#3.異世界ライフ、お楽しみ下さい!
「後、えーっと……特典その5!! 今だけすごく平和な村に転移させてあげちゃいます!! これはすごいお得ですよ!? 今異世界に行く貴方だけに授けちゃいます!! わあお得ー!!」
もはや必死すぎてツッコミを入れる気にもなれなかったカオルであったが、ただ、その必死さが妙に無理があるというか……気になる部分もあった。
敢えて聞く気もない程度の些細な違和感。
ただ、その違和感が女神様の言葉をより胡散臭く聞こえさせているようにも思えたのだ。
「いや、もういいよ……なんか、無理無理考えて出してるようにしか見えないし。考えるの大変だろ?」
何を企んでるのかはカオルには解らなかったが、ただ、これ以上聞いても痛々しくなるだけだと思って、敢えて遮った。
「いえでも……まだ特典、5個くらい残ってますし……それに」
「それに?」
「それに貴方は、色んな努力をかなぐり捨ててしまって、生というものにちゃんと向き合ってないように思えます」
バツが悪そうに眉を下げながら返してきた答えに、カオルは憤慨した。
「あんたがそれを言うのか?」
よりによって「どう足掻いても死ぬ」と言った本人が、である。
なんとなしに、その一言にイラついてしまっていた。
だが、女神様は悪びれもせずに続けるのだ。
「私に死ぬと言われたから諦めたんです? 認めたくないと思わないのですか? もしかしたら死を回避する方法だってあるかもしれませんよ? 私は存外大したことのない存在かもしれませんし」
それでも諦めるの? と、女神様は不敵に笑う。
上から目線で嘲笑われているようで、カオルには面白くなかったが。
同時に、その苛立ちの原因に、カオル自身、気づき始めてしまっていた。
(――そんな、自分で解ってる事、一々聞かせないでくれよ。辛いんだよ)
口にこそ出さないが、抗いもせず受け入れ、諦めを選んでしまう自分の弱さに、いくらかの悔しさもあったのだ。
それでも仕方ないじゃないかと、死ぬなら死ぬしかないだろうと、所詮ただの人間なのだからと、そう思うしかないと、決めつけていた。
「助かるかも知れませんよ? 運命なんて捻じ曲げられちゃうかもしれません。なんで抗わないんですか? 抗おうともしなかったのですか?」
じ、と見つめてくるその赤い瞳は、どうにも目を逸らしがたい力が籠められているように、カオルには感じられた。
「運命なんて、簡単に曲がる訳ないだろ?」
好き勝手言わないでくれ、と、そっぽを向こうとする。
だが、首が動かない。視線が逸らせない。逸らしてはいけないと、どこかで思っていたのだ。
「何故そう思うのです? 運命のなんたるかも貴方は知らないのに?」
なんとなく馬鹿にされているように感じて、カオルはまた憤ってしまう。
もっとはっきりと言ってほしかったのだ。
これ以上針の筵の上にいるのは、カオル的に辛かった。
「俺は人間だぜ? あんたは女神様だから解るかも知れないけどさ、俺みたいな高校生にはそんな運命なんてよく解んないもの、どうしようもないだろ?」
必死に絞り出した反論。
だが、女神様は余裕の表情で首を横に振る。
「そんなことはありません。私も……今の状態になる前は一人の人間でした。とてもとても弱く、儚い――ですが、その時から私は、運命が何なのかを知っていましたわ」
「……何だよ、それ」
「努力でねじ伏せられる何かです。今頑張れば将来変わるかもしれない何かです」
えらく体育会系なノリであった。
本来そういったノリは運動音痴なカオルにとって「汗臭い考えだ」と忌避していたものだったが。
今は、それでも聞き流せない、そんな真面目な雰囲気がそこにはあった。
信じがたいことに、さっきまで胡散臭いと思っていた女神様が、それこそ女神様らしく思えてしまっていたのだ。
「人間は、食わず嫌いが過ぎます。どんなものでも我慢して食べていれば、それは必ず身に付き役に立つのに、自分が嫌だからと逃げてしまう。だけれどそれらは、きっと誰かの役に立ち、何らかの意味があり、そして、最終的には貴方の為になる事のはずなのです」
睨み付けているわけでもなく、怒っているわけでもなく。
女神様の、どこか言い返せない雰囲気に、カオルは押し黙ってしまっていた。
さっきまでとは全く違う、どうしてか笑って流せない、そんな一言。
カオルは、もう嫌というほど解ってしまっていた。
食わず嫌いは多い方で、野菜は嫌いだった。
学校の授業も意味不明な事ばかりで嫌いだし体育もしんどいばかりで大嫌いだった。
女の子と話すのも、相手に合わせるのが苦手でロクに話せないまま今に至るし、お年寄りと一緒に居るのも疲れるからと避けるようにしていた。
全部、全部、避けられるなら避けたし、嫌な事だからと全力で取り組まずにいた。
結果がダメだったとしても、それが苦手なんだから、嫌なんだからという理由があるんだから、それでいいんじゃないかと、ずっと思っていたのだ。
「私は思います。人がその人生を悔やむのなら、悔いの無い様に全力で生きてしまえばいいんです。たった一つのことすら手を抜かず、やりたいように、出来る限りの事をやればいいではないですか」
女神様の仰ることは、人生経験の乏しいカオルでも正論と解るくらいに、反論のしようがない事ばかり。
だが、それは現実では厳しいのだ。
どうしてもカオルのように、嫌な事からは逃げたくなるものなのだ。
辛い事ばかりやっていたのでは、耐えられなくなってしまう。
嫌な事は嫌だし、辛いものは辛いのだ。
身につくからと我慢し続けられる人間なんて希少で、役に立つからと耐え続けようとすれば、いつかはどこかで無理がたたって折れてしまう。
嫌になってしまうのだ。投げ出してしまうのだ。
人は、人間は、そんなに強い生き物ではないのだ。
「あんたのそれは、ただの夢とか、理想とかだろ?」
だから、カオルは抗ってしまう。
頭では、心では解っていても、抗わずにはいられなかった。
カオルには、女神様の言う事が現実的には感じられなかったのだ。
弱い人間には到底受け入れられないような、酷な一言に感じてしまっていた。
口先だけの、押し付けに感じてしまったのだ。
「――いいえ?」
だが。
女神様は、笑っていた。
必死になって自分を肯定しようとするカオルを。
努力してこなかった、嫌な事から逃げてばかりいた少年を、窘めるでもなく、嘲笑うでもなく。
ただ、にこりと微笑み、カオルを見つめていた。
「私の言ったことは、すべて叶います。それが証明できる世界へと、貴方を誘う事だってできますわ」
さあ、試してみませんか、と。
女神様は手を差し伸べ、カオルの黒い瞳を覗き込む。
――少年にとって、それは初めてこの女神から聞けた、魅力的な提案だった。
「……条件は? その、俺が異世界に行って、なんかやるんだろう?」
「貴方がその世界で一番最初に出会った人。その人を救ってあげてください。彼は、そのままでは死する運命にあります」
結局、カオルは女神様の仰るまま、異世界へと行くことを決めていた。
見てみたくなったのだ。
逃げなくなった自分の、その先に待つ何かを。
本当にこの女神の言うように、今の自分とは違う何かになれるのかを。
ただ、「異世界ライフを楽しんできてください」なんて言いながら口を滑らせるように本来の目的らしいものを答えてしまったのを見て「やっぱこの女神様は嘘つきだな」と、カオルは笑った。
ようやく、心に余裕が生まれたような気がしていた。
「本当は、私が助けられれば良かったのですが……生憎と、私が干渉すると様々な問題が生まれるようになっていまして……」
やや寂しそうに、困ったように微笑む女神。
「その人を助けられたなら、その後は何をしても構いません。さっきも言いましたが、貴方はその世界では何をしても死なないですし、努力すれば何事であっても必ず成果を出せるようになるはずですから、飽きるまでその世界を謳歌するといいでしょう」
どうぞ楽しんでください、と念を押すように笑いかける。
だけれど、カオルは気づいてしまっていた。
ずっと隠れていた左目周りが、さっきから全く動いていないことを。
「……俺が、力を悪用するとは思わないの? 絶対に死なないとか、悪い事し放題になっちゃうぜ?」
「構いません。もし貴方がダメだったとしても、私は誰も恨みません」
気にしないようにしながら、それとなくカオル的に意地悪な事を聞いてみたつもりだったが、女神は表情を崩すことくきっぱりと答えていた。
「――というより、貴方を送ったら、私は恐らく、消えているでしょうから」
先ほどから、白い衣の中からさらさらと何か、粉のようなものが零れているのには、カオルも気づいていた。
それでもそれを口に出そうとしなかったのは、目の前のこの女神が、あんまりにも必死に、真剣に見えたから。
「よく解んないけど、あんた、もしかして――」
そうして、また気づいてしまった。この女神様には、足がないのだ。
幽霊だと名乗られればむしろそちらの方がそれらしく感じるくらいに、足先のない女神は不自然な存在であった。
髪の先端も、不自然に切れている。
「存分に楽しみ、『もういいか』と思ったなら、その世界で貴方が最初に目を覚ましたその場所に横たわり『もういいや』と呟いてください。それで、この世界に戻る事が出来ます」
女神様は構わず話し続ける。
それで、この女神が必死な理由を、カオルはようやく理解した。
「いいのかよ、俺で。俺なんかで」
――この人に、『次』なんて最初からなかったんだ。
選択肢がないのは俺じゃない。この女神様自身だったんだ――
カオルは、不思議とそう感じてしまっていた。
根拠だとか正しい理由だとかは必要ない。
カオル自身がそう感じ、そう信じてしまっていた。
今も女神の袖からはパラパラと何かが零れ落ちてゆく。
時は戻らない。時は止まらない。
急がないといけない。急がないと、この女神様は――そう思えばこそ、カオルは、女神を見た。
今までで一番必死な顔で、目の前の女神を見たのだ。
「早く送れよ! 間に合わなくなったらどうするんだ!!」
この人が掲げた条件:人助け。
きっとこの女神は、この人は、それだけを叶えたくて自分の前に現れたのだと、そう理解した。
もしかしたら女神と名乗っているだけで、女神でもなんでもないのかもしれないとすら思えた。
だが、それでも、そうまでして叶えたい願いがあって、その為に今、消えようとしている。
叶えてやらなきゃいけない。
どっちが神様なのか解らない中で、カオルは確かに受け入れたのだ。覚悟したのだ。
この人の願いを、叶えてやろう、と。
「カオル、ありがとう――」
カオルの言葉に安堵したのか、自称女神は手の中の棒切れを差し出そうとする。
ばさりと長い髪が落ちる。何もない左目の穴が、どうしてかにっこり笑っているように見えていた。
「どうかお願いしますね。あの人は、私の大切な――」
止まっていた時が動き出す。
差し出されていた棒切れに触れていた。
その感触が、カオルには感じられていた。
次の瞬間、カオルには何が何だか分からなくなってしまっていた。
何もかもが吹き飛ばされ、何もかもが消え去った世界。
ただ、最後に見えた女神様の顔が、カオルにはとても印象深く。
そして、とてもやるせない気持ちになってしまっていた。
最後の最後。とても辛そうな、やせ我慢したような泣き笑いだったからだ。
一生忘れられそうにないな、と、カオルは消えゆく意識の中、強くそう思った。