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嘘つき女神と0点英雄  作者: 海蛇
16章.歴史となった英雄
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#16.側近ボーディとの戦いにて

 夜の森はやけに静かで、豊かに見えるはずなのに、虫一匹鳥の一羽も鳴き声が聞こえなかった。

野営地として最低限の守りを固めてはいたが、その場にいた誰もが「何かおかしいな?」と警戒心を強めてゆく。

敵地は近い。何が起きても不思議ではなかった。


「――女神様が倒れた以上、無理に出ていけとは言えなくなっちゃったけど……」


 そんなキャンプ地の中央にて。

意識を失った女神アロエが眠るテントの前で、プリシラを中心に、囲むようにグラチヌス討伐隊の主要メンバーが集まっていた。


「また巻き添えで滅ぼされるのはごめんだから、女神様が意識を取り戻したら出て行ってもらうからね」

「まあ、それは仕方ない事ではある。事情を聴けば、エルフは明らかに被害者だからな」

「これに関してはアロエも解ってるだろうから……ごめんね。静かに暮らしていたところに」


 アロエが眠る今、中心人物となっているのはグラチヌスと戦う予定の勇者カオリと、カオルからギルドのメンバーを任された魔王アルムスルトである。

両者ともに、プリシラの言葉には真摯に耳を傾け、アルムスルトはうんうんと頷きながら、カオリは申し訳なさそうに眉を下げながら、互いに寄り添おうとする。

下手に出られればプリシラもそれ以上強く言う事も出来ず、「分かってるならいいのだけれど」とそっぽを向く。


「それにしても静かだね……夜にしたって、こんなに静かなことなんてそんなにないのに」


 話題を変えるつもりで、という訳でもないが、疑問に思っていたことを口にするアイネ。

隣に座る兵隊さんも「確かに」と頷く。

ちなみに姫君はこれ以上の進軍が危険だからと兵員を輸送した艦隊へと戻っていた。

二人の疑問にはプリシラも感ずるところがあってか、視線をせわしなく森の方々へ向け、とんがった耳をぴょこぴょこと動かしていた。


「……まるであの時みたいだわ」

「あの時って?」

「森が攻撃された時みたいだって言ってるの。あの時も、こんな感じに静かだった。獣や虫たちがね、危機を察知して逃げたり隠れたりしてるみたい」

「それって、また襲撃が起きるかもしれないって事?」

「わかんないけど……でも、そうかもしれない」


 プリシラの発言に、集まっていた主要メンバーらもにわかに視線を森へと向けるが。

しかし、人の身では森が静まり返っている以外に得られる情報もなく。

しかし、緊張感が場に漂っていた。


「――主よ。気を付けるのだ。どうやらよくない者がここに向かっている……というより、目をつけている、というべきか?」


 不意に、それまで姿も見せていなかったひげ面の男が、アイネの背後から現れた。

魔人ゲルベドスである。

突然の出現にはアイネも「わっ」と驚いたが、それ以上に周囲の者がざわめく。

無理もない。アルムスルトやレイアネーテと違い、魔人と知れている者がこの場に現れたのだ。

アイネに使役されているという事情は知っていても、かつてカルナスを混乱に陥れた魔人、という噂は人づてに広まっており、特にこの場にいる兵隊さんにとっても忘れられぬ相手であった。


「ゲルベドス。お前の話を信じろというのか?」

「ああ、信じてくれて構わんぞ? 城兵隊長よ。出世したのだという話だが、まさかお前が主や姫君を妻にするとは思いもせなんだ」

「……」

「あの時の生意気な若造が、しかし、この場にいるという事はそれなりに実力があるという事だろう。そう怖い顔をするな」

「私はお前に殺された衛兵らの事を忘れてはいない。もし怪しい動きがあれば……」


 あくまでゲルベドスに敵意は見られなかったが、それでも兵隊さんからすれば無視できるものでもなく。

にらみを利かせ、腰に下げた剣の柄に手を伸ばし、威嚇する。

そこに、アイネが割って入ってきた。


「ヘイタイさん、大丈夫だから……ゲルベドスも、あんまり挑発したらだめよ?」

「アイネ……だが、油断はするべきではない。この男は以前、カルナスで……」

「まあ、主がそういうならば従うさ。しかしこの男、猜疑心が強すぎるな。それだけ主を心配してなのだろうが、いささか居心地が悪いのう」


 あくまで警戒心を解かない兵隊さんを見やりながら、ひげをいじって背を向けるゲルベドス。

まるで「気に入らんなら斬ってみろ」とでも言わんばかりで、兵隊さんは歯をギリ、と噛む。


「それに、ワシだけとも限らんし、なあ? ま、おとなしくしておるさ。ただ、そんな悠長なことをしていていいのか?」

「何かが近づいてるって話だったけど……魔人か何かが来てるって事?」

「それはありえんなあ。グラチヌスの配下の魔人は、今やワシとあと一人しかおらなんだ。そしてそのもう一人は、とっくの昔にグラチヌスを見放しておるからなあ」

「魔人ではない何かが来るって事?」

「そういう事だな。だがそれが何なのかまでは……いや、不思議と懐かしい感覚は覚えるのだがなあ。だがグラチヌス本人ではないし……謎だのう」


 不思議だ不思議だとあくまで他人事のように笑って見せるゲルベドスを、多くの者が訝しむように見やる。

しかし、その人外ゆえの、そして規格外な力を持つが故の感覚を無視できぬ者も多く、警戒心はさらに高まっていった。


「――なあ、なんか、月の形が変じゃないか?」


 冒険者の一人が声をあげ、月を指さす。

何事かと空を見上げれば、先ほどまで満月だったはずの月が、わずかに欠けているように黒くなっていた。


「月食にしては奇妙な……」

「――いいやこれは、敵襲だ! あれは敵だぞ!!」


 ミリシャが疑問をつぶやくのと、アルムスルトが目を細めその異常を察するのはほぼ同時で。

そして、彼の言葉を以てして集ったメンバー全員が、空の上に敵がいると認識した。


「――っしゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

「うおぉぉっ!?」

「ひぃっ、化け物っ!!!」


 満月を背にしての空からの襲撃。

距離感がつかみにくい夜の空から直滑空してきた怪物・ボーディに、ギルドのメンバーが襲撃されてゆく。

爪による攻撃は鋭利で、かろうじてメンバーらが回避したものの、地形そのものがえぐられてゆくのを見て、その場の誰もが息を呑む。


「――ソニックカッター!!」

「おあぁぁぁぁぁぁっ!! 喰らえぇぇぇぇぇ!!」

「むぅっ! おらぁぁぁぁぁぁ!」


 だが、ただ攻撃を受けるばかりではなく。

敵が降り立ち好機と見るや、アルムスルトとレイアネーテは即座に攻撃を繰り出す。

通常の相手ならばこれのみで瞬殺されるような鋭い魔法の数々はしかし、異形の化け物となったボーディの口から放たれた光線によって撃ち払われ、レイアネーテの必殺の斬撃は翼の振り払いで容易にはじかれてしまう。


「こいつ……強いっ」

「油断するな。並の相手ではないぞ」


 この場にいる中でトップクラスの二人が断言し、各自に注意させる。

無論、この場にいるのは猛者ばかりである。

ただ指をしゃぶって二人の攻撃を見ていたわけではなかった。


「女神のへの信心を以てこの者に拘束を――」

「暴れまわるなら封印させてもらうわ――止まりなさい!」


 従者ミリシャと封印の聖女アイネが怪物ボーディの動きを止めるべく身体能力を低下させ。


「――怪物めっ、覚悟しろぉぉぉぉぉっ!!」

「うおりゃぁぁぁぁぁぁっ」

「でやぁぁぁぁぁぁ!!!」


 城兵隊長ヘイタをはじめとし、各国からの精鋭が各々の得物を手に飛び掛かる。


「ぐっ、ぐうっ、おぉぉぉぉぉっ!?」


 一人一人の攻撃ならば容易に弾き返せても、複数同時に攻め立てられ、ボーディの身体には瞬く間に無数の傷がつけられてゆく。

飛び散る血は大地を汚し、森を赤に染めてゆく。


「あ……あぁ……」


 それを一人、戦闘に加わらずに木の陰から見ていたプリシラは、恐怖に(すく)みながらも、明確にダメージを受けてゆくボーディの姿に、安堵も覚えようとしていた。

怖いが、かつての事を思い出してしまうが、それでも、勝てそうだから。倒せそうだから。


(だい、じょうぶなの……? びっくりして、怖くて逃げてしまいそうだったけど……今度は、大丈夫……?)


 怪物が決して弱いわけではない。

だけれど、この場にいたメンバーはそれ以上に強かった。

奇襲を潰せたのも大きかっただろう。

アルムスルトとレイアネーテが機先を抑えるように即座に反撃に移れたのも大きく、その間に各自がパニックに陥ることなく迎撃態勢に移行できた事が現状の優勢に繋がっていた。


 そう、敵は、奇襲を仕掛けるために様子を見ていたのだから。


(お姉ちゃん……グラチヌスの手先、倒せそうだよ……?)


 プリシラにとって、今目の前でダメージを受け続けている化け物は、かつて村を襲撃してきた魔人と同じ、村の人々の仇のようなものだった。

恐ろしい、けれど憎くて許すことのできない、圧倒的な化け物。

それをなんとかできそうで、木の幹に触れる手にも力が入る。



「はぁっ、はぁっ、くそがっ! 俺はっ! 俺は生まれ変わったはずなのに……最強の力を、手に入れたはずなのにぃぃぃぃっ!!!」

「とどめだぁっ!!」

「死んでたまるかぁっ!!!」


 体中をずたずたに斬りつけられ、なおもまだ抵抗を続けていたが。

勇者からの謎のオーラをまとった剣での突きに、本能的に死を感じ、高く飛ぶ。

まだ生きている翼によって浮遊し、自らの無事を確認。


「ああっ、後一撃がっ!」

「惜しかったです。でも、相当にダメージが通っているはず……」

「ふん……まあ、アレくらいなら叩き落とせる」


 それまで静観していたゲルベドスが、羽虫を見るような目でぱちり、指を鳴らし。

直後、ボーディの周囲に巨大な竜巻が発生した。


「ああっ、おおっ、うぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 なんともいえぬみじめな悲鳴をあげながら、ボーディは竜巻に巻き込まれ、そのままぐわんぐわんと超高速の風の渦に身体を揺らされてゆく。

壊れてゆく平衡感覚。ずたずたに引き裂かれる翼。そう掛からずゲルベドスの宣言通り、地べたへとたたきつけられた。


「――ぐべぇっ!!」

「ワシはお前など知らんが……グラチヌスは、お前のようなものを配下にするほど追い詰められているようだのう。哀れなものよ」

「う、ぐ……あ、う……まだ、まだだ……まだ、俺は……っ」

「まだ生きてるの……?」

「まがまがしい力を感じます……この人、まだ全然――」


 ミリシャの警告に、カオリは「それなら」と、とどめの一撃を振り下ろす。

ぐしゃり、胴体に深々と突き刺さる勇者の剣。

悲鳴一つ上げられなくなり、ボーディはそのまま絶命した。




「……ふう」


 ため息が一つ。

それは、果たして誰のものだったか。

誰ともなく、「終わった」と思ってしまったその瞬間があった。

そうその瞬間。

それがあれば、奇跡の逆転は起こせたのだ。


「――甘ぇんだよぉぉぉぉぉぉっ!!!」

「えっ……あっ!? ぐ――っ」

「カオリ様っ!?」

「そんなっ、まだ生きて――」

「俺のっ、陛下からいただいた魔王の力は、こんなもんじゃねえぞぉぉぉぉぉっ!!!」

「ぐぅっ、貴様っ……その力は――」

「この森ごと、滅びろ屑どもがぁっ! 俺をっ、俺を救う事もしなかった奴らがっ、お前らなんて、滅びてしまえぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」


 狂乱であった。

ボーディはもはや理性的な思考などできず、ただただ、この場に滅亡を望んでいた。

この場にいる全てが滅びればいい。

――エルフも人間も勇者どももみんなみんなみんな、死んでしまえばいい。

心からの破滅の願いはその身体に流れる魔王としての力によって叶えられ、爆発的な魔力によって地形そのものを飲み込んでゆく黒き光の波動が飛び散る。

ボーディを中心に強烈な力が放たれ、その場にいた多くの者が瞬時に意識を失った。


「く……うぅっ……へーたい、さん……? へーたい、さんっ?」

「……」


 その中でも比較的無事だったのは、アイネだった。

だが、彼女を生かしたのは封印の聖女としての力ではなく……自分の盾替わりとなって前に立った、兵隊さんだった。


「あっ、嫌……ダメっ、ダメよっ」


 すぐに治癒の奇跡を使い、その身体を抱きかかえる。

幸いにして死んだわけではなくすぐに呼吸が聞こえ。


「く……あい、ね……君は無事だった、か」


 意識も浅いところを泳いでいたらしく、すぐに取り戻され。

アイネは涙を流しながら「よかった」と安堵した。


「全く、酷いものだな。危うく死ぬところだった」

「陛下……ご無事なようで」

「お前もなレイアネーテ。だが、互いにかばう者が多すぎたか」

「ええ。少しばかり……無理が祟りました」


 アルムスルトとレイアネーテも、背後にギルドメンバーらをかばいながらの防御で、かなりダメージを受けてしまっていた。

死ぬほどではないが、両者膝をつきなんとか意識を保っている有様であった。


「勇者様……」

「い……たぁっ……ミリシャ、無事?」

「はい、私は何とか……ですがあまりに被害が……」

「これはちょっとどころではなく、まずいね……まさか、魔王と戦う前にこんな……」


 爆発の直近にいたカオリも吹き飛ばされ、命は失わずに済んだものの、もはや立ち上がれない。

従者のミリシャが治癒してくれるおかげでその傷も少しずつ癒えていたが、立ち上がれるまで回復する時間などなさそうだった。


「はぁっ、はぁっ……は、はははは……これだよ、これ! 俺はずっとこんな風になりたかったんだ! 強くて、最強で、誰相手に喧嘩したって負けない、無敵の……皆に恐れられて、一目置かれて、馬鹿にされずに、馬鹿にしたやつを皆殺しにして!!」


 唯一救いがあるとすれば、この化け物が勝ち誇ってわずかに時間を浪費してくれたこと。

そしてその時間に少しだけ回復できたこと。

けれど、その化け物はただ勝ち誇るだけでなく、(なぶ)りたいとも考えてしまっていた。


「おらぁっ、鳴けよぉっ! 俺の攻撃で苦しいです辛いですって喚いてみっともなく無様に死ねよぉっ!!」

「ミリシャ危な……あぐっ!?」

「勇者様っ!」

「勇者だぁ!? なめてんじゃねえよ、俺の前じゃただのメスガキじゃねえか!! スカート履いて、パンツ丸見えで、くそっ、犯してやりたいくらいだ! でも死ねっ!!」


 理性的ではないにしろ、優先順位は本能レベルで分かっていた。

エルフの殲滅。

けれど今は目の前の敵を倒すことが優先だった。

女を犯すのなど後でいくらでもできる。

なんなら、ここにいる奴らを全滅させてから、生き残った女でも犯せばいいのだから。


 ミリシャをかばって苦しげに腹を抑えているカオリに、その下半身に欲情した目を向けながらも、その場を見渡し、アイネやレイアネーテ、意識を失ったままのティアを見てべろりと舌なめずりし。

そして――離れた場所の樹の後ろに、エルフを見つけた。


「――エルフっ! エルフエルフエルフゥッ!!!」

「ひぃっ、あっ、いやぁぁぁぁぁっ!!!!」


 圧倒的な化け物がそこにいた。

魔王としてのどす黒い、欲望の力。

これをグラチヌスよりもうまく扱い、爆発的に力をばらまける最強の存在。

そんなものが、自分を狙っている。

プリシラは本能でそれを感じ取り、そして、トラウマが呼び起こされた。


 焼かれた森。死んでゆく大人たち。そして、泣きながら自分の手を掴み地べたへと押さえつけた、姉と慕うお姉さんエルフ。


 心が壊れるのを感じ、何もできずその場に屈みこんでしまう。


(こわいっ、こわいこわいこわいこわいこわいっ! 助けてっ、誰か助けてっ、もう嫌だっ、怖いのは嫌っ、死にたくないっ、私まだ死にたくないよぉっ! 助けてっ、助けて助けて助けて助けて――おねえちゃんっ)


 唯一自分を助けてくれた、唯一一緒に生き残れたその人の顔を思い出しながら。

けれど、無情にも化け物の爪はプリシラの胸へと突き刺さろうとし――




「――間に合ってよかったわ」

「なっ――」


 がちり、化け物の腕を掴んだ者がいた。

ローブをはためかせ、長い金髪の、耳のとがった女がそこに立っていたのだ。

その長い金髪は満月の夜にとても美しく映え、きらきらと神秘的にすら感じさせる、そんな幻想的にすら感じさせる。

そう、感じてしまったのだ。ボーディは。


「あ……あ、ああ、エルフ、か。お前、お前、エルフかっ」

「ええ、そうよ。魔王グラチヌスの眷属。そして私たちの……父さんや母さん、みんなの仇、覚悟なさいっ」

「くはははははははははははっ!!! エルフっ、エルフだっ、エルフが二人も! 陛下っ、陛下! 今見つけましたよ、二人もいました! 今殺します! こいつらの首をっ、陛下に捧げますよぉっ!!」


 半狂乱になって笑う化け物を前に、プリシラは信じられないものを見るように目の前に立つ女性を見上げていた。

ずっと、ずっと会いたかった、離れ離れになっていた、姉と慕う女性だった。


「おねえ、ちゃん……? ティリアお姉ちゃん!?」

「……ずっと留守にしてごめんなさい。ようやく、ようやく整ったのよ。準備が」


 涙を流しながら、しかし安堵と喜びで笑顔になる妹分に慈愛のこもった笑みを見せ。

そして、ぎり、と奥歯を噛みながら、掴んだままの怪物の腕を、さらに強く握りしめる。


「ぐう……放せっ、放せ女エルフっ! お前はっ、俺のぉぉぉぉ!!」

「グラチヌスの化け物! 生きて帰れると思わないことね!!」


 ぶちり、腕がちぎられたのは、ボーディの方だった。

この、『ティリア』と呼ばれた女エルフは、その握力と腕力のみで自分の腕をひきちぎったのだ。

想像だにしない展開にボーディは思わず「ひぎぃっ」と情けない悲鳴を上げ、一歩、二歩あとじさる。


「そ、そんな事が……くそっ、なめるなっ、俺はっ、俺は最強の化け物になったんだ! お前なんかに、エルフのお前なんかにぃっ!!」

「エルフの私には勝てたのでしょうね。けれど――夜の女王には勝てないわね?」

「なっ、なっ……あぁっ、ひぃぃぃぃぃっ!!!!」


 本能からくる恐怖。

このままだと殺されるという脅威を悟り、ボーディは即座に飛び立ち逃げようとする。

これはそう、生きるための行動。生命が自らを守るために発する欲望。

生きたいという原初の願望。

今彼は、生きるためならば何でもできるはずだった。

何でも叶うはずだった。


「逃がすわけ、ないでしょ?」

「あっ――くっ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 飛んだはずなのに。

空高く逃げたはずなのに。

次の瞬間には真後ろにその女がいて、そして彼は――激高し、口から光線を放つ。


「――くっ」

「くははははぁっ! おらおらおらおらぁっ!!! 死ねぇっ!!」


 それは効果があったのか、ティリアの身体にいくつもの風穴が開き、ローブがずたずたになってゆく。

おびただしい量の血が飛び散り、地上から見上げるプリシラにもそれが見えてしまう。


「おねえちゃ――やっ、やだっ、やだぁっ! がんばって、死なないでぇっ!!」

「死ねっ、死ねっ、死んで死んで死んで、壊れろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 とどめとばかりに首に爪を突き立て、喉を破壊する。

ひゅ、と空気の抜ける音が耳に届き、ボーディは満足そうににぃ、と口元をゆがめた。


「あ、あ、ああ……」


 勝てなかった。お姉ちゃんが死んじゃった。嫌だ。辛い。耐えられない。


 プリシラの精神はもう、耐えられなくなりそうだった。


「――そんな程度なの?」

「あ……?」


 しかし、声は響いた。

女の声だ。ほかならぬ目の前の女からの声に、ありえぬその声に、ボーディは唖然とし。


「そんなことなら――あの魔人(・・・・)と比べて簡単に倒せそうね?」


 死んだはずの女が、にたりと笑いながら……鋭利な牙を自分の首に突き立てるのを、ボーディは見たのだ。


「な、にを……?」

「奪ってあげるわ。貴方の力。もう魔王の力ではなく、貴方の力として変質してしまっている……だから勇者や封印の聖女が居ても何もできないのね。力の方向性一つ違うだけですべてが狂ってゆく……でも、もう終わりよ」

「や、めろ……やめろやめろやめろぉっ! 首に吸い付くなぁっ! 離れろ女ぁぁぁっ!!!」

「馬鹿ね……そんなやわな力で、私を振りほどけると思わないで?」


 がちりと身体を掴まれ、首筋に牙を突き立てられ。

ぐちゃり、喉笛が悲鳴を上げるかのように血を吹き出し。

抵抗しようと彼女の腹に爪を突き刺すも、突き刺した先から回復してゆくその身体に取り込まれ、なおも身動きが取れなくなり。


「今宵は満月――夜の女王を、甘く見た報いよ?」

「あっ、がっ……ひぎっ……か、ひゅ……ぎぃ……っ」


 それはまるで贄のようで。

先ほどまでこの場を蹂躙していた魔王の眷属とは思えぬほどにみじめな、そう、みじめな男の、最期の姿だった。

ほどなくその身体からは魔力が奪いつくされ、血液は吸い尽くされ。


「――ソウルドレイン」


 そうして、ティリアの最後の詠唱で、ボーディの魂は奪い尽くされた。





 戦いが終われば、あっさりとしたものだった。

生き残ったのはティリアという元エルフの娘一人。

そして、先ほどまで暴れていた化け物はもはや搾りかすとなり、元の造形すら思い出せぬほどの肉と骨に成り下がっていた。

これが結末である。


「お姉ちゃん……」

「ずっと留守にしていて悪かったわね、プリシラ。護れてよかった……」


 そうして再会したエルフの少女と女ヴァンパイアは、堅く抱きしめあい、互いの再会を喜ぶ。


「怖かった……怖かったけど……またお姉ちゃんと会えたの、嬉しい」

「私もよプリシラ。元気な貴方と会えて、嬉しいわ」

「もう、離れないで」

「そうはいかないわ。私にはまだ、やらなきゃいけないことがあるの。本当は、その報告の為に戻っただけだから……」


 崩壊した村を見渡し。

優しかった女の顔は、また修羅の怒りを(あらわ)にする。


「父さんと母さんも眠っていたのに……壊されてしまったわ」

「……うん」

「許せない。グラチヌスも、その部下の魔人も。どれだけ私たちの、エルフの尊厳を傷つければ気が済むというの……?」

「……お姉ちゃん」

「ごめんなさいプリシラ。見ていてわかったでしょう? 私はもう、あの頃の私ではないの。今の私は夜の女王。禁忌の道に踏み込み、ヴァンパイアと成り果てた外道よ」


 愛しき妹分をそっと引き離し。

ティリアはプリシラから離れ、倒れている人々を見る。


「あら……どこかで見たような顔がいるわね?」

「ああ……どこかで見たような顔、だ」


 兵隊さんだった。

倒れている自分とそれを見下ろしてくる女。

その構図までかつてのようだと思いながら、しかし、視線をうろうろさせ、ため息をつく。

起き上がることすらできない。

いや、起き上がれなくてよかった、と。


「――だが、どこで見たのかは忘れてしまった。きっと、遠い昔に村か何かで会ったのだろう」

「そうかもしれないわね。お優しい城兵隊長様?」

「ふん……お前の顔はあまり見ていたくない。だが、助けられたのは確かなようだ」

「貴方達のおかげでもあるわ。頑張ってくれたからこそ、大切な妹分が生きていられた。生き延びられた」

「……また巻き込んでしまったようだからな。こんなことになるとは思いもしなかったが」


 彼に何の非もないことながら。

それでも自分たちがプリシラを巻き込んだのだと思った兵隊さんは、なんとか身体を起こしながら「すまなかった」と、プリシラに向け謝罪する。

プリシラもその場の意識ある者たちを見て……そして、「ううん」と首を振った。


「みんな、生きてるみたいでよかった」

「森に力が蘇っているわ。プリシラ、頑張ったわね」

「うん……ほかにできることもなかったから」


 見れば、意識を失った者たちも徐々に回復し、すぐに起き上がれないまでも目を覚ましていた。

膝をついていたアルムスルトやレイアネーテも、手ひどくダメージを受けたカオリも回復し。

そして、不思議そうに首をかしげていた。


「エルフの力……持続的な回復(オートヒーリング)ね。原初の精霊魔法。自然からの力を使っての治癒」

「女神アロエ……ええ。この娘の頑張りのおかげで、森の力が取り戻されたから行使できるようになったわ」


 意識を取り戻したのは戦闘に参加した者たちばかりでなく。

後方に移されたアロエもまた、回復し、この場に戻っていた。


「私が眠っている間にとんでもないことになっていたみたい……あなたが助けてくれたの?」

「そうなるわ。貴方としては、望ましくない力でしょうけど?」

「ヴァンパイアの力は非常に危険なモノ。かつてこの世界に来た異世界の錬金術師が残した禁忌よ。自分がどうなるか分かった上で?」

「勿論。復讐が成るなら、それでいいわ」

「……そ」


 壊滅的な被害を受けたように見えたが、それも今や見た目だけのものとなっていた。

怪物ボーディは確かに脅威ではあったが、結局誰一人殺せなかったのだ。


「森にエルフが一人いるのといないのとでは生存率が大幅に変わる……皆が生き残れたのも、貴方達のおかげね」

「それはよかったわ。それじゃ、私はこれで失礼するわよ」


 感謝に手を差し出すも、にべもなく背を向けられ、そして歩き出してしまう。

つれない態度に女神は頬を膨らませるも、「まあいいか」と納得する。


「はーいみんなおきてー! 壊れたキャンプ場、設営しなおすわよー! グラチヌスの力は大幅に弱まったから、二日くらいかけて回復に時間かけるわよーっ」


 意識を取り戻した者たちに音頭を取り、体力が回復するように奇跡を振りかけてゆく。

少しでも動けるように。

少しでも前向きに考えられるように。

彼らは今、グラチヌス討伐の為の最大の脅威に打ち勝ったのだから。

残りグラチヌスは、もはや何の脅威でもなくなったのだから。




 こうして討伐PTは、二日ほどかけてじっくりと力を取り戻したのだった。

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