#16.女悪魔との戦いにて
駆けのぼった塔の最上階。
外部と通じているのか、いくつもの窓穴が開いたままの広い部屋の中、カオルは塔の主である女悪魔と対峙していた。
長い茶髪の、すらりとした美女とも言える容姿。
高い背丈に見合っただけのボディを包み隠しながらも、尚妖艶さを引き立ててしまう黒いドレス。
背中に巨大な蝙蝠じみた翼が生えていたり、頭部に別方向にねじれ曲がったヤギのような角が二本生えていたりと異形らしいパーツはあったが、カオルは不思議と、そんなに怖い印象は受けなかった。
もっと人外じみた化け物だったなら別だろうが、街で情報収集した際に聞いた外見そのままだったし、どちらかというと彼女を見ての最初の印象は「綺麗な姉さんだな」という、感嘆に近いモノが強かったのだ。
その美しい女悪魔は、カオルを見てニコニコと笑っていた。
敵対者だとも思っていないのか、奥のソファーに腰かけ、楽しげにカオルを見ていたのだ。
「あんたが、街の子供達をさらっていったっていう悪魔かい?」
まず間違いないが、間を稼ぐためにあえて質問する。
すると、女悪魔は「ええ、そうよ」と、透き通った声で返答した。
「あの子達は私の子供になったの。私の大切な子供よ」
「……自分の子供にするために連れ去ったのかい?」
「そうよ。あの男は殺せって言っていたけれど、そんな事はしない。だって、あんなに可愛い子供なのよ? 殺す事なんてできるはずがない」
「まあ、そうだよな……安心したぜ」
元から殺すつもりが無かった、という言葉を信じるなら、少なくとも自分が負けて子供の救出が失敗したとしても、子供が殺されるという最悪の結末は避けられる。
ある意味では善良とすら思えたこの女悪魔に安堵しながら、カオルは近づきながら尚も問いかける。
「あの男って、誰の事だい?」
「私を悪魔にした男の事よ。夫と子供を失って、全てに絶望していた私に、新たな命を与えてくれた男……感謝はしているけれど、あまり好きではないの」
「子供を殺せって言ったから?」
「そうよ。私はママになりたかったの。大好きな人の子供を産んで、ママになって幸せになりたかったけれど……それは叶わなかったから」
(……なんか、どっかで聞いた話だな)
話せることが嬉しいとばかりに語る女悪魔を余所に、カオルは、どこか聞き覚えのあるその話に自分の記憶をひっくり返していた。
この世界に来てからそんなに多くはない記憶の中、すぐに該当するソレを思い出す。
(あの聖女様の話か。畜生、ツンツンしてたと思ったらとっくにデレてやがったのか)
なんともチョロイ聖女様だったらしい。
カオルは心の中で「解り難いヒント出しやがって」と悪態をつきながらも、女悪魔の様子が次第におかしくなってきたのにも気づく。
笑ってこそいるが、その瞳には色がないのだ。
ただ笑っているだけ。色あせていたのだ。
「貴方は、どなたなのかしら? 衛兵には見えないわ」
「俺かい? 俺は……オルレアン村の英雄さ」
折角聞いてきてくれたのだからと、カオルは胸を張ってそうのたまった。
女悪魔も「まあ」と驚いたように目を見開いたが、すぐにまたニコニコ顔に戻る。
不気味にも映る笑顔だが、こうして機嫌よく笑っている間はまだ無害にも思えるから不思議であった。
「さらわれた子供達を取り戻しに来たんだ。だから、あんたにとっては敵って事になるかな……」
「子供達を……?」
「ああ」
「それはダメだわ。それはダメ。だって、あの子達はもう私のモノだもの。私の子供だわ。私の可愛い、大切な子供達」
だからダメなの、と、女悪魔はソファから立ち上がる。
ばさりと翼が開かれると、その体躯は何倍にも大きく見える。
元々背の高い女性だったのだろうが、それにしても、翼が広がった時の威容、迫力はかなりのものであった。
「私はママになりたいの。あの子達のママに。誰にだって傷つかせない。誰にだって悲しませない。一人だって辛い思いはさせないわ。最初は泣いていたあの子達だって、今はもう私に懐いてくれてる。私はもう、あの子達のママなの」
「あんたはいい人っぽいもんな。子供達だって、嫌いにはならないだろうけどさ」
「貴方も、あの兵隊たちのように私から私の子供を奪うの……?」
笑っていた顔が真顔になった途端、その美貌はゾクリと来るほどの恐怖へとすり替わっていた。
背筋が震えそうになりながらも、カオルは己を奮い立たせ、じ、とその瞳を睨む。
「奪う気はねぇよ。あんたの『あの子』は俺には奪えねぇ。だけど、あの子達の『ママ』はあんたじゃねぇ。あの子達は、自分のママのところに帰らなくちゃいけねぇ」
「……奪うのね?」
「逆だろ。あんたが奪ったんだ、あのママ達から。あんたが、子供を奪っていったんだ!!」
最初こそ話が通じる相手なのかと思ってしまっていた。
異形ではあれど、人らしい感性があるなら、何らか説得ができるのではないか。
時間稼ぎのつもりもあってそんな事を考えたカオルだったが、今ではもう「それは無理だ」と悟っていた。
この女は、女悪魔は、自分の中の悲しみに引きずられすぎて、何もかも解らなくなっているのだ。
自分がしている事が、同じように他の母親にも自分の苦しみを味わわせてしまう事に、全く気付いていない。
だから、カオルは説得を諦めた。
「貴方もあの兵隊たちと同じだわ! やっぱりそう! あの男の言った通りになったわ!!」
「また『あの男』か」
「あの男が言ったのよ。『お前から子供を奪いに来る者が来る』って。『お前の平穏をぶち壊しにする者達が来る』って! 本当に来たわ、だから殺してやったのに、またこうやって私の前に姿を見せた!」
狂乱の混じった言葉ではあったが。
それでも、カオルにとっては聞きたかった事が聞けたように感じられた。
それだけでも、ここに来た甲斐は十分にあったのだ。
百聞は一見に如かず、というのはまさにこの事で、「やっぱり自分で動かなきゃ解らないんだなあ」と、しみじみ感じていた。
このような修羅場、カオルはもう、慣れっこである。
「――死になさい。あの子を奪う奴なんて、皆殺してやる!!」
ざ、と立ち上がり、激昂したままにぎょろりと眼を見開き、宙を舞う女悪魔。
ばさりと大きな翼を鳴らしながら、狙いを定めるようにカオルを睨みつける。
(冷静にしてやんなきゃいけないみたいだな)
こんな状態の相手とこれ以上話しても仕方ないのもあったが、カオルはどうにもこの女悪魔が、殺すほどの悪党には思えていなかった。
確かに多くの衛兵を殺し、沢山の母親を悲しませた事自体は償わなければいけないはずだが。
それでも、何かしら救いがなければ、あんまりなんじゃないかと思えたのだ。
この女は、あくまでただの報われない人生を歩んだだけの女に過ぎないと、そう、カオルは感じていた。
それでも、戦わなければならない。
多くの人を悲しませたこの女悪魔を、今、ここで止めなければいけない。
だからカオルはぐ、と棒切れを強く握りしめ、戦いを挑んだのだ。
――それは、とても絶望的な戦いであった。
「げふっ――うぐぐ……」
数分後のカオルは、既に満身創痍であった。
雑巾の方が数段マシなくらいにズタボロである。
勝ち目、ゼロ。
今もまた吹き飛ばされ、こうしてギリギリ穴から落ちず踏ん張って塔の中に留まっていた。
(ちくしょう、とてもじゃないが勝てる気がしねぇぞ……)
「ふふふふふふっ、はははっ、あはははははっ!」
何が愉しいのかケタケタと笑う女悪魔の声を聞きながらに、カオルは「このままじゃしんどいな」と、なんとか立ち上がる。
「……居ねぇ」
見失ってしまっていた。
眼を逸らした覚えもないのに、気が付くと視界から消えている。
この尋常ならざる速さが、女悪魔の、目下最も厄介な武器となっていた。
「ここよ!」
「ぐふぁっ!? いぎ、ぎぎ……」
次の瞬間には真横に詰め寄られ、顔面を殴りつけられる。
その速さが伴った一撃はカオルの身体など簡単に吹き飛ばし、床に叩き付けるほどの威力となっていた。
なんとか起き上がって反撃しようと棒切れを構えても、その時には既にもういない。
視認できないほど速く動く相手に、目だけで追いかけているカオルには最早どうにもならないのだ。
(参ったな……少なくとも丸呑みにされる心配はないけどよ……強すぎるぜ)
それでも、これらの攻撃はカオルにとってはまだ随分マシな部類のものであった。
少なくとも不死身のカオルにとっては。
一撃が致命傷になりうる攻撃ですら、致命傷が致命傷にならないカオルにとってはただの打撃でしかないのだ。
その分、カオルにはまだ考えるなりの余裕があった。
サンドバックじみた呪いの効能というものである。
「ぐべっ――」
殴りつけられながらも、吹っ飛ばされながらも、どうにかならないかと、周囲に何かヒントはないかと注意深く観察するだけの時間があったのだ。
そうしてカオルは、気づく。
(――おっ)
塔の外に広がる、煙のようなもの。
狼煙だ。『子供達の救出が終わった』という合図が、今カオルにも見えたのだ。
(よしっ、よしよしよしよし!)
なんとか立ち上がりながら、鈍痛に痛む腹を押さえながら、カオルは口元が歪んでいくのを自覚する。
手にはまだ、棒切れがある。紐も切れていないが、今は考える必要もないだろう。
正面切っての戦闘ではさっきまで勝ち目ゼロだったが、ここにきて100%になっていた。
その為の必勝の策を、カオルは持っていたのだ。
「へへ、俺の勝ちだぜ……おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
その必勝の策とは、とても単純ながら。
自分の腹に、棒切れカリバーを突き刺すというもの。
――当たらないなら、自分に刺せばいいじゃないか。
そう結論を出したカオルの、自爆攻撃の敢行であった。
ぐい、と腹に向け突き刺さった棒切れが、全てを破壊し尽くすまでのわずかの間。
何が起きたのか解らず「えっ」と目を見開いた女悪魔は、さしものその速度も活かせず、驚いたままに広がってゆく光に呑み込まれていった。