#4.楽しいハイキング終了のお知らせ
可愛い女の子と山へハイキング。
それはカオルにとって、生まれて初めてと言ってもいいリア充タイムであった。
毎日サララと暮らしているのも間違いなくソレなのだが、そちらの方は怠惰なサララの我が侭の所為もあってか、不思議とそんな風には感じられなかったのである。
「カオル様、こっちにネジマキ草ありましたよ! 大量ですね!」
「おお、やるなサララ!」
「えへへ~」
目的の川の上流へと到着し、ひとまずいくらかの魚を捕獲、焼いて昼食とした後、山菜採りへと乗り出し、現状に至る。
初めこそモンスターの存在も気にしていたカオルであったが、サララの無邪気な笑顔に次第に気が緩みきり、気が付けば二人、夢中になって山菜探しをしていた。
「まさかサララに山菜探しの才能があったとはな……」
「いやー、自分でも驚きです。まさか私が山菜採りのプロだったとは」
そんなおどけた物言いに「自分で驚きながらプロもないもんだ」と笑いながら一息。
カオルは近くの岩場に腰かけ、カゴの中身を確認した。
「まだまだ入りそうだけど……サララ、魚はどれくらい持って帰るんだ?」
「んー……シラカワはそんなに日持ちするお魚じゃないので、私達が食べる分とおすそ分けする分だけでいいと思います。センノリは開きにして日干しにしておけば冬の間の保存食になりますから、獲れただけ持って帰っていいと思いますよ?」
「なるほどなあ」
元々はシラカワ目的で山に入った訳だが、上流の川にはセンノリという乾物向きの魚もいるらしく、そちらの確保にも前向きであった。
そうなると、と、カオルは再びカゴの中身へと視線を向ける。
まだまだ入る。だが、魚を多めに持って帰る事を考えると、少し考えた方がよさそうだった。
「んー……そろそろ魚獲りに移るか」
「あら、もうそんなに採れてたんですか? それじゃ、さっきのところに戻りましょうか」
昼食を食べた場所ならまた火を熾せるので都合が良い。
釣りと違って魚獲りはどうしても濡れるので、服を乾かせる場所が必要なのだ。
「ふふ、たーくさん獲ってくださいね」
「任せとけ」
あくまでも魚を獲るのはカオルの役目らしい。
ナチュラルに自分が川に入るのを避けたサララだが、カオルは「それでもいいか」と思えてしまっていた。
それだけ、浮かれていたのだ。女の子と過ごす山での時間に。
結果だけを見るならば、川での魚獲りは大変旨く進み、大量の魚が確保された。
サララは上機嫌で火を熾し、濡れたカオルに「どうぞどうぞ」と温まるように促し、カオルもそんなサララの笑顔が嬉しくて、はにかみながらも火に当たっていたものだ。
まだ秋とはいえ、山の水は冷たい。
そんな中結構長い事水に浸かっていたカオルは、いくらか、催すものを感じ始めていた。
「……ちょっと、トイレ行ってくるわ」
「あ、はい。お気をつけて」
川面で魚かごに入った魚を楽しげにちょいちょいつついたりして遊ぶサララを尻目に、カオルは一人、少し離れた茂みへと向かった。
「ふー……」
大変微妙な光景ではあるが、カオルは大層幸せな顔であった。
気が抜けていく感覚。フルフルと身体を震わせ、チャックを閉める。
そこまでして、不意に違和感に気づく。
暗いのだ。まだ昼過ぎ、いくら山の中とは言え、こんなにどんよりなはずはない。
おかしいな、と思って上を見ると、灰色がかった雲……いいや、巨大な何かが、自分の頭上に広がっていたのに気づく。
「……え」
なにあれ、と思っていたのも束の間。
その灰色の雲が、ぷるんと震えたのが、カオルからも見えた。
(まさか、まさかあれ……)
兵隊さんは、確かに言っていたのだ。
『確かにスライムは不慣れな人なら手ごわい相手だな。苦手なのかい?』
そう、スライム。それが今、カオルの頭上に居た。
ではなぜ頭上に? どのように?
半透明なグレーの雲をよく見れば、カオルの頭上には、少し離れた場所に生えている大樹の枝が、その水体に埋もれているのが解る。
つまり、木の枝を伝って、カオルの頭上まで来た、という事。
ここから推測される次の展開は、カオルにも容易に想像できた。
「うぉぉぉぉぉぉっ!?」
咄嗟に、ベルトに差し込んでいた棒切れカリバーを取り出す。
そうしている間にも、ぼろん、と、液状の灰色の壁は、カオルへと落下してきたのだ。
棒切れを急いで真上へと突き出そうとするも、どうにも間に合いそうにない。
「……あれ?」
だが、スライムの襲撃は、いつまで経ってもそれ以上は進まなかった。
目を瞑りながら苦しみなり痛みなりを味わう覚悟をしていたカオルであったが、やがて眼を開き、異変に気付く。
先ほどまでいた灰色の壁が、消えていたのだ。
どこに? なぜ?
カオルの疑問に答える者は、すぐ近くに居た。
『フシュルルルルル……』
その、大樹の向こう側。
口の端で必死に抵抗しようとするスライムをじゅるりと一息に飲み込みながら。
巨大な牙の生えた、大きくひしゃげたような口が、カオルの目に入ったのだ。
「は、はは……う、うそ、だろ……」
冗談にしか見えない光景。その一。
自分の身長より巨大な顔がそこにあった。
トカゲをそのまま巨大にしたような顔だち。
だけれど、首が長く、そこだけ見ると蛇のようだった。
『シュルルル……グルル』
冗談にしか見えない光景。その二。
その巨大な顔の持ち主が、自分へと視線を向け、目と目が合っていた。
縦シマの瞳が、カオルを見つけるや『にぃ』と細まった様に、カオルには感じられた。
「ひ……ひひ……」
冗談にしか見えない光景。その三。
その顔の持ち主は、カオルもよく知る『ドラゴン』そのものだった。
今まで樹々に擬態していたらしいその鱗に覆われた身体が、少しずつ、やがてはっきりと浮かび上がってきたのだ。
その巨体たるや、小さな山の如し。
これはまずい、とカオルは思いながら、今すぐ逃げ出したいという感情を押さえつけ、半笑いのまま後ずさる。
カオルが一歩、二歩下がっても、その顔は微塵も動かず。
ただ、カオルを見つめているだけだった。
(に、逃がしてくれねぇかな……あ、でもこっちに逃げるとサララが……)
一瞬の迷いは、一瞬の不注意を招く。
カオルはサララの事を考えてしまった。
その不注意が、ぱきり、と、足元の枝を踏み込ませ――同時に、ドラゴンを突き動かすきっかけとなってしまった。
「――うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
『フギャァァァァァァァ! ゴァァァァァァァッ!!!』
絶叫をあげながら逃げまどうカオル。
ドラゴンは、天を震わすかのような鳴き声をあげながら、カオルの真後ろへと迫っていた。
山道である。人間であるカオルにとっては走りにくく躓きやすい危険な道ではあったが、ドラゴンはその巨体にもかかわらず、すれ違った樹やら岩やらを破壊し、時にカオルの頭上の空を舞うように浮きながら追い回す。
こうして、カオルにとって絶望的な逃走劇が始まった。