#3.ハイキング・ハイ
サララと登る山の道は、最初こそカオルにとって新鮮でどんどんと足が進んだが、次第に不慣れな事もあって、その歩みを少しずつ、だが確実に遅くさせていった。
「う……痛……」
それでも、春夏と畑仕事でいくばくか鍛えられたカオルは、中腹くらいまでは我慢できていた。
だが、ずきりずきりと足の裏からの痛みが激しくなり、とうとう足を止めてしまう。
「ん、休みますか?」
「……そうさせてくれ」
サララの声かけもあり、都合よく程よいサイズの岩があったので、カオルはその上に腰かけ、背負っていたカゴを降ろす。
サララも、倒れてベンチのようになっている樹木の上に腰かけ、ぐ、と背伸びした。
「山は歩き慣れてないと辛いですからねえ。カオル様、山は初めてでした?」
さほど疲れた様子もないサララは、靴を脱いで足をひらひらさせるカオルを見やりながら、首を傾げ問いかける。
痛む足をもんだりしながら、カオルは「ああ」と短く答え、ちょっと恥ずかしそうに顔を逸らし、そこから見える風景に目を向けた。
「子供の頃から、海か山かって言われたら海だったからなあ。泳ぐのはそれなりなんだけど、山は初めてだぜ」
こんな大変だったとは、と、タオルで額の汗を拭いながら、水筒に口をつける。
見れば、サララが驚いたような顔をしていた。
「へぇ、海に行った事があるなんて、カオル様も結構、色んなところを旅してたんですねえ」
「旅っていうか……まあ、ここの人らから見ればそんな感じかもな」
はっきりと言うのを避けようとして、ついこんな口調になってしまう。
それがどうにもわずらわしくて、だけど、詳しく説明しようにもどう話したものか解らず、カオルは複雑な気持ちになっていた。
カオルは、自分の出自についての話を、まだサララにはしていなかった。
最近村に入った新顔であることと、兵隊さんに恩があって、村で人助けをしながら暮らしている、という事は教えてはいるのだが。
なんとなく話す機会もないまま、サララも気にしない様子だったのでそのままになっていたのだ。
なので、サララはカオルの事を詳しくは知らない。
カオルもサララの事はよく知らない。
一緒に暮らしてはいても、まだまだ知らない同士であった。
「足が痛い時は、揉んだりするのも大切ですけど、足の筋肉を伸ばすのも大切なんですよ」
こうやって、と、足先をピンと突っ張り、手を伸ばして指先で足の指を掴むようにし、引っ張る。
長めのスカートから太ももが見えてしまっていたが、サララは気にしないのか気付かないのか、姿勢を戻しながらカオルに「やってみてください」と微笑んでいた。
「……うぐ」
照れながらも言われたように真似てみて、そして自分の身体の硬さに愕然とする。
「あはは、カオル様、身体硬過ぎですよ。ほら、こうやって――」
ピン、と張っても全然つま先に手が届かないカオルに、サララは可愛らしく笑いながら立ち上がり、カオルの背後に立つ。
そうして何をするかと思えば、突然カオルの背を押し始めるのだ。
勿論サララの小ぶりな膨らみなども肩に当たり、カオルはドキリとしてしまったのだが。
そのわずかな間が不意打ちを許す事となった。
「うぎぎぎぎっ!? い、いきなり押すなよっ!」
「ふふっ、だって、カオル様硬過ぎるんですもん。もうちょっと柔らかくしないと。あ、因みにさっきのは、太ももの筋肉を引っ張る事で、その下のふくらはぎとか足裏の筋肉の緊張を緩める効果があるんです。足の裏、ちょっとはマシになってません?」
「……」
いきなり押されたことで驚きと共に怒りが噴出しそうになっていたが、サララに言われた通り、確かに足の痛みは若干マシになっていたように……カオルには感じられた。
「まだ、ちょっと痛いけどな」
だが、さっきの不意打ちもあって、素直にそれを認めるのは癪だとばかりに、カオルはそっぽを向く。
「そうですか? それじゃ、少しの間ゆっくりしましょ。もう大分進みましたし、目的の川も、もうすぐ着くと思います」
サララはというとそんなカオルをからかうでもなく、地べたに置いたサックから地図を取り出し、現在地を確認し、読み上げる。
それと同時に、空を眺めて時刻の確認も怠らない。
「まだお昼前くらいかなあ……うん、この分なら、お昼は川で獲れたお魚を美味しくいただけちゃいそうですね」
「ああ、まだそれくらいなのか……よく時間とか解るなあ」
「慣れですよ。随分長い事、時計も何もない人生送ってたもので」
それはハンターとして暮らしていた事を指すものか、あるいは猫として暮らしていた事を指すものか。
若干自虐気味に笑うこの猫耳娘がそのどちらを意味し語っていたのかを、カオルは判別つけられずにいた。
だからと聞くのも気が引けてしまい。
なので、ただ一言「そうか」とだけ返すに留めた。
「わぁ、良い景色ですねぇ」
のんびりとした休息時間。
サララは、手を額に、そこから見える風景に感嘆の声をあげていた。
大きく揺れる尻尾を見ながらに、カオルものんびりとした心持ちになる。
足の裏はまだ痛むが、それでも大分、癒やされた気になったのだ。
「サララは、山、好きなのか?」
あんまり楽しそうに見ているので、カオルはつい、そんな事が気になり、聞いてしまう。
「んー? そこまで大好きって言うほどじゃないですね。自然いっぱいで落ち着くといえば落ち着きますけど」
「なんだ、そうなのか。はしゃいでるように見えたから、てっきり好きなのかと思ったぜ」
山に入ってからというもの、サララはいつになくテンションが高く、カオルを先導して歩いたりしていたのだ。
獣人っていうくらいだから山の中が好きなのかな、とカオルは勝手に思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
「私がはしゃいでたのは、カオル様と二人で山登りができるからですよ? 楽しいじゃないですか、ハイキング」
「……ああ、そだな」
直球であった。猫娘は遠慮しない。
あまりにストレート過ぎて、カオルは途端、赤面してしまう。
水筒を手に、照れ隠しするように一口含む。なんとか口を開いた。
「美味い魚、いっぱい獲ろうな」
「はい♪ ああ、楽しみだなあ、お魚。シラカワはもちろんですけど、センノリなんかは塩焼きにしても美味しいですし~」
もうワクワクしちゃいます、と、尻尾をブンブン振りながら可愛らしく微笑むサララに、カオルは「やっぱこいつは食い気優先の方がそれらしいな」と、まだ赤らむ頬をそのままに、ふっと笑っていた。