#5.カオル、カルナスに着く
「……ようやく、着いたか」
「……ようやく、着きましたね」
冬の風吹きすさぶカルナスにて。
一組のカップルが、疲れ切った面持ちで街の入り口に立ち尽くしていた。
カオルとサララである。
先程まで乗っていた馬車と別れを告げ、ようやくにして、目的の街の土を踏むことができたのだ。
「まさか、カルナスがこんなに遠かったとはな……」
「本当に……着きはしましたけど、大分時間が経っちゃいましたね……」
とほほ、と、二人してため息をつく。
ビオラの村からのカルナス直行便は、実際には直行便という名の各地巡回ルートで、日ごとに様々な村を経由し、最終的にカルナスに到着する、というものであった。
これに関してはビオラで分かった事だが、ビオラから最初の中継地点に戻る馬車は存在しなかったため、やむなく二人はこのルートでカルナスに向かう事になった。
当座の路銀として頼りにしていた村人からのカンパも道中の生活費で底を尽き、旅を共にしていた老商の手伝いをする事でなんとかカルナスまでたどり着けたのだ。
「いやあ、ようやく着いたのう。久方ぶりのカルナスじゃ」
カオルらに遅れて街の入り口にやってきた老商・コルルカは、手荷物などをわずかに持つばかりの身軽な様子で、カオルらの隣に並び立つ。
久方ぶりのカルナスに、髭を弄りながらに感慨深げに小さく何度か頷き、そうしてまた、カオルらの顔を見た。
「お前さん達のおかげでビオラでの商売に苦労はせなんだが、思ったより長く掛かったのう?」
「ああ、そうだな」
「でも本当、こうやって街に来れてよかったですよ。コルルカさんのおかげです」
「いやなに、『旅の友は付き合い短くとも生涯の友と思え』と先人も言うとる。結果的にお互いにとって最良の結果になったのだから、いや、ありがたいことじゃよ」
カオルには知らない言葉ながら、コルルカ老の言う格言めいたソレに、ちょっとした感激のようなものを覚えていた。
助け合い精神というのは、異世界でもやはり大切なのだ。
いいや、異世界だからこそ大切なのかもしれない、と。
その基礎を、自分はあの村で知る事が出来たのだから、覚える事が出来たのだから、村で覚えたことはきっと、世の中を生きていくうえで大切なことの、その基本なのだろうと、そうカオルは考えていた。
「しかし、まさかサララに商売の才能があったとはなあ」
「えへへ……私も、まさか自分が呼び子のプロだったなんて思いもしませんでした」
「ほんにのう。サララちゃんには商の神の加護があるのかもしれん。そう思わずにはいられんほど、あの呼び子の上手さは神がかっておった」
ビオラで行商の手伝いをするにあたって、カオルは馬車と村との荷運び、サララは呼び子をする事によって貢献していたのだが、特にサララの掛け声は、そのよく通る声、可愛らしい笑顔、そして途切れることなく続けて話せる賢さとがマッチし、多くの客を呼び込むことに成功していた。
ただ可愛いだけでは顔を見て終わりだが、商品説明の上手さや客の心理を掴む為に必要な機微の聡さなどによって一度寄ってきた客を離さない為、商品が飛ぶように売れていったのだ。
これらサララの持ち合わせる才覚は、いずれも容易に醸成されるものではなく、これを以てコルルカ老は「この娘さんは商人になる為に生まれたに違いない」と舌を巻いていた。
「えへへ~♪」
そしてこの愛らしい猫顔である。
カオルとしては「また知らない間にプロになったのか」と呆れ半分ながらも、コルルカ老の商売の手伝いに成功してこうして三人、上機嫌でカルナスまでたどり着けたのも確かにサララの功績が大きいので、それ以上は口には出さない。
「さあて、ほどなく冬の祭りも行われるじゃろうし、今のうちにちょいと準備中の街を見て回らんか? 案内するぞ?」
「いいのかい? じゃあちょっとだけ……」
「ついでにお勧めの宿屋さんなんかも教えてもらえると助かりますね~」
「ははは、任せておけ。このコルルカ、カルナスの街は第二の故郷みたいなもんじゃからなあ」
結果として、カオルにとって初めてのこの街で、出会って間もないとはいえ顔見知りの相手ができて、そしてその人から信頼のおけそうな宿屋を紹介してもらえるというアドバンテージを獲得できたのだ。
馬車で話しかけてきたこの老爺と意気投合できたのは、二人にとって僥倖であったと言えよう。
「あっ、コルルカの親分! いらっしゃるなら手紙ででも教えてくれれば、迎えの一つも寄越したんですが……」
コルルカ老の案内で街を歩こうとした矢先であった。
通りに沿って歩き出した一行は、枝道の隅っこで話し合っていた男達に呼び止められる。
これもやはり商人風の、やや強面の中年男達である。
「おう、サドンの。いやなに、冬祭りに遊びに来るのは部下には内緒の事でなあ。それに、今は友達とほれ、こうして観光なぞしている最中なんじゃよ」
「そうでしたか、いや、こりゃ失礼を」
親しげに、というよりは目上に対してのような口調で話すこの男たちに、コルルカ老は変わらぬ口調と手振りでカオルらを示しながら、からからと笑っていた。
男達も、最初こそ難しい顔でカオルらを一瞥していたが、コルルカ老の「友達」という言葉に、途端に人の好さそうな顔を見せる。
「カオル、サララちゃん。こいつらはな、ちょいといかつい面はしてるが、冬祭りの時に出す店なんかの元締め役なんじゃよ。若い頃にちょいと世話を見てやったことがあってのう……」
「いやはや、若い頃の話を出されちゃ叶いませんや」
「親分にゃいくつになっても勝てる気がしませんぜ」
がはは、と、その場にいた男らが豪快に笑うが。
「は、はは……そうなんだ」
「あははは……」
露店商同士のジョークはカオルとサララには若干、難解であった。
「しかし親分、折角祭りを楽しみにしてくれてるようで申し訳ねぇが……今年はちょいと、いけませんや」
「今年は祭りどころじゃないですぜ……」
出だしこそ朗らかな雰囲気になったものだが、男達はやや険しい顔をしながら老爺に顔を近づけ、小声で話し始める。
自然、カオルらも聞こえるように近づくことになり、輪が狭まっていった。
「どういう事じゃ? そういえば街の雰囲気が……ちょいと祭り前にしちゃ、静かすぎる気はしていたが」
「通りにしては、あんまり人が出歩いてませんね……」
「それって……もしかして、何かあったのか?」
祭りに関して何事か起きたのか、と、老爺は眉をひそめるが、カオルらも街の様子に若干、違和感を覚え始めていた。
カオルとしてはこの街は初めてなので正確なところは解らなかったが、それでも、祭りが近いにしては静かすぎるのだ。
コルルカ老とサララは既にその辺りしっかりと気づいているらしく、不思議そうに首をかしげていた。
「どうもこうも……最近になって『女悪魔』が出没するようになっちまって」
「なに? 女悪魔じゃと?」
「その女悪魔が街の、小さな子供をさらっていくってぇ事件が何度も起きてやしてね……この辺りはまだ入り口だからそうでもねぇが、市場の方なんかはもう、毎日が葬式じみてまさぁ」
「子供をさらわれた母親がそこかしこで泣いてて……酒場もやけ酒の亭主や衛兵隊に不満持ってる奴らが入り浸ってて、どうにも街中空気が好くねぇ……」
「なんと……」
祭りを楽しみにしていたコルルカやカオル達にとって、なんとも予想外な事態であった。
この『女悪魔騒ぎ』、しかしカオルらは聞き流すこともできず、話に耳を傾ける。
「衛兵隊はどうしたのだ? そのような悪魔が現れたとあっては、無視している訳ではないだろう? 子は街の宝じゃぞ?」
「女悪魔が現れた時に、何度か応戦していた衛兵は見ましたがね……皆惨殺されるか、まともに動けなくなるくらいに痛めつけられて……何せあの女悪魔ときたら、空を飛んでやがって」
「あんまり素早く動くもんだから、弓や投石が狙いをつけるのもできねぇで、気が付いたら斬りつけられてたって寸法でして」
「むぅ……討伐隊は? そこまで問題が大きくなっておるなら、衛兵隊本隊が部隊を編成するはずではないか?」
「それが……あの衛兵隊長ときたら!」
「あのちょび髭野郎! なんだかんだと理由をつけて、討伐隊の編成を遅らせてやがるんでさ! その所為で、衛兵隊に対して罵倒や投石を始める奴まで出てくる次第で……」
「何がひでぇって、女悪魔には何の対処もしねぇ癖に、自分らに暴言吐いた奴は容赦なく逮捕して牢屋に放り込んでやがるんだ! それも全部あの衛兵隊長の仕業だって話でさぁ!」
聞けば聞くほどに酷い話で、そうして、衛兵隊という組織の存在に疑問を抱かせる、そんな状況であった。
これにはコルルカ老も愕然とした様子で、肩を落としながらも「そんな事が」と、うつむいてしまう。
「去年この街に来た時には、そんなに悪い噂は立っておらなんだと思ったが……」
「あのちょび髭は、半年前に登城して戻ってきてから、人が変わっちまったんだ」
「最初こそ良い面してたけど、化けの皮が剥がれたんでしょうよ。それにしたって、こんな状況になってからそんな事しなくてもいいだろうに……くそ!」
男達にしても、自分の街の衛兵隊長が不可解な態度をとり続けている事には苛立ちを隠せないらしく、悔しげに拳を握り、幾度も石畳を踏みつけていた。
それですら、衛兵隊の耳に入らぬように、と、こそこそとしたものであったが。
確かに、街の住民にとって衛兵隊という存在は、頼りになるものではなくなっていたのだ。
「ううむ……困ったのう。カオル、サララちゃん、折角楽しみにさせてしもうたが、このような状況では……」
「ああ、祭りどころじゃなさそうだな」
「残念ですが……」
「すまんのう。あれだけ吹いておいて、街がこんなザマではなあ。こんな時、商人は無力じゃわい」
カオル達に気を使ってくれてはいたが、コルルカ老自身、楽しみにしていた祭りがなくなったも同然なのだ。
気落ちしないはずもなく、視線を下に落とし、街に来たばかりの時の上機嫌はもう、どこかに失せてしまっていた。
ただただ、縮こまるばかりである。
「とりあえず、俺達は用事があるから衛兵隊本部に行くけどさ、街の人たちに、何か役に立てることがあるか聞いてみる事にするよ」
「コルルカさん、どうかあまり思いつめずに……」
あまりそのままの空気でいるのもよくないと思い、カオルは手をあげ、幾分キリリとした面持ちで話を切り替える。
サララも空気を読み、気を遣うようにコルルカ老の背中をさすっていた。
「ああ、うむ。ありがとうな二人とも。宿じゃが、『アイリス通り』の『ぱえりお亭』の女将がまだ若いがワシの顔なじみでのう。女将に『コルルカに紹介してもらった』と言えば、割安で泊めてくれるはずじゃよ」
「アイリス通りのぱえりお亭だな? ありがとうなコルルカさん」
「ワシはこれから少し、街の状態を確かめてくるでの。後で宿には向かうつもりだが、二人も、女悪魔には気を付けとくれ。子供ばかりが狙われているようだが、いつ狙いを若者に変えてくるか解らんからなあ」
「空には気を付けるぜ」
「それでは、また」
「またな」
この老爺と今別れるのはカオル達にとって惜しくはあったが。
元々の用事もあり、そのままでは何の解決にもならないのは解っていたので、一旦コルルカ達と別れる事にしたのだ。
コルルカもその辺りは解っているのか、幾分気を取り直し、男らに一言二言何か指示を出したかと思えば、カオルらとは別の方へと歩いていく。
こうして、カオルとサララは、気になる事はあるものの、一旦衛兵隊本部へと向かった。