#3.お姫様との出会い
ドアの先から聞こえた、予想外に威圧感のある声に、カオルは一瞬戸惑ったが。
自分は英雄だから、と、頬をパン、と叩き、すぐに対応しようとして、ぴた、と止まる。
窓の外から視線を感じたのだ。見てみると、ベラドンナが逆さまに止まり、きーきー鳴きながらこちらを見ていた。
「あ、えっと……ごめん、風呂から出たばっかだから、ちょっと待っててくれないかな」
『む、これは……承知した。お気になさらず、ごゆるりと』
どうやら急ぎの用事でもないのか、扉の先の『トーマス』はカオルを待つつもりらしかった。
嘘をついてしまった形になるが、とにかく今は窓の外のベラドンナが優先だったので、すぐに窓を開ける。
「ごめんなベラドンナ、とりあえず今日のところはその格好のままで頼むよ。腹が減ったら、サララのところにいけば何かあるからさ」
ドア向こうの相手に聞こえないようにぼそぼそと語りかけ、手を合わせる。
ベラドンナはそんなに気にした様子はなく、カオルの言葉に「きー」と威勢よく答え、びしっと翼を折り曲げ敬礼めいた挨拶をして飛び去って行った。
(……あいつ、結構器用だよなあ)
動物として生きるのも、割と楽しいかも知れないなどと変な事を考えてしまうカオルであった。
「待たせてごめんよ。どうぞ」
ほどなくドアを開くと、そこには声の通り白髪頭の、いかつい顔の老騎士、といったいでたちの男が立っていた。
案内されていた時に見かけた他の兵士たちと違い、鎧は銀色に輝き、肩から胸にかけての軍章も鮮やかであった。
「うむ。休んでいる所にすまぬ。実は我が主が、直々に貴公と面会したいと申すのだ。何も聞かず、ついてきてはもらえぬか?」
眼光鋭いこの老兵に見つめられると、カオルはもうそれだけで委縮してしまいそうになったが。
この城兵隊長殿の主と聞けば「王様の他にはいないだろう」とカオルは考え、口元を結んで小さく頷いた。
それを了承と受け取ったのか、トーマスもにぃ、と口元を緩める。
決して穏やかな笑みではないが、敵意の緩んだ平時の顔のように、カオルには感じられた。
「では、こちらへ」
「ああ、ちょっと待ってくれ。俺も見知らぬ人と会う時は、それなりの格好になりたいから……」
「うむ。それもそうだな……パジャマ姿ではいささか都合が悪いか。ではしばし待つ故、仕度を」
「解った」
それだけ告げて、武骨なる老兵は部屋の外へと出ていった。
だが、その存在感、扉を閉めてなおひしひしと伝わるほどで、カオルはじとり、背筋に嫌な汗を感じていた。
(なんか知らないけど、敵に回したらやばそうな爺さんだなあ)
ドラゴンやベラドンナなど、強敵と相対した時に感じたものと同じような緊張を、この時もまた、感じていたのだ。
そんな空気のまま、着替えなくてはならない。
折角風呂に入ったというのに台無しであった。
仕度自体は簡単なもので、カルナスで買った街男風の格好になって、腰に棒切れを差して、準備は完了である。
外出の際にはこれにターバンやバンダナなんかを巻けばいいと思っていたが、城内を歩くならば不要と考えたので、これだけに留めた。
「待たせたね」
「うむ。ではこちらへ」
部屋を出ると、すぐに歩き出してしまうトーマス。カオルもせかせかとその後についていった。
トーマスは歩く速度こそ速かったが、癖なのか、角を曲がる際には必ず周囲を窺うようにしながら曲がる為、カオルはその都度追いつくことができた。
一応、カオルがちゃんとついてきているかは振り向かずとも把握しているのか、あまり離れるようならば足を止めてくれる為、一人ではまるで道が解らないカオルも、置いてけぼりを喰らう事はなかった。
そんなこんなで、いくつもの複雑な道を進み、いくばくかの時間が経過した時の事。
「――これはこれは、城兵隊長殿ではありませんか」
通路の向こう側から、女性ばかりの一団と出くわしたのだ。
そのほとんどはカオルとさほど変わらぬほど年若い、それでいて黒や灰色などの大人しめなドレス姿の者であったが。
中心に立つ金髪の女性だけは、他の者とは明らかに異なる高貴ないでたちの、凛とした面持ちの女性であった。
「……王妃殿下」
「夜分の見回りご苦労様、と言いたいところですが、見慣れぬ者を連れているようですね?」
「陛下のご希望により本日登城された賓客でござる。何か?」
「陛下よりの……というと、先日の『魔人』を倒したとか言う……?」
「そのようですな」
城兵隊長と王妃と聞けば、カオルでも君臣の関係にあると解るのだが、それにしてはこのトーマスという男、王妃と呼ばれたこの女性には、あまり敬意を向けていないように感じられた。
言葉こそそれらしく繕ってはいるが、視線などは伏せたまま、言葉も淡々と伝えるのみである。
「それは素晴らしい! パーティーでは楽しいお話が聞けそうですわね」
「……先を急ぎます故」
そうして、トーマスは楽しげな王妃の言葉を遮り、先を進もうとする。
「トーマス殿、王妃殿下に無礼ではありませんか?」
「これだから軍人は……」
「貴方には王家への忠誠心というものがないのですか?」
周りのとりまき達がこれみよがしにトーマスに向け非難の言葉をぶつけていくが、トーマスがぴた、と足を止めると、娘達は途端に顔を青ざめさせた。
無理もない。カオルですら背筋が凍るほどの殺気が、隠されぬままに娘達に向けられていたのだ。
直に浴びた娘達は、もはや生きた心地すらしていない事は、カオルにも容易に伝わった。
「わざわざこのような事を申さずとも解っておるとは思うが……侍従の質が主の質と見られるが城内での常。であるならば……かような軽口は、己が主を貶むる行為と思わねば、な……」
「ひっ……」
「あ、ご、ごめんなさ……」
「……この娘達は、まだ私に付いて日が浅いのです。私を想っての事、騒ぎだては容赦願いたいですわ」
娘達が涙目になってビクついている中、王妃だけは身震い一つせず、じ、とトーマスを見つめ、微笑んでいた。
それを見て、トーマスも「そうですな」と、また背を向ける。
「王妃殿下。もう夜も更けて久しいですので、あまり城内を歩き回りませぬよう。近頃は何かと物騒ですので、な」
「お気遣い痛み入りますわ。城兵隊長殿も、どうぞお気をつけてお役目を」
「では、これにて」
「ええ」
口調こそ互いに穏やかなものであったが。
その場に居合わせたカオルや他の娘達は、いつ何が起きるか解らず早なる胸音を抑えるのに必死であった。
カオルなどは「うわあギスギスしてるよやだなあ」と始終巻き添えを避けようとだんまりを通していたほどで、とりあえずは何事もなくこの場を離れられるようで、安堵していた。
「……なあトーマスさん。今の人、王妃様って言ってたけど……」
段々と場内から外に向かっているような気がする中、なんとなしに先程の会話を思い出し、王妃と城兵隊長の関係性を聞きたくなって声をかけたカオルであったが。
「カオル殿」
「うん?」
「余計なことは詮索しなくてもよろしい。城内の事は外部の者がいたずらに関わってよい事ではない。首が離れますぞ」
「……うん。気にしない事にするよ」
「それがよろしい。英雄殿は物事の機微に聡いらしい」
突き放したような恐ろしい一言を聞かせ、そのままに歩くトーマスに、カオルはもう、それ以上話を聞くことはできなかった。
結局それきり、男二人、黙ったままに歩き続けた。
城の離宮。その中庭のようなところで、その人は待っていた。
「――お待たせいたしました姫様。件の『英雄』殿をお連れいたしました」
輝くような金色の、ウェーブがかったロングヘアー。
厚手の桃色のドレスに、柔らかな木目色の肩掛けなどを羽織った小さな肩。
白い肌に切れ長の青い瞳。白いグローブがその細い繊細な指先を護るように当てられ、上品に覆い隠す。
美人というよりはまだ可愛いといった顔だちの、全体的に華奢な印象を受けさせる美少女。
(……すげぇ、どこからどう見てもお姫様だ)
空気から伝わる高貴なカリスマとでも言うのか。
カオルから見ても解るほど、それは明らかに一般人とは異なる、『お姫様』をしている少女であった。
「城兵隊長さんの主って言うから、俺はてっきり王様のところに連れてこられるのかと思ってたぜ」
「うむ……隠していてすまなんだな。どこに耳があるか解らぬ故……カオル殿、紹介しよう。我らが主、ステラ王女殿下であらせられる。この国の第一王女で、王位継承権第一位のお方だ」
それまで特に何も感情を含ませないか、あるいは不機嫌そうに黙っていたトーマスであったが、このお姫様の前に立った途端、どこか嬉しげに鼻息荒く説明を始めた。
その点お姫様の方はというと見た目に見合って慎ましやかで、ちょこんとスカートの裾を持ち上げ、可愛らしい挨拶をしてくれるばかりである。
カオルもお姫様らしいお姫様と対面するのは初めてだったので、どう接したものか解らず、「どうも」と、庶民じみた適当な挨拶しかできなかった。
「私は、この姫様をお守りする事に常日頃、心血を注いでおる。命を懸けているといっても過言ではない。それほどまでに強く、熱く、深い忠誠心を――」
「トーマス、もういいです」
熱く暑苦しく語り始めたトーマスを、お姫様はばっさり切り捨てた。
「しかし、姫様。何も知らぬ者に姫様の魅力をお伝えするには――」
「この方とお話しがしたくて呼んでもらっただけですから。貴方はもう、持ち場に戻ってください」
なんで、と、はしごを外されたような顔をしていたトーマスを気にする様子もなく、お姫様は「いいから」と追い払う。
トーマスはちょっと泣きそうになっていた。
「で、では近くで待機しておりますので、何かありましたら――」
「持ち場に戻ってください。ここには私達以外には誰もいないはずですから。それより、お城の中が怖いのです」
「……はっ」
どうやらただ厄介払いしたいだけ、という訳でもないらしく、姫君の言葉に、トーマスも苦々しい顔をしながらも頷いていた。
それから、二人してカオルの顔を見るのだ。
お姫様の顔はとても愛らしい微笑みであったが。
トーマスは、じろりと睨みを利かせ、更にカオルに顔を寄せてくるのだ。
(こわいこわいこわい……)
「私は故あってこの場を離れるが。姫様に何かあらばこのトーマス、例え地の果てであろうとはせ参じる覚悟故、つまらぬことはしてくれるな……?」
「わ、解ってるよ。何もしないよ」
カオルをして「この人マジでやばい」と思わせる迫力である。
怖いのだ。純粋に怖い。敵に回したら本当に地の果てまで追い回してきそうで、洒落になっていなかった。
「うむ……では姫様、失礼いたします――」
未練がまだ残っているのか、一度だけ振り返ったりしていたが。
トーマスはそれ以上何かを言う事もなく、そのまま去っていった。