#6.その頃の兵隊さん
カルナスの街は、静かな冬を迎えていた。
女悪魔ベラドンナの暴走から始まった魔人騒動の傷跡も、今では大分癒え。
連れ去られた子供達が全員無事だったこともあり、街は少しずつ、かつての彩を取り戻していったのだ。
そんなカルナスではあるが、全てが元通りという訳にはいかなかった。
特に問題として目に見える形で残ったのが、壊滅的被害を被った衛兵隊である。
街の人々の悪感情の大半は衛兵隊長の振りをしていた魔人へと注がれていたので、魔人を封印した今とあっては大分落ち着いてはいるが、街を護る衛兵隊が壊滅したという事実は、これから本格的な冬を迎える街の民にとって、今も尚不安材料として十分なものとなっていた。
王城からの遣いによって、本物の衛兵隊長は、この魔人にとって代わられ死亡したらしいと伝わり、かつての正しき人物像を知る者達からは嘆きの声も囁かれた。
魔人によって信頼の大半を失っていた男ではあったが、本来は職務に忠実で街の民からも強く信頼されていた、衛兵隊長なりの人格者だったらしい。
後任としては、ベラドンナ討伐隊の中で、最後まで女悪魔を討とうと勇気を出した五人の兵隊が、交代で隊長の任を請け負うべしとの王城よりの命があり、五人ともが衛兵隊長へと出世した。
偽者の衛兵隊長が好き放題していた中、その偽物の黙認によって国からの活動資金や街の富裕層からの寄付などを懐に入れていた会計担当官のアントニオは、それを知った新たな衛兵隊長らの告発と、負傷兵として入院していた衛兵らの証言によってその悪事が白日の下に晒され、新体制での逮捕者一号となる。
街の誰もが苦しんでいた中、一人私腹を肥やしていたこの男であったが、後々死刑になるとの事で、どんな場所にもこのような悪い虫が湧くという、苦々しい教訓となった。
現在衛兵隊本部は、失われた人的喪失を補うべく、新規の衛兵を逐一募集し、それを冬の間に鍛え上げるという急務に追われていた。
ベラドンナ討伐の為集められた各地の衛兵らは、衛兵隊長となった五人を除き、全員がそれまで配属されていた村や町へと戻っている。
「――よし、それまで! 昼食をとり、しっかり休め! それが終わったらグループごとに街の巡回、および立哨の任務に移るように。解散!」
簡単な基礎鍛錬の繰り返しで頻繁に白い息を吐く新兵らを前に、オルレアン村の彼は、隊長なりの振る舞いで号令を下した。
多くがこのカルナスの志願兵であったが、それ以外にも少数ながら、他の村などから冬の間の仕事を求めこの街を訪れた若者で構成されていた。
身体の出来ている農村や山村出身の若者はそれなりに体力もあり、基礎鍛錬程度のトレーニングではくたびれた風もないが、都会育ちの街男にとっては中々の過酷さらしく、座り込んだまま立ち上がれない者もまだいくらかは見られた。
そんな若者達を見ながらに、彼はわずかばかり自分の少年時代を思い出し、懐かしい気持ちに浸る。
だが、すぐにそんな感情は追い出し、手を強くはたいて注目させた。
「いつまでも座り込んでいる暇はないぞ! 衛兵は食事すら義務だ。さっさと食べてさっさと休め! 身体を休めるのは、食事をとってからだ!」
「は、はいっ」
「解りましたっ」
急かされ、慌てて立ち上がってのろのろと兵舎へと戻ってゆく。
その背中は頼りなく、まだ兵としては全然出来上がっていない者ばかりであったが、それでも隊長である彼は、厳しく見つめなくてはいけなかった。
「――くすくす、相変わらず厳しいわね、主席隊長殿は」
そんな彼を、別の隊長が笑いをこらえながらに見ていた。
「メアリー。そう笑わないでくれ。私もこれで、新兵との接し方を随分と考えたものなんだ」
メアリーと呼ばれた女性隊長は、によによと口元を隠しながら、彼の正面へと立つ。
多少身長差はあれど、凛とした、気の強そうな女性であった。
「からかっている訳ではないわ。貴方のその厳しさがあるからこそ、私の時にはちゃんと言う事を聞いてくれるし、レガーの時も、年少だからと侮ったりせずに、隊長として話を聞いてくれるらしいから……」
「部隊として考えるなら、指揮を執る隊長の存在は絶対でなくてはならないからな……兵である以上、彼らにはきちんと上下関係というものを理解させなくてはいけない」
「ええ、そうね。だから貴方の厳しさ、とても助かってるのよ。本心ではあんまり望んでいないようだけれど……」
「生憎と、私情の為に態度を変えられるほど器用ではなくてね」
情けないことながら、と、頭をぽりぽり、苦笑いの表情で迎えていた。
メアリーもまた、口元を押さえたままに微笑む。
「さて、貴方も交代の時間だわ。午後からは私が仕切らせてもらいます。引継ぎ事項はあるかしら?」
「午後からの見回りに、昨日入ったばかりのリグシーとミモザが加わるので、そこに少し不安がある。できればそれとなくフォローしてもらえると助かるね」
「解ったわ。任せて頂戴」
「それ以外には特にはないかな。では、よろしく頼む」
「了解したわ。では」
「ああ」
びしりと互いに敬礼を行い、隊長の交代が行われる。
胸元に付けていた隊長章を渡し、彼もまた、新参兵達に遅れて兵舎へと戻っていった。
「……この短期間で衛兵隊をまとめ上げたそのお手並み。さすがはあのオルレアン村の担当だっただけはあるわねぇ」
遠くなってゆくその背を見つめながら、メアリーははにかむ口元を隠さず、その隊長章を手元でぐにぐにと弄って感触を確かめていた。
「あら隊長さん、こんにちは」
「やあミスティー。君のパンが食べたくなって来てみたんだが、何かあるかね?」
「ふふっ、相変わらずお上手ですねえ」
最近の彼は、兵舎近くにあるパン屋の看板娘・ミスティーとちょっとした雑談などをするのが一日の楽しみになっていた。
街でも評判の美人さんだというミスティーは、なるほど、美人揃いのカルナス娘の中でも抜きんでて美しく、愛想もいい。
いつもニコニコと笑っていて、彼好みの娘であった。
「今日はサンドウィッチを多目に作ってみたので、いかがですか? 自家製のベーコンとコカ卵のサニーサイドですよ」
「ほう、サニーサイドはいいな。味付けは?」
「隊長さん好みの塩と胡椒で味付けしてあります。ご一緒に冬穀物のシチューパイなんかもありますけど、いかが?」
「ではそれもいただくとしよう。君の料理は本当に美味いからな。一人暮らしの身にはとても助かる」
「ふふ、ありがとうございます♪」
ニコニコと愛想よく微笑みかけてくれるミスティーは、オルレアン村のアイネと比べても遜色ないほどに愛らしく、街の男達の人気も高い。
今こそほかに客が居ない為独占できているが、日によっては男達の嫉妬のまなざしを受けながらの購入となるので、今日の穏やかさには彼も安堵していた。
「そういえば隊長さん、知ってますか?」
紙袋を渡した後、まるで内緒話でもあるかのように口元に人差し指を当てるミスティー。
「む? 何かの相談かな?」
今まではありきたりな雑談しかなかったので、このような展開は若干新鮮でもあり、彼としてはかなり期待に胸を弾ませていた。
自分の中ではモテない人生を歩んでいたと思っていた中の出来事である。
彼はできるだけ真摯に、紳士的に振舞おうと心掛け、そっとカウンターに顔を寄せた。
「相談とかじゃないんですけど。ほら、前に隊長さん達と一緒に魔人を討伐してくれた人がいたじゃないですか。英雄の」
「ああ、カオルの事かい?」
「そうそう。あの、ちょっと面白い人」
まごう事なきカオルであった。
一般にはカオルの同意もあって、女悪魔ベラドンナと魔人は『衛兵隊との共同での撃破』という事になっている。
彼女も当然、その情報で話しているのだろうと、彼は考えたが。
「そのカオルさんなんだけど、この前、パパがお城に小麦粉を納品しに行ったんですけど、夕方、滅多に謁見できないお姫様の暮らしてる離宮の方に案内されていったのを見たらしいの!」
「ほう、カオルが、お姫様と……」
「そう! これってすごくないですか? 確かに悪魔とかを倒しちゃったのはカッコいいと思ったけど、そんなにすごい人と謁見できちゃうなんて!」
「……はは、そうだね。確かにすごい」
高めのテンションで語るミスティー。案外ミーハーなのかもしれない。
彼はというと、愛想笑いしながら、頭の中で『カオルがそうなる状況』というのを思い浮かべてみて、複雑な気持ちになっていた。
(嫌な予感がするな……変なことに巻き込まれていなければいいが……)
複雑な人間関係、政治的な対立、王位継承問題、王妃と妾の対立。様々な問題が考えられた。
カオルは人が善いからそのようなものでも頼まれればすぐに受けてしまうかもしれないが、そういった問題は多くの場合、複数の事情が複雑に絡み合っていて、一つ解決すればすべてが丸く収まるというものではなかったりもする。
一歩間違えば、善意で助けたことが元になって国家存亡の危機に陥る事すらある訳で、そのようなことに友人が首を突っ込んでしまわないかと、唐突に不安になってしまったのだ。
そうして、不思議と「それは当たっているんじゃないか」と思えてしまった。
嫌な汗が頬を伝う。
「お姫様って、幼少の頃からお身体が丈夫じゃないらしいって聞きますけど、どんな方なんでしょうね。王様の顔とかは絵画で見た事がありますけど……」
「ああ、確かにあんまりお顔を描かれたりはしないね。好奇心旺盛で、だけど臆病で……」
「そうなんですか?」
「ああ、いや、なんとなくそう思っただけさ。面白い話をありがとう」
「いえいえ。また来てくださいね♪」
可愛らしい笑顔と共に手を振り振り。
他の客にあまり見せない仕草で、彼としても「これは特別な態度なのでは」と勘ぐってしまったが、すぐにその考えを頭の隅へ追いやり、本筋へと戻す。
(……姫様とカオル。一体どのような……ただ話すだけならいいのだが)
なんとなしに抱いた嫌な予感ではあったが、この時はまだ、彼は自分が巻き添えにされる前提で事が動いていた事など、微塵も知らなかったのである。
カルナスの街を、冷たい風が吹き荒れようとしていた。