#16.取り戻された信頼
行商達も居なくなり、麦刈りも静かにその終わりを迎えようとしていた頃の事であった。
その頃になると、キャラバンが村にいた間に起きた事件などはもう過去のものとなってしまっていて。
村でその話題が出ることなど、ほとんどなくなっていた。
麦刈りが終われば、いよいよ夏も本格的となり、人々の心も開放的になってゆく。
村を歩けば、麦刈りの間に新たに誕生したカップルが恋を口ずさんでいたり、水遊びに興じていたり。
若い男女の甘い空気が、まるで村に充満していってるかのように、カオルには感じられた。
彼が今日向かっていたのは、墓守達の家である。
重傷を負ったからか、深く意識を失い、長らくの間目覚める事が無かったポットであったが、司祭様の治癒の奇跡、そしてレイチェルの健気な看護の甲斐あってか、このたび意識を取り戻し、ようやく立ち上がれるようになったのだという。
この報を聞き、カオルは早速顔を見に来たわけだが――
「ゆっくり、ゆ~っくり歩いてください」
「う……あ、あぁ……うぉっ」
「きゃっ、だ、大丈夫ですかポットさん?」
「大丈夫だよ……レイチェルこそ、ごめん、その……」
「私は大丈夫ですよ。さ、立ち上がりましょ。最初から」
「ああ……うん」
ドアが開けっぱなしになっていたポットの部屋。
ポットが、レイチェルに支えてもらいながら歩く練習をしていたのが、部屋の外のカオルからも見えた。
立ち上がる事そのものはできても、まだ歩くには大分不自由しているらしく。
ポットは苦心しながらもベッドのへりやレイチェルの肩を借りて立ち上がり、また一歩、二歩、と歩く。
「あ……カオル君じゃないか」
「よ、元気そうでよかったぜ」
カオルはしばし声もかけず見ていただけだったが、ポットと目が合い、照れくさそうに頭を掻きながら、部屋に入る。
そこで、訓練が中断され、ポットもベッドに腰かける。
「こんにちは、カオルさん」
「ようレイチェル。ポットさんもだけど、レイチェルもその後は大丈夫? 問題とか、ない? サララが気にしてたぜ」
そのサララはというと、「後からいきます」とだけ言って部屋に引っ込んでしまった。
何を考えているのか解らないが、カオルは「サララだから仕方ない」と、その気まぐれを気にしない。
「ん……私は今のところは。自分が操られてた事とか、全然知らなかったくらいで……でも、お爺ちゃんや友達を心配させちゃったから、これからは気を付ける事にするよ」
「そっか。うん、その方がいいぜ」
「カオルさんも、ありがとうね。サララちゃんと一緒に、私の事探してくれたって聞いたから……」
「ああいや、俺は大したことやってないぜ。できる事をやっただけだ。草刈りとか、麦刈りとかと一緒だよ」
「ふふっ、カオルさんらしいね、それ」
純朴な笑顔を向けてくれるレイチェル。
それを見て「やっぱり可愛いなあ」とカオルは思うが、すぐにポットの顔を見る。
「身体とか、まだまだ大変だろうけど、頑張ってくれよポットさん。何かあったら、俺もまた手を貸すし。村の人たちだって、ポットさんを助けてくれると思うぜ?」
「……ああ、ありがとうカオル君。君達は、僕の恩人だよ」
「なに言ってるんだよ。ポットさんがいなかったら、俺達皆、あの占い師に負けちまってたかもしれないんだ。レイチェルだってどうなってたか解らない。ポットさん、もっと胸を張れよ! 村の人たちだって……女の子は解んないけど、男の人はみんな『あいつもやればできるんだな』って、認めてくれてるぜ!!」
「……そっか」
まだまだ状況がはっきり飲み込めていないらしいポットは、カオルの言葉でわずかに顔をほころばせるが……すぐに俯いてしまう。
「まだ、何か悩みとかあるの?」
「いやあの……悩みっていうか、さ」
「うん……?」
ちょいちょい、と、カオルに向け手をこまねくポット。
何事かと顔を近づけると、耳元でぽそぽそと呟くのだ。
(その……レイチェルが、毎日のように僕のところにきて、世話を焼いてくれるんだけど……これって、僕に、何か好意とか、そういうのあっての事なのかな? それとも、ただの僕の勘違いとか――)
聞こえてきたのは、ポットらしい言葉であった。
「ぶっ……ははっ、ははははっ! ポットさんらしいぜ!!」
カオルは、思わず噴き出しそうになり……こらえきれなくなる。
ポットは今、自分が村でどんな扱いなのか、解らないのだ。
確かにレイチェル失踪からの一連の騒動は、事件としては収着し、村では話題にされることはなくなった。
だけれど、それが元で、ポットの村での評価は以前とは大分違ったものとなっているのだ。
主には、この、ポットの隣で不思議そうに首を傾げている少女の活躍によって。
「まあ、その、なんだ。ポットさん、気になるなら本人に聞いてやれよ。そういうとこ、ポットさんらしいけどさ、でも、決める時には決めないと、笑われちゃうぜ?」
「……もう、君に笑われてるよ」
なぜ笑われたのか解らないポットは頬を膨らませるが。
カオルは「悪い悪い」と笑いながら肩をぽん、と叩き、今度はポットの耳元で囁く。
(サララがさ、ポットさんに伝えてくれって。『目の前にいるその女の子は、掛け値なしに貴方を見てくれている女の子ですよ』ってさ)
「え……ええっ!?」
「だから、それに恥じないように生きて、『これからも』嫌われないように、頑張ってくださいってさ」
妙な伝言を頼まれたものだと、その時のカオルは首を傾げたものだが。
存外、あの黒猫娘はそのような他者の機微には敏いらしく。
こんな場面にぴったりな伝言を自分に伝えたサララを、帰ったらどうやって誉めてやろうかと、そんな気持ちでいっぱいになってしまっていた。
「……そっか。僕、が」
ちら、と、レイチェルを見て、それから。
それから、拳を握り、決意したような、そんなキッとした目つきになる。
それは、今までポットが見せたこともない、漢の顔であった。
「……? 二人で、何を話してるの?」
一人話にまざれないレイチェルは、不思議そうに二人を見ていたが……
「僕、頑張るよ。だから、見ててね」
「うん、もちろん。頑張ってね、ポットさん」
そのポットの言葉の意味を理解してかせずか、にっこりと最上級の笑顔を見せてくれていた。
「なあサララ」
「んー? なんです?」
その日の夕食の時間。
結局、ポットの家では姿を現さなかったサララは今、魚料理の並んだ皿を前に、幸せそうにフォークとナイフを手に取っていた。
「お前結局、お見舞いには顔出さなかったよな。なんでだ?」
「なんでって、幸せそうにしてるカップルのお邪魔するなんて、そんな空気読めない事はしたくないですし」
「……なら止めろよ」
サララは全部お見通しであった。
この黒猫娘は、レイチェルがポットを甲斐甲斐しく世話していたことも、ポットがそれを機に、レイチェルを意識していたことも解っていたのだ。
だというのに、カオルにはそれを伝えもせず、伝言なんかを伝えさせるという手の込みよう。
カオルはちょっと悔しげに煮魚にフォークをぶっ刺す。
口に運ぼうとした魚が、崩れ落ちて皿へと戻っていった。
やはりというか、マツナガは煮魚向きではなかったらしい。
きまぐれに焼き魚向きの魚を煮魚として使ってみたのだが、味付けはともかく、見栄えの方は上手くはいかなかった。
それでもサララは文句を言わないのだが。
「誰かがお見舞いに行ったほうがいいとは思いましたし。それに、結果的に行って正解だったでしょう? ポットさんの性格じゃ、何年経っても進展しそうにないですしぃ?」
「そりゃまあ、そうだけどさ……」
「多分、カオル様とポットさん……後は兵隊さんもかなあ。それ以外の村の若い男の人なら、レイチェルさんが通い始めてた時点で当たり前のように手を出してますね。今頃は結婚式の算段しててもおかしくないくらいですよ」
「マジかよ」
村の男衆の手の速さも驚きだが、自分とポットとを同列にされていたことも、カオルにはショックであった。
この猫耳娘は、そんな事を常々思っていたのだと、今更気づいたのだ。
「ま、だからこそレイチェルさんも安心してポットさんのところに通ってるんでしょうけど。それを見ている周りの人はハラハラドキドキです」
「周りって……?」
「レイチェルさんがポットさんの家に通ってるって聞いて、あのお友達の人たち、毎日あたふたしながらポットさんの家の周りうろうろしてるんですよ。見てて笑っちゃう」
「……あいつらも心配性だなあ」
「本当にそうですよね。レスタスお爺さんなんかはもうひ孫の顔見る気満々みたいですけど」
「それはそれで気が早いな」
「そうですか? ストレートに行けば来年の春ごろから夏あたりには子供が生まれると思いますけど……」
「……いや、そうだろうけどさ」
女の子がそんな事をストレートに言うなよ、と恥じらってしまうカオルは、まだまだ純情であった。
サララはというと、不思議そうにカオルの顔をまじまじと見つめていたものの、ほどなく目の前の魚料理に舌鼓を打つことに夢中になるのだが。
(女の子って、強いよなあ)
そんなサララを見て、カオルはそう思わずにはいられなかった。
この、幸せそうに崩れた煮物を頬張るところからは想像もできないくらい、女の子という奴は強かで、行動的で、そして考えているのだ。
自分がいた世界でも、きっとそうだったのだ、と。
こんな女の子と一緒に暮らすのだから、男の自分はもっと考えて、もっと強くなって、もっと行動的にならなきゃいけないんじゃないかと、そんなことまで考えてしまう。
「カオル様は、そのままでも良いですよ? 変にがっつかれても引きますし」
だが、そんなカオルの心の中を見透かすように、サララは表情も変えずそんな事をのたまう。
あまりにピンポイントだったので「こいつは人の心を読めるんじゃないのか」と、どきりとしてしまったカオルであったが。
サララはしれっとした顔で言うのだ。
「カオル様、結構顔に出やすいタイプですからね。キリッとしてる時はそんなでもないですけど」
「……マジすか」
「ええ、まあ」
カオル的には驚愕の事実であった。
別にポーカーフェイスを気取っていた訳ではないが、今の自分の外見からは想像もつかなかったのだ。
割と精悍な顔だちのはずの自分が、思ったことをそのままストレートに顔に出していたというのは、本人的にはちょっと恥ずかしかったのもある。
「……これからはどんな時も表情を変えないアニキを目指したい」
「いやあ、それはちょっと無理なんじゃないかなあ……止めはしませんけど。サララとしてはことあるごとに表情が変わるカオル様の方が見ていて面白いからいいんですけどね」
決意するカオルに、へにゃっと笑いながらまた一口。
「んー、おいしっ」
幸せそうに自分の手料理を食べてくれるこの猫耳娘に、カオルは「こいつがそれでいいならそれでもいいか」と、今しがたの決意を忘れることにした。