#2.旅立ち、そして出会い
翌日、オルレアン村からの出立の準備が整い、カオルとサララは村の出口で、見送りに来た村の人々と、この村で最後の会話を楽しんでいた。
「なんか、悪いなあ。俺達、冬の間だけのつもりなのに……思ったより沢山の人が見送りにきてくれちゃって」
「それだけ君達が村に沢山貢献してくれたという事だろう。それに、君達はもうこの村の一員だからな。皆、一時とはいえ会えなくなるのが辛いのさ」
カオルがいつも世話になっている村の若い衆も、カオルを孫のように可愛がり色々な事を教えてくれた村の老人たちも、そして、カオルを温かく見守っていた村の大人たちも、皆がその旅立ちを見送りに来たのだ。
昨日村長さんの前で泣いてしまった事もあり、ここでは泣かないようにしようと思っていたカオルであったが、それでも嬉しくて、感激のあまり鼻声になってしまう。
そんな彼を見ながら、兵隊さんも、村の人達も笑うのだ。
「カオル、この村はもう君の故郷みたいなものだ。いつだって帰ってこれる。いつだって皆が迎えてくれる。そう思えば、旅の足だって軽くなるものだよ」
「ああ、ありがとう兵隊さん。何から何まで世話になっちゃって」
「いいって事さ。私自身、君達には世話になった」
気にしてくれるな、と、肩を叩きながらキリリとした顔を見せてくれる。
こちらは、カオルのように泣いたりはしないが、勇ましいその顔立ちに、カオルも頬を引き締める事が出来た。
「あの、カオル君、サララちゃん、これ……」
そうかと思えば、村長の娘・アイネが二人のもとに寄ってきて、白い布袋を渡してきた。
カオルが受け取ると、ちゃきりと、聞き慣れた音。
それから、大きな二人分のフード付きの外套。
「アイネさん、これって……」
「ローブは、寒くなるだろうから、少しでも役に立てばって思って縫ったの。お金はね、村の皆から、二人の路銀になればって。馬車の代金にしては集まりすぎちゃったけど、街での観光とか、あちらで暮らす時の足しにでも使って」
「アイネさん……皆さん、ありがとうございます!」
「ありがとう皆!」
ローブは厚手で中には綿が入っており、布袋はずしりと重く、かなりの額が収まっているのだとカオルにも伝わった。
深々と頭を下げたサララに倣って、カオルも同じように礼を言う。
すると村人らは「いいってことよ」「気にするなよ」「頑張れよ」など、様々な声を掛け、二人を温かな眼差しで見つめた。
「俺達、この村で受けた恩は忘れないからさ。皆も、俺らがいない間に怪我とか病気とかしないでくれよ」
「村での日々はとっても楽しかったです。また、戻ってきたいので……皆さん、どうかその時はよろしくおねがいしますね」
二人して別れの挨拶らしきものをすると、歓声が沸き。
カオルもサララも、目の端から涙の粒が溢れてしまうのが解っていながらも、集まってくれた村人たちに何度も感謝し、何度もお礼を言い、そうして、何度もお別れを言った。
「……はぁ。村が遠くなっていきますねえ」
「遠くなっちゃったなあ」
馬車の中。
カオルとサララは、見送ってくれる村人たちと村とが遠くなっていくのを、ずっと眺めていた。
住み慣れた村がどんどん小さくなっていく。
それでも、自分たちから見えなくなるまでずっとこちらに手を振ってくれていたあの村の人々に、カオル達は同じように、ずっと手を振り続けたものだが。
こうして一息つくと、気持ちが入れ替わったようにも感じられ、力が抜けるものである。
「そういえばカオル様。夕べ村長さんから頼まれたアイネさんの妹さんって、本当にカルナスにいるんでしょうかね?」
「解んねぇなあ。彼氏との交際を認められないからって駆け落ちしたらしいけど、『もしかしたら近くの街にいるかもしれない』くらいのもんでしかないらしいし」
「出会えたらラッキーって感じなんでしょうかねえ」
「そんなもんなんだろ」
そうして思い出したように話題を振るサララに、カオルも「そういえば」と、夕べの事を振り返るのだ。
号泣したカオルが落ち着いた後、村長さんは「実は」と、少々話しにくそうに、別の話を切り出してきたのだ。
それが、恋人と駆け落ちした次女フィーナの話。
もう大分前に村から出てしまい、今どこに住んでいるのかも解らないままで、心底心配しているらしく。
『もう反対はしないから、せめて顔だけでも見せてくれればと思うのだが……』
沈痛な表情で娘を想う村長さんは、カオルから見ても痛ましく。
なんとかして力になってやりたいと思い、フィーナと、一緒に駆け落ちした恋人ノークの特徴を聞いたのだ。
村長さんとしても、カオル達がフィーナらを見つけることができるとは本気で思っている訳でもなく。
ただ、それでも出会えるか、何がしか噂らしいものでも聞けたら、というのが本心らしいと、カオルは考えていた。
「しかし、そのフィーナさんと駆け落ちした人の家が私達の家だったとは……世の中って、回り回るモノなんですかねえ」
「そうだなあ。結局、そのノークって人がフィーナさんと駆け落ちしたから俺達が村で住む家があった訳だし……なんか、他人事には思えなくてさ」
「ふふっ、そういう事なら仕方ないですね」
サララも、カオルがそう感じたら人助けせずにはいられないのは知っているので、可愛らしく微笑みながらうんうんと頷く。
「でも、街での目的も一つ増えた事ですし、なんだかんだ忙しい冬になりそうですね」
「ああ。冬っていうとただ寒いだけで辛いもんだと昔は思ってたけど、案外、楽しいことも多そうだ」
それもこれも、全部隣にこの猫耳少女がいるからなのだが。
カオルはそうは思いはしても口には出さず、にへら、と笑いながらまた馬車の外を眺める。
「いい旅になるといいなあ」
「そうですねえ」
旅立ちまでは寂しさすら覚えたものだが。
こうして旅立ってみると、希望はどこにでもあるように感じられて。
若い二人にとって、この旅はまだ、沢山の夢が詰まったもののように思えたのだ。
かたかたと揺れるホロの中。
カオルとサララは、のんびりと過ぎ去ってゆく道を見つめながら、これからの道を語り合った。
――半日ほど経過した頃。
「いやあ、参っちゃいましたねえ」
「ほんとにな」
乗り込んだ乗り合い馬車の中、フードを被ったカオルとサララは途方に暮れた様子で、過ぎ去ってゆく道を眺めていた。
今はもう、はるか遠くの中継地点。
カルナスへの馬車に乗り換える為の中継地点。
カルナスへの馬車に乗るはずだった中継地点。
全て遠くなる、乗るはずだった馬車を目に焼き付けながら、カオルとサララは全く無関係な馬車のホロで途方に暮れていた。
「まさかこの数年で馬車のルートが変更されていただなんて……びっくりですよ」
「俺は自称『馬車旅のプロ』が自信たっぷりに選んだ馬車が全く別のものだった事の方がびっくりだぜ」
これというのも、乗り換えのための馬車をサララが間違えたのが原因である。
以前カルナスに行った事があるのだというサララは「私に任せてください! 私、馬車旅のプロですから!」とドヤ顔で乗り換える馬車を選択。
そうして現状に至る。
「うぅ……そう責めないでくださいよぅ。私が猫になってる間に、こんなに世の中が変わっているなんて思いもしなかったんですから」
「まあ、それはそうなんだけどな。俺も、最初から御者さんに聞いとけばよかったことだしな……」
あんまりサララが自信満々だったので任せた結果がコレなのだが、確かに今回に関して言えばサララに任せきりにしたカオルにも非があったのだ。
最近頼りになってきたと思っていたサララであるが、やはり基本は駄猫と思うべきなのだと、カオルは胸にしっかり焼き付けながらも、自分の非を認める。
やはり人任せは良くないのだ。
「問題は、着いた先の村で直行便が出るのが一週間先な事なんだよなあ。何かやる事があればいいんだが」
「そうなんですよねえ。路銀、尽きなければいいんですが……」
「最悪向こうで一仕事してからカルナスに向かう事になりそうだな。まあ、食い物があるだけマシだけどさ」
村を出立する際、アイネ以外にも色々と渡してくれる人が居て、その多くは干し肉のようなすぐ食べられる携帯食料や堅パン、それにいつぞやかのドラゴン肉などだったのだ。
カオル達にとっては貴重な目下の食料であった。
いつまでも落ち込んでいても仕方ないので、と、荷物の中から釣り竿を取り出し、手入れする。
村で釣り好きな兄貴からいただいた逸品だ。
「ついた先の村でも釣り、できるといいですね」
「そうだな。釣りができれば食うに困らないしな」
食える魚が釣れればだけど、と、二人、笑いあった。
「――兄さん達、カルナスに行くつもりだったのかい?」
それからしばらく二人で雑談めいた話をしていたのだが、不意に、奥の方に座っていた髭面の老爺に話しかけられる。
見た感じ行商を思わせる風体の男で、真っ白の口ひげをもごもごとしながらの、ややくぐもった声であった。
元々沢山の荷物が積まれていたのもあって、積み荷に背を預けるように、縮こまるように座っていたこの老爺は、その背景に自然と溶け込んでいたのだ。
カオルもサララも二人だけの馬車旅だと思っていたので最初こそ驚き顔を見合わせたが、「折角話しかけてくれたのだから」と頷いてみせる。
「ああ、元々はそのつもりだったんだけどな……ちょっと予定が違っちゃって」
「この先のビオラで一旦降りて、次の馬車を待つつもりなんです」
「なるほどなあ。そいつぁ災難だったな。ワシもビオラで降りて一稼ぎするつもりだが、その後はカルナスに戻って冬祭りの仕度をするつもりなんじゃよ。良かったら、着くまでの間の暇つぶしに、話に混ぜてもらえんかのう」
好々爺めいた人好きのする笑顔を見せながらの話に、カオル達は興味を惹かれる。
「ああ、勿論だぜ」
「話し相手大歓迎ですよ~」
「ははは、ありがとうよ」
カオルらの歓待に、老商も機嫌よく笑いながら「どっこらしょ」と、近くまできてまた座り直した。
そんなに広い馬車でもなかったが、こうして近づく事で内緒話のようにも思えて、カオルらにはちょっとだけ楽しく感じてしまう。
「ワシはコルルカと言う。『メリア』という国でちょっとした商会を開いておってのう。この国へはまあ、ちょっとした道楽で行商にきておる」
「俺はカオル。こっちの娘はサララだ。オルレアン村から来たんだけど、知ってるかい?」
「オルレアンか、知っておるぞ。あすこの村長とは顔なじみでなあ。若い頃は色々ひいきにしてやったもんじゃ。そうか、お前さん達、あの村の……」
懐かしい響きだ、と、何かを思い出すように髭を弄る老商。
カオル達としても、自分達が出た村の事を知っている人がいるというのはありがたい話だった。
何より会話がしやすくていい。
共通の話題を持っているというのは、それだけで親しみやすくなるという事なのだから。
「そういえば、あいつは元気かのう? あの村の司祭をやっている奴で、『ハルトマン』という名の爺がいたと思ったが……」
「ああ、司祭様か」
「今もお元気にしてらっしゃいますよ~。村にいなくてはならない方ですし」
「そうかそうか。あいつめ、今こそ堅物のような面をしておるが、若いころはアレで所のワルで鳴らしていた生臭坊主でのう――」
「あの司祭様が!? 見えねぇなあ」
「若いころはやんちゃしてたんですねえ……今からじゃ想像もつかないです」
「ははは! まあ、人間という奴はこういう感じに、歳を食うと存外丸くなるものなんじゃろうなあ」
面白い物よ、と、老商はふっくらとした頬を撫でながらに、愉しげに目を細めていた。
カオルもサララも、その場その時の人の成りが全てではないのだとその話からなんとなしに思い至り、小さく頷く。
「そういえばさっき言ってたけど、冬祭りとか、そういうのがカルナスであるのかい?」
「おうよ。カルナスもそうだが、この国のちょいとばかしでかい街ならどこでもやるのう。冬の半ばにな、大きなお焚き上げをして、人形を焼いてその年の悪いことを全て火に還すんじゃよ。そうして、次の年の幸せを願い、焚き火の周りで踊ったり飲み食いしたりしながら愉しむんじゃ」
「それはいいなあ。祭り、俺も好きだぜ」
「私も好きです」
「ははは、若者にとっちゃ、冬はこればかりが楽しみみたいなもんだからなあ。ま、祭りはビオラに行ってからでも十分間に合うさね」
楽しみにしとくといい、と、白髭を弄りながらに行商は笑った。
カオル達も楽しみが増えたのは大歓迎で、これがきっかけとなり、到着を待つまでの間、この老商を交え、三人で最近あった事などの話に華を咲かせるのであった。