#4.ある娘の末路
それはいつの事であろうか。
年の頃もまだ17、8の娘が一人。
長く鮮やかな亜麻色髪が地に付くのも厭わず、揺れる聖堂の炎を前に、祈りを捧げていた。
「……今日も、無事を祈っているのね」
静かに、ひたすらに祈りを続ける娘を前に、この教会を取り仕切る聖女が声をかける。
すると、娘も立ち上がり、無言のまま会釈し、再び炎を見つめる。
「シスター……ええ、あの人の無事を祈らない日はありません。私の……私達のこの子の為にも。無事に帰ってきてもらわないと」
「今の時代、旅をするにも大分平和になってきてはいるけれど……それでも、行商の妻というのは、心休まらないものね」
「ええ……できれば一緒についていきたかったのです。今回も」
大きく膨らんだ下腹部をさすりながらに。
幾分優しい面持ちになりながらも、娘はやはり、最愛の人の事を想わずにはいられなかったのだ。
「だけど、私はママにならなくてはいけないから……」
「そうね。大切な人の子を身ごもっているのだから、長旅はちょっとね」
「あの人も同じことを言っていました。だから……今はこうして、祈る事しかできないのです」
再びを跪き、手を組む。
身重の身では、この姿勢すら辛くなりつつあるのだが、それでも。
愛する男の無事を祈る事が、娘にとっての心の安息にも繋がるのだとシスターは理解していたので、それを止める気にはなれなかった。
それでも、その身の負担が少しでも軽くなればと、シスターは祈る娘の肩にそっとストールを掛けあげた。
すると、娘は「ありがとうございます」と、心からの感謝を伝えるのだ。
娘は、幼少より信仰心が強く、このシスターが幼いころからの顔なじみでもあった。
子供の頃から純朴で、「素敵な人のお嫁さんになりたい」というありがちな夢を抱いていた娘であった。
自分の母親の様な、素敵なママになりたいと本気で願っていた娘であった。
だからこそ、その夢が叶いそうな今、彼女は必死に願っているのだ。
――愛する人の、無事の帰宅を。
「嘘でしょう……っ」
その悲報が届いたのは、いつのことであっただろう。
聖堂に響くのは、茶髪の娘の小さな嗚咽。
床に髪が垂れかかってしまっていても気にもせずに、ただひたすら、溢れ出る涙と声とをかみ殺すように、娘は俯き、一心に祈っていた。
「……」
そんな娘の様子を、シスターは見ている事しかできなかった。
掛ける声すらなかった。あんまりにも、あんまりな悲劇。
「嘘ですよね、シスター……こんな、こんな事が、こんな事が、起きるわけ……」
「……嘘だと、思いたかったですわ」
「……うぅっ」
娘には、二つの悲劇が舞い降りていた。
一つは、最愛の人の死。
旅先で何者かに襲われ、命を落としたのだという。
金品はそのまま、土産物にしようとした品も奪われる事なく、ではなぜ殺されたのか、と、疑問の残る死ではあったが。
せめて身内に残った品や金銭を返してやろうと、親切心を持った誰ぞかが、街を訪れたのだ。
知らずにいられれば、もう間もなく子を産めたはずの彼女は、夫の悲報に心を大きく乱され、それは身体にも……産まれるはずだった我が子にも、よくない影響を及ぼしてしまう。
愛する者の死という強烈なショックにより、娘は産まれるはずだった我が子をも失い。
絶望の中悲嘆に暮れ、現実逃避する事しかできなくなってしまった。
「強く生きて……と言うのも、貴方には酷なことかもしれないけれど。今はそれしか言えないわ」
「シスター……なんでなんでしょう? 私は、私はただ、あの人と一緒に、幸せに暮らして……ママに、ママになりたかっただけなのに」
「生きてさえいれば、この悲しみを乗り越えられる日は必ず来るわ。心を強くお持ちなさい」
「でも! 生きていたら、生きていたら私、ずっとこの悲しみを抱えていなきゃいけないのでしょう? なんで、なんで女神様は、私の大切な人と、私の……私の赤ちゃんを、奪っていってしまったんですか……? こんなの、あんまりじゃないですか……ひどすぎる」
「……女神は、決して貴方から大切なものを奪ったりはしないわ」
「だけれど、助けてもくれなかったわ! 私は、私はこんなにも悲しくて……救われない気持ちになって! あんなに祈りをささげたのに! あんなにあの人の無事を祈っていたのに!」
「それは……でも、私は、せめて貴方だけでも生きていてくれて、よかったと思っているわ。場合によっては、貴方自身の命だって危ないことに――」
「……こんなに辛い思いをするくらいなら、子供と一緒に死ねた方がずっと幸せよ! 私一人だけ生きて、こんな悲しい気持ちをずっと抱えて生きていかなきゃいけないなんて……そんなの、私には辛すぎる……!」
「……」
慰めの言葉すら上辺を繕ったものにしかならず。
娘の心からの苦しみ、悲しみ、辛さなどが思いのまま語られるその吐露に、シスターはもはや、返す言葉も思いつけなかった。
愛する男を失った悲しみ。生まれるはずだった子が流れてしまった母親の苦しみなど、彼女には何一つ実感できない事だったのだ。
同情こそすれ、自分では体験した事の無い苦しみを味わうこの娘を心から救い出せる言葉を、シスターはまだ、持ち合わせていなかった。
それがどうしようもなく歯がゆく。
ただただ、悲しみに暮れる娘を見つめ、シスターは立ち尽くしていた。
そうして涙が枯れるまで泣き続けた娘は、やがて虚ろな瞳のまま何事か呟きながら、ふらふらとした足つきで教会を出ていき。
その日の夜に、街を流れる川に身投げし、その短い生を終えた。




