#9.机の中からこんにちは
部下より緊時ありと呼び出された衛兵隊長殿は、本部の執務室にて、戦鬼を思わせる恐怖と対面していた。
「貴公が新たにカルナスの衛兵隊長となった者か。我が名はトーマス。エルセリア王家に古くより仕えし城兵の長である!」
白銀の鎧を纏った歴戦の老将、といったいでたちのこの城兵隊長殿は、笑った顔一つ見せず、睨みつけるように挨拶してきた。
案内の為同席していた衛兵などは、もうその顔を見ただけで縮み上がり、声一つ出せぬ有様である。
「……初めまして。先日主席隊長として任官されました――」
「ああ返礼は結構。貴公の名は部下の報告より聞いておる故。それよりも早速用件を果たしたいのだ」
「はっ……では、こちらに」
威圧的な態度だとは彼も思っていたが、不快感は表に出さず、儀礼通り上官に勧めるそれと同じように、普段自分が座っていた上座を譲る。
だが、トーマスはそれすら手を前に、「いいや結構」と拒絶した。
「折角ながら、長話をしに来たのではないのだ。先日王城に召喚したカオルという若者だが。貴公は同じ村の出身であったな?」
「……ええ。その通りですが」
「もしカルナスに戻ってきているのなら、その居場所を知りたい。ご存知かな?」
じろりと目を覗き込むように見つめてくるトーマス。
頬に汗を垂らしながら、彼はその視線から決して目をそらさず、じ、と見つめ返す。
(……知らない、とは言えないな)
これは、長年衛兵をやっていた彼なりの、ただの勘ではあったが。
この城兵隊長殿は、上っ面だけの嘘というものが通用しなさそうに感じられた。
多少なりとも嘘にも工夫が必要、それでも誤魔化せるかはギャンブルとも思えたが。
「――ええ、カオルなら先日、戻ってきましたが」
「ほう……して、どちらに向かったのかね? いや、貴公が知る事ではないのだが、そのカオルとやら、城内にて我らが貸与したものを、返却し忘れたまま帰ってしまったようでなあ」
「なるほど、そういう事でしたか」
「別に会ってどうこうするつもりもないのだが、魔人討伐の英雄殿を盗人呼ばわりするのもはばかられる。速やかに返却願いたいのだ」
「それで城兵隊長自らご足労とは……」
老兵との腹の探り合いは、彼にとっても中々にハードなものであったが。
それでもなんとか、話の筋を見極める。
少なくとも彼は、この城兵隊長殿が嘘をついている事には気づいていた。
何せ、カオルは手元に居るのだ。
そしてその事情も聴いていた。これが大きかった。
「どうやらカオルは西にある『クラガの洞窟』へ、オーガ退治に向かったようですな」
「ほう、オーガ退治になあ」
「最近出没するようになったらしいのです。まだ実害は報告されていませんが、街道近くで目撃されたのが噂となり、旅人が怖がりましてね。本来なら衛兵隊が討伐隊を出すつもりだったのですが、カオルが自ら名乗りを上げてくれまして」
「英雄殿の名乗りか。ならば止める訳にも行くまいな」
ふふ、と、どこか楽しげに笑う老兵に「意外だな」と思いながらも、彼は衛兵隊長としての表情を貫く。
「必要とあらば、私が先導して案内いたしましょうか?」
「いいや、それは結構。こちらも手勢を率いておる故、構いだてしてくれるな」
「承知いたしました」
ここで「ならば先導いたせ」などと言われれば彼の窮地であったが、それはないだろうと解っていた。
この城兵隊長殿にとって、カオルが何故姫君を連れているのか、その事情は城外の者には知られたくないはずだった。
もしカオルを見つけられたとしても、その事情を無関係のはずの衛兵隊長ごときに知られるのは避けるだろうと考えた上での意図的な煽りである。
事実、トーマスはそれを避け、自分達だけで向かってくれると申し出てくれた。
「用件はこれだけだが……衛兵隊長殿。我らがこの街に来た事、カオル殿を捜していた事、くれぐれも他言無用故、な……?」
「……もちろんですとも。私も折角衛兵隊長となったのです、お城の方々には好く覚えて頂きたいですからね」
「それでよい。なに、別に何かが起きる訳ではないのだ。気にする事ではない。では、な」
「どうぞお気をつけて」
良い旅を、と、のしのし肩を怒らせ去ってゆくトーマスに向け、声には出さないながらもほくそ笑みながら、衛兵隊長殿は見送っていた。
こうして、城兵隊長トーマスとその配下は、西にあるクラガの洞窟へと向かっていった。
カルナスからは馬を使って三日ほどの、比較的近郊にある洞窟である。
勿論カオル達がそこにいるはずもないが、オーガがいるというのは事実で、旅人がそれに怯えている事も、その為に討伐隊を編成しようとしていたことも事実であった。
オーガは強い。
身の丈も人間の二回りも三回りも大きく、その剛腕は人の頭を容易く叩き割る。
ドラゴンほどではないにしろ、死を覚悟する必要のある相手だった。
衛兵隊とて、生息数によっては半端な戦力では逆襲される恐れもあった為、慎重に情報を探ってから編成を考えようとしていたのだ。
その点、城兵隊は流石と言うべきか、十分に過ぎるほど装備が整っていた。
これに関してはトーマスと会う前、衛兵隊本部の外に整列していた城兵らを見て、「これほど上等な装備が衛兵隊にも支給されれば」と嘆いたものである。
何せショートソード一つとっても、その装飾や鞘の形状、全てが実用向きかつ美しいのだ。
更に練度も整列一つ見れば感嘆に域するほどで、これは見習うべき点として強く心に焼き付いていた。
一方で、あれほど屈強な兵が揃っていれば、オーガの討伐など容易かろう、というのが彼の目論見でもあった。
咄嗟に思いついたにしては様々な計算が込みの、自軍の消耗を抑えんとする策略じみたモノであったが。
不思議とこの時、彼はそんなに悪意無く、「彼らならこれくらいできるだろう」と思えてしまっていた。
一方その頃、残ったカオルと姫君――
「とりあえず、候補者の二人をどうにかするのが最優先だと思うのです」
ひとしきり幸せを満喫した姫君は、今ではキリリとした表情でカオルと話し合っていた。
勿論その居場所はベッドの上なのだが。
胸にはぎゅっと枕を抱きしめたままなのだが。
「まあ、そいつらがお姫様にとって最大の問題だし、何よりその二人がどうにかならなきゃ王妃と侍女長の方も解決はできそうにないもんな」
「はい。折角あの方が協力してくださったのですから、状況を最大限に活用したいのです……」
元々は、ステラ王女が「自分さえいなければ少しは城内の緊張が緩和されるはず」と考えての策であった。
自分を担ぎ上げようとする王妃は自分不在でははしごを外された形になって思うまま動けないだろうし、だからと継承権を破棄したわけではない以上は王子が次期王になるのも難しいままなので、侍女長も行動を自重せざるを得なくなる。
そういった状況が続けば、少なくとも今よりはましな状況になるはず、というのが本来のステラ王女の目論見だったのだが、ここにきて幾分、良い方に軌道修正できる機運が高まっていた。
「問題は、どうやって二人を候補から外すかだよなあ……王様に言ってもダメだったんだろ?」
「私がお父様にお願いした時は『そうは言っても他に候補がいないから』と言って、結局取り消してはいただけなかったのです……」
無念ですわ、と、枕を抱き締める力を強めながら、姫君は不服そうに俯いた。
「他に候補がいればいいんだよな。誰か、良さそうな人とかいないの? その二人に対抗できそうな人とかさ」
「……権力的には対抗できる方もいくらかはいるでしょうが……私の結婚相手、となると流石に……確かに私が選んだとなれば、候補者の二人も無視はできないでしょうが……それって、その、私が好きでもない人を指して『この方と結婚したいです』とお父様に言わないといけませんし……それはちょっと本末転倒と言いますか」
「まあ、そうだよな……うん、ごめん、聞かなかったことにしてくれ」
「はぅ……」
カオル的には良い案だと思ったのだが、姫君からの切実な拒否に「やっぱ俺こういうのダメだ」と自分の頭の悪さを実感してしまう。
説明されてようやくその案がダメだと気づいたのだ。
これでは役に立てるはずもない。
「そうなると……その候補者をなんとかして候補者じゃなくしちゃうしかないよな」
「そうなりますね……最悪の状況として、カオル様のさっきの案も、一応検討はしますが……できれば、誰かを推すという事なく二人が候補者から外れてくれるのが一番です」
「……ふむ」
考えれば考えるほど頭がこんがらがってくるのがカオルという生き物だったが、お姫様の手前、何も考えずにぽかーんとしているのも申し訳なく思えてしまっていた。
カオル自身は「俺の役目ってお姫様をここに連れてくる事で終わってるよな」と実感し始めていたのだが、それでも何もしないよりはマシだと思えたのだ。
何せ、お姫様だけでなく自分も隠れていなくてはならない身なのだ。
考えるのが得意そうな姫君はまだしも、ただ住み着くだけしかできないのは避けたいな、と、彼なりに考えていた。
《ガタッ、ガタガタガタ》
不意に、作業机の引き出しが揺れ始めた。
ガタガタと大きな音を立て揺れていた引き出しは……やがてばん、と、派手な音を立てはじき出され――その中から、カオルにとって見覚えのある、黒い影が現れた。
「お前は……ベラドンナ!?」
『キキーッ』
「ベラドンナ、お前、どうやってこんなところに……」
『キーッ、キキーッ』
突然現れたベラドンナに驚かされたものの、自分を見つけて嬉しそうに飛び回りながらキーキー鳴くその様に、ちょっとだけ安堵を覚えるカオル。
「……え? えぇっ?」
姫君は一人、何が起きたか解らずぽかん、としていた。
当然である、突然机が開いたかと思えば、その中から蝙蝠が現れたのだ。
意味不明にもほどがある。
カオル自身「出てきたのがベラドンナだったから安心したけど何が起きたのか解んね」と、内心混乱しそうになっていた。
お姫様の手前踏みとどまってはいたが。
「と、とりあえずキーキー言われても解らないからよ、元に戻ってくれないか?」
『キキーッ』
ベラドンナはカオルの言う事が解るだろうが、カオル視点では蝙蝠語を解する事などできるはずもないので、変身の解除を指示する。
お姫様の前ではあるが、これに関してはカオルはあまり気にしていなかった。
カオルの指示を聞き、ベラドンナはびし、と敬礼した後、口を大きく開き――ぼわ、と、大量の煙を吐き出す。
その煙が蝙蝠の姿を包み込んでいき――やがて、元のアダルティックな女悪魔の姿へと戻っていた。
「――けほっ」
「お前がむせるのか」
「いえあのすみませ――こほっ、ちょっと出す量を間違えまして」
ベラドンナはドジっ子だった。
自分の出した煙にこほこほむせて涙目になりながら、カオルの前に傅く。
「――我が主カオごほっ――様っ、どうぞごめいれ――かふっ」
「無理しなくていいから。無理に格好つけなくていいから」
ベラドンナなりに主従の形を通そうとしているのかもしれないが、なかなか消えない煙の所為ですべてが台無しだった。
最早コントにしか見えない。
「あ、あの……カオル様、この方は……? 翼や角が生えているように見えるのですが、まさか――」
このようなノリの中、一人空気についていけず困惑しているお姫様がいた。
カオルも「やべぇ忘れてた」と素に戻り、作り笑いで説明する。
「この人はベラドンナ。俺の仲間の悪魔だよ」
「あ、悪魔……? えぇっ!?」
「悪魔って言ってもその……悪い奴に騙されて悪魔になっちゃった人でさ。確かに悪いこともしてたんだが、今は反省して、俺の仲間になってるんだ」
「趣味は一日一度の礼拝と懺悔です」
実に人畜無害な悪魔であった。
「はぁ……そ、そうなのです、か……? カオル様がそう仰るなら、まあ……」
「大丈夫だぜ。ベラドンナは信用できるから」
大丈夫なのかしらこれ、とぎこちなく半笑いになっていたお姫様だったが、カオルが胸を張ったままなのもあって、それ以上は疑問を挟むことはしなかった。
それでも、人と異なる姿をしたベラドンナはどうしても気になるらしく、お姫様は何度もそちらを見たり見なかったり、忙しない様子を見せていたが。
「それよりベラドンナ。兵隊さんに送られたサララからの手紙だと、確かサララと一緒に逃げたはずだったよな? なんでこんなところに?」
「ええ、お城が騒ぎになっていたので、サララさんに累が及ぶ前に二人して逃げましたわ。今、サララさんはアッサムという村にいます」
「どうやって来たんだよ」
「『魔法の机』という、悪魔なら割と誰でも使える古典的な魔法らしいのですが、これによってあちらの村から瞬間的に転移しました」
一瞬です、と豊満な胸を張ってどや顔になるベラドンナ。
確かにすごいのだが、カオルとお姫様は顔を見合わせ、そして同時に首を傾げた。
「……その、転移とかって、悪魔なら誰でもできるんですかね」
なぜか敬語である。
「できるみたいですよ? 私の場合はゲルべドスがそういった事を話していたのを聞いていたので、その話を思い出しながら試してみたのですが……」
「……うん? 試しでって、今までやったことはなかったのか?」
「そうですね。今まではこの翼があればどこまででも飛べる気でいたのですが、流石に今回は距離的に遠いものを感じましたので」
「その……失敗のリスクとかってないの? そういうのって、すごく危険なイメージあるんだけど」
「失敗したら机の中でぐちゃぐちゃの肉塊になっていたらしいので、ちょっとドキドキしていましたね。今はもうコツを覚えましたが」
「うへぇ」
「……うぅ。ききたくないききたくない」
机の中で見るも無残な事になっているベラドンナを一瞬想像しそうになって口元を押さえるカオル。
それでもカオルはまだ踏みとどまれたから良かったが、お姫様はそれをはっきりと想像してしまったらしく、背を向けカタカタと震え始めてしまった。
そのまま何事か呟きながら、耳を押さえ縮こまってしまう。
「でも、すごい便利な魔法なんだな。悪魔じゃなきゃ使えないのは惜しいけど」
「そうですね。馬車旅ですと一週間は掛かりますし、空を飛ぶにも一日やそこらではちょっと無理ですので……とても便利な魔法だと思います」
――失敗時のリスクを度外視すれば。
わざわざ口には出さないものの、カオルはマジマジとベラドンナを見る。
今のところ、損壊や破綻などはない。
それが確認できて、深く安堵した。
「……?」
「いや、なんでもないよ」
「そうですか……それはそうとカオル様、私共はまだしばらくの間、アッサムで隠れていればいいのですか? その確認がしたくて参ったのです」
「ああ、そうだったのか」
「ええ」
なんで見つめられていたのか解らず首をかしげたりしていたベラドンナであったが、すぐに本来の要件を切り出し、話を進める。
この辺り、突然の事で話が止まっていたのでカオル達にとってはありがたかった。
「えっとだな……事情の説明はおいといて、今、俺もこのお姫様も、城兵隊に追われる身でさ。カルナスまで逃げてきたのは良かったんだけど、下手に外をうろつけない状態で」
「つまり、今のままでは何もできない、という事ですか?」
「しばらくの間はな」
そう、今までの状況では、やるべきことは解っていても手詰まり感が否めなかった。
兵隊さんの協力があればあるいは、とは考えたものの、少なくとも時間が全てを解決してくれるような、そんな甘い幻想は、カオルには抱けなかったのだ。
だが、ここでとても都合のいい事にベラドンナがやってきてくれた。
しかも瞬間転移などという便利な魔法つきである。活用しない手はない、とカオルは考えた。
「すまないけどさベラドンナ、サララと二人で協力して、上手いところ城の様子を窺ってきてくれないかな? あ、サララが邪魔ならサララは置いたままでもいいんだけどさ」
サララは聴力がいいし夜目が聞くので、上手くすれば潜入などで活用できる部分もあるかもしれない。
それにベラドンナは蝙蝠に変身できるので、こちらも城内の今を探るにはうってつけのように思えたのだ。
だが、カオルの言葉に頷きながらも、ベラドンナは口元に手を当て、くすくすと笑う。
「サララさんもサララさんで、カオル様が心配過ぎて寝不足でフラフラになっていましたが」
「……ちくしょう、可愛いなあいつ」
離れていても自分を心配してくれる猫娘に、カオルは不覚にもぐっときてしまった。
今なら顔を見た瞬間抱き締めてしまうかもしれない。それくらいのラブは感じていた。
「でも、かしこまりましたわ。他に何かご注文などあれば聞きますが?」
「あ、あの、できればでいいのですが、私の結婚相手の候補者二名の弱みを握ってきていただけると助かるのですが……」
それまで背を向けていた姫君が復活したらしく、ぽそぽそとか細い声で伝える。
今一聞こえにくい声だったので、カオルは「解った」と答えて、ベラドンナへと向き直った。
「大臣の次男と国王の弟のロリコン貴族のダメなところを探してくれ。できれば一発アウトになりそうなのがいいけど、なければコツコツ貯めていくから、逐一報告してくれると助かるぜ」
「かしこまりました。お任せください」
カオルとしてもそんなに都合よく集まるとは思っていなかったが、それでも何がしか状況を打開する材料が欲しかったのだ。
ステラ王女が城から出たことが何らか影響を与えているかもしれない。
それでボロでも出してくれればしめたもの、程度の気持ちであった。
ベラドンナはそんなカオルの意をくみ、楚々とした仕草でお辞儀した後、今度は煙などなく瞬時に蝙蝠へと変身する。
いつもはこのように変身していたため、先ほどの煙アリの変身はカオル的に本当に意味が解らなかった。
(……ベラドンナなりにお姫様の前で格好つけたかったのかな)
サララの可愛い面もだが、普段はとても強そうなベラドンナの意外な茶目っ気のようなものを感じ、カオルは妙に新鮮な気分になっていた。
いずれにしても、これで話は進むのである。
カオル達の、忙しない日々が始まった。