#11.もう一人の魔王
極東・グラチヌス帝都アースフィルにて。
かつて栄華を極めた暴狂国家・グラチヌス帝国の中心地だったここは、今では見る影もない廃墟と化していた。
ここは最早街ではなく、他に行き場をなくした賊や魔王の支配下から外れた魔物が闊歩し、強者が弱者を餌とする、暴力が支配する世界。
同じ極東にある魔王城と比べこちらは周囲に緑が見られたが、同時にあちこちで火の手が上がっていた。
「くそっ、なんてところだ……ラナニアからようやく逃げてきたと思ったら、魔物と賊が並んで追いかけてきやがる!」
かつて城門があった辺りで、必死になって走り続ける男が居た。
悪態をつきながら、少し離れた場所で自分を追い回してくる賊と魔物らを見やり、悪態をつき、また走る。
息は荒いが表情にはまだ余裕があり、素早い身のこなしから垂直に近い角度の壁をひょい、と、わずかなとっかかりを利用して駆け上ってゆく。
ほどなく、追っては彼の真下を通り抜け、そのまま姿を消した。
「何とか撒けたか……ちくしょうめ、こんなところで死んでたまるかってんだ! 俺は、なんとしても再起して見せる……」
走り去っていった追っ手が見えなくなったのを確認し、一人ごちながら降り立ち、追っ手と逆方向へ歩き出す。
小さくため息をつき、荒くなった息を整え、「しかしなあ」と、聞く者のいない独り言を続ける。
「ほんとに、こんなところに魔王ってのがいるんかねえ? 見るからに廃墟だし、いるのはろくでもねえ奴らばかりだし」
彼は、ラナニアでケチな火事場泥棒をした結果、衛兵に追われる身になった小悪党であった。
腰にナイフをぶら下げてはいるものの人殺しなどする覚悟もなく、衛兵に立ち向かう度胸もなく。
ただただ追われ続け、それでも「捕まりたくない」「まだ死にたくない」と逃げ続け、たどり着いたのは極東の地だった。
ラナニアを抜けた時点でもう、ラナニアの法には縛られないはずだが、実際にはラナニア軍は旧グラチヌス領にまで兵を置き、わずかに残った集落や村を管理下に置いている。
結局どこに逃げてもお尋ね者、定着することもできぬまま生きるために盗みを働き、犯罪を重ね続けるという逃亡劇の中、噂に聞いた「魔王が復活するらしい」という話から、彼は一つの賭けをすることにしたのだ。
『魔王の配下にしてもらえれば、今まで俺をバカにしまくってたラナニアの奴らだって俺には手を出せないだろうし、もしかしたら、俺がラナニアの支配者になる事だってできるかもしれねえ……女だって、抱き放題だぜきっと!』
実にくだらないことながら、大真面目に彼はこんなことを考えていた。
失敗ばかりのつまらない人生。
だからこそ一発逆転の大博打に出たのだ。実行に移してしまったのだ。
かくしてその大博打の末、彼はこんな廃墟にいる。
しかし、魔王らしきものなど未だ見つからず、いるのはただただ同じように都会から逃げてきた賊の集団と、制御されなくなって暴走している魔物の群ればかりである。
(失敗しちまったかなあ……でも、こんなところで野垂れ死にたくねえ! 何か、せめて金になるようなもんでも見つかりゃ、よその国まで逃げて……ああ、せめて飯食いたいなあ)
空腹から鳴り響く腹をさすりながら、男はガラスの割れた窓を乗り越え、城内に入っていく。
こつん、こつん、と一歩ごとに靴音が反響していたが、構わず入り込んでゆく。
だが、賊が居るという事は当然、城内も荒れ放題で。
「やっぱ、なにもねえか」
めぼしいものなど既に持ち去られた後で、残っているのは何の価値もなさそうなボロボロの布切れ同然の絨毯やカーテン、さび付いた燭台など、売り飛ばすにも苦労しそうなものばかりである。
当然、食料などありもしない。
(ああ、腹減った……何もないと解ると余計に腹が減る……いっそ、賊の仲間にでも入れてもらうか……? 上手く取り入れば、飯くらいは恵んでくれるかも)
こんなところで暮らす賊が何を食べて生きているのかなど知る由もないが、生きているという事は何かを食べているという事で、それを分けてもらえればというわずかな希望を浮かべる。
……このように、彼はとても自分に都合よく物事を考えていた。
ある意味では前向きに、けれどどう見てもそんな上手くいくはずもない、そんな事ばかり考えているのである。
なるべくして負け犬になった、そして犯罪者として生きる事すら上手くいかぬような情けない男であった。
そんな情けない男だが、鼻だけは良かった。
(うん……なんだ、この臭い)
不意に鼻孔を刺激するような臭いが鼻先にチラつき、男はソロソロとその臭いに向け歩き出す。
スンスンと鼻を鳴らしながら少しずつ、また一歩臭いに近づき……そして、たどり着いた。
(なんだ、これ……)
そこにあったのは、血だまり。
そして大量に床に転がる、元人間と元魔物だった。
薄暗闇の中、凄惨な殺し合いの場かと一瞬思ったが、その凄惨な光景の中心に、一人の男が立っているのが見えたのだ。
「……腹が減ったな」
その男もまた、空腹そうにつぶやき……しかし、その次の行動は、明らかに彼とは違うものだった。
周囲に倒れた血だまり。それがずず、と、男の身体に吸い込まれていったのだ。
そうしてそれが吸いつくされると、今度は賊や魔物の死体がずお、と吸われてゆく。
(あ、あ……っ)
――食人鬼。
そうとしか思えぬような光景だった。
幾体も転がっていた死体が跡形もなく吸いつくされ、後には男と、物陰に潜む彼しかいなかった。
「そこに隠れてるんだろう? 安心しろ、おいらはおいらの敵以外、食ったりはしないから」
「ひ、ひぃっ」
隠れていたことなど即座に見抜かれ、そして男に呼びつけられる。
逃げようと思ったが、腰が抜けてそれどころではなかった。
自分も食われるかと思ったが、相手の言う「敵以外食わない」という言葉を信じるほかなく、情けなくその場で尻もちをつき、そのまま男を見上げていた。
「お前、名前は?」
「ぼ、ボーディ……」
「ここをうろついていたってことは、賊の仲間か? それとも移住希望者かな?」
「あの、その……」
どういえば許されるのか。
何と言いつくろえば喰われずに済むのか。
ただただ許してほしい、殺さないでほしいと思いながら、ぐわんぐわんする頭でなんとか思考を続ける。
そうして彼なりに考え続けた結果、こくこくと頷き声を発する。
「あのっ、い、いっ……移住希望者ですっ」
「ほう?」
ここで死んでいた者達の半分は賊である。
つまり、賊だなどと答えれば同じように殺されていた可能性があった。
それならば、少しでも興味を引くようなことを言うしかない。
言葉が通じる相手ならば、少しでも自分という存在に興味を抱いてくれれば、あるいは助かるかもしれないのだから。
「つまり、お前はこの廃墟に住みたいと? 酔狂な奴だな。まあ、それはそれとして人手はありがたい――」
人喰いの化け物にしては無害そうな、けれど圧倒的な力を感じさせる雰囲気に、彼――ボーディは呑まれてしまっていた。
最早、口から出まかせであっても肯定するしかないのだ。
死ぬか生きるか選ばされれば、生きたいに決まっているのだから。
「――ならばお前はおいらの一番の部下、という事にしてやるか」
「へっ……?」
「喜べよ。お前は魔王の一番の部下になったのだ。誇らしく思え。この魔王グラチヌスが、お前を必要としてやるのだからな」
無害そうなのは表情だけで、言葉は最早凶悪そのもの。
自分勝手でわがままな、いかにも化け物らしい口調で恐ろしいことを言ってのけていた。
「お、俺が、魔王……さまの、一番の部下?」
ある意味で一番願っていた事だった。
自分を認めてくれる主が居るなら、きっと素晴らしいに決まっている、と。
彼は、自分の周りに認めてくれる人がいなかった。
挫折の繰り返しは、多くの場合彼自身の能力不足ややる気のなさ、楽をしたいという自分の都合任せな願望ばかり抱いているからそうなっているだけだが、同時に認められたいという、誰もが抱く承認欲求からくるものでもあった。
それが、満たされる。
例え目の前の相手が魔王を名乗る人喰いの狂人だったとしても、もともと魔王の配下になりたくてこんな辺境まで来た負け犬には、十分すぎる主だった。
「あ、ありがとうございますっ! 俺、頑張りますからっ」
「ああ、頑張ってくれ……おいらの配下の魔人は……おいらが復活しても顔すら出しにきやしねえ。寂しいもんだぜ」
ぼろ布のようなマントを羽織りながら、魔王グラチヌスはため息をつく。
まだ正気を保っていた。
だが、その身体には既に、魔王としての力が流れ込み始めてもいた。
拳を握ればみなぎる力。
自分が死ぬ前とそう大差ない、暴力的なまでの圧倒的な力が自身の身体に溢れているのを、グラチヌスは感じていた。
「ボーディ、お前はここに来るまで、何をしていた?」
所在なさそうにしていたボーディを前に、グラチヌスは近くに転がっていた柱に座り込み、身の上を問うていた。
魔王からそんなことを聞かれると思いもしなかったボーディは一瞬「あ、あの」とどもりそうになったが、なんとか落ち着き声を発する。
「その……俺の家はカブ農家だったので……ラナニアで農夫をやってて、でも嫌気がさして一旗揚げようと都会に出て」
「ほう。んじゃ、商人にでもなろうとしてたのか?」
「ええ……田舎で仕入れた野菜を都会で売ろうとして……でも、ろくに客もつかなかったし、仕入れればそれだけ損をして……」
「まあ、肉や魚ほどじゃないにしろ足が速い野菜もあるだろうし、仕入れたものが新鮮なうちに運び込めなきゃ、そりゃ売れないよな都会じゃ」
「俺、もの知らずだったから……都会には畑なんてないだろうから、持っていけば売れるって……でも、都会には都会の近くに畑があって、そうじゃなくてもでけえ馬車で大量に仕入れてくる商人とかが居て、俺みたいな奴は……」
「そんで?」
「結局借金が増えちまって。それをどうにかしようと博打に手を出して、それもダメで」
「ダメダメな人生だなあ」
「そ、そうなんです……ダメな人生で。借金取りに追われるのが嫌で、崩壊したコルッセアで火事場泥棒してたんだけど、それが衛兵に見つかってお尋ね者になって……逃げ続けるうちに、魔王様がここにいるって聞いたんです」
聞けば聞くほどにダメ男の残念過ぎる人生だったが、コルッセアが崩壊したという話に、グラチヌスは眉をピクリと動かす。
「コルッセア、崩壊したのか」
「え、ええ……何年も前に古代竜が突然現れたとかで……今は復興が始まってるでしょうけど、俺が入り込んだ時にはまだまだ廃墟みたいなもんで……」
「ふん、いい気味だな。俺の帝国を滅ぼそうとした糞国家め。そのまま滅びちまえばよかったのに」
かつて自分の築き上げた帝国が攻め立てられた事は、グラチヌスにとっても嫌な記憶の一つだった。
それこそ自分が死ぬ間際まで、ラナニア軍によって自分の軍勢は劣勢のまま押し続けられたのだ。
それは、グラチヌスという国が、ラナニアの隣になった瞬間から始まった。
「最強の陸軍国だとかいう話だったが、随分と様相が変わったようだな。その様子じゃ、軍の方も結構な被害が出たんじゃないか? 今は復興が始まってるという事は、一応は倒せたようだがな」
「ええ。コルッセア近くにいた衛兵隊は壊滅して、軍や城にも結構な被害が出たって話ですよ。魔王様は、そういう話がお好きで?」
「いや? だが、それは愉快な話だ。復活して早々廃墟になった自分の城と街を見させられてヤな気分だったが、少しは気分がよくなった」
口調の端々から尊大な印象を受けるものの、このグラチヌスという魔王は、どこかまだ人情味のようなものを感じさせる、そんな話し方をする。
ボーディも調子には乗らずに、そういう話があまり好きではなさそうな魔王の為、なんとか他の話題を提供しようとして……腹が鳴った。
「ああ……そうだった。何も食ってなかった……」
今の自分が魔王よりも食糧を探していたのだと思い出し、ボーディは腹をさすりながら切ない気持ちになる。
するとそれを見た魔王から「なんだ」と、呆れたように笑いかけられ、ボーディは恥ずかしく思った。
「腹が減っていたのか。肉片くらいは残しておいてやればよかったか」
「いえあの……人間を食う気には、まだなれなくて」
「そうか。まあ、人間だもんな」
魔王は平然と人や魔物を喰らったが、魔物を食するのは多くの場合抵抗があるものだし、食人などはそれはもうタブーどころの話ではない。
宗教的にも人間倫理的にも絶対に許されぬ悪辣な行為で、それこそ生か死かの状況でもなければどんな悪党でも全力で避けようとする行為である。
だが、魔王はそんな彼の気持ちを理解した上で、「なら仕方ないな」と、その辺に転がる石くれに人差し指を向けた。
何が起きるのかと視線を向けたボーディに見せつけるように、ぱちり、指を鳴らし。
「――ええっ!?」
次の瞬間、石くれはそれはもう美味しそうな湯気を放つ骨付き肉へと変化していた。
「喰えるぞ? 安心しろ、人間や魔物の肉じゃあない。これはな、俺が魔王になったことで使える力の一つだ」
「あ、ああ……ありがとうございますっ! ありがとうございますっ――はぐっ、う、うぐっ、うめえっ!!」
一目見ただけで我慢しきれなくなった彼は、感謝の言葉を叫びながら床の上に転がった肉にかぶりつく。
生でもよかった。例え絵に描いた肉であっても今はかぶりつきたかった。
そしてそれは、とても柔らかでジューシィな、ちゃんと火の通っている肉だった。
今まで味わったことのない様な香辛料の風味。
塩気に始まり酸味に甘みに、貧乏な彼には縁のなかった味覚の嵐が口の中で吹き荒れ、一口食む度に脳が幸せな成分でいっぱいになる。
「うめえっ、うめえよぉっ! こんな美味い肉、初めてだっ」
「そりゃよかった。よほど貧しい生活してたんだなあ……」
「うぅっ、がぶっ……はぐっ、あっ、ああっ、うまくて、美味くて……うっ、ぐっ……の、のど……」
「ちゃんと噛みながら食えよ。ほら、飲み物も出してやろう」
そうしてぱちりと指を鳴らし、今度はぼろ布状の絨毯が芳醇な香りを漂わせる果実酒へと変化する。
清浄な瓶に入ったそれは、ボーディから見ても魅惑的に感じるほどゆらゆらと揺れ、真っ赤な果実の恵みへと誘っていた。
たまらず手に取ってしまう。ご丁寧にコルクはすでに抜かれていて、すぐに飲むことができた。
「ああっ、ごくっ、ごく……んぶっ、げほっ、けほっ……ああ、美味い。こんな美味い酒呑めるなんて……生きててよかった」
「そうだろうそうだろう」
咽せながら、涙を流しながら歓喜していた。
負け犬が、人生の敗北者が、生きている事の喜びを覚えていた。
そしてそれは、グラチヌスにとっても喜ばしい事だった。
――こういうのが見たかったのだ。
極東という、魔王の住まう大地からも近い辺境に国を築き上げ。
そうして貧しい生活をしていた人々を集め、強国へと押し上げた。
それは、彼自身が貧しい生まれで、行商をしながらいずれは成り上がり、国を持とうと願ったからではあったが。
同時に、貧しかった自分が救われたかったという気持ちから、貧しいものが救われているのを見る事が、彼にとって少なからぬ喜びとなっていたのもあった。
「生きてさえいりゃな、こういういいこともある。そりゃ、魔王と出会って魔王に助けられるなんてのは人の一生でもそうそうある事ではないがな。だが、こうして生気を取り戻した人間を見るのは、悪いものじゃないな、やっぱり」
「……あの」
「ん? どうした?」
肉をむさぼり、酒で喉を潤わし。
そうしてようやく一息付けて心に余裕が生まれると、魔王のその行い、その言動が魔王という呼び名の印象とは明らかに異なることに、ボーディは気づいてしまった。
出会った時の、人と魔物の死体を喰らいつくしていた化け物という印象が、すっかり反転してしまったかのようで、ボーディ自身にも不思議だったが。
だが、その言葉をどう伝えればいいのかが、ボーディにはうまく浮かばない。
「その……魔王、さまは、どうして、俺に飯や酒を?」
「空腹だったんだろう?」
「は、はい、それはもう!! 喉もカラカラで!」
「じゃあよかったじゃないか」
「あ……はい、そうですね」
「腹が満ち足りるとな、人は心に余裕が生まれるんだ。おいらの帝国では、国民には大規模な農業に従事させて、不毛だと言われた極東の地に一大農場を築き上げたものだ。今は見る影もないが、段々と豊かになっていき、国民が着飾ったり笑顔を見せるようになるのは、それはそれはいい気分だったさ」
王であった。
魔王などと不名誉なレッテルを張られた、一人の王がそこにいた。
少なくともボーディにはそう感じられた。
強大な力を持ち、特異な能力を持っている、けれど、彼の求めるものは多くの国の王が望むものなのではないかと、そう思えた。
そう、国民の為に。
それは、自分が生まれ育った国では長らく実感できなかった事でもあり、「そういう人が王様だったらもっと暮らしが楽になったのに」と、いつもいつもそうなれなかった自分の人生の逃避に使っていた、都合のいい逃げ道でもあった。
だから、どこか遠い存在のように感じられたのに、そんな王が目の前にいることが、ボーディには嬉しかった。
「……王様」
「うん? そう呼ばれるのは久しぶりだな」
「王様っ、貴方は俺の王様だっ! 貴方ならきっと、きっと名君として国をよくしてくれるはずだっ!」
「ああ、そう願ったさ。そうしようとした。おいらは王様だった。だが、魔王として覚醒すればするほどおいらは正気を保てなくなっていったな。最後には、師匠に呆れられたか……見捨てられちまったみたいだが」
「師匠、ですか?」
「ああ、そうだ。師匠だ」
自分が正気を失うまで、ずっとそばにいてくれた自分の師匠。
彼自身が師と思っていた、老商の姿をした魔人・コルルカ。
彼を思えば、苦々しい気持ちにもなっていた。
「できれば今度は上手くやりたいが、正気のままでいられるかどうか……」
「その……さっき、配下の魔人がどうとかって話してましたけど、今は部下の人とかは……?」
「言っただろう? お前が一番の部下だよ。配下の魔人も今は……そうだな、ゲルベドスくらいか、生き残ってるのは」
聞かれて世界へ意識を向けてみて、健在している元部下が一人しかいないことに気づく。
嘆かわしいとも思わないが、生き残っているのがその一人だけというのがなんとも皮肉に感じ、魔王は自嘲気味に笑っていた。
「大魔導士か……よりにもよって一番奔放で身勝手な奴が生き残ってやがる。あいつ、勝手な理由で古代竜解放したり敵対すらしてねえ国の城に襲撃したりでろくな事しやがらねえんだよな。一度あいつに猫にされて殺してやろうかと思ったくらいだ」
「お、王様が猫に……」
「ほんとだよ。王様が猫にされるなんて前代未聞過ぎる。冗談でやっただけらしいが、その気になればおいらの首なんていつでも取れるって言ってるようなもんだったし……側近が止めなかったら元に戻った瞬間に殺すところだった」
剣呑なことを口にはするが、実際に勝てる自信などいかほどあったものか。
やっていることはろくでもないが、実力だけは間違いなく自分に迫るだけの最強の部下でもあった。
結局、戦争嫌いだったがためにラナニアとの戦争では何の役にも立たず、勝手に仲良くなった古代竜と暗躍し始め、手に負えないと放置し、そのまま自分が討ち取られてしまったが。
きちんと部下として制御できていたなら、そもそも自分が死ぬことすらなかったのではないかとも思えていた。
まさに、苦々しい気持ちにさせてくれる部下である。
思い出として語れるだけ、まだマシではあったが。
「他にも、コミュニケーション能力低くて変な妄想ばかり口にしてる性癖歪んだ女とか、一緒にこの世界にきた仲間と故郷の国の事誇りに思い過ぎて鬱陶しい男とか、とにかくおいらの部下は変な奴ばかりだったんだ……魔王の力で無理やり国にしてたけど、そうでもなきゃとてもじゃないがまとめられた気がしねえよ」
「た、大変だったんですね……その、王様っていうのも」
「ああ。王様やるのも楽じゃねえ。だけど……幸せそうに笑ってる民を見るのはいいものだった……許せねえよ、ラナニアが」
今は見る影もなく朽ちた城を見て。
そして、滅亡の憂き目にあい苦しんだであろう民を想い、魔王グラチヌスは怒りに拳を震わせる。
「なんでおいらが魔王になったのか、なんでこんな力が体に流れ込むようになったのかは分からねえ……だが、おいらが魔王として、女神様や勇者に討ち取られるのまでは分かる。分かるんだよ。だってそうだろう? 魔王ってのは勇者様に倒されるものだ。どんな物語だってそうだろう?」
「ええ……俺が子供の頃、教会で読んでもらった本にも」
「おいらもそうだ。だからそれはこの世界の伝統、というか、歴史だったんだろうよ。だから、おいらが討ち取られるところまでは納得できたんだ」
だが、そこから先は許容できなかった。
それは、魔王としての彼ではなく、王としての彼が許せない面。
「おいらが死んだ後に、自分の民が殺された。苦しんだ。そんなの、許せるはずがねえじゃねえか」
「……王様」
「ラナニアには絶対に報復をする。だが、その為の力が必要だ。まずはこの辺りを廃墟からいっぱしの拠点に変えなきゃいけねえ」
「それじゃ、掃除でもしますか?」
「掃除はしてほしいが、そんなもんじゃ綺麗にはならねえよ。血みどろも人の骨もカビ果てて染み込んじまってる。もう、元の色には戻らねえんだ――」
ぐら、と、空気が揺らいだように、ボーディは感じた。
不意なことだった。グラチヌスが立ち上がり、そうして拳をあげた。
「――だから、一度この国を消すぜ」
まばゆい光が溢れ。
そうしてその直後、あらゆる廃墟が消滅した。