオル、政治の問題というのはそう簡単なものではないんじゃないかと私は思う。その……姫様のご結婚の候補者……本当に排斥して大丈夫なのだろうか?」
「っていうと?」
「場合によっては、それによって城内のパワーバランスが崩れ、どちらか片方の勢力が、もう片方を駆逐する為動いたりする事もあるんじゃないか? 今のところはどうなっているんだい?」
「ベラドンナが教えてくれてる限りだと、まだ王妃も侍女長も目に見える形では行動を起こしたりしてないみたいだな。候補者二人も、すごく解りやすく対立してるけど、実力行使に出たりとかはしてないらしい」
「……そうか。私の考え過ぎならいいのだが」
「一応気にしてみるよ。貴重な意見だ」
難しい政治の問題についてはカオルにはまるで解らなかった為、その辺りの匙加減はステラ王女に丸投げに近い状態だった。
幸い聡明な姫君はその辺りもきちんと考えてはいたようだが、それでも彼の言葉は、カオル達にとっては気づかされる点も多い貴重なアドバイスのように思えたのだ。
だから、素直に受け取る。
「確かに……私が考える以上に、各陣営の関わりが複雑になっている可能性もあります……ですが、だからとこの二人を野放しにし続ければ、傷つく方が増えそうなのも……ここで情報をまとめていくうちに、気づいてしまいました」
とても残念なのですが、と、姫君の重い一言が響く。
この場に居て、誰よりも問題に深く関わり、そして誰よりも心を痛めている姫君の言葉だからこそ、カオル達は黙って頷く事しかできなかった。
「二週間……その間に、なんとか、情報をまとめなくては。今まで集めた情報だけでも、ある程度のダメージは狙えるとは思うのですが……」
「何かこう、決め手に欠ける気がするんだよなあ」
ベッドの上に置かれた紙の数々。
その一枚一枚に、大臣の次男とロリコン貴族の問題行動が記されていた。
大きな問題は大きな紙に、小さな問題は小さな紙に書かれ、重要性が視覚化され解りやすくなっていたが、今一決め手に欠けていたのだ。
そう、致命傷に足る何かが足りない。
「どれどれ……『視察のため自領の村を訪れた際に、気に入った村の少女を誘拐、助けようとした青年を投獄し餓死させ』――ひどいなこれは」
「ああ、そっちはロリコン貴族の方だな。しかもその助けようとした青年っていうのがさらわれた女の子の兄貴で、女の子も兄貴が死んだのを知って自殺しちまったんだと」
「……救いがない話だな」
「そいつの顔見たら思わずぶん殴っちまいそうなくらい嫌な話だよな……」
なんとなしに手に取ったものを読んでいた衛兵隊長殿に、カオルはどこか冷めた視線で視線を落としていた。
こんなものが二十枚ほど。物事の大なり小なり、まとめられていたのだ。
「叔父上の事は、以前からあまり好きではありませんでしたが……こんな事を裏でやっていたなんて、幻滅を通り越して、失望してしまいました」
「大臣の次男の方も大概だけどなあ……お姫様付きの侍女を口説き落として、その娘の恋心利用してお姫様の私物盗ませたりしてたんだってさ」
「それはまた……」
一応、情報を集めていくにしたがって大臣の次男がお姫様に密かな恋心を寄せていたらしいのはカオルも解っていたのだが。
ここまでくると最早恋心では許されないレベルの問題行動であった。
カオルはわざわざ言及しなかったが、実際にはこの結末には、利用されただけだと知った侍女が傷心のあまり乱心し、地下監獄に放り込まれる事態になっている。
お姫様も当時は突然『あの娘は事情があって暇を出された』とだけ伝えられ不思議がっていたが、その侍女がこのような末路になっていたと知り、深い悲しみと共に、幼馴染に対しての怒りとも呆れともとれる複雑な感情が芽生えてしまっていた。
「……もうやめましょう。考えるだけで頭が痛くて」
「そうだな」
「ああ……姫様、どうかご無理をなさらずに」
「ええ、ありがとうございます」
相変わらず彼の前では緊張するのか、ぽそぽそと小声になってはいたが。
それでも、ここにきてばかりの頃に比べれば幾分、慣れてきた感があった。
だが、慰めの言葉に感謝こそすれど、まだまだ姫君の苦悩は収まらない様子で、言葉が続かない。
「失礼いたします……っと」
「うぉっ、ベラドンナっ!?」
「突然現れたな」
「びっくりしました……」
しばし話しづらい空気となり、三人ともが黙りこくっていたのだが。
突然机が震えだし、ベラドンナがそのまま出現した。
最初は蝙蝠だったが、最近は慣れてきて人型のまま移動できるようになったらしい。
「カオル様、サララさんより『耳寄りな情報』をいただいたので、こうしてご報告に上がったのですが……」
「サララから? そういえば、サララって今まで何やってたんだ? ベラドンナとは別行動取ってたんだよな?」
正直、カオルとしてはサララにはただ隠れてくれていればそれでいいと思っていたので、情報源としてはあまり期待していなかった。
下手に外に出て捕まられても困るし、無理をしてほしくなかったのだ。
勿論、サララの耳の良さ、妙な勘の鋭さはとても役立つ物だとはカオルも思っていたが。
それ以上に、サララの身を案じていた。
「サララさんは、『こちらはこちらでツテがあるので』と、私にも詳しくは教えてくれなかったのですが……どこかに出かけていくことがあったので、その時にどうにかして情報を得ていたのでは?」
「むむ……なんか気になるな」
「お話の内容、お伝えしてもよろしいですか?」
「あ、うん。教えてくれ」
気になる所は多かったが、折角の情報である。
何か役に立つ事を期待して、耳を傾ける事にした。
「まずは――」
ベラドンナから伝えられた情報は、簡潔に述べて以下の通りである。
・大臣の次男は、遊ぶ金欲しさに税金を着服している疑惑がある(要検証)。
・大臣の次男には、恋した女性の身に付けているものや私物などを身近に置き、時として自ら着用する悪癖がある。
・国王の弟は、伽の相手をさせる為だけに部下に娘を差し出させたり、町で少女や幼女を誘拐・親を脅迫して差し出させる・力づくで奪い取るなどの手段によって夜毎に欲望を満たし、それによって王になれなかった鬱憤や思うままにならない領土運営のストレスを解消しているという噂がある(要検証)。
・国王の弟が非公式に焼き払った自領の村や町は十以上。
その内自らの非道によって蜂起され武力鎮圧したものが六つ。巻き添えが二つ。残りは見せしめと少女誘拐の為だけに行われた。
「――大体こんな感じらしいですね。サララさん曰く『もう少し時間をいただければもっとすごいのを用意します』との事ですが」
すごく胸張ってました、と、説明してくれたベラドンナ。
だが、カオルはもとより、他の二人も開いた口が塞がらなかった。
「あ、あのっ……今の情報は、正確な情報元が……?」
「すぐにこれとは提示できませんが、サララさん曰く『確かな情報源です』と。妙に自信たっぷりでしたね」
「気になるは気になるが、これが本当ならかなりの決め手になるんじゃないか? しかし、サララちゃんは一体どこからこの情報を――」
「ああ……うん。確かにそうだな。サララすげぇなあ」
情報源が何なのかは解らないままだが、それにしても単独でこれだけの情報を手に入れてきたサララは一体何をしたというのか。
カオルはなんとなく、いつもの変に自信たっぷりでドヤ顔なサララの姿が浮かび、「あいつなら本当にやりそうだぜ」と、噴き出しそうになってしまっていた。
「よし……とりあえず、二人の要検証項目が本当なのかの調査だな。ベラドンナはこれを重点的に頼むぜ」
「解りましたわ」
「国内の領土についての情報なら、衛兵隊本部にもある程度は入ってくるものだ。もしかしたら、姫様の叔父上の噂の何がしかを確認する事が出来るかもしれない」
各々とも、次のステップに進む時が来たように感じられた。
流れが変わったのだ。ただ情報をまとめるだけでなく、それを検証する段階。
サララの情報がそれを促したようにカオルには感じられて、自分のやるべきことがまた一つ、見つけられたように思えていた。
だが、それでも。
(無茶すんなよサララ……頼りにしてるぜ)
自分でも矛盾した事を想っていると自覚しながらも、会えないままの猫耳娘の無事が気になり、そんな事を考えてしまっていた。