#17.黒幕との戦いにて
一体どれくらいの時間が経過しただろうか。
強い風を感じて、カオルは意識を取り戻した。
随分と風景の変わった世界。
塔の内部だったはずなのに、見ればそこは屋上と化していた。
壁は全て消え去って、床もかなりの部分、穴が開いてしまっていた。
以前賊に突き刺した時と違ってクレーターにはなっていなかったが、いつ崩壊してもおかしくないくらいには廃墟になってしまっていたのだ。
「……うわー」
こいつはやばいな、と思いながら立ち上がろうとする。
まず、力を入れようとした腕、それから膝がピキリと鋭い痛みに支配され、それがやがて、腰や背筋、そうして首筋を通して頭にまで響いていった。
「いちちち……前の時もやばかったけど、使った後にずたずたになるのはマジで洒落になんねーよなあ……骨がやばいわ」
何度圧し折れようと復活するのだろうが、それでもカオルにとっては優しい痛みではない。
こちらに来たばかりの頃の自分だったならば余りの痛みに失禁して泣きわめいていただろうが、流石にそこまでいかない程度には、カオルは強くなっていた。
痛みに呻きながらも、なんとか立ち上がる。
「女悪魔は、と……」
「きゅう……」
「なんとか倒せたらしいな。死んでないのがすげぇけど」
殺したくはないとは思ったが、それでもどうにもならなければ仕方ないくらいのつもりで使った自爆攻撃だった。
投げつける方なら投げ方で威力の調整はできたが、突き刺す方は繰り返し試す訳にもいかないので、調整もままならないままだったのだ。
結果として女悪魔はその身を痙攣させたまま倒れ込んで意識を失っている。
カオルにとっては割と理想的な勝利だった。
ほどなく、下の方から階段を上るような音が聞こえ「黒幕のご登場か」と棒切れを構える。
まだそこかしこが痛み、まともに走る事もできそうにない有様ではあったが。
(いざとなったら、また腹にぶっ刺せば負ける事はねぇよな……)
既に覚悟の決まったカオルにとって、連戦はさほどのリスクではなかった。
相手が逃げる前に同じように腹に棒切れカリバーを刺せば、それでまた、全てが吹き飛ぶのだから。
「カオル、無事かっ!」
先制の一撃でも、とあらかじめ棒切れを構えていたカオルであったが、まず兵隊さんの声が聞こえ、戦意は急激にしおれていく。
安堵からか、足から力が抜けてその場にぺたん、と座り込んでしまった。
「はは、兵隊さんかよ。驚かせやがって……」
「無事でよかった……救援に向かおうとしたところで塔の上部が爆発したから、何事かと思ったのだ」
「本当、まさか女悪魔の魔法か何かを受けたんじゃって、皆心配してたのよ」
見れば兵隊さんだけでなく、彼と共に上っていた仲間達もその後ろに立っていた。
痛む身体をなんとかして立ち上がらせ、カオルは、に、と笑う。
「なんとか倒せたよ。こっちも無傷とはいかないけどな……」
「流石だな。とりあえず肩を貸そう」
「ありがと……」
両脇を兵隊さんとベテラン風の兵士が支えてくれたおかげで、カオルも少し楽になる。
「う……あぁ……」
不意に、視界の端の女悪魔が呻き声をあげているのが聞こえて、カオルは視線を向けるが……起き上がれるだけの力はないのか、くったりとしていた。
「おいおい、あの女悪魔、まだ生きてるじゃねーか」
「トドメを刺した方がよくないですか……?」
青年兵と少年兵が、不安げな表情ながら腰の剣の柄に手をかけようとする。
――今なら、やれるかもしれない。
そう思いながら、じりじりと距離を詰めようとしていた。
「――やめてくれよ。その人、殺さないでくれ」
だが、カオルはそれを止めた。
確かに、今なら殺せたかもしれないが。
それは、避けたかったのだ。
「やめろって……こいつが全ての元凶だろう? ここで殺さなかったら、回復して、また襲い掛かってくるかもしれないんだぞ?」
「生け捕りにしたいのは解るけど、もし途中で暴れられて逃げられでもしたら、手に負えない事になるかもしれないわ」
「あの、こ、ここで放置するのは、怖いことになると思うんですが……」
兵士らの言葉に、カオルも複雑な顔になるが。
それでも、カオルは首を横に振る。
「その人は、元凶じゃねぇよ。ただの、被害者だ」
くったりとしたままの女悪魔を見ながら、しかし尚も首を振り、塔の外を見る。
その仕草に合わせるように、兵士らも同じように外を見つめた。
「この人は、黒幕によって悪魔にされた、ただの可哀想な母親だよ。自分が子供を失って、苦しんでいたところを黒幕に付け入られたんだ。子供をさらったのだって、いいように操られていただけに過ぎないぜ」
「じゃ、じゃあ、その黒幕を倒さない限り、事件は解決しないって事か……?」
「そういう事だと思う」
仮にこの女悪魔を殺したところで、いずれまた同じことになるかもしれない。
そうなる前に、まず黒幕をなんとかしなくてはいけないのだ。
ではその黒幕は誰か、という段階になってから、カオルは一つの考えが浮かぶ。
「俺さ、前からあの衛兵隊長が怪しいと思ってたんだよな。あいつが黒幕だったら、全部説明がつく気がするんだけど」
「……確かに、貴方の言う通りあの衛兵隊長は怪しいわ。だけど、それじゃ……」
「カルナスが……危険なことになってしまうな」
「カルナスだけじゃねぇよ。俺達が護ってた村や町が……」
衛兵隊長ピトリーが黒幕である、という意見は皆して頷いていたが、それとは別に、カルナスや自分たちの村、町が危機に陥っているのではないかという危惧が、彼らの顔を青ざめさせていた。
「急いで戻る必要があるな。間に合うかは解らんが、直近のカルナスはやはり黒幕にとって狙い目になりかねん」
「だが、本当に黒幕がカルナスを狙ってくるのか……? もしかしたらそっちは陽動で、今頃俺達の村は……」
「そんなっ、それじゃ、僕の故郷はもう!?」
「まあ落ち着けよ……ここは、彼の話を聞こうぜ」
ざわめく若手達の話を押さえ、ベテラン兵士がカオルを指し示す。
カオルも、そんな彼らの視線を受け、頬をポリポリと掻いてから、自力で立ち上がった。
大分、力は回復していた。
「まあ、黒幕の方は俺がなんとかするよ。なんとなくだけど、居場所の目星はついてるんだ」
力こぶなども作って見せる。
ドヤ顔じみた余裕の表情で、彼は笑っていたのだ。
「……カオル。任せていいのか?」
「ああ。その代わり、この女悪魔は殺さず、教会に届けてやってくれ。あのツンデレ聖女様なら、きっと救ってくれるはずだ」
「解った……サララちゃんだが、先にカルナスに戻っている。君のことを心配していた。必ず、生きて戻ってくれ」
「解ってる。じゃあな」
「……よし、カルナスに戻るぞ! カオルが戻るまでの間に、しなくてはならない事は多い!」
誰であれ、こんなところでぐずぐずしている暇などなかった。
戦友らに掛けた声は無言の了承の元受け入れられ。
カオルもまた棒切れを腰に差し、走り出す。
目指すは黒幕。
目指すはカルナス。
目的地こそ違えど、しなくてはならない事はカルナスの、そして自分達の大切な場所を護るための行動であった。
「うーん……中々見つからねぇなあ。この辺りに居ると思ってたんだがなあ」
塔からいち早く脱出したカオルは、そのままの勢いで塔の周りを探索していた。
今のところ、まだちょび髭は見つかっていない。
「とりあえずこの辺りはいない、と……流石に塔のすぐ傍にいるほど都合は良くないか……」
カオルとしても、焦る心を抑えての探索であった。
場合によっては、こんな塔など放置して、とっくに別の場所に移っているかもしれないのだから。
こんなところを探していても無駄なのではないか、など、良くない考えばかりが浮かび、それを無理矢理に無視して歩き続ける。
意味がないなんて事は、ない。
この世界は、頑張った事が必ず実る、そんな世界なのだから、と、自分に言い聞かせながら。
「あいつが『ゆかいはん』なのだとしたら、絶対に兵隊さん達が死ぬのを待ってから動くよな……衛兵隊を引き連れていったときだって、ボロボロになるのを待ってから戻ってきたんだから……」
カオルなりに、確信あっての事だった。
目的は何であれ、前回と同じようにカルナスの民を不安に陥れようとするなら、少なくともそれが確定するまでは待つつもりのはず。
少なくとも子供達は救出が完了した以上、ずっとその様子を見ていたなら自分が妨害するなり女悪魔を向かわせるなりしただろうし、その線はなさそうだ、と。
そうであるなら、ずっと監視している訳ではなく、どこかで時間を潰すなり、別の用事を果たすなりしてから、頃合を見計らって戻ってくるのではないか、と、そう考えたのだ。
(これも、特典って奴なのかな。結局最後まで聞いてなかったけど)
妙に頭が回る事に変な笑いが抑えられず、あの嘘つきな女神様を思い浮かべる。
――もしかしたら、賢くなる呪いか何かでもかけられてるのかもしれない。
そんな事を思いながら、森の中を歩く。
黒幕はいつまで経っても見つからない。
だが、それはあくまで自分の努力不足なのだと、そう割り切り、探し続ける。
そうしていれば、いつか必ず見つかるはずだった。
最悪の事態なんて起きていない。
沢山の兵士が死ぬはずなのに、未だ悲鳴がまるであがらず、きっとどこかで不思議だとばかりに首をかしげているに違いないと。
――そう、ちょうど今、カオルの目の前で首を傾げて立っているちょび髭の中年男のように。
「……へへっ、探してみるもんだぜ」
「なっ、お前はっ――」
どうやら男だらけのかくれんぼ大会は自分の勝利らしいと、にやつきながら腰の棒切れを取り出し、振りかぶる。
神速とも思えた女悪魔ならば捉えられぬカオルの眼も、自分の姿に驚愕するこのちょび髭相手ならば、いくらでも捉えられた。
「とりあえず、喰らえぇぇぇぇっ!」
ためらいもなく全力投擲である。
もしかしたら死ぬかもしれないが、それくらいはしてもバチは当たらないだろうくらいのつもりで、本気で投げつけていた。
ちょび髭も、回避する暇すらなく。
「――ふぎゃっ!?」
顔面にまともに受け、衝撃のまま、頭から地べたへと倒れ込む。
回転しながらも、紐に引かれカオルの手元に戻る棒切れ。
さながらブーメランの様な軌道で、カオルも「ちょっと格好いいな」と、そんな軽い事を考えてしまう。
「う、うぅっ……ま、まさかこの魔人ゲルべドスが……こんな人間の若造に……っ」
しかし、まだまだ話すだけの余裕はあったらしく、魔人なんとかは、悔しそうに呻きながら、なんとか立ち上がろうとしていた。
「こいつっ、まだ――」
「調子に乗るなよ若造! 貴様っ、このワシに手をあげたのだ! 何もかも失う覚悟を――ぐべっ!?」
大声で叫ぶだけの余力はあったようなので、カオルは容赦なく追撃をかける。
回避すらできない有様ではどうする事も出来ず、迫ってきた棒切れをまともに受けるちょび髭。
惨めな有様であった。
「う、うぐぐ……」
「すげぇ、二発喰らってまだ生きてるよ……魔人……なんだっけ? ちょび髭?」
カオルにとって覚えにくい名前は聞こえないも同然であった。
「ゲルべドスだっ! くそっ……コケにしおって……貴様も、貴様も猫にしてやるっ!」
「なんだと!? 猫だって!?」
「ふははははっ、ワシに歯向かった罰だ! この呪いを受け、我が盟友シャリア=シャギアによる世界の終焉を、猫の姿のまま見届けるが――あぁっ!?」
倒れた姿勢のままに手を前に突き出し、何やら黒い波動のようなモノを収束させていた魔人ちょび髭であったが。
その口から出た『猫になる呪い』という言葉を聞くや、カオルはキッ、と、怒りに満ちた顔で棒切れを振り上げていた。
追撃、その二である。
「お前が、サララを猫にした張本人かぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ひっ、ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
調子に乗った魔人殿は、本気の怒りを見せたカオルの、これでもかというくらいに力を込めたマックスパワーの棒切れカリバーを顔面に浴びる事となった。
《バゴン》という鈍い爆発音が森に響き、カオルとちょび髭を中心にいくらかの部分を焼き焦がし、戦いは終わる。
「……勝った」
鼻や口の中からプスプスと煙をあげながらピクリピクリと痙攣するばかりのちょび髭を踏みつけ、カオルは勝利を確信する。
それでもちょっと怖いので、縄で身体を縛り、口の中に石を詰め込んで、目隠しもしての厳重な体制でちょび髭の身柄を運ぶことになった。
この男に関しては殺しても構わないくらいのつもりだったが、折角なので捕縛して、街で裁きを受けさせようと思ったのだ。
(魔人ゲロ……なんとかだっけ? まあいいや、こいつも悪魔っぽいし、聖女様のところに連れていけば何か解るだろう)
それで少しでも犠牲者の心が癒されれば、と、カオルはため息混じりにちょび髭を背負い、街へと戻った。