#9.受付嬢と負傷兵
翌朝。朝食を終えたカオルとサララは、さっそく調査の為、街の各地へと足を向けた。
候補地としては、昨晩コルルカ老と相談し合った結果、いくつか挙がっている。
①南のシェリス通り
②西にある聖堂教会、および病院
③東にある公園
この三つが、当面のところのベース地点だった。
シェリス通りは人通りが多く、商業の中心となる為多くの話が聞けるとの事から。
教会は神頼みに来る母親たちの対応から何か知っているのではないかという事から。
病院に関しては、女悪魔と実際に戦った衛兵の生き残りから何かしら話が聞ければ、という点から。
公園は、誘拐事件が起きた場所として、ダントツに件数が多い、いわば被害集中地点とも言える場所だったから、というのが候補の理由であった。
以上の箇所をベース地点として、午前の間はカオルが教会と病院を、サララはシェリス通りをそれぞれ回り、午後からは合流して公園で何がしか異変がないか、話を聞けないか調べることにしていた。
コルルカ老も街の商人たちを通して何がしか人々の役に立とうと考えたらしく、カオルらより一足先に街へと発って行った。
「そろそろ俺達も行くか」
「ええ。カオル様、どうぞ気を付けてくださいね。カルナスは治安のいい街のはずですけど、それでもこういう時は皆ピリピリとしていますから」
「ああ、意味もなく面倒ごとに首を突っ込んだりはしないぜ。俺も、喧嘩とかはしたくないしな」
一応腰には棒切れカリバーを差してはいたが、こんな街中で迂闊に振り回せるような代物ではないのはカオルにも解っていたので、あくまで差しているだけのものであった。
穏やかとはいいがたい、人の心の沈みきった街の中。
どんなことが起きるのか解らない以上、安全のために一応、持っておきたかったのだ。
カオルなりの護身というか、警戒故のものであった。
「サララも気をつけてな。もし、女悪魔に襲われるようなら……」
「あはは。上手く逃げられたらと思います。そうならないのが一番ですが……」
「まあな。それじゃ」
「はい、また後ほど」
後の合流地点はもう決めてある。
今はただ、少しでもできる事をするつもりだった。
カオルはまず、女悪魔関係での負傷者が入院している病院を訪れていた。
コルルカ老の知る情報によれば、この医院はプーシェという富豪の女性が友人と共に設立したもので、元々は市民の為にと建てられたものであったが、当人が亡くなってからは街の管理施設という扱いで経営移行が行われていた。
現在は女悪魔関連で負傷者が後を絶たない為、臨時の救護施設として衛兵隊がベッドの大半を独占し、市民の利用には衛兵隊の許可が必要になるなど、様々な不便が生まれていた。
(こういうのもやっぱ、街の人が怒る原因になってるんだろうなあ)
見た目はとても清潔感溢れる建物ながら、カオルにはどこか、その建物自身がどんよりとした、好くない空気を孕んでいるようにも感じられ、妙な胸やけがしていた。
「ちょっといいかな?」
意を決して入り、入り口すぐのカウンターで書類仕事をしている女性に話しかける。
女性はというと、カオルが声をかけるとすぐ視線を向け、口元を緩めてカオルの元へと来てくれた。
「はい。本日はどのようなご用件で?」
「俺、カオルって言うんだけど、ちょっと、街で騒ぎになっている女悪魔の話について聞けたらって、そういう患者さんと会えたらって思ってさ」
この辺りはカオルのいた世界と変わらずか、受付のお姉さんはやんわりとした態度で接してくれたので、カオルも安心して懐から書類を取り出し、見せる。
これは、今朝がたコルルカ老から預かった『ギルド役員委任状』というもので、カオル達がカルナスの商人ギルドからのバックアップを受けて活動している、正当な請負人であるという証明書であった。
街の為活動しようとしていたカオル達の姿に感銘を受けたコルルカは、その日の内に関係各所に回り、この委任状を取りまとめてくれていたらしく、これによってカオル達は、ある程度街で自由に動けるという話であった。
「これは……そうですか、やはり衛兵隊だけでは手が足りず、民間から……」
少し寂しそうに口元を引き締めながらも、受付嬢は委任状を確認し「解りました」と小さく頷いてくれた。
「ですがカオルさん、お話についてですが、聞くことができる方は少ないと思います」
「女悪魔について知ってる人は少ないって事?」
「いえ……現在この医院に入院している方の大半は衛兵、それも女悪魔の襲撃で負傷した方がほとんどですので、知らないという事はないでしょうが……」
「知らない事はないけど、話せない?」
「……えぇ。衛兵隊員は、自らの体験をあまりべらべらと人に話すことを禁じられていますので。それに、そうでなくとも自身の身に起きたことを思い出したくもない、トラウマになってしまっている方も少なからずいるようですので……」
「そっか、トラウマか……」
入院するほどの負傷を負うような相手と対峙してしまったのだ。
いくら衛兵であっても、拭い去れない恐怖となってしまうのも無理はなかった。
聞けば、負傷どころか惨殺された者も多いという話だし、生き延びる事が出来た者も、そう浅からぬ負傷を負っている可能性も考えられた。
カオル自身、盗賊に痛めつけられた時に受けた恐怖は未だに忘れ得ない。
そういったトラウマがあるからこそ、カオルも負傷兵らが受けたそれを無視する事なんてできやしなかったのだ。
「一応、お話しできる方がいるかだけ確認してみましょうか?」
「ああ、お願いするよ。だけど辛いなら無理しなくてもいいぜ。痛い目にあってそんなのを思い出すのは、かなりきついだろうからさ」
「……そういった気遣いをしてくださる方ばかりなら、被害者の方々ももう少し救われたのでしょうが……」
半ば実体験込みの、カオルなりの気遣いのおかげもあってか。
やや表情を強張らせていた受付嬢は、一瞬だけ柔らかく微笑んでくれたが。
去り際、呟くように出た言葉は、どこかそうでない者達に対しての怨嗟を込めたもののように、カオルには感じられた。
(遠慮なく聞いてくる奴とか、結構いたのかな……)
受付嬢が向かった方を見ながら、カオルはぼんやり、去り際の言葉の意味を考えていた。
女悪魔の話を出した時の彼女の表情は、やはりというか、かなり警戒心を前面に押し出していたように見えたのだ。
それが解けたのは、彼らの心を追いつめないように気を遣った事から。
そう考えると、やはり無思慮に人のトラウマを踏み抜くような輩がこの病院に訪れた事もあったのかもしれない、と、カオルは思い至ったのだ。
もしかしたら、カオルのように負傷者の話を聞こうと思い至った誰かが、やはり衛兵隊に任せておけないとばかりに詰めかけたのではないか。
自分たちで解決しようと、それによって苦しむ人がいるのに構いもせず押し入ろうとしたのではないか。
それはあくまでカオルの想像でしかなかったが、『自称正義の味方』も方法次第では迷惑極まりない存在になるのだと、どこか反面教師じみた教訓を感じずにはいられなかった。
「お待たせしました。ほとんどの方は無理でしたが、一人だけ、話をしてくれるという方がいましたので案内しますね」
少しの間待っていたが、色々考えているうちに、受付嬢が戻り、結果を知らせてくれる。
カオルとしては朗報で、最悪病院での情報収集は諦めなくてはいけないかとも思っていたが、幸いな事にそれは避けられたらしかった。
「本当かい? ありがとう、助かるよ」
「いえ……私も、その方も、このような問題が少しでも早く解決されるなら、その方がいいはずですから……」
俯きながらも、それでも小さく頷き。
受付嬢は、「案内しますわ」と、先導してくれた。
「――君が、俺の話を聞きたいって人かい?」
受付嬢に案内されて着いたのは、奥まった場所にあった個室であった。
室内にいたのは、腹周りと左足を包帯で巻かれただけの男。
廊下を歩く最中聞こえた呻き声などからよほどの重傷者ばかりだと思っていたカオルはその男の軽傷な様子に、「ちょっと意外だな」と違和感を受ける。
「初めまして。俺はカオルっていう者だよ。傷ついている人にこういう話を聞くのは酷かもしれないけど、女悪魔について何か知っている事があったら教えてほしいんだ」
「女悪魔……ああ。確かに俺は知ってる。長い茶髪の……巨大な蝙蝠のような翼を持った奴だ。俺が見た時には、空から突然襲い掛かってきて、子連れの母親を突き飛ばして、子供を奪おうとしていた」
「やっぱり、空から襲われるのか……」
「ああ。空に何かいると思ったらあっという間に子供の目の前さ。俺はなんとか剣を構えて子供を守ろうとしたが、直後に吹っ飛ばされちまってな。顔の前に何かが迫ったと思ったら頭から壁に叩き付けられて、気が付いたらベッドの上だった」
おかげでこのザマだ、と、皮肉げに口元をにぃ、と歪める。
負傷者とは言っても、それなりに心の余裕がまだ残っている人だったらしい、とカオルは思いかけたが、男の視点が、その焦点がずれた場所に向いていたことにも遅れて気づいていた。
「……なあ、あんた、もしかして、目が」
「気づいたか。ああ、その通りだ。なんにも見えねぇ。声がするからそっちを向いてるつもりだが、向きはあってるかね?」
「向きは大体あってるよ。そうか……見えてないのか」
「まあな。だが、ナースの姉ちゃんから話を聞く限り、俺はまだマシな方らしいからな。見えないっつったって完全に失明した訳じゃないから、時間が経てば治るらしい――他の時に応戦した奴らは、皆瞬殺されるか、生きてても腕や足のいくらかが吹っ飛ばされちまってたって話だから、目が見えないくらいで済んでるのは大分、な」
「……そっか」
慰めの言葉をかけようとしても、それがどれだけ辛い事なのかの想像すらできない。
カオルの世界にも、そういった人は一定数いて、そしてそういう人達はえてして人より苦労している、とプロパガンダによってそう説明されてはいたが。
その本人になった事の無いカオルにとって、ぱっと見で「大変そうだなあ」と思いはしても、それは全く実感の伴わない感覚であった。
いわば他人事。身に染みていなかったのだ。
この衛兵のように生々しく包帯姿なのが見えているような相手でも、やはりカオルには理解が追い付いていなかった。
傷を負うというのは本来とても恐ろしい事で、身体の部位が動かなくなるというのは、それだけで絶望的な状況になることなど、不死身のカオルには解らなかったのだ。
それはある意味、正しく呪いのようなものであった。
だから余計なことは言えず、ただ黙ってじ、と見ている事しかできなかったのだが。
そんなカオルに、衛兵は堪えるように口元を押さえ、そして噴き出していた。
「く、くく……なんか知らんが、慰めの言葉一つ向けようとせんのだな、君は」
「あ、ごめん」
「いや、いいんだ。その方がいい。飾ったような言葉なんて向けられても、虚しいだけなんだ。『お前なんかに俺の何が解るんだ』って、変な苛立ちまで感じちまうことだってある。なんもかんも、解って欲しい訳じゃないんだよ。いいや、こんな辛さ、誰にだって解って欲しくはない」
「……解るって事は、そうなっちまってるって事だもんな」
「そうだな。だから、君が余計な事を言わずにいてくれたのが、なんだかおかしくってな。考えてくれてたんだろう? 君のような奴は珍しい。そしてありがたかった」
「そうか」
「ああ」
衛兵の口調に、最初カオルは「嘘でも何か言ったほうがよかったか」と、思いもせず何か口走ろうとしていたのだが。
それを制するように首を振る衛兵からの言葉に、カオルは安堵し、同時に「いい人だなこの人も」と、負傷して、目が見えないのがもったいなく感じてしまっていた。
互いに互いの顔をしっかり見える状態で、知り合いたかったのだ。
自分という奴の顔を見て欲しかった。目を見て話し合っていたかった。
そう思わずにはいられないほど、カオルは今、この負傷者に親近感のようなものを覚えていたのだ。
衛兵隊に対しての不信感はまだ完全には拭い去れないが。
それでも、カオルにとって彼ら衛兵とは、故郷とも言えるオルレアン村にいたあの兵隊さんと同じような、そんな温かな連中であってほしいと、そう願っていたのだ。
それが、ようやく満たされたような気持ちになっていた。
こうして、様子を眺めていた受付嬢も安堵する中、カオルはこの負傷兵と、しばし歓談も交えた情報のやりとりを行った。