#17.女神様は許さなかった
昼は暑くとも、夜ともなれば涼やかな風が吹き、寝入るには程よい気候となっていた。
やんわりとした空気の流れ。
ふわふわとした心地のまま、カオルはまた、夢に落ちる。
「――あのポットという青年は、一度自分のしたことを悔い改めるべきなのではないでしょうか?」
もう幾度目かも忘れたが、毎度の事なので「ああ、これ女神様と会う時の奴だ」とはカオルも思っていたのだが。
のっけからの訳の分からない一言に、目が点になってしまう。
「いきなりどうしたんだい? ポットさんがどうかしたの?」
「カオル。私は今まで彼を信じていたのです。彼は顔こそ平均以下ですし、あまりぱっとはしないですが、真面目で、決して人の悪評を聞いたからと仕事の手を抜くような青年ではないと思っていました」
「うん、まあ、大体それであってると思うけど」
なんで話題の出先がポットなのか、カオルにはまずそこから意味が解らなかったが、とりあえず女神様のポット評は概ね正しいと思えたので、素直に同意した。
だが、女神様はそれを聞き、拳をぎゅっと握りながら「いいえ」と目を見開くのだ。
「あのポットという青年は、とんでもない過ちを犯しました! 使い魔を使役して人の着替えを覗いたり、橋の下から女性のスカートの中を覗くなんて……そんな破廉恥な事をしていたなんて、知りもしませんでした!」
「そりゃまあ知り合いでもなきゃ知らないだろうけどさ……ていうかどうしたんだ女神様? なんで怒ってるの?」
「怒ってません!」
「いやめっちゃ怒ってるじゃん」
最早支離滅裂である。
元々あまり話の統合性が期待できない相手ではあるが、それにしたって今日はちょっとどころではなく理解不能であった。
「私は……私は悲しいのです! 信じていた相手に裏切られた気分になりました! ていうかリアルで裏切られました! まさかこの歳になってそんな衝撃の事実に気づかされるなんて思いもしませんでした!」
「そ、そうなのか、へー」
「ああもう! とにかく今の私はイライラが止まりません! カオル! ポットさんは何故断罪されないのですか!?」
「な、何故って……そりゃ、レイチェル誘拐の犯人は別に居たし、ネクロマンサー騒ぎの解決に一役買ったんだから、ポットさんが責められる訳ないじゃんよ」
適当に聞き流そうとしていたカオルだったが、わざわざ油を撒くまでもなく女神様は更にヒートアップ。
カオルを道連れにする気満々であった。
「そういう事ではありません! もっと、こう! なんというか! 女性の色々な事を覗いたりしたことを断罪すべきだと思いませんか!?」
「そ、それくらいは許してやってもいいだろ? モテない男の可哀想なところだと思って――」
「納得いきません! 考えてもみてください!! 何の罪もない穢れない乙女が、知らず知らずの内に好きでもない男に視線で穢されたのですよ!? 好きな相手にすら見せた事の無い肌を、好きでもない男性に!! これほど酷い話はないと思いませんか!?」
「あー……うーん、まあ、そう、なのか……?」
「そうなのです!! 私が怒ってるのはそういう部分ですよ!! ああもう、ポットさん許すまじ! 乙女の柔肌をよくもよくもぉぉぉぉぉっ!!!」
ものすごい形相でまくしたててくるのでカオルも強くは言えないが、内心では「俺も村の女の子のパンツとか裸とか見ちゃったりしたしそこは勘弁してほしいなあ」という気持ちもあり。
今一女神様の言を全肯定する気にはなれずにいた。
そうこうしている間も、女神様は熱い闘志をたぎらせている。
その形相、その気迫。歴戦のアマゾネスと言われても違和感がないくらいである。
流石にこのままでは収拾がつかない気がして、カオルも「なんとか話題を変えたいなあ」と思い始めていた。
「あ、あのさ女神様! 質問なんだけど!!」
とりあえず、唐突に手を挙げ、声をできるだけ大きく張り上げてみた。
「――えっ?」
不意に大きな声で話しかけたのが功を奏したのか、一瞬だけキョトンとしてしまう女神様。
期はここに在り。カオルは一気にまくし立てた。
「ヴァンパイアって、この世界だとどんな感じなんだ? 俺の居た世界だと空想上の化け物っていうか、血を吸う人間みたいなイメージなんだけどさ! この世界でも蝙蝠に化けたり美女の生き血を吸ったりするのかい!?」
「そ、そんな一度にわっと言われると……えーとえーと……」
女神様は不意打ちに弱い。
濁流が如きカオルの質問を受け、途端にわたわたと困惑の表情を浮かべながら考えをまとめようとする。
最早、先ほどまでの謎のツワモノオーラは微塵も感じられなくなっていた。
(今度女神様がおかしくなったらこの手でいこう)
また一つ、女神様の操縦法を覚えたカオルであった。
役に立つかはともかくとして。
「いいですかカオル。この世界でいうヴァンパイアはですね、人間とは別の進化をした人類種族の一つなのです」
しばらく経って、ようやく考えがまとまったのか、女神様はしたり顔で説明を始める。
もうこの頃になると完全にいつもの女神様に戻っていたので、カオルは適当な調子で聞き流そうとしたのだが……ちょっと気になる点があって、聞き流せなかった。
「えっ? それって、つまり、人間に近い種族って事か? 化け物とか、そういうものなんじゃ……」
「とても強い力を持っていますし、血を好む性質もあって人間から見たら化け物でしょうけど、生物的には人間に近い生き物ですね。エルフとかオークとかと同じ感じで」
「エルフとかいるんだ……」
猫獣人とかいる世界なのは承知済みなので、流石にそこまでの衝撃は受けなかったが、当たり前のように『エルフ』とか『オーク』とか聞き慣れた言葉が出てきたので「やっぱ異世界なんだなあ」としみじみファンタジーファンタジーしているこの世界に感心してしまっていた。
びっくりするほどベタというか。当たり前が当たり前にあるというか。
だが、女神様の説明はそこで終わらない。
「ただ、これはあくまで『始祖』と呼ばれるヴァンパイアの場合です。多く、人前に現れるとされるヴァンパイアはこの始祖によって何らかの形でヴァンパイア化した『夜の民』と呼ばれる……いわば、感染者ですね」
「感染者?」
「始祖は、自身の血液内に強力な感染毒を持っているのです。多くの『夜の民』は、吸血の際にこの感染毒を流し込まれた被害者であると言われています」
「……被害者なのか。なんか、感覚的には向こうのヴァンパイアと似たような感じなんだな。こっちのも」
「そうですね。イメージ的にはかなり似通ってると思います」
細部で違いはあると思いますが、と断りを入れてから、女神様はにっこり微笑む。
「始祖は人間と違い、永遠の命を持ち、ほぼ弱点などが存在しません。殺される事もほぼない、不死身に近い存在であると言われています」
「無敵じゃん」
「無敵ですね。一応苦手とするモノはあるらしいですが、弱点と言うほどでもなく、その気になれば無視できる程度のもののようなので――ただ、さっきも言ったようにあくまで亜人やなんかと大差ないくらい人間に近い生き物なので、とても理性的なのです」
「理性的って……危なくないって事かい?」
「危なくないというか……『必要以上は殺さない』みたいな感じでしょうか? 無意味な殺戮はせず、あくまで自分の嗜好を満たす必要分だけ獲物にする、みたいな感じで」
「人間は襲うのかよ……」
「まあ、化け物扱いされる所以がその辺りにありますし、本人達も本能レベルで求めちゃうのでどうにもならないようですし、ねえ」
「なんて迷惑な奴らだ……」
存在そのものが人間にとって迷惑というのはいかがなものか。
なるほど、この世界の人間にとっては、盗賊やモンスター以外にも警戒すべき存在が多いらしいと解り、軽いため息が出る。
「そんじゃ、こないだ村でやらかしてた占い師も、その始祖って奴らなのかな?」
「どうでしょうね……私は、彼女は始祖ではないと思いますが。始祖の特徴として銀髪があるのですが……あの占い師さんは、確か金髪でしたよね?」
「ああ、うん……てことは、『夜の民』の方なのか……?」
「可能性としてはそちらの方が高いと思います」
染めている可能性もあるのではないかとカオルは考えてしまったが、この世界にどの程度髪を染める技術が広がっているのかもよく解らないし、ここは素直に頷いておくことにした。
何せ解らないことだらけである。
多少胡散臭い女神様でも、まず間違いなくカオルよりも物知りなはずなので、この辺りは信頼する事にしていた。
「夜の民は、始祖の吸血行為を受けたり何らかの理由で始祖の血を飲んだり、血を交わらせたりした結果毒に感染し、ヴァンパイア化した者を指します。始祖と違い、段々と吸血衝動に駆られ、本能的に逆らえなくなった結果無差別に多数の人間を手に掛けたりするなど、とても危険な存在として扱われていますね」
「すげぇ迷惑だな」
「はい。すごい迷惑な人達です」
女神様にしてみればこの程度の扱いである。
不思議と、この女神様はどのような場合でもドヤ顔をしてそうなところがカオルにはイメージできてしまっていた。
そして大体それは当たっていた。ドヤっている。
「始祖の血が身体に入ったら感染しちまうのか? それって、結構簡単に増えそうで怖いな」
「感染後即ヴァンパイア化する訳ではなくて、いくつかの段階を経てその間に治癒できなかった場合にのみヴァンパイア化、といった感じでしょうか。そのような経緯から、元々は善良な一般市民であったりする事が多いようですが」
「助けられないとそうなっちゃうのか……なんか、哀しいな」
「そうですね。助けてあげられないとそうなってしまうので、もし感染して、まだ発症していない人が居たら助けてあげてくださいね。とても辛いはずなので」
「そうなのか……」
女神様に言われたからという訳でもないが、辛い思いをしているというなら、それはできる事なら助けてやりたいともカオルは思っていた。
人助けは自分の本分。
それが例え厄介な症状に悩むヴァンパイアなりかけの相手だろうと、助けられればその方がいいに違いないのだ。
だから、カオルは迷わず頷いて見せた。
「解ったぜ。そういう人が居たら助ける」
「ふふっ……カオルならそう言ってくれると思いました。ただ、気を付けてくださいねカオル。ヴァンパイア化した生物は、通常のソレと比べ非常に高い魔力、腕力、生命力を誇ると言われています。始祖の被害に遭った善良な民ならともかく、そういった力を求めて自らヴァンパイア化しようとしていた者だったなら、救おうとすれば当然恨まれたりもしますから……」
「自分から望んでヴァンパイア化しちまうのか……人間捨ててまでなあ」
「永遠の美を求めてヴァンパイア化した女性もいるくらいですから……つきつめると人間では無理だと解って、そういう道に走る人も中には居るのですよ」
「なるほどなあ……あの占い師も、そういう感じの人なのかもしれないなあ……ははっ」
永遠の美。
カオル的にはそんなもの、あまり魅力的には思えない言葉ではあったが。
美の追求が多くの女性にとって命題の一つである事も、また知っていた。
世界は違えど、女性が美を求め、その永遠の継続を望むのは同じなのだ。
異世界でも、根っこのところは同じ人間なのだと感じられて、カオルは変な笑いが出た。
「向こうでも、綺麗になる為に整形したり、変なダイエットする人いるもんなあ……感覚的には、それに近い感じだったりするのかな」
「そうかもしれませんねえ。人間同士でもその辺りの差はあるのに、こちらの世界ではエルフや獣人といった他種族で比較的長命な美人さんが居たりしますから……そういうのを見ちゃうと、魔が差しちゃう人はいるのでしょうね」
困ったものです、と他人事のようにうんうん頷く女神様。
少し前に獣人のスタイルについて羨ましがっていた気もするが、恐らくそんな事はもう忘れているのだろう、とカオルは敢えて突っ込まない事にした。
その後は、女神様と差しさわりの無い雑談やサララについてなど話したりして時間が流れ、この日の女神様タイムは終わりとなった。