#20.オルレアンの冬娘
深く雪積るオルレアンの冬は、そこに住まう住民にとって、安息の季節であった。
家々では雪に潰されぬよう、朝こそ雪かきに専念する姿が見られるが、それ以外は家の中でじ、と、長い冬が過ぎ去るのを待ち続ける。
冬の間は秋までに貯蔵した保存食を中心に消費していくのが常であったが、今年はドラゴンの肉を始め、山菜などが豊富に取れた為、例年よりも余裕のある冬を過ごせている家庭も多かった。
「ふぅ……中々晴れないわねぇ」
冷たい空気に手先を震わせながら、エプロンドレス姿の乙女が一人。
村長の娘・アイネである。
いましがた、お湯を張って洗濯を済ませたばかりだったが、衣服を干すにもこの季節は中々晴れてくれず、家事を担う乙女としては悩みの種であった。
今もまた、オルレアンの空は薄暗く、大粒の雪を降らせんとしているように見えるのだ。
「お嬢様、今日も家の中に干しましょう」
お手伝いのおばさんも、アイネよりも多くの洗濯物を持ちながら、そそくさと家の中に入ってゆく。
こういう天気の日は暖炉の前に干すに限るのだと経験則で知っている為か、その選択は早い。
アイネも遅れはしたが「やっぱりそうよねえ」と、その後を追いかけ、家へと入っていった。
レンガ造りの家の中は、暖炉のおかげで一日中暖かく、熱が逃げにくい。
ドアを開いた瞬間、まるで別世界のように暖かな空気が身体を癒やしてくれる感覚。
乙女はほう、と一息。悩ましげに温かな空気を吸いながら、家の中へと入っていく。
暖炉前では既におばさんが立て干し台に洗濯ものを干しており、その他には安楽椅子に腰かけて、カルナスから送られてきた新聞を読む父の姿だけがあった。
「パパ、カルナスはどうですって?」
村で一番裕福なこの家は、他の家と違い、風呂もあり、大きな暖炉を持ち、そして一月か二月に一度、新聞が届くのだ。
この新聞を元に、村長である彼女の父親は都会の情報を村にもたらし、時としてそれが村の運営に役立ったりもする。
届く頃には既に時季遅れな事になっているものも多いが、行商人の訪れる他の季節ならともかく、今の季節、まるで情報が入らない辺境の村においては数少ない村の外からの情報源であり、娯楽でもあった。
「うむ……何やら善くない事が起きたようだ。悪魔が現れて、生まれたばかりの子供をさらわれる母親が続出したと……」
「そんな……それってすごい大変な事じゃない」
「そうだな。この新聞が発行されてからもう二月――解決されていると良いのだが」
カルナスは、オルレアン村から最も直近にある都会。
都市としては王国の中心、交通の要衝ともいえる街で、ここで問題が起きたという事は、それだけ各所に対しての影響も大きくなる恐れがあるという事。
近辺も含めて国王の直轄領として統治されていて、防衛の為に残された兵団が国の各地の治安を預かる『衛兵隊』として、その本部が置かれるなど、王都を除けば国の中で最も重要な位置にある。
このような場所でそんな痛ましい事件が起きていた事に、アイネは心を痛めずにはいられなかった。
同時に、村を発って久しい想い人の事も思い出してしまう。
「ヘータイさんは、大丈夫かしら……? 私からはお手紙を送っているのに、一向に返事も届かないし……」
「まあ、ヘイタイさんなら上手くやっているとは思うが。しかし、女悪魔とはまた……」
娘の想いを知りながらも、村長イルブレードは、記事の片隅に描かれたイラストに目を向ける。
そこに描かれていたのは、ねじ曲がったヤギの様な角と、巨大な蝙蝠の様な翼を持つ女。
これが新聞の示す女悪魔の姿らしく、『もし見かけた際には子供を最優先に守るように』という注意書きも記されていた。
本当にこんな姿なのかはともかく、『子供をさらう女悪魔』という言葉は中々に解りやすい脅威で、村を預かる身としては無視できないものであった。
「子は宝だからな……村でそのようなことが起きないように祈るしかないが」
「そうね……生まれたばかりの赤ちゃんを奪われたりなんかしたら、きっと悲しさでおかしくなってしまうもの。解決、してるといいのだけれど」
二人してため息をつく。
面立ちに似ているところはあまりない親子ではあったが、こんな仕草はぴったり揃っていて、洗濯物を干していたおばさんは笑ってしまっていた。
「はいはい、遠いカルナスの事はそちらにいる方々にお任せして、お嬢様は洗濯物を干しましょう?」
「あ、うん。そうね。ごめんなさい」
「ははは、まずは目の前の洗濯物をやっつけないとな」
暗い空気になりそうではあったが、上手い具合に毒気の抜けるような返しをしてくれるおばさんのおかげで、すぐに暖かな空気に戻っていった。
アイネも、兵隊さんの事は心配ながら、洗濯物をてきぱきと干してゆく。
「大体こんな感じかしら?」
「そうですね。次はどうなさいますか?」
「うーん……もうすぐお昼だし、ご飯にしましょう」
「承知しました」
この家の家事を取り仕切るのはアイネの仕事。
お手伝いさんはあくまでその補佐をする、というのがこの家での役割分担だった。
アイネ自身は恵まれた家庭で育ったのもあって非力なので、ちょっと腕が逞しいこのおばさんは頼りになる力仕事担当でもある。
「アイネも随分と家事が達者になったものだなあ。母さんも若い頃はお前のように、テキパキと家の事を片付けていって、手伝おうとしても『貴方は村長の仕事をしてください』と、箒すら持たせてもらえなかったものだ」
「まーた始まった。パパは本当、お母さんの事が好きだったのね」
「今でも愛してるさ」
はは、と軽く笑う父親に、アイネも溜息ながら、温かな気持ちになっていく。
この家に、母親の姿はなかった。
アイネがまだ幼い頃。妹フィーナを産んですぐに、流行り病で亡くなってしまったのだ。
幼かったからか、母親の死を理解できなかったアイネは悲しみすら感じず、「お母さんが居ないなら代わりに私が」と、当たり前のように母親のしていた家事を行おうとしていた。
流石にその頃はまだ、ろくに家事のやり方も知らなかったが。
今ではもう、何をやらせてもそつなくこなせる程度には成長していたのだ。
若くして失われた妻を、父はまた、深く愛していた。
死して尚、愛する男からこうまで想われる母が羨ましくもあり、「いつかはこんな風に想われたい」と願うようになった。
そうして彼女は、それを望むに値するだけの素敵な男性とも出会えたのだ。
「お母さんは、やっぱり私に似ていたの? その、性格とか」
「性格はあんまり似ていなかったな。どちらかというとしたたかで、私はよく尻に敷かれていたよ」
「パパを? あんまり想像つかないかも」
容姿に関しては間違いなく母親似だと思っていた彼女であったが、母親がそんなに強い人物だと思っていなかった為、不思議に感じてしまっていた。
自分にとってはただ優しくて大好きだった人だったはずなのに、父親にとってはまた、別の人物像があったのだ。
自分の母親ですら、見る人によってはそんなに違うのだと気づいて、ちょっとだけ「面白いわね」と、頬を緩める。
そんな事を話しながら家事を行っていたアイネであったが、ある時『コンコンコン』と、ノックの音が聞こえた。
玄関口から聞こえたその音。そうして続いて、少女の声が響いたのだ。
『こんにちは~、村長さん宛てにお手紙で~すっ』
家の中に居ても聞こえる元気な声。
真冬の村にあってただ一人元気な少女の声が届いていた。
「はーい、ちょっと待っててね~」
聞こえているかはともかく、アイネはすぐさま玄関口へと急いだ。
がちゃりとドアを開けば、そこにいたのは赤いベレー帽の郵便娘・ティッセである。
見慣れたその少女の姿にほんわかした気持ちになりながら、アイネはにこやかあに微笑みかける。
「こんにちは、ティッセちゃん」
「はい。こんにちはアイネさん。カルナスの衛兵隊本部より、お手紙を預かって参りました!」
どぞー、と、はにかみながら便せんを手渡してくれるティッセ。
アイネも「ありがとう」とお礼を言いながら受け取る。
「衛兵隊本部……? あ、これ、ヘータイさんからだわ!」
「あれれ? そうなんですか? 本部からまとめて渡されて、この村宛てのがあったから配達しにきたんですが……よく解りますね?」
「うん、だって、ヘータイさんの文字だもの。ほら、この宛先の辺りとか、すごく特徴出てるわ」
「いや、ちょっと解んないです……」
アイネ的には当たり前のように解る文字だったが、どうやらそれは恋のなせる業だったらしく、ティッセには困惑と愛想笑いしか浮かばなかった。
それでも、想い人からの手紙と解るや、大切なもののように抱き締め、ほう、と、ため息をつく。
「ふわぁ」
その仕草がとても綺麗で。
冬の風の中にありながら、質のいい長い髪はふわりと揺れ、そんな彼女の美貌を尚の事際立たせる。
そんなアイネを見ていたティッセは、つい頬を赤らめ、トキメキに近い胸の鼓動を感じ、感嘆の声を漏らす。
同性であっても思わずドキドキとしてしまうような、そんな幻想的な美しさがこの村長の娘にはあったのだ。
「……?」
「あ、いえ。こちら宛てのお手紙はこの一通のみです」
「そう。ありがとうね。あ、ちょっと待ってて」
喜びに浸っている中、変な声を上げるティッセに首をかしげていたアイネであったが。
遠路はるばるカルナスからここまで雪道をおしてきてくれたのだから、と、ティッセに待つように言って家の中へと引っ込んでいった。
「あらお嬢様、お手紙は……?」
そうしてすぐに向かったのが、キッチンである。
都会に行かないと手に入らないような上等なオーブンや蒸し器など、様々な調理器具が用意された中で、くつくつといい音を立てる鍋を見て、アイネはにっこり笑った。
「あ、うん、それは後で。ティッセちゃんに温かいスープを飲ませてあげたいの」
「ああ、そういうことでしたか。ちょうど今、温まったところですわ」
即座に察したおばさんが、器を持って来るのを見て「それじゃ、暖炉のところに持ってきてね」と念を押し、また玄関に戻っていく。
「お待たせ。ティッセちゃん、寒かったでしょう? 温かいスープでも飲んでいって。さ、どうぞ」
「ええっ、いいんですか? わぁ、すごく助かりますぅ」
「どうぞ遠慮なく。さ、暖炉のある所に」
「ありがとうございます! それじゃ、おじゃましまーすっ」
思いがけない幸福に、ティッセは無邪気に笑みを見せてくれる。
それだけでもう、アイネには胸がいっぱいになるほど、温かい気持ちになれたのだ。
最愛の人の手紙は後に置いておくとして、アイネはまず、この子に身も心も温かくなって貰う事にしたのだ。
それが、大変な雪道の中、この村まで手紙一通を届けてくれた少女への、感謝の気持ちだった。
「なに、ヘイタイさんから手紙が?」
ほかほかに暖まったティッセを見送った後、アイネは別の部屋へ移動していた父親に、兵隊さんからの手紙が届いたことを伝えていた。
一応は村長宛てだった事。
衛兵隊本部からの手紙、という扱いになっている事から、何がしかあるのでは、と思ったのだ。
今まで手紙を書き続けて返答が無かった事や先程の女悪魔の話を聞いたのもあり、ただ事ではないような気がしてしまったのだ。
本当ならすぐにでも開いて読みたいのを、なんとか我慢しての事であった。
「宛先はパパ宛てだから。はい、読んで聞かせて頂戴」
「うむ……ほう、確かにカルナスの衛兵隊本部からの手紙だな。専用の印が押されている。しかしアイネ、よくヘータイさんからのものだと解ったね?」
「文字で解るわよ。子供の頃は文通とかしてたし」
「ああ、そういえば流行ってたな」
アイネがまだ幼かった頃、都会では親しい相手と交換日記や文通をするもの、という話が出回り、それを知った村の少女たちがこぞって日記を交換し合ったり、文通したりしたものだった。
これで意外と文章を書くというのは勉強にもなるもので、おかげでオルレアン村の娘は識字に労せず字も美しいと近隣でもっぱらの評判であった。
都会の情報を入れるという事は、このような好ましい変化を村にもたらす事もあるという好例である。
「ふむふむ……『オルレアン村の村長殿』。はは、相変わらず手紙でもかしこまった出だしだな」
「いいから早く読んでよ。読まないなら私が読むわ」
「まあ待て待て。どれ――」
※※※
オルレアン村の村長殿。村を離れ久しく経ちますが、いかがお過ごしでしょうか?
私は現在、カルナスの衛兵隊本部にて職務に追われる日々を過ごしております。
これまで、私がカルナスに呼ばれた理由、経過などを詳しく説明する機会が無かったこと、どうかお許し願いたい。
ようやくにして手が空きましたので、これまで起きた事を説明する為、こうしてお手紙を書かせていただきました。
私がカルナスに到着した時、カルナスでは悲劇的な事件が起きておりました。
女悪魔によって街の幼子がさらわれるという痛ましい事件を発端にし、女悪魔を討伐しようとした衛兵隊が壊滅的な被害を被ったのです。
これにより多くの衛兵を失った衛兵隊本部は、足りない兵を補うために私達を招集した、というのが、私がカルナスに呼ばれた理由でした。
結論から言いますと、私達を招集した衛兵隊長その人こそが、事件を裏で操っていた張本人だったのです。
ゲルべドスと呼ばれたその魔人は、衛兵隊長の振りをしてカルナスに潜り込み、ある悲劇に見舞われた娘を取り込み、悪魔へ仕立て上げた、というのがカルナスで起きた悲劇の真実だったのだと、カオルに聞かされました。
今回の一件は、カオルとサララちゃんのおかげで解決できたといっても過言ではありません。
女悪魔と戦おうとしていた私は彼のおかげで一命をとりとめた形となり、多くの幼子と母親が救われ、これ以上の犠牲者が増えずに済んだのです。
その後、私には、同じく志を持った仲間達と共に、国から衛兵隊長として新兵達を鍛えるように、と命が下りました。
私としてはカルナスの街は知らぬことばかりの土地でしたが、衛兵隊本部は未だ危機的な状況にあり、これを放置し村に戻る事はできぬと考え、その命を受ける事にします。
とても残念なことながら、当面のところ、私はオルレアン村に戻る事ができそうにありません。
村の警備に関しましては、私の代わりとして新兵の中から信頼のおける者達を二名送る事にしました。
まだ経験もなく、頼りなく感じるかもしれませんが、後々の成長が楽しみな者達です。どうぞ役立てていただければと思います。
村長が気にしてらっしゃるであろうフィーナとノークについてですが、カオル達と共にそれらしい話が無いか聞いて回り、やはり「そのような二人組の情報はない」という結論に至りました。
力不足で申し訳ないですが、とりあえず二人はカルナスには訪れていないようです。
引き続き、何らか情報が入り次第お伝えできればと思っています。
最後に、何度も手紙を送ってくれたのに返す事も出来ず、申し訳なかったとアイネに伝えていただければと思います。
では、オルレアン村によき明日があらん事を。
※※※
「……」
「ほう、つまり、村落担当の衛兵から、本部詰めの隊長にまで昇格した、という事か」
「なにそれ、私知らない」
手紙を読み終えるや、村長は「これはすごい事だ」と溜息したが、アイネはというと、一気に目の前が真っ暗になっていくように感じていた。
読む前こそ「どんなことが書かれているのかしら」「私の事が書かれていたらどうしよう」と期待に胸を膨らませていたというのに。
実際に話を聞けば、アイネにはとても許容できない事ばかりが書かれていたのだ。
「村に戻れないってどういう事!? ねえパパ、なんでヘータイさんが本部詰めになっちゃったの!?」
「いや、だから、書かれている通りなら、女悪魔だの魔人だのをなんとかしたから、その功績と減った人員の穴埋めで昇格した、という事だろう?」
「意味解んないわ! ヘータイさんじゃなくてもいいじゃない!」
「そうは言うがな、組織というのは、どんな人員でも放り込めばいいってもんじゃないんだぞ。むしろ今回の事は、ヘイタイさんがそれだけのポストを与えられても問題ないと、国から認められたって事じゃないか。めでたい事のはずだぞ?」
「めでたくない……全然めでたくないわよ……」
いつ最愛の人が戻ってくるのかと、ただそれだけを楽しみに待っていた乙女にとって、それは死刑宣告にも等しい残酷な話であった。
愛する人が出世した事、そのものは確かに祝うべきことなのは彼女にも解っていたが。
それが理由でもう村に戻ってこないというのは、それは酷すぎるんじゃないかと、あんまりにも唐突過ぎると思ってしまったのだ。
理性では理解できても、心がそれを許容できない。
「私は、用事が済めばすぐヘータイさんが戻ってくるって思ってたのに……そんな、こんな急に会えなくなるなんて……」
「こればかりは仕方ないだろう。彼だって国が為、民が為衛兵になる道を選んだんだ。ならば、これはやはり彼にとって避けられない道というものだよ」
「仕方なくなんてない! 私は、私の為にこの村にいて欲しいの! ヘータイさんじゃなきゃ嫌なの!」
「ううむ……参ったな、そんな事を言われても……」
我が侭なのはアイネ自身にも解っていたが、それでもどうしようもない気持ちが溢れ出てしまって、ぶちまけずにはいられなかったのだ。
普段村の誰にだってそんな一面を見せないアイネでも、それでもやはり、抑えきれない時があった。
それだけ好きな人で、それだけ一緒に居たくて、なのにもう会えないという気持ちが、彼女を暴走させようとしていた。
「……決めたわ」
「な、何をだ?」
「家を出ます。ヘータイさんに会いに行くの。戻れないなら、私もカルナスで暮らすわ」
「突飛すぎるだろう!?」
暴走しながらの娘の決意に、村長は思わず安楽椅子を立ち上がってしまう。
今まで我が侭などほとんど言う事の無かった愛娘の、突然の家出宣言である。
「いや、いやいや待て待て。お前まで家出ってどういうことだソレは!?」
「どうもこうもないわ! この村に居てヘータイさんに会えないなら、村に居たって仕方ないじゃない!」
「気持ちはわかる、解るが少し待て! それでお前まで村を出たら、後に残った私はどうなるんだ!?」
「知らないわよ! 私はヘータイさんが居たからこの村に居ただけだもの! 戻ってこないなら、居られる訳ないじゃない!」
「いや、だから落ち着け! 別に彼だって絶対に戻ってこない訳じゃ――」
「駄目よ! カルナスで綺麗な子とくっついちゃったら嫌だもの! もう、ちょっとの間でも待っていられないわ! 今すぐにでも出ていく!!」
娘の突然の癇癪には、村長も驚かされるばかりだった。
思えば次女フィーナは、恋人と一緒にいる事を彼が頑なに許さなかった為に家出してしまったのだ。
それを見て、アイネは落ち込んだ父親の為、ヘータイさんの事は好きでもそれを面に出すことはしなかった。
村長としても、その所為で自分の娘がいきおくれてしまうのは可哀想だと思っていたし「出来れば想い人と幸せになってくれれば」とも思っていたのだが。
それでも、このように唐突に別れを伝えられては、心の準備ができるはずもなく。
「と、とにかく待ってくれアイネ! そんないきなり……フィーナがいなくなって、お前までいなくなったら……私は、私は……っ」
年甲斐もなく、村長は娘の前で涙を流してしまっていた。
次女がいなくなってしまった時のトラウマが穿り返されてしまったのだ。
最早普段の冷静な彼ではなく、一人の苦しみを抱える父親の顔であった。
「……うぐ。パパ、卑怯だわ」
「うっ、うぅ……すまない。お前の気持ちは解る。解るが、もう少し待っておくれ。気持ちの整理がつかん。それに、今は雪が積もりすぎていて馬車も出ておらんだろう。せめて春先まで待った方がいいはずだ」
「それは……そうだけど。はぁ、仕方ないわね、全く」
あまりにも短絡過ぎたと、父親の指摘を聞いて頭が冷え、アイネは溜息を漏らす。
父親の情けない姿。それでも尚止めようとしてくれることは、アイネには嬉しかった事ではあったが。
ヘータイさんの事が好き過ぎて暴走しかけていた自分には、ちょっとだけ自己嫌悪を感じ始めていた。
(……確かに、こんな状態であの人に会っても幻滅されちゃうわ。会うなら、ちゃんと理由を作ったりして計画的に会わないと。パパも泣かせちゃったし……はぁ)
落ち着きを取り戻し、アイネはようやく自分の無計画を自覚し、その身勝手の所為で父親を泣かせてしまった事に罪悪感を覚えた。
雪という歯止めがあったから止まったものの、もしそうでなかったなら、今頃は相当無茶なことをやらかしていたかもしれないのだ。
これは流石に無いわ、と、うなだれながら父親の後ろに回り、その背をさすってあげる。
「う……すまんなあアイネ。父さん、疲れてしまったようだ」
「ううん。私の方こそ、ごめんなさい。村を出るのは、もう少し考えるわ」
諦める、とまでは言えなかったのは、そんな父親の姿を見て尚、好きな人と会いたいという気持ちが全く薄れていないから。
今のままでは報われないのだ。報われたい彼女は、考えなくてはならなかった。
この日から、アイネの『村を出てヘータイさんと会おう』計画は着々と積み上げられていった。