#4.ステラ王女の願い
お姫様と二人。庭園でしばし、風に吹かれていた。
無言に支配されていた中、カオルは再度、この可愛らしいお姫様を前に、緊張が高まっていた。
見た目、14歳ほど。何せ本物のお姫様らしいお姫様である。
どこぞの猫の皮を被っている猫耳娘と違って、最初からお姫様として自分の前に立っているのだ。
カオルは、自分ではサララ一筋のつもりではあったが、それでも緊張は拭えなかった。
「トーマスは、いつもああなのです。普段はとても勤勉な忠義者なのですが、どうにも暑苦しく感じてしまう事があって……」
「ああ、なんとなく、解る気がする……」
困ったように眉を下げるお姫様に、カオルも同意した。
ここにきてからの様子を見るに、「きっと普段から姫様姫様言ってまとわりついてたんだろうなあ」と思い、「このお姫様なりに苦労しているのかも」、と同情していた。
「でも、本当に頼りになる者なのです。誰よりも城内の事を大切に思ってくれて……彼のおかげでこのお城はまだ、大変なことにならずに済んでいるのですから」
そう語る姫君の瞳は、どこか悲しそうに揺れているように見え。
カオルはただじ、とお姫様を見つめ、話が本題に入っていくのを待っていた。
「今、このお城では大きな二つの勢力が存在しています」
「二つの勢力?」
「はい。一つは、継承権一位の私を担ぎ上げようとする、私の母、テリア王妃の勢力」
細い指を一つ立て、姫君は静かに目を閉じる。
「もう一つは、継承権二位の、私の弟アレク王子を立てようとする、侍女長の勢力」
二本目の指を立て、小さくため息をついて、また瞳を開いた。
「この二つが今、水面下で激しく対立しているのです」
ここにきて、カオルは先ほどのトーマスと王妃との会話をなんとなく思い出していた。
どこかギスギスとした雰囲気。あれは城内の対立を表す、どろどろとした得体のしれない何かだったのだ。
『本当は怖い王城の真実』みたいな解説本じみたものを思い浮かべながら、頬に流れる汗を感じ取る。
できれば関わりたくないなあと思いながら。
「お姫様はその、弟さんと対立してるって事なんです……か?」
「私は弟と対立したいとは思っていないのですが……あ、無理に堅苦しい言葉遣いをしなくても大丈夫ですよ。市井の方と話すのも、初めてではありませんから」
「あ、そう……うん、解ったぜ」
なんとなしにお姫様相手なので、と無理に敬語じみた変な言葉遣いになっていたのだが、このお姫様はそういうのはあまり気にしない人らしく、にこりと笑って楽なように話す事を許してくれていた。
おかげで、カオルも安堵して元の言葉遣いに戻る。
「私が継承するにしろ、弟が継承するにしろ、事を荒立てたくない、というのが、私も弟も互いに抱いている本音なのです」
王位継承権というと、どうしても継承者のお姫様と弟とで激しい争いが起きているのかと思ったカオルであったが、実際にはそういうものではないらしく。
それだけに、お姫様が望みもしない対立をしなくてはならない状況にある事に、心を痛めているらしいことも、うっすら、伝わっていた。
「ですが、このままだと恐ろしい事になってしまうのです。カオル様、どうか、私に力をお貸しくださいませ」
祈るように手を組みながら、カオルを見つめてくるお姫様。
詳細はまだ説明されていないままだったが、それでもカオルはさっきまでの「関わりたくねぇな」という気持ちがどこかに吹き飛んでいるのを感じていた。
お姫様のお願いである。こんないかにもなシチュエーション、胸が高鳴らないはずが無かった。
「……詳しい話を聞かせてくれよ。今のままじゃ、まだよく解らないからさ」
内心で「これを断ったら本物じゃないよなあ」と思いながらも、カオルはできるだけきりっとした顔でお姫様を見つめる。
こんな可愛いお姫様にお願いされて、それを断るようでは、英雄など語れたものではない。
彼なりの英雄としての矜持が、それといくばくかの暴走が、姫君の願いを受け入れる方向にシフトさせていた。
「ありがとうございます」
ぱあ、と明るく笑う姫君に、カオルもどきりとしてしまうが。
すぐに「俺にはサララが居るから」と顔をぶんぶんと振り、邪念を振り払う。
その様を姫君は不思議そうに眺めていたが、やがて右手を前に、近くにあったティーテーブルへと向けた。
立ち話もなんですから、という意味なのだろうと受け取り、カオルも無言のまま頷いた。
「両者の対立そのものは、弟が生まれてから始まったのですが、城内が今のようになってしまったのは、私の縁談が持ち上がった事が発端になっているようでして……」
促されるままに席に着くカオル。
お姫様も遅れて椅子に座り、話が進む……前にカオルが手を挙げた。
「あのさ、王妃は解るんだけど、なんでその対抗馬が侍女長なんだ? 侍女ってあれだろ? メイド服着てる人だろ?」
「それはメイドですね。侍女はドレス姿で、貴人の傍に控えているものですから……」
「あー……って事は、王妃様の周りにいたあの取り巻きの人達か……」
「お母様にお会いになられたのなら話が早いですわ。カオル様の仰る通り、お母様の周りにいた女性達が侍女です。侍女長はそれを取り仕切る長ですね」
「なるほどなあ……でも、説明されてもやっぱり、王妃様と侍女長じゃちょっと格が合わない気がするぜ」
お姫様の説明で侍女長という存在がなんとなく定まりつつあったが、それでもやはり、王妃と侍女長では比べ物にならない気がしたのだ。
侍女の長よりも王様の奥さんの方がずっと偉いはずなのに、と、疑問がグルグルと回っていたが、お姫様は笑う事もなく、じ、とカオルを見つめ、そしてまた口を開く。
「そうでしたね。カオル様は城内の事は何もご存じないんですもの。細かい説明からした方が良さそうですね」
「ああ、そうしてくれると助かるぜ」
王族のイメージというと、もうちょっと居丈高だったり我が侭だったりするものだと思っていたカオルにとって、このお姫様はかなり親切で、いい意味でイメージとはかけ離れていた。
これだけ可愛くて庶民にまで優しいのだから、きっと人気があるに違いない、とも。
そうは思いながらも、難しい話になりそうなので、ぐ、と腹のあたりに力を籠めて備える。
「侍女長は、元々はお妾殿がお城に入る以前から付いていた侍女なのですが、その関係もあって、弟が生まれた際にはお妾殿直々に乳母になるようにお願いされたらしいのです」
「乳母って事は、侍女長が王子様を育てたって事?」
「はい。お城の外にはあまりない風習なのかもしれませんが、王族は直接両親に育てられるのではなく、教養のある、規範となる親代わりの人間に育てられるのが習わしでして……」
この辺りの感覚はカオルには今一理解できず、「親がいるのに親が育てないなんてなんか寂しいな」と思ってしまったのだが、一般の家庭ならともかく、王族という特別な存在ならその辺りの事情も全く違うものになってくるのかもしれないと思い至り、ただ聞くに留めていた。
実際、話しながらにお姫様もさほど寂しそうでもないので、「そんなもんなのかな」と感じたのだ。
「お妾殿自身は、お母様の後からお城に入ったのもあり、あまり弟の王位には固執していないようなのですが……侍女長はそうでもないらしく、どうしても弟を次代の王にしたいらしいのです」
「育ててるうちに可愛くなっちゃったのかな」
「恐らくは……それ自体は悪いことではないのですが。弟もよく懐いているようですし」
少し困ったように眉を下げながら、お姫様は頬に手を当てる。
このように説明しながらも、彼女自身は、それほど侍女長に悪感情を抱いている様子はなかった。
自分の母親と対立している相手ではあっても、「弟の乳母だから」という感情の方が強いように、カオルには感じられた。
「私も、もう縁談があがってもいい年頃になっていたので、そういう話があがること自体は覚悟していたのですが……困った事に、その『相手の方々』が少し……いえ、すごく……なんといいますか、とても困った方達でして……」
(侍女長の時といい、人の悪口とかあんまり言えない子なのかな)
歯切れ悪く説明を続けるお姫様に、カオルはなんとなしにそんな感想を覚えた。
とにかく言い難そうに、なんとか言葉を選び選び、聞いてもいない相手が傷つかない様に話しているように見えたのだ。
この辺りサララなら平然と相手の欠点を言ってそうなのもあり、こんな風に配慮ができる異性は新鮮に映っていた。
「そんなにアレな人達なの?」
「ええ、まあ……二人いるのですが、二人ともが……何故そういう人選になったのか解らないのですが、どう考えても……国が傾くとしか」
「そこまでかよ」
単純に性格が悪いとか不細工とかそんな感じのを想像していたカオルにとって、これは予想の上を行く酷さであった。
どちらとくっついても国が傾くの確定な地雷とあっては、それは困るだろうとカオルは改めて同情した。
「なんでまたそんな相手なの? 政略結婚とか?」
「解りません……政略にしても、二人とも我が国の人間ですし……ただ、結婚相手を、という話になって手を挙げたのがその二人だけだったと聞いたので……」
「……」
こんな可愛い女の子が結婚相手を探しているのに、他国からは何の声もあがらなかった。
そして候補者として声をあげたのが地雷の二人だけだった。
これだけでもう、カオルは何かきな臭い物を感じずにはいられない。
同時に、このお姫様がそのど真ん中で巻き込まれて困り果てている今の状況の不味さも、よく解ってしまう。
「あの、これって、私に魅力が無いのが悪いのでしょうか……? 私がもう少し魅力的だったなら、色んなところから候補があがって、このような事態には――」
「いやいやいや。お姫様はすごく可愛いと思うぜ? 多分誰が見てもそう思うはずだ」
目に見えてがっくりしていたので、カオルも慌ててフォローに入る。
確かに結婚相手を募集して現れたのが地雷二人では、お姫様のショックも計り知れないはずだ。
お姫様にだって立場っていうものもあるだろうし、お姫様なりのプライドもあっただろうにこの結果なのだ。
流石にあんまり過ぎるだろうと、カオルも同情した。
というか、さっきから同情しまくりである。感情移入しまくりであった。
「ありがとうございます。実はちょっと自信を失くしかけてしまっていて……ちょっとだけ安心しました」
「自信持っていいぜ。俺の連れも可愛いけど、お姫様と違って性格に難があるしな。そんな奴でも俺はずっと一緒に居たいと思ってるし……お姫様なら、きっと選り取り見取りなはずだよ」
「くすっ……カオル様って、ユニークな方ですね――はい。今回の事は、何かの間違いだと思っておきますわ」
「ああ、それがいいぜ」
なんとか持ち直してくれたみたいなので、カオルも一安心である。
(やっぱり、女の子は笑ってた方がいいよなあ)
しみじみ思いながらに、カオルは微笑みを見せてくれるお姫様に、内心ドキドキしていた。
笑っている女の子は可愛い。それは誰であっても同じなのだが、やはりこのお姫様は頭一つ分抜けていたのだ。
サララと出会っていなかったら、解ったものではなかった。
「候補者の一人……こちらは大臣の次男で、私の幼馴染なのですが……この方は度を越して女好きでして。素行も悪く、何度父親から窘められても直らないのに候補になってしまって……正直困惑しています」
「女好きかぁ……でも、ある程度可愛い女の子に色目使うのは仕方ない部分もある気がするぜ。それに、幼馴染なら案外勝手が知れてるんじゃないの?」
「ええ、まあ……綺麗な方に気が向いてしまうのも、女性に優しく振る舞いがちなのも、それ自体は決して悪いことではないとは思うのですが……彼の場合はその、いやらしいのが問題でして」
「……下心全開はちょっとなあ」
あくまで女性側の視点から見ただけでは問題点は見えないのではないかとカオルは考えたが、男の視点から見ても下心全開なのは明確に問題点だと思えた。
ましてお姫様にそれがバレバレというのが痛々しい。
せめてバレないくらいに抑えればいいのに、とは本人と会っていないカオルだからこそ思えた感想だろうか。
「優しい殿方は素敵だと思います。ですが、会う女性会う女性皆いやらしい目で見るような方とは、結婚なんてできません」
「うん、まあ、そうだよな……お姫様も苦労してるなあ」
「……はぅ」
出会ってほとんど経たないお姫様ではあったが、その話を聞けば聞くほどに、男の業の深さというのを感じずにはいられず、「こんな風にはならないようにしないとなあ」と、反面教師に思えてしまっていた。
「もう一人の方は……こちらは私の叔父上なのですが」
「叔父上って……そんなに若い人なの?」
「いいえ、今年で43になる方ですわ。歳相応の顔だちでいらっしゃいます」
「43って……おっさんじゃん」
このお姫様が14かそこいらとして、相手となる候補の一人が43歳。
元の世界でも十分おっさんだが、この世界においては寿命一歩手前の扱いのはずだった。
流石にそれは差が開きすぎるんじゃ、とカオルは驚き目を見開いたが……お姫様は、俯いてしまっていた。
「まあ、どんなにいい人でも歳の差が開いてると抵抗があるよな。しかも叔父さんじゃな」
「あの方はどちらかというと……歳が離れている方が嬉しいようですが。私がまだ10に満たない頃から、毎月のようにラブレターを送ってきましたから」
「うげ……そ、それは、ウケを取る為とかじゃなく……?」
「……内容を見る限り本気のようでした。正直、気持ち悪かったです」
ますますトーンダウンするお姫様。
カオルもあわせてテンションが駄々下がりになった。
「ロリコンの上に姪っ子に手を出そうとするとか救いようがねぇ……」
「……はい。しかも叔父ですから――」
叔父ですから、の後には何も続かなかったが、何を言おうとしていたのかは察するに余りあるほどであった。
あんまりにも沢山の悲しみがこのお姫様に集中している気がして、カオルは思わず涙目になった。
しばし嫌な沈黙が続いたのち、なんとかカオルが考えをまとめ、場を取り繕うように口を開く。
「ひとまず婚約者の話は解ったけどさ、お姫様はその話があがって、何も行動を起こしたりしなかったのかい? なんか、今の説明だけだと流されるままになってたように感じるんだけど……」
「そんなまさか!? 私も、できる限りの事はやりました。お父様に何度も『あのお二人との結婚だけは無理です、許してください』とお願いしましたし、お二人にも諦めていただけるようお手紙を書いたりしましたし……」
お姫様なりにできる範囲で状況に抵抗しようとしてはいたらしい。
それでも、明日には婚約者発表のパーティーだというのだから、お姫様なりにかなり切羽詰まっているのがカオルにも窺えた。
「――だというのに、それが悪かったのか、今度は候補者の二人が目に見えて対立するようになってしまって……実は、城内の状況が悪いのは、これが一番の原因のようなのです」
「言いづらいけど、お姫様なりに自分の為に動いた結果、状況が悪化しちゃったって事か……?」
「……残念ながら」
お姫様が結婚相手を拒絶した結果、城内の雰囲気が酷くなった。
これでは確かに、お姫様としては居心地が悪いに違いなかった。
「あれ? でもそれが原因で城内の雰囲気が悪いのなら、さっき話してた王妃様と侍女長の対立っていうのはなんだったの?」
さっきまでの話を聞けば確かに納得できる部分もあったのだが、それとは別に、カオルは最初にお姫様が話していた事との矛盾点に気づく。
少なくとも今聞いた限りの話では、最初の二人の話は全く絡んでいないように思えたのだ。
「実は……候補に名乗りを上げた二人ともが、お母様とは距離を置いている立場……つまり、侍女長の側なのではないかと、城内で噂が広がっていて。更に私が二人を拒んだ事もあって、お母様がそれを悪戯に城内に広めてしまい、侍女長を追いつめようとしたらしいのです」
「なるほど……だけど、追いつめるに追いつめきれず、婚約者二人の対立も重なって今みたいな状況になっちまってる訳か」
「噂はあくまで噂というだけなのかもしれませんし、実際問題、弟の乳母である侍女長は、お母様と比べてもそれほど軽い立場でもないので……いかに王妃といえど、そう軽々しく追いだせる訳ではないようですね。お父様の目もあるでしょうから、あんまり目立つような事もできないでしょうし」
「そっか、侍女長を変な形で追いだすと、お妾がそれに気づいて王様に告げ口されちゃうかもしれないのか」
「お妾殿はそんな意地の悪い方ではないと思うのですが……その可能性を考えると、お母様も迂闊なことはできないのでしょうね」
結果、双方ともがガス抜きもされないまま対立しあっているという現状が続いているのだ。
このままではいつか暴発してしまうというお姫様の考えは、カオルにも素直に頷けるものがあった。
「事情は分かったけどさ、俺はその問題を解決すればいいのかい? でも、こういうのって難しい『せいじ』とか『ないせい』とかの問題だよな……? 俺、社会の点数はそんなには……」
他国言語に比べればマシではあっても、正直社会もそれほど得意ではなかった。
王宮の中の事なので、そういうレベルじゃない事はカオルもなんとなく解っているつもりだったが、それにしても複雑極まる問題のように思えたのだ。
だが、そんなカオルに対し、お姫様はふるふると首を振る。
「いいえ。カオル様にお願いしたいのは、それらの状況を少しでも緩和する為の行動なのです。私一人ではどうにもできないので、どうしても外部の方の協力が必要でして……」
「てことは、既にやる事は決まってるのか。どんな事を?」
やる事が決まっているなら早いや、とカオルは姫君の言葉を待つが。
姫君はわずかの間躊躇したように目を伏せ……それから、意を決したようにきり、と頬を引き締め、カオルを見つめた。
「カオル様……私を、このお城からさらってくださいませ!」