#3.兵隊さんの旅立ち
カオル達が旅立ってから、一週間ほど経った頃の話である。
オルレアン村は相も変わらず平穏で、ここ最近は冬の寒さこそ次第に増してはいたが、兵隊さんとしては穏やかな日々が続いていた。
「ヘータイさんヘータイさん。いつもお疲れ様です。よかったら、休憩しませんか?」
「やあアイネ。君がここに来てくれるとは。なんだか久しぶりな気がするよ」
「そ、そうですね……カオル君が来てからは、ずっとカオル君にお願いしていたから……」
いつものように村と周辺の見回りを終え、詰め所にて書類仕事をしていた兵隊さんであったが。
今日は久しぶりに、村長の娘・アイネが訪れていた。
手には沢山の焼き菓子が詰まったバスケット。
本日の要件はこれらしかった。
その他にも、気合を入れて縫った新しい服だとか、少しでも可愛く見えるようにと髪に花飾りをつけたりだとか、彼女なりの精いっぱいのお洒落をしていたのだが、兵隊さんは当たり前のようにスルーする。
「じゃあ早速お茶を淹れよう。そこにどうぞ」
「あ、はい……私も、ヘータイさんのお茶を飲むの、久しぶりかも……」
「そういえばそうだな。いや、以前はよくお茶をしたものだが、最近はいろいろあったからね」
服や髪飾りに気づいてくれなかった事には軽いショックを受けながらも、「この人はいつもこうだから」と気を持ち直し。
久しぶりの二人きりでの会話に、少し照れながらも近くの椅子に腰かけるアイネ。
兵隊さんはというと、奥の方で茶を淹れる用意をはじめていた。
「カオル達も、そろそろ到着した頃かな。サララちゃんが乗り換えの馬車を知っているらしいから、心配はないと思うんだが……」
「そうですねえ。今頃は、都会の空気に触れてあれやこれや見て回ってるんじゃないでしょうか。褒賞も一杯出たでしょうし」
「カオルの事だ、早速面倒ごとに首を突っ込んでいるかもしれないな」
「ああ、カオル君ならそうかもしれませんねぇ」
のんびりと二人、旅立ったカオル達を思い出しながら語り合う。
ここ最近、彼らは勿論の事、村人の多くが語り口として持ち出すのが、カオルとサララの話であった。
皆して「カオルは今頃~」「サララちゃんはどうしているかしら」と口に出すのだ。
今まで当たり前に居た二人が居ない新しい日常に、村人達はまだ慣れていないらしかった。
「でも、よく村を騒がせていた盗賊もいなくなったし、変なネクロマンサーも撃退して、ドラゴンまで倒しちゃって……この村も、すっかり平和になっちゃいましたね」
「ああ。嬉しい限りだよ。まだ村の周囲にはいくらかモンスターもいるだろうが、スライム以外はそんなに脅威でもないしね」
「ふふっ、この間ミリカがミノタウロスとアークデーモンを倒したって言ってました」
「まあ、そのくらいならな」
現状、この村において兵隊さんの仕事は大分減っていると言える。
一応村の周囲のそこかしこでモンスターは確認されているが、村人にとってはそれほど脅威でもなく、スライムのような、初見の人間にとっては非常に危険なものであっても、その対処法に慣れた村人にとっては問題にならない程度のものであった。
そうなると、兵隊さんはもう、村の警戒よりは、村で起きる問題の解決に注力するのが例年の事であったが……
「最近は、村での諍いも大分減ってきたしな。というより、そういった元になるような問題を、カオルが片っ端から解決していったからなんだが」
「ふふっ、結構退屈しちゃってるんじゃないですか? いつも、今時分は村中を駆け回ってるのに」
「仕事を取られた感はあるね。おかげで今年は平和な年末を過ごせそうだ」
兵隊さんがこうしてする事がなくなっているのも、全てカオルのおかげであった。
彼が村中を駆け回って色んな人の手伝いをしたり、話を聞いて回った事が、結果としてこのように問題の抑制につながり、村の中での問題が減っていったのだ。
その分、兵隊さんの仕事も減ってしまい、こうして村娘とお茶をしても平気なくらいには、のんびりとした時間を送っているのだが。
「あ、あの……もし、ヘータイさんがよければ、空いた時間にでも私と――」
そうして、兵隊さんの仕事が減って手が空いたのを見越して、アイネは以前から考えていた事を伝えようとしていたのだが。
『失礼します~。衛兵さん宛てに、お手紙が届いてまーす』
不意に、詰め所の外から聞こえてくる少女めいた声。
アイネの言葉はそれで断ち切られ、兵隊さんの意識はそちらへと向いてしまった。
「郵便か。最近はよく届くな……」
「そ、そうですね……」
流石にそのまま続ける訳にもいかず、アイネも困ったように眉を下げながら、兵隊さんの言葉に同意した。
そうして、兵隊さんはお茶をアイネと自分の席に置きながら、外へと出向く。
「あ、お仕事中すみません。カルナスからお手紙を持ってまいりました」
詰め所の外に立っていたのは、赤いベレー帽を被り、同じ色のカバンを肩にかけた娘であった。
まだ少女と言っても差し支えない幼い顔立ちで、兵隊さんの顔を見るや、にっこりと愛らしく笑いながら手紙を差し出す。
「ああ、すまないね。これ、少ないが……」
「あらあら、ありがとうございます♪ では、これにて。今日はこの村、あと三通もあるんですよ~」
「ほう、結構多いんだな。気を付けて」
「はい♪」
本来は差出人から報酬を受け取っているはずだが、遠路はるばるカルナスから届けに来たこの少女の為、兵隊さんはお駄賃を手渡す。
すると郵便の少女は嬉しそうに両手を差し出して受け取り、ほっこりとした顔で頭を下げ、愛想よく去っていった。
少し離れたところで走り始め、土煙をあげながら見えなくなっていく少女を見て「相変わらずすごい速さだ」と、その健脚ぶりを称える。
「街からの手紙だったよ」
「あ、そうなんですか……ティッセちゃんも大変ですねえ。街からこの村までなんて」
「ほんとにな。専用の馬があるとはいえ、方々を回る郵便の仕事というのは中々に骨が折れそうだ」
マネできる気がしないな、と、アイネに向け笑い掛ける兵隊さん。
そうして、その正面、自分の席に腰かけながら手紙の封を解き、読み始める。
「なになに……『火急の事態故、貴官のオルレアン常駐任務を解き、これをカルナスへの招集命令とする。直ちに本部へと出向すべし』」
「……えっ。あの、ヘータイさん、それって……」
「うむ……どうやら、カルナスで何かが起きたらしいな。それにしても、常駐任務を解いてまでの招集命令とは……」
「直ちに出向しろって、ずいぶん乱暴な命令書ですね……」
「そうだな……しかし、私も兵である以上、上からの命令には逆らえん。すぐにでも仕度を始めないとな」
上の横暴さにも困ったものだ、と苦笑しながらも。
不安そうに自分を見つめるアイネに、兵隊さんは手紙を置き、ひとまずはお茶をカップに淹れる。
「とはいえ……君とお茶をするくらいは許されるだろう。それからは、また忙しくなりそうだがね」
「……はい。せめて今だけは、ゆったりとしてくださいね」
アイネも、そんな兵隊さんの気配りに頬を赤く染めながらも、できるだけ可愛らしくはにかんで見せた。
少しでも、目の前のこの最愛の男性が安らげるように。
こうして、兵隊さんは村を旅立つことになった。
カオル達が旅立ってからそう経たずの事だったので、村の人達はみんな驚いていたが。
兵隊さんの事はそんな心配にならない程度には信頼していたので、多くの者が「気を付けてな」と一言告げるだけに留め、見送りはアイネ一人に委ねることにしていた。
勿論それは、村の多くの者がアイネの気持ちを知っていて、気を遣っての意味もあったのだが。
揺れる馬上から見える限り、ずっと自分に手を振り続けてくれるアイネに温かい気持ちになりながら。
兵隊さんもまた、(途中までは)カオル達の進んだ道を辿るように、カルナスへ向け旅立ったのだ。