#7.サララからの手紙
衛兵隊の兵舎は、大きく分けて一般兵用と隊長用とで違った建物になっている。
一般兵用のものは大きな建物に雑居する共同生活形式のもので、一部屋に五人ほどが詰め込まれ、ここでも集団行動のなんたるかを根幹から叩き込まれる事になる。
ここでの食事は給食形式で、食べる事に関しては不自由はせず、生活費も掛からない。
衛兵隊長の為の兵舎は、レンガ造りの一般的なカルナス家屋と比べるとやや小ぶりではあったが、それでも人ひとりが生活するには十分な広さのもので、書類仕事ができるような書斎やトイレ、ある程度の広さの風呂まで用意されているという非常に恵まれたものであった。
オルレアン村からカルナスに来た彼にとっても、衛兵隊長の為にとあてがわれたこの専用兵舎はかつて自分が村で使っていた詰め所よりも快適で、何より風呂があるという事がとても魅力的であった。
村に戻りたいという気持ちが無い訳ではなかったが、隊長としてしばしの間この街に滞在する以上は、このように住みやすい住居があるのは有り難い。
「お休みのところ失礼しまーす! 衛兵隊長さん宛てに、お手紙を預かってきましたー」
夕食をとっていた彼は、ドアを叩く音と、久しぶりに聞く声に懐かしさを覚えていた。
すぐに食事を中断し、玄関のドアを開けば、そこには郵便屋の少女の姿。
赤いベレー帽を被り、同じ色のカバンを肩にかけたティッセが立っていた。
「あ、こんばんは。まずは衛兵隊長への出世、おめでとうございます!」
「ああ、ありがとうティッセ。手紙というのは、誰からなのかな?」
「えーっと、アッサムで村の人から頼まれて預かったんですけど、宛名自体はシャラ……ラ? ああ、サララさんからですね。エスティア語で書かれていたから読み間違えちゃいました」
「エスティア語とはまた……サララちゃんか。ふむ、ありがとう。これは少ないが、受け取ってくれ」
「まあまあ、いつもありがとうございます。それでは、また」
「ああ、気を付けて」
いつものようにお駄賃を渡すとホクホクした顔で微笑み、手をブンブン振って去っていく。
少し離れたところで土煙をあげながらのダッシュを始めるのは相変わらずだが、すぐに見えなくなるその小さな背中が、なんとも快活に思えて、彼には面白く感じられた。
(サララちゃんから私に、というのはなんだろうな……近況報告にしても、カオルからというなら解るのだが――)
どんな話なのか気になるも、便せんだけ見ても見慣れぬ文字列が並ぶばかりである。
これがエスティア語らしいのはティッセの言で彼にも解っていたが、異国語に不慣れな彼には解読不可能な謎の文字列にしか見えていなかった。
一旦食卓を抜け、書斎でペーパーナイフを手に戻ってきた彼は、便せんを丁寧に切っていき、封を開ける。
せめて楽しい話でも書かれていれば、と儚い想いを胸に開いた手紙は、彼にとっては予想外のモノとなっていた。
『衛兵隊長さん、お久しぶりです。サララです。突然ですが、ご協力を仰ぎたく、こうしてお手紙を送りました』
幸いにして手紙の方は彼にも読める言語で書かれていたが、あまり手紙を書くのが得意ではないのか、あるいはよほど急ぎのものだったのか、前置きはすぐに切られ、すぐに本題へと入ってゆく。
『とても大変なことが起きてしまいました。カオル様が、突然ステラ王女を連れてお城から出てしまったのです』
「……うん? なに? カオルが、ステラ王女、を……?」
何かとても見過ごせない事が書かれていたような気がしたが、脳が、目の前の文章の理解を拒んでいるというか、理解が追い付かないような、そんな感覚に陥ってしまっていた。
二度見、三度見てようやく「そんなバカな」と驚いたほどで、顔に手紙を近づけ、舐めるようにして読んでいく。
『城兵の方々は皆カンカンに怒ってカオル様を追いかけています。私はベラドンナさんの助けもあって、命からがら近くの村へと身を隠す事ができましたが、カオル様の事が心配です』
(私も心配だよ……ああ、なんてことだ、嫌な予感が的中してしまった)
痛み出した頭を押さえるようにしながら、手紙の中のサララに同情していた。
そう、やはりカオルは、『面倒ごと』に関わってしまったのだ。
これは中々ハードな問題だった。
『もしカオル様がそちらに向かったのなら、どうか、助けてあげて欲しいのです。こんな事は同じオルレアン村で暮らした貴方にしかお願いできません。どうか、よろしくお願いいたします』
短いながらも、カオルの置かれた状況の不味さがよく解る手紙であった。
それでいて、なぜそうなったのかが解らないまま内容が伏せられていたのは、サララにとっても突然の事で、事情を詳しく知らないからなのか。
いずれにしても、彼は「このまま放ってはおけないな」と、歯を強く噛む。
もしカオルが自分を頼ってカルナスに戻ったなら……ある程度、自分も覚悟しなくてはならないと、そう思ったのだ。
「参ったな、全く」
――ようやく街での暮らしにも慣れてきたころだというのに。
彼にとっては災難以外の何物でもないはずだが。
不思議と、頬が緩んでいくのを感じ、それを自覚する。
面倒ごとだと思ってしまっても、だからと見捨てられない何かがある。
愛着とでも言うべきか、あるいは友情と表現すべきか。
苦笑いと共に受け入れられた苦難は、しかしそれほどには彼にとって、苦痛ではなかった。
そこからの彼の行動は迅速で、まず夜のうちに本部に顔を出し、カオル達が国からどのような扱いになっているかの確認の為、最新の指名手配を調べた。
幸いカオルはまだお尋ね者にはなっていないらしく、同様にお姫様に関する情報も、出回っている様子はなかった。
少なくとも、ティッセが手紙を預かった時点で既にカオルは城兵隊に追われる身になっていたはずだが、ティッセが彼に手紙を届けた今の時点でも、カオルは街に到着していない。
つまり、カオルは未だお姫様と共に逃避行を続けているか、既に城兵隊に捕まっているか、という事になる。
(とにかく、カオル達が来た場合に備えて準備をしておこう――)
来てから何かをしたのでは遅い。
状況次第では自分も城兵隊の監視や追求を受ける可能性もあるのだから、今のうちにできる事はしなくてはならなかった。
幸い、カルナスは酒場や娼婦向けの深夜雑貨なども開かれており、割高ではあるが、食料も雑貨も金さえ出せば夜でも補充する事はできる。
カオルが来るというなら、それは姫君も来るという事なのだ。
失礼の無いように、という以上に、不自由をさせたくないという気持ちが、彼にもあった。
こうして、街を奔走し続けた彼が全ての仕度を終えたのは、もうすぐ朝日が昇ろうという頃合いであった。
いささか急ぎ過ぎた感があったか、と、疲労が表に出始めた顔で深いため息をつき、ベッドに倒れ込む。
眼を閉じようとするまでもなく、意識の方がショットダウンされていく感覚。
もう間もなく夢の世界へと落ちようかという時に、不意に、幼い日の出会いを思い出していた。
『――っく、う、ぐすっ――』
『どうしたんだい? 何か悲しい事でもあったの?』
『うぐ……あ……あぅ』
『だ、大丈夫だよ、僕はただの村人だから。怖い人じゃないから。そんなに怯えないで……?』
『……(こくり)』
『僕はおや……父さんと一緒にここに来たんだ。小さい女の子がいるから、遊び相手になってくれって王様に言われてさ』
『おとうさまに……?』
『うん、だから僕と友達になってくれないかな?』
『……(こくり)』
幼いながらも高貴な生まれであると感じさせる少女。
まだ世間知らずだった彼は、そんな少女と、わずかの間、おしゃべりをしたり遊んだりしたのだ。
子供といっても彼がそれまで接した事のある同じくらいの子と比べると小柄で、どこか弱々しい印象を感じていたせいか、子供なりに気を遣って、少女との時間を過ごしていた。
『お姫様はさ、なんで泣いてたの? 何か悲しい事があったの? 夕飯が嫌いなものとか?』
『好き嫌いは、ないもの。ビーガンも……食べられます』
『偉いな。僕なんてまだ食べられないよ、ビーガン』
『好き嫌いなく食べないと、健康になれないからって……言われてたから』
『そうだね。僕も大人になったら強くなりたいから、好き嫌いなく食べられるようにならないといけないなあ』
『……大人になったら』
『うん?』
『ふぇ……うわぁぁぁぁぁんっ』
『なっ、いきなり!?』
『うぐっ……わ、わたしは、からだがよわいから……おとなに、なれないかもしれないって……きっと、きっとこのまま死んじゃうの……しぬのこわい……やだぁっ』
『それが泣いてた原因かあ……うーん』
死ぬのが怖い。
まだまだ子供なのに、そんな事を怖がってしまう少女を前に、彼は困ってしまっていた。
だって、確かに死ぬのは怖いのだ。
自分ではよく考えた事もなかったけれど、もうすぐ死ぬんだと言われれば、確かに自分も同じように泣いてしまうかもしれない、と。
彼なりにお姫様の気持ちを考えて、だけど、なんて言って慰めたらいいか解らないから、困り果ててしまった。
『きっと……きっと、おかあさまみたいにけっこんする事もできないの……おとなになるまえに、しんじゃうから……っ』
『結婚したいの? お嫁さんになりたいのか』
『うぐ……うん。おかあさま、みたいになりたい……ひっく』
『じゃあ、まず相手を見つけなくちゃ』
『あいて……?』
『そうだよ。結婚するなら相手が居なきゃ。だから、頑張って見つけるんだ』
『……みつけるの?』
『見つけるの。まずは好きになれる人を見つけるんだ。そうやって目的を持って生きてけばさ、なんだかんだ、いつの間にか大人になってるもんだよ、多分』
『……よくわからないです』
『そのうちわかるさ』
『そうなのかな……』
『そういうもんだよ』
『そうなんだ……』
とりあえずの体で、父親からの受け売りを聞かせると、姫君は噛みしめるように呟きながら、少し落ち着いたような顔をしていた。
涙はまだ引っ込んでいないけれど、すぐさま泣き出すというような状態ではなくなったようで、しばし無言のまま視線を彷徨わせる。
『……でも、もしみつけられなかったら?』
『その時は……うーん……』
『やっぱり……みつけられなかったら、しんじゃうの……?』
『い、いやっ、そんな事は――そだっ、もし見つけられなかったら、僕が君を貰ってあげるよ! ほら、それなら死なないだろ!?』
『えっ……あ、うん』
『だから、大丈夫なんだよ。ほら、元気出して』
『……(こくり)』
『よし、じゃあまた別の遊びを教えてあげるよ。これは村の女の子達がやってた奴なんだけど――』
結局、少年であった彼には、まだ何が正しいとか、どう言うべきだったとか、そういう理屈のようなものは何も解らず。
ただ「この女の子がこのまま泣いているのを見るのは嫌だ」という、自分の我が侭に従っただけであった。
それでも、結果的にお姫様が涙を忘れ、遊びの中で笑顔になってくれるのが嬉しくて、彼はできる限りの努力はしたのだが。
(……噂では、結婚相手を決めるという段になっていると聞いていたが。それが何故、カオルと――)
眠気と疲労に鈍っていた頭は、そんな思い出の中、わずかな思考を取り戻させていたが。
やがて抗いがたい睡魔の誘惑に敗れ、深い闇へと落ちていった。