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嘘つき女神と0点英雄  作者: 海蛇
17章.うたかたの夢の先に
293/303

#1.概念となった英雄

 魔王と呼ばれし者が女神に率いられし人類に敗れてからはや5年。

一時は急速に広まった人々の平和への期待と楽観はしかし、5年も経過すると膨らみ続けることもできず、次第に元の落ち着きを取り戻していった。

萎んだわけではない。人々は確かに夢を見ることができた。

幼子は将来を悲観することなく自らの夢を語ることができるようになり、大人たちはそれを馬鹿にすることなく、温かなまなざしで見守ることができるようになっていた。

国々はそれまでの協調路線を崩すことなく、魔王討伐を機にさらなる親交を深めていったし、民間では様々な技術が、異世界人主導の元導入され、広まっていった。



「マスター、これが本日最後の報告となります。本日の本部・全支部の総合業務件数は6540件。内、依頼関係者の死は30件、メンバーの死は0件、負傷者65件です」


 カルナス。

ギルド『ミリオン』のギルドマスター執務室にて。


「うちの非で起きた関係者の死は?」

「0件ですね。一件だけ微妙なラインの案件がありましたが、先方が自分の責任だと言っていますので」

「んじゃ負傷者には程度に見合ったお悔やみ金を出してやってくれ」

「既にそのように手配してあります」

「ならよし」


 秘書からその日の最後の報告を聞きながら、ギルドマスター・カオルは満足そうに頷く。

世界は変わった。

目まぐるしく変わってゆく世界に対応するため、『ミリオン』もそれまでの活動にとどまらぬ活躍を求められ、必要に応じて変わっていった。

今、彼のギルドは多くのメンバーを抱える、世界最大の民間組織となっていた。

人材も人種も多種多様。

様々な技能を、特徴を、個性を持った者たちが集っていた。

今のこの世界においては「仕事に困ったらミリオンに行け」「何か問題があったらミリオンの支部に頼れ」と言われるほどに身近な存在となっており、また、「新しい地域に来たらまずミリオンの支部に顔を出しておけ」と語られるほどに、何をするにあたっても重要な拠点となっていた。


 支部の数も爆発的に増え、5年前までは主要な街にある程度だったのが、今ではどこの国のどの地域に行っても一つはギルドマークのついた旗の飾られた建物が建っているようなもので、これは困窮しがちな辺境の民間人にとって、大変ありがたいセーフティポイントともなっている。

それだけ、頼る者も多く、所属する者も増え、こなす仕事もその種類も増えていったのだ。


 ミリオンの役目はかつての困者(こんしゃ)救済に限らず、経済面で国がカバーしきれない地域においては役所の代行まで果たすようになり、地域住民にとってなくてはならない骨子となっていた。

だが膨大な業務を果たす中で、どうしても無理が祟り病に倒れたり負傷が増えたり疲労困憊(こんぱい)となる者が出てくると、今度はそれをカバーするために、あるいは業務上の失敗や解決上発生する問題をカバーするために、ギルドが関わってくる必要が生まれた。

このため、それまでの困者救済に加え、喫緊(きっきん)に必要な地域の役所代行・そしてメンバーや事案関係者の救済のための保険業務までが現在のミリオンの行う、主な業務であった。

その他、要人警護や国家の式典への参列など、見栄の為必要ながら私兵や軍を増強することが難しい弱小国や貴族などに一時的に雇われるケースや、国からの依頼で、その国では手に負えない魔物や大賊(たいぞく)を討伐するケースなどもあり、街に頼まれイベントを企画する事や商人の相談になる事もある。


「……今日はまともな時間に帰れそうだな?」

「はい。お疲れさまでした。マスター」

「お前もな。ゆっくり休めよ」

「ええ。久しぶりに娘と語らいたいと思いますよ」


 秘書と二人、明るいうちに帰れるのも久しぶりだった。

いつもなら深夜に至るまで報告事項が溢れていたが、今日は随分と早く各支部の仕事が片付き、午後からは緊急のものを除きほとんど報告も入らなかったのだ。


(今日は記念日だからな)


 世界が平和になった日。

そう記念づけられたこの日は、多くの商会や商店、役所などが半日仕事となる。

ミリオンもまた、その日ばかりは仕事を休んだり半日だけで片付ける者が多く、報告件数も少なく済んだのだ。

そう、たった6500余(・・・・・・・・)の案件で済むほど少なく抑えられた。


「マスターは、もう最初のお子さんはよそに?」

「ああ、最初に生まれた子たちは皆独り立ちしてる。早いもんだよな。まだ子供だと思ってたけど。ていうかまだ子供なんだけど」

「ですが、とても子供とは思えないくらいに聡明だとか。一番上の娘さんなど、『学院』に推薦されたのでしょう?」

「ああ。あの魔法やら何やら研究してるっていうな。俺もよく知らなかったけど、魔法に興味あったみたいだからな」

「猫獣人としては珍しいらしいですけどね。でも、そういう方向に才能が恵まれているのは素晴らしいと思いますよ」


 子育てに関しては未だサララに一任していて、もはや自分に関われる部分などないかに思えていた。

父親としてはダメな父親だと思えてしまって、ろくに育児に関われないまま自分の元から独り立ちしていった子供たちに、少なからぬ寂しさもあったが。

だが、誇らしくもあった。

誰一人自分に反感など抱かなかったし、グレなかったし、むしろ自分の子供とは思えないくらい優秀だった。

これも母親が良かったからだろう、サララの影響だろうと思いながら、先に巣立った子供たちを想う。

そんな時ばかりは、厳格なマスターも親の顔になっていた。


「マスター。子供はすぐに大人になっていきますよ。貴方の子供たちです。いずれ世の為、世界の為になるように生きるのでは?」

「そう願いたいな。いや、皆がそうじゃなくてもいい。親としては平穏な世界で生きてほしいからな。大変な目に合ってほしくない、というのも本音の一つだよ」


 もちろん出世してほしいという気持ちもあるが、と笑いながら席を立つ。

壁にかけていたコートを羽織り、「それじゃ」と、話を終わらせる。


「また明日な」

「ええ。よい明日を」


 慣れた掛け合いで別れ。

カオルは執務室を出た。




「おかえりなさいませ、旦那様」

「「「おかえりなさいませ」」」

「ああ。ただいま」


 屋敷に戻れば、執事長のクラウンをはじめ、その部下の従僕たちやメイドらが控え出迎えてくれる。

こんな暮らしにももう慣れ、当たり前のようにそれを受け入れる自分に「俺も変わったな」と自嘲してしまう。

もう、金持ち暮らしが板についていたのだ。

今の彼を成金と思う者などいないし、どこのパーティー会場に顔を出しても貴族らとそん色ない立ち居振る舞いができていた。

主人として、人を使う事にも慣れ、ゆったりとした歩みで屋敷を進む。

向かう先は、サララの私室。



「やあサララ、今戻ったぜ」

「おかえりなさい、カオル様」


 サララは今、ベッドで寝込んでいた。

医者が言うには季節の変わり目によくある風邪だろうという話で大事はなかったが、こんなときばかりは無理をさせる訳にもいかず、育児も今はリリラとミラーが部下のメイドらとともに交代で見ている。


「今日は早かったのですね。てっきりまた深夜になるものと」

「流石に記念日に無理をする訳にもいかんからな。女神様直々のお達しだぜ?」

「ふふ、そうでしたね。あれからもう5年ですか……」


 月日が経つのって本当に早いです、と、窓の外を見やりながら小さく笑う。

サララはどうやら疲れているらしい。

そんな風に感じ、カオルは言葉少なくベッドに腰かけ、傍に寄り添って愛妻の手を握る。

そうするとサララは安心したように微笑み、「ありがとうございます」と、カオルの胸に身体を預けてくる。

それを抱きとめてあげながら、「今日は?」と、その日の事を聞くのだ。


「今日はですねえ。シャーリーからお手紙が届いたんですよぉ? 『お父様お母様へ』って。ふふ、読んであげてくださいよ」


 秘書にも話した『学院』に入った娘からの手紙だった。

奇妙な偶然もあったものだと思いながらも、ある意味待ち続けたものでもあり、サララから受け取った時には顔がほころぶ。


「どれどれ……『学院での生活にも慣れてきて、お友達も三人もできてしまいました』って。相変わらずコミュニケーション能力高いなあ」

「カオル様に似たんですよ。あの子ったらどこに行ってもお友達を作ってしまうから……心配もなさそうですね」

「ああ。勉強は難しいらしいが、それでも試験で上位に入れたようだな。サララに似て頭もいい」

「将来は美人になりますよぉ。なんたって私と同じ交じりっけなしの黒髪ですから」

「それは楽しみだ……嫁の貰い手には困らなさそうだな?」

「今から心配してるんです? 親ばかですねえ」


 困ったものです、と、眉を下げながら。

けれど、自分たちの娘が誇らしいのはサララも同じか、心底嬉しそうに胸に顔を押し付け甘える。

それが、サララが弱気になっている時の癖なのだとわかっているカオルも、顔色には出さず、頭を優しく撫で、強く抱きしめた。


「他の子達も、話に聞くに順調に育っていってるみたいですし。いつかは、各地で頭角を現すかも?」

「なあサララ。でも、寂しいんじゃないのか? 独り立ちしたっていっても、あの子たちはまだ10歳にもなってないだろ? でも、猫獣人的にはそんなに珍しくないのか?」

「んー……いえ。かなり珍しいと思いますよ、私の方針は」


 一番上の子供達でも、まだ6歳。

親元を離れて暮らすにはあまりにも幼かった。

それでも尚サララが自分たちの元から独り立ちさせたのは、サララなりの考えがあったから。


「カオル様。貴方のしていることは、とてもこの世界にとって大事なこと。だけれど同時に、よくないことを考えている人たちからすればこここそが、一番の弱点にもなってしまうんです」

「……俺じゃなく、サララや子供たちを狙うやつが出てくるかもしれないって?」

「とりあえずは。けれどそれだけでもなくて……例えば、今のペースで子供が増え続けたら、その子たちが大人になった時に、子供同士で争ってしまう事もあるんじゃって、そう思ったんです」

「……まあな」


 考えたくはないが、確かにそれはあり得る話だった。

自分のいた世界でも、家族同士、親戚同士で骨肉の争いをすることは、決してないわけではなかった。

平和な世界。けれど人間同士はやはり願望があり、欲望もある。

噛み合わなければ、たとえ親族だろうと、いや、近しい者同士だからこそそれが許容できず、(いさか)いの元にもなりうるのだ。

サララは、それを回避しようとしていた。


「まあ、それだけでもないんですが……」

「そうなのか?」

「ええ。でも、大部分はそこにあります」


 ちらりとカオルの顔を見上げ、けれどまたすぐに顔をうずめてしまい。

サララは自分の胸の内でだけ、その本当の理由を想う。


(もしカオル様がこの先、私以外の女性と子供を作ったら……場合によっては、殺し合いになってしまうかもしれませんし)


 それは、夫の浮気心を心配してのものではなく。

自分が死んだ後のことを憂慮してのものだった。


「ふふ、でもまあ、結果として上手くはいっているでしょう? この調子で各地に分散させて、ゆくゆくはその地域の地盤をその子たちに任せてもいいですし」

「それって、自分の子供たちを各地の有力者にして、支配しようと目論んでるって勘ぐられないか?」

「勘ぐられるかもしれませんね」

「おい」

「でも……必要なら、そうしてしまってもいいのですよ?」


 今この世界を見るならば。

ミリオンの力は、既にどの国よりも絶大なものとなり。

カオルの影響力は、既に女神アロエすら凌駕しているのだから。

望めば、国など容易に転覆させられるのだ。

その気になれば、世界地図など容易に塗り替えられるのだ。

その力がカオルにはあり、それができるだけの人材がミリオンには集まっていた。

そして人々は、もうミリオンなしでは生きられなくなりつつある。

できてしまうのだ。制覇が。

やれてしまえるのだ。統一が。


「勿論、世の中に覇を唱えようとか、そんなことじゃないんですよ? でも……どこの国も、どこの王族や貴族も、人々の為に生きようとしている、とは限らないですから……」

「ああ、まあ、な」


 かつて、自分の国の王族がまさにそうであったから。

国民の事など考えず、自分の事ばかり考えていた王族が身近にいたからこそ、サララは思うのだ。

そしてカオルも納得したのだ。


――国民の為にならない王族や貴族なら、排斥してしまってもいいんじゃないか、と。


 もちろんそれは、基本的にはやらない方針で。

そしてよほどでもない限りやってはならない最後の手段で。

可能な限り平和的に。可能な限り説得だけで済ませたい、けれど取れる手段ではあった。

方法として検討できるくらいには可能な、スマートではないが確実に達成できる、そんな手法。


 サララがそんなことを思いついたことに、しかしカオルは驚きもしなかった。

何故なら、カオル自身が憤りを覚えてもいたから。

結局ミリオンが手を差し伸べなければ、救えない人は多かった。

今日に至るまで、死ななくてもいい人が何人も死に、救わなければならない人は大勢いたのだ。

あれだけ、あれだけ魔王を倒した直後に人々が希望を感じていたのに。

国家も前向きに考えられるようになったはずなのに。

だというのに世界はまだ、皆が幸せになれたわけではなかったのだ。

報われない人はいて、救われない人もいて、何一ついい事がないまま死んでしまう、フランのような人が、まだいたのだ。


 それは、カオルにも許せないことだった。

もっとたくさん救えたはずだった。

もっとたくさん幸せにできたはずだった。

だからこそ、だからこそ、自分たちはどこまでも頑張らなければならないのだ、と。


「でもサララ。俺はまだ信じてるから」

「……そうですよね。ええ、私も信じていますよ」


 人間の可能性を。

この世界の人々に、やさしさが、そして心の余裕がまだあることを。

まだ影響力が足りないだけかもしれない。

まだ力が不足しているだけかもしれない。

人材が足りていないのかもしれない。

周知が足りていないのかもしれない。

金が、政治的な発言力が、武力が、説得力が。

まだまだまだまだ全然足りないのかもしれない。

だから、それが満ちれば、それが足りれば、人々はまだ救えるかもしれないのだから。


(この行き着く先に、俺はいったい何を見る気なんだろう、な)


 けれど、カオルは気づいてしまっていた。

その先に本当にみんなの幸せが待っているのか。

今自分たちが歩んでいる道は、崩壊に向かう絶望のルートなのではないか。

あるいは今、足を止めれば避けられる道なのではないか。

いいや、止まることなどできるはずがなかった。

何故ならそれはもう,自分だけの道ではないのだから。

この、誰よりも愛する女とともに歩む、そして数多くの仲間たちを、賛同者たちを道ずれにした、引き返すことのできない道なのだから。


(そうか、俺はもう――)


 彼はもう、英雄などではなかった。

英雄などという言葉で語れるような存在ではなかった。

彼はもう一人の人間ですらなく。

この世界の、世界そのものの在り方だった。

カオルは、概念と化したのだ。

世界を自在に変えうる概念に。




 壊れた世界がそこにあった。

初めから壊れていた世界。

そんな世界に、しかし希望が為神々が舞い降りた。

神々はやがてその世界を創造物で満たしたが、ついぞ満足のいく生き物を生み出すことはできず。

やがて神々同士が諍い、争い、その多くが離脱した。


 残った壊れた世界に残った女神は、仲間たちとともに魔王を討伐しようとしたが、自分を支持した神々は全滅し、自分が召喚した勇者に裏切られたり見捨てられたりした末に、ようやく魔王のシステムを変える事に成功した。

けれど、壊れた世界はそのままだった。

そのままの世界が、自分だけでは耐えられなくなったから、人身御供を望んだのだ。

立ち直れるまでの間の、わずかな時間。

全てを支え全てを変え、全てを維持するための柱。


 世界が選んだそんな生贄が、カオルという男だった。

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