#2.城兵隊長トーマス
翌日。
ようやく王城へと到着したカオル達は、城門の前で兵士に事情を説明し、城内へ案内してもらった。
通された先の部屋で寛いで待っていると、いかにも偉そうな、黒のスーツ姿の男が一人。
まだ年若いながら、キリリとした面持ちの眼鏡の男は「陛下よりのお言葉を預かった文官の者だが」と挨拶も短めに、カオルらの前に立つ。
「今回、君達の活躍によって無事、魔人の一人であるゲルバ……ベドスの封印を確認する事が出来た。これは、この時代における魔王の復活を防ぐ偉業とも言える功績だ。特にカオル君。オルレアン村から続く君の武勇を聞いた陛下が、名誉騎士として是非召し抱えたいと仰せになられた」
「召し抱える……?」
魔人の呼びにくい名前に噛んでいた事に笑いそうになっていたカオルであったが、『召し抱えたい』と聞き、その意味を考えてしまう。
いくら学の無かったカオルとは言え、ゲームなどでそういったらしい言葉はいくらか目にした事はあった。
むしろこういった事はゲームばかりしていたカオルにとっては英語よりは解りやすい言葉であり、なんとなしにその意味も理解する。
(俺を部下として雇いたい、って事かな……騎士、騎士かぁ)
その響きはとても格好いいし、王様に雇ってもらえるなら少なくとも生活に困る事はなさそうだと、魅力を感じてはいたが。
隣に立つ、澄ました顔の猫耳娘の顔を見て、一瞬その考えを忘れる。
「……」
どこか面白くなさそうな、神妙な面持ちのサララ。
だが、カオルがじっと見ている事に気づいてか、ぱっと笑顔になる。
「どうかなさいましたか?」
なんで私なんて気にしてるんですか? とでも言わんばかりの、作り笑顔であった。
少なくともカオルにはそう感じられた。
「別にぃ~? 口元にお弁当つけて何澄ましてるんだこいつはって思っただけだぜ?」
「――なっ!?」
カオルの指摘に、目を見開いていそいそと背を向け屈み込む。
そうして必死に指など当てて口元についた食べかすを取ろうととしているらしかった。
勿論、そんなものはついてないのだが。
「ぷっ」
そして、その様に笑ってしまう。
そう、こんな感じでいいんだ、と、カオルは腹を決める事にした。
「ついてないじゃないですかっ!?」
ようやく騙されたことに気づき、サララは抗議めいた眼で「どうしてそんな事するの?」と睨みつけてくる。
だが、これでいいのだ。カオルにとって、これで正解だった。
この女の子は、こんな風にしててくれた方が良かった。
「あのー……」
ちょっとだけ和んだカオルに対し、強く睨みを利かせるサララ。
そうして文官は一人この空気に馴染めず、困ったように眉を下げていた。
「いや、ごめんよ。悪いけど俺は王様の部下になるつもりはないぜ。騎士様の身分っていうのは魅力的だけどさ、俺は俺が助けたい奴を助けるから」
「えっ……!?」
予想外、とでも言わんばかりの声は、カオルの隣から聞こえていた。
――そんなに信用無いのかな。俺って。
馬車でのやり取りといい、そんな簡単にサララと二人きりの楽しい日々を捨てるはずがないじゃないかと、カオルは苦笑してしまう。
サララとしては不安で仕方なかったのかもしれないが、カオルはこの生活を捨てる気など更々ないのだ。
そのくらいは解っていてほしかった。
「なんたってほら、俺は英雄だからさ。それもただの英雄じゃないよ? 女神様のお墨付きだから、な!」
ばっちりと胸を張って見せる。
これくらいの自信、これからははっきりと表に出さなくてはいけないのだ。
隣に立つこの猫耳少女は、そういう自分が好みなのだから、と。
「……そうか。残念だが仕方ないな。陛下には私の方から伝えておこう」
「ああ、うん。なんかごめんね。折角お城に招待してもらったのにさ」
意外にも強くは出てこないこの文官には、カオルも申し訳ない気持ちになってしまう。
カオルにしてみれば、自分たちは観光気分で来たのだから長旅が辛い以外には何もないが、向こうは向こうで何かしら考えがあってそのように提案をしてきたのだろうから、これを突っぱねたのはやはり、負い目を感じていたのだ。
だが、文官はそんなカオルに「いいや」と笑い掛けてくれた。
「君がその……得体の知れない女神の願いの元、オルレアンにやってきたというのは部下から聞いていたからね。しかしそうか……君はやはり、そのように自由を望むか……陛下の仰ったとおりだ」
「王様が?」
「うむ。私には詳しくは解らないが、『女神に導かれた者は皆そのように考えるらしい』と聞いてね」
「へぇ……俺以外にも、そういう人がいるのかな。ちょっと気になるかもな」
「詳しくは、明日のパーティーの時にでも直接聞いてみると良い。陛下も、君達と会うのを楽しみにしているからね」
期待して待っていてくれ、と、人が良さそうに笑う文官。
カルナスの衛兵隊本部で会った文官とは違って、本心から好意的に感じてくれているようだと、カオルはなんとなくそう思った。
「パーティーが開かれるんですか?」
「ああ。我らが姫様の婚約者が、もう間もなく決まるとの事でな。今回はその発表も兼ねてのものになるらしい。君達もタイミングが良かったね」
「それは楽しみだな……サララ?」
「んん……そうですねー。楽しみですねー」
にこやかぁに笑っていたサララが、一瞬だけ陰りを見せたように見えたのは、カオルだけだったのか。
文官と変わらず会話を楽しむ余裕を見せるサララは、それ以外は特に変な様子もなく、始終澄まし顔であった。
「サララとは、別の部屋になっちまったかあ」
昼食を挟んで、夕方までの文官との面会が終わると、メイドが二人呼ばれ、夕食。
その後、部屋の案内についてくれた。
途中でサララは別の部屋に通され、カオルは一人、この広い部屋へと案内されたのだ。
「ご一緒の部屋の方がよろしかったですか? ダブルベッドに変える事も出来ますが――」
「あ、いえ……大丈夫です」
ダブルベッドという単語がどうにも卑猥な言葉に聞こえてしまい、カオルは頬が赤くなったのを隠すように窓の方を眺めた。
外が暗いので楽しむに楽しめないが、階層的にはお城の二階部分。
相当な高さのようなので、朝眺めたならばそれなりの風景が期待できるように思えた。
頬の熱が引いてから部屋を眺めれば、ホテルの一室、いやそれ以上に豪奢にも感じるしつらえ。
ガラスの一枚一枚にすら鮮やかな模様が付けられ、床には暖かな獣の敷物。
置かれている壺や壁に掛かっている絵画の価値は解らないまでも、とにかくそれが全て『本物』のように感じられる。
素人が見てもそう思えるくらいには、金が掛かっていそうな客室であった。
「シャワールームはこちらのお部屋に。浴室はその隣にございます。こちらは自由に使っていただいて結構ですので、必要でしたらどうぞ」
「あ、はい」
「何がございましたらこちらのベルを鳴らしてくださいませ。すぐに私どもが駆け付けますので――夜分のお申しつけも、ご遠慮なく」
「う、うん、ありがとう」
「では――よき夜を」
この、『本物のメイド』という見た事もない存在に必要以上にドギマギしながら、カオルはなんとか受け答えし、出ていくのを見守っていた。
姿が見えなくなって、ようやくほっと一息である。
長旅で疲れてはいたが、カオルはひとまず、風呂に入る事にした。
馬車での旅は大変で、それでもそれなりに楽しく、だが、こうして一息つくと、くたくたになった脚が、腰が、と、痛みが無い訳ではない。
ゆっくりと休んで、明日のパーティーとやらに備えたかったのだ。
「それにしても……夕飯のあの肉の照り焼き、美味かったなあ……」
シャワーを浴びた後の豪勢な浴槽の中。
思い浮かべるのは、先ほどサララと一緒に食べた、よく解らない肉の料理である。
サララも目を輝かせて夢中になっていたが、カオルなどはお代わりをしてしまうほどで、とにかく腹に詰め込めるだけ食べ続けたほどである。
メイド達も、そんなカオルを笑ったりはせず、粛々とお代わりを運んでくれたため、そこまで恥ずかしい気持ちにならなかったのも大きかった。
気が付けば満腹を超え、少し脇腹が痛いくらいだったが、それはそれは幸せな気持ちに満たされたものである。
「あのソース、なんなんだろうな。ちょっとレモンっぽい味がしたし、もしかして何か果物使ってるのかな。明日の飯の時にでも聞いてみようかな」
この世界で今のところ最高の味わいだったが、次に考えたのは「なんとか再現できないかな」という、料理人のそれであった。
新境地に目覚めたような気分。
新たな料理の可能性に気づき、カオルはまた、強い意欲を感じていた。
「うわっ、ふっかふかじゃん!」
風呂から出た後は、肌触りが最高なバスタオルで水気を拭き、そのままベッドへダイブである。
裸のまま寝る気はなかったが、なんとなしにやってみたくなったのだ。
真っ白な羽毛の布団が、カオルが倒れ込んだ途端にくにゃりとカオルを受け入れ、柔らかく包み込むようにしてその衝撃を吸収していった。
羽毛の中に埋もれていく感覚はカオルにとって人生初で、癖になってしまいそうなほどの快感であった。
(あー……いいなあこれ。このまま眠ってしまいそうな――)
その柔らかな快楽に埋もれ、ついうとうとと、そのまま唐突な睡魔にされるがままになっていた。
(サララは……もう、寝ちゃってるのかな。あいつは、あんなだけど、やっぱこういうのは慣れてるのかな……)
薄れゆく意識の中。ぼんやりとしてきた頭は、あの猫耳娘の事を思い浮かべていた。
自分と同じように、このベッドの柔らかさに驚いているのか。
それとも、『お姫様』にとっては、これくらいは当たり前なのかな、と。
そんなとりとめのない事を考え――やがて、それすらも考えられなくなり、落ちそうになっていた、そんな矢先――
《コンコンコン》
――強めに叩かれたドアの音に、カオルは、はっ、と身を起き上がらせた。
柔らかすぎて若干手間取ったが、なんとか起き上がれたのだ。
「え、えーっと、誰かな?」
まさかメイドさんが来たのか、と、カオルはおどおどしながら返答し、すぐに服を捜す。
風呂に入る前に確認しておいたのだ。
来客用に、ガウンやらパジャマやらが一式、ちゃんとあるのを。
やはりというか、男性用のパンツだけはないのだが。
『夜分に失礼する。我が名は城兵隊長・トーマス。魔人を封印せしめた英雄殿に目通り願いたく、参上仕った!』
扉の先から聞こえたのは、皺枯れた中にも貫録を感じさせる、そんな年老いた男の声であった。