#7.旅籠の女将と衛兵隊長
衛兵隊本部を後にしたカオルは、浮かない気持ちながら、黙ったまま歩いていた。
受け取った金袋はそれなりに重かったが、まるでおもちゃのようにぴょんぴょん投げて受けて、また投げてたまに落として拾ってを繰り返す。
隣を歩くサララも、カオルの気持ちを察してか硬い表情のままである。
「なんつーか……村の兵隊さんみたいないい人ばっかの集団だと思ったけど、結構つまんない事する人もいるんだなあ、衛兵隊って」
「そうですねえ。あれは私もちょっとショックでした。以前訪れた時は衛兵隊ってすごくびしっとした人達の集まりだと思ってたんですけど、私の思い出補正だったのかもしれません。自分の記憶の中にあるものって美化されちゃうんでしょうかね?」
「わかんね……でも、苦しい言い訳だったよなあ」
「絶対に懐に入れてますよあの人。あの人が入れてなくても、多分その上役とかが使い込んでます」
カオルが口に出すとサララも合わせて口に出す。
実害の伴う嘘というのがこれほどに迷惑な代物なのか、と、カオルはため息をつかずにはいられない。
これならまだ、あの嘘つき女神様の嘘は可愛げがあるというものだった。
例え見え見えな嘘だったとしても、カオルにはもう愛嬌があると思えるだけで、それ以上に気分が悪くなったりはしないのだから。
「金貨100枚って、この辺りだとどんくらいの価値なんだろうな……宿屋って結構高い?」
「ちょっとした旅籠でも金貨10枚あれば二人で一月、朝昼の食事込みで滞在できると思いますよ? 額としてはかなりの金額ですから、あんまりそうやってぴょんぴょん投げるのは……」
「……あー、悪い」
なんとなく手持無沙汰で投げて遊んでいたが、思いのほか大金だった事に気づき、変な汗がカオルの頬を伝った。
村で暮らしている間や旅路では銀貨や銅貨、場合によっては物々交換で成り立っていたが、それとはまた、金貨は価値の異なる貨幣だったらしい。
急いで懐にしまうカオルを見て、サララもようやく表情を柔らかくする。
「カオル様は街での暮らしは経験がないんですね。金貨は街や貴族との取引でしか使わないから、地方暮らしが長いと価値が解り難いんですよね」
「ああうん、確かにそうかもしれない。暮らしているところによってお金の種類が違うのって、ちょっと解り難いよな」
「本当、そう思います。これだけがこの国の不便なところなんですよねえ」
困ったもんです、と、眉を少し下げながらも、隣を歩き微笑みを見せてくれるサララ。
話している間に機嫌が戻ったのか、尻尾も平常時のままになっていた。
「サララの暮らしてた所は統一されてたのか?」
「ええ、まあ。私の国は金の産出量が多かったので貨幣は金貨中心でしたね。後は国外からの商人向けに銀貨を使ってたくらいでしょうか」
「へぇ……」
少し解り難い話が出てカオルは相槌を打つくらいしかできなかったが、そういった言葉がさらさらと出るくらいには賢いこの猫娘が、今のカオルにとっては頼りになる相棒のように感じられていた。
それとは別に、可愛い人であってほしいとも思っていたが。
「あ、ありました。あれが『ぱえりお亭』みたいですね」
「おお、すごい解りやすい看板だな」
ひとまずコルルカ老に紹介された宿を探す為アイリス通りを歩いていた二人であったが、目的のぱえりお亭は、表に大き目の鍋と枕のマークがついた看板が掛けられており、一目でそれと解るようになっていた。
「思ったより大きな旅籠ですねえ。コルルカさん、顔が広いなあ」
「へえ、これが旅籠……とりあえず入ってみるか」
「そうですね~」
宿と聞いてカオルが思い出したのは、元居た世界で、家族旅行や修学旅行で使った旅館だとか民宿だとかである。
勿論世界観の違いというのはカオルも承知していたので、それと同じものが出てくるとは思いもしていなかったが、それでも幾分、イメージの中の旅館に近い、大きな建物であった。
入り口の扉を開くと、すぐに目に入るのは美しい何かの花が植えられた鉢植えがいくつかと、カウンター。
このカウンターにも小さな花瓶が置かれており、旅籠の主である女将が花好きであることが窺えた。
「あれ? 誰も居ない……?」
「ごめんくださーい」
だが、人の姿はなく。
カオルもサララも、しばし奥から誰か出てこないかと待っていたが、やはり誰かが気づいて出てくる様子はなかった。
「留守なのかな……?」
「こんな大きな旅籠で店員の一人もいないなんて考えられないですけど……何かあったんでしょうか……」
首を傾げながら奥の通路を見つめる二人。
首を傾げ、どうしたものかと困ってしまっていた。
――そんな時である。
『いい加減にしてください! そんな悠長に食事なんてとっている暇はないんじゃないですか!?』
通路の奥の方から聞こえてきた、女性の叫ぶような声。
その声に「何事か」と、カオルらは視線を向けるも、それだけでは何がしかが進展する様子はなく。
「とりあえず、入ってみるか」
「そうですね。何か様子がおかしいですし……」
二人も、これが民家なら少しはためらったのだろうが、ここは旅籠。
客として訪れた二人が立ち入ろうと、そんなに問題はないはずであった。
そんな正当化をしながら、二人はそろそろと、声のあった、通路の奥へと向かっていったのだ。
通路の奥。旅籠の一階部分は食堂になっているらしかった。
看板の鍋のマークが示したものがそれらしく、大勢の客が一度に食事を楽しめる程度には広く、席数も多い。
だが、昼時にも関わらず客らしい客は一角を除いてほとんどなく。
それだけに、そこに座っていたちょび髭の中年男と、その男に向け睨みつけるようにして正面に立つ若い女性、そしてそれを心配そうに見つめる男達の姿が目立っていた。
入り口に立ったカオル達は、ひとまずはその様子をその場で眺める。
「まあまあ、落ち着いてくださいよ奥さん。そう私に怒鳴りかかられてもね……」
「今こうしている間にも、私のアンヌは悪魔に食べられてしまうかもしれないのに……貴方はこんな時間からのんきにお酒ですか!?」
「私だって食事くらいはとってもいいではないですか。それに奥さん、あの女悪魔に関しては、今討伐隊を編成している最中なのですよ。今夜、今夜にでもあの『塔』へ攻撃を仕掛けるつもりなのです。ですから――」
「貴方は何を言っているの!? 今までだってチャンスは沢山あったはずなのに! あの悪魔が街へ襲撃してきたことだって一度や二度ではないはずなのに、何故衛兵隊はそうした時に討伐してくれないのですか!? そうしてくれれば、私のアンヌだって……」
「我々衛兵隊も、悪魔と遭遇し次第、市民を守るために応戦はしているのです。ですが……思いのほか女悪魔の力が強く、返り討ちに――」
「そんな事で街を護る衛兵隊を名乗っているのですか!? 偉そうにして、沢山税金を取っておいて!!」
「お、女将さん、それ以上はいけねぇや」
「気持ちはわかるけど、一旦落ち着きましょうや」
後ろの男達が止めるのも聞かず、興奮した様子で顔を近づけ、唾をも飛びそうなほどの勢いでまくしたてる女将に、しかしちょび髭の男はすました顔で迷惑そうに「ふぅ」とため息をつき、席を立つ。
「どうにも、食事どころではなさそうですな。今日のところはこれで失礼しますよ」
「返してくださいっ、私のアンヌを、早く私に返して!! あの人が亡くなってから、アンヌだけが私の生き甲斐だったのに……こんな、こんなの、あんまりだわ……」
「……今夜です。とりあえず、結果を見てください」
最後には膝を落とし泣き崩れてしまった女将を尻目に、ちょび髭の男は食堂から出ていく。
「おっと、失礼」
「あ、ごめんよ」
「すみません」
当然、入り口から見ていたカオルらの方に向かってきたので、通路で鉢合わせる。
カオルは正面からだったが、サララは譲るように背中を向けるように壁に手をついていたため、間近で顔を見る事はなかった。
フードで頭部が隠れてしまっていたため、猫獣人であった事すら気づかれなかったかもしれない。
そのまま去っていく後姿もすぐに見えなくなり、食堂から聞こえてくる嗚咽がいつまでも終わらないのもあって、二人は意を決して、食堂へと入っていった。
目先の問題を、どうにかしようと思ったがために。