#8.慣れてきた謎空間と女神様
秋も終わりごろの話である。
のんびりと釣りをしながら、うつらうつらと舟をこいでしまっていたカオルは、以前感じた、奇妙な感覚に陥っていた。
夢とも現とも思える不思議な空間。
以前何度か女神様と再会したあの空間へと、カオルは誘われていたのだ。
今回もやはりまた、カオルの前にはあの女神様が立っていた。
「よっ」
「相変わらず元気そうですね、カオルは」
かるーく手を挙げて挨拶するカオルに、女神様はニコニコ顔で返す。
相変わらずの微妙な顔だちで神々しさとかは全く感じないが、カオルは「これはこれで女神様らしいや」と、個性として受け入れる事にしていた。
微妙だと思っていたって、見慣れればそれなりに愛着は湧くのだから。
「サララちゃん、すごいですね! ドラゴンを素手で倒しちゃうとかただ者じゃないです!」
そして開口一番にサララの事を興奮気味に語り始める。
眼がキラキラとしてて、顔だちの所為でちょっと怖かった。
「ていうか、サララ達猫獣人がああいう力を持ってるのって、女神様に作られたからなんじゃねーの? 本人そう言ってたぜ?」
「えっ? そうなんですか?」
カオルの指摘に、とぼけた顔で目をぱちくり。
驚いたような素振りを見せる辺り白々しかった。
「いやあびっくりですねえ。さすが女神様」
「あんただろう」
成長した筈のカオルでもこのボケはスルーできなかった。
密かに敗北感を味わう。
「あっ、そ、そうでした。いやでもその、そうじゃなくて」
カオルのツッコミを受け、急にしどろもどろになる女神様。
いよいよもって怪しさ全開だが、そもそもこの女神様は最初から怪しいおばさんにしか見えないので、カオルはそこまで気にならなかった。
「女神様は、私以外にもう一人居るのです。きっとそちらの方がそういった事をしたんじゃないかなあ、と」
「なんだ、女神様なりのボケじゃなかったのか」
新手の女神ジョークかと思ったぜ、と、カオルは頬をぽりぽり笑うが。
女神様は頬を膨らませ「私はそんな冗談言いませんよ」と拗ねてしまった。
サララくらいの美少女がやるなら可愛いと思える顔だが、残念ながら女神様の顔面偏差値はかなり低い。
カオルとしては母親のそれとも似たように感じてしまい、正直あまり見たくない表情であった。
「そもそもさー、古代竜っていうの? あれはなんなんだ? モンスターとかとはちょっと違うの? それともそこら辺のモンスターみたいに道を歩いてたら出くわす類のものなの?」
「んー、なんと説明したものでしょうねえ」
ボケとも本気ともとれぬ会話に固執すると頭が痛くなりそうであったが、カオルはそれでも気になった事があったので、女神様に問うてみる。
こんなボケボケでも仮にも女神様である。
少しは何かしら、解りやすく説明してくれると思ったのだ。
「カオルの知ってるゲーム的に言うなら『イベントボス』みたいなものですよ。シナリオ的には倒さなくてもいいけど、倒すと後々ストーリーがちょっとだけ変わる、みたいな」
「めっちゃ解りやすいな」
思った以上に向こう寄りの説明のおかげでカオルには一瞬で理解できてしまった。
カオル的にはもうちょっとこう、今自分達の居る世界風の説明をされると思ったのである程度頭の運動の覚悟もしていたのだが。
「一応こちらの世界の歴史と絡めて説明する事も出来ますが……」
「ああ、一応そっちも知っておきたいな」
女神様はサービス精神旺盛であった。
カオルとしてもその世界の歴史とやらには興味があったので、ワクワクしながら説明を待つ。
「元々古代竜とは、『魔王』の眷属として生み出された魔法生物なのです。魔王というのは、カオルの持ってたゲームとかにも出てくるようなすごく強くて悪い奴と考えてくれて結構です」
「悪い奴なのか……」
「今の時代では滅ぼされて久しいですけどね」
あんなに平和な世界にもそんな絶対悪的な存在がいた時代があったのか、と、カオルはちょっとしたカルチャーショックを受けそうになったが、幸いにして今の時代にはいないらしいと知り、胸をなでおろしていた。
そんな様に、女神様は微笑みながら話を続ける。
「魔王は滅ぼされると、その絶大な魔力が世界中に分散され、数十年、数百年とその土地土地の様々なモノを吸収し、それがやがて古代竜という形で世に現れるようになります」
「魔王の魔力が元になって生まれるのか」
「そういう事ですね。古代竜は生態系の頂点なので、一度覚醒すると好き勝手に暴れ回って色んなものを食べ、存分に魔力を吸収した後、魔力の凝縮された宝玉を吐き出して死にます」
「宝玉?」
「このくらいのサイズなのですが」
自分の頭くらいのサイズの円を描くようにジェスチャーする女神様。
おかげでカオルにも想像しやすく、理解できたため頷けた。
女神様もそれを見て満足げに微笑み、説明が続く。
「この宝玉が六つくらい集まると、失われた魔力が甦って魔王が復活するのです」
「つまり、古代竜っていうのは魔王が復活する為に生きてるって事か」
「おおよそそんな感じでしょうか。ただ、カオル達が遭遇した古代竜は別としても、他の、現存する全ての古代竜は封印され、あるいは弱体化の末にただのドラゴンとなっていたりするので、現時点では魔王が復活できる可能性はかなり低いのですが」
あんまり心配はいらない状態ですね、と、したり顔の女神様。
カオルとしては、そんなとんでもない存在が復活する可能性が少しでもあるならそれは相当に不味い事だと思うのだが、女神様は楽観主義者だった。
「ただ、魔王には腹心ともいえる六柱の『魔人』と呼ばれる強大な力を持つ魔族がいまして。この魔人達が魔王復活を狙って古代竜を覚醒させる為の行動を起こす事もあるかも知れませんね」
「そういうの、解ってても止められないもんなの?」
情報としてそこまで解ってるなら、女神様なりに何がしか手は打てないモノなのかとカオルは思うのだが。
残念ながら、と、女神様は眉を下げながら首を横に振る。
相変わらず微妙に役に立たない女神であった。
「私はカオルをこちらの世界に送る事によって力の大半を失っていますので。というか死んでますから干渉は無理ですね」
「ああ、そういえばそうだっけ。死んでるんだもんな」
女神様にとっても死とは人と等しくあるものらしかった。
いや、こうしてカオルと対話できているだけでも十分に人知を超越しているのだが。
それでも、知ってても何もできない無力感というのは漂っていたのだ。
「まあ、そういうのは勇者にでも任せておけばいいです。カオルはこの世界をエンジョイしちゃっててください」
「いいのか、エンジョイしてても」
「誰も怒らないと思いますが?」
こういう場面なら『世界を救ってください』とか言われるものとちょっと覚悟しそうになっていたカオルであったが、女神様は予想外にそういった事は頼まない人であった。
というか、他人事っぽく振舞ってるようにカオルには感じられた。
「私としては、カオルが楽しく暮らせているのはある意味本望でもあるのです」
「そうだったのか……」
「ええ。いろいろ諦めていた少年が、こうして食わず嫌いせず暮らすようになって、いっぱしの青年の顔になっているのですから。こんなにうれしい事はありません」
送り込んでよかったです、と、ほくほく顔で笑う女神様は、やはり美人とはいえない顔だちであったが。
だが、その顔はカオルにとって、大好きな顔の一つでもあった。
胸ときめく類のものではないが、心が温かくなる、そんな顔だったのだ。
自分をほめてくれた時の親の顔に似ていたから、というのも勿論ある。
「これからも、食わず嫌いせずに幸せに暮らせてくれたらと思います」
「ああ、今では俺も実感してきてる。安心してくれていいぜ」
これに関しては胸を張れた。
自分は、それだけ毎日を精いっぱい生きているんだと。
ただ諦めていた日々とは違い、今の彼は、そんな毎日が楽しくて仕方なかったのだ。
「私はこれからも見守り続けますが、カオル。貴方の傍にいてくれる女の子を、大切にするのですよ」
「サララの事か? もちろんだぜ」
「ふふっ、格好良くなりましたね。では、今宵はこれにて――」
最後の満足げな笑顔に、どこか親に認められたような嬉しさを感じながら。
カオルは、次第に揺れながら白やんでゆく女神様の姿に、夢が醒めていくのを悟った。