#12.絶望のカルナス正門
人だかりの中聞こえていた喧騒は、やがて入り口の先の方から悲鳴じみたざわめきへと変わり。
そうして、それが街の入り口に達した時、人々は絶句の中、シン、とした空気に支配されてしまう。
女悪魔討伐に向かった衛兵隊の帰還。
そう言われれば聞こえこそいいが。
実際にカオル達が、そして街の人々が目にしたそれは、あまりにも悲惨極まりない、敗残者の集団だったのだ。
「う……うぐっ」
「そ、そんな……」
余りにも痛々しい様の衛兵の姿に、吐き気を催してしまう若い男。
口元を押さえながら、絶望のあまりよろめく年配の女性。
「……衛兵隊、五名、ただいま帰還しました」
先頭に立つ衛兵隊長だけが無事ではあったが。
それ以外の、その場に座り込んだ四名……集団と呼ぶにも少なすぎるその生き残りたちは、皆痛々しい四肢のいずれかの断絶と、それに伴う出血によって、生きているのが不思議な有様となっていた。
街を護るはずの衛兵が、虚ろな目、ぶつぶつと何かを呟くだけの機能しか持たぬ様などを見させられては、民の動揺も無理からぬものであった。
「帰還って……そ、それで、女悪魔は……?」
「それだけの犠牲を出して、まさか敵わなかったなんてことは……」
「……残念ながら」
衛兵隊長の第一声に反応した街の人々に詰め寄られながら。
しかしさほど感情が揺らいだ様子もなく、残念そうにも見えぬ面持ちで、彼は言うのだ。
――討伐は失敗しました。と。
「失敗しましたじゃないだろ!? 何人の衛兵を連れて行ったと思ってるんだ!?」
「百人はいたはずよ!? それじゃあ、その百人は……今ここにいる人達以外、皆殺されたって言うの!?」
「ふざけんじゃないぞお前! どんな無茶苦茶な作戦やったんだよ!? お前がっ、お前の指揮が無茶苦茶だったからそんな事になったんじゃないのか!?」
「衛兵隊長、あんたは何を考えてやがるんだ!?」
街の人々の動揺は、混乱は、ここにきて止めようのない波へと変質してしまっていた。
討伐が失敗しただけでも痛手だというのに、街を護る要となる衛兵隊までもが壊滅してしまったのだ。
生き残った兵は隊長以外負傷し、焦点すら定まっていないというのに。
そんな報告を、のうのうとしてそれで終わらせようとしたこの衛兵隊長に、街の人々の怒りが一気に集中していた。
「大体、なんであんた一人無事なんだよ!?」
「私は後方指揮に携わっていたから無事だっただけで……」
「一人だけ高みの見物してたんでしょう? 隊を指揮する立場の貴方が一人だけ助かるなんて、絶対おかしいわよ!?」
「う、うう……」
一気に詰め寄り掴みかかる民に、衛兵隊長は気だるげに応じるばかり。
次第に熱気は悪い方向へと強まっていき、やがて虚ろな目をしていた衛兵の一人が、不気味な呻き声を挙げ始め、民の勢いがぴた、と止まった。
「……ふぅ、全く。酷い言われようだ。私だってこの街の為にあの女悪魔を討伐しようと兵を動かしたというのに……それだけあの女悪魔が強かったのですよ! ですがご安心ください。尊い犠牲によって一時的に女悪魔の足を止める事には成功しました。しばらくの間、街の方は無事で――」
「う、ううぅぅぅぅぅ!!! 何が『尊い犠牲』だ! お前がっ、お前の所為だぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
民の動きが止まったのをいいことに、迷惑そうに衣服を整えながらその場を去ろうとする衛兵隊長に向け、その背後に立っていた隻腕の衛兵が絶叫ながらに剣を抜き、襲い掛かった。
突然の事に驚く民衆。
発狂したかのように見えた兵は、しかし正確に隊長へと剣を振り下ろし――
「――ふんっ、物狂いめが」
「ぐ……ぐひゅっ」
一閃。
隊長の剣によって横に真っ二つ、斬り裂かれてどう、とその場に倒れ込んだ。
「ひっ!?」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「な、なんてことを……」
モノ言わぬ屍となった元衛兵を前に、民衆が悲鳴を上げ始める。
そんな中、衛兵隊長殿は見向きもせず、割れた民衆の道を往くのだ。
……これが、今の衛兵隊長という男であった。
「ひっでぇ有様だったな……」
「夕べの内に出立したとは聞きましたが、まさかこんな早く、百人近い人が死んでしまったなんて……」
最早公園で話を聞くどころではなく。
街中に波及した『衛兵隊壊滅』の報は、絶望の中にありながらも生きようとしていた市民の心を容易く粉砕していった。
街はパニックに包まれ、人々は、それまで以上の暗い世界を生きる事となったのだ。
「……カオル様?」
衛兵隊長が去った後、最早何も語る言葉もないとばかりに無言のまま去っていく市民たちを見ながら。
カオルは、拳を強く握り、街の出口を見つめていた。
そんな姿に、サララは声をかけずにはいられなかったのだ。
何か、とても強い不安がよぎったというか。
少女の、根拠など何もない、ただの勘のようなものであったが。
「なあサララ。試してみてもいいか?」
「試す、というと?」
「女悪魔に」
「……」
そんなサララの不安など知る由もなく、カオルは笑っていた。
特に根拠もなく自信ありげに。
サララは呆気に取られてしまったが、だが。
不思議と、その笑顔を見て「この方ならもしかしたら」と思えてしまうのだ。
先程の不安はまだ消えていないはずだというのに。
何故か、ほかに手段はないように感じてしまって。
サララは、小さく頷いてしまった。
「なら、せめて衛兵隊がどこに向かったかだけでも調べましょう。女悪魔の住処とか、それくらいは調べないと、しらみつぶしになってしまいますし」
「ああ、そうだな……って言っても、目星らしいものはついてるんだけどな」
「えっ? そうなんですか……?」
驚いたように目を見開くサララに、カオルはちょっとだけ得意げになる。
普段は賢いこの猫娘に言いくるめられるカオルだが、こうして素直に驚いているところは年相応で、そして可愛いのだ。
「あのちょび髭……女将さんと言いあってた時に『あの塔に攻撃を仕掛ける』みたいな事言ってただろ? だから、その『塔』の場所が解れば……」
「なるほどぉ……その時は別のところに気が向いてたので気づきませんでしたが、その『塔』が女悪魔の住処になってる可能性が高いんですね」
「多分そうだと思うぜ。少なくとも何かしら手がかりがあるだろう。それに、昨日の夜街を出た衛兵隊がさっき戻ってきたって事は……」
「結構近い場所に塔があるかも知れない?」
「そういう事だろうな。だから、案外近くに女悪魔が住んでる場所があるのかもな」
「……それが解れば尚の事、今まで放置していた意味が解りませんね」
「ほんとにな……」
――女悪魔が街の近くに潜んでいるかもしれない。
そのように考えればそれほどに、二人はあの衛兵隊長に対しての不信感を強くなってゆくのを感じていた。
そうしてだからこそ、衛兵隊が失敗した以上、誰かしらが動かなくてはいけない、とも思ったのだ。
カオルもサララも、もうこの街の事件を見て見ぬ振りできるほど、他人面できるほど関わりが薄くもなく。
そうでなくとも、泣いている母親を見続けた以上、なんとかして解決しなくてはならないと、そう心に決めてしまっていた。
(……やっぱりこの方は、こういう時にはすごいなあ)
普段、よく考えが表に出るこのカオルという青年は、サララから見て、とても解りやすい、扱いやすい男性のように思えてもいたが。
このような時、彼はとても真面目で、そして強い正義感に突き動かされ、他人の不幸を見て見ぬ振りできない、そんな熱いところを持っているのも、知っていた。
今の彼は、そんな、サララ好みの男の顔をしていたのだ。
「サララもできるだけ頑張りますから、カオル様、頑張って女悪魔から街の子供達を取り戻しましょう!」
「おう! やってやるぞ!!」
――応援したかったのだ。傍にいて助けたかった。
普段怠惰な少女から見ても、今の彼はとても心強く、同時に危なっかしくも思える、そんな不思議な魅力に溢れていた。
見ていて助けたくなる、自分自身も見て見ぬ振りが出来なくなるような、そんな謎めいた力強さ。
カオルを動かしたのがサララなら、サララを突き動かしたのも、またカオルだった。
こうして二人は、静まり返った街の中、女悪魔の潜む拠点についての情報を探す事となった。