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嘘つき女神と0点英雄  作者: 海蛇
16章.歴史となった英雄
283/303

#9.口先の英雄


 魔王城の一室にて。

魔人へグル・ベギラスは頭を抱えていた。

かねてより同僚として思うところある問題児が、よりにもよって自分の監視対象である人間側の英雄をこの魔族の拠点に連れてきてしまったのだ。

こんなことは彼をして初めてだったし、予想外であった。


「その覆面、何か隠さないといけないのか? こうやって対面するのに隠す必要があるのか?」

「……む」


 英雄から見た目の前の魔人のいでたちは、覆面の大男である。

そんな謎多き外見の相手が居て、それが魔人だと解って尚おどけたように聞いてくるこの男に、ベギラスはじろり、睨みを利かせる。


「見たいのか?」

「ああ、見たいね。その下にどんな怖い顔が隠れてるのか気になって話し合いどころじゃない」

「……話し合いなどする気もないが」


 半ば威嚇のつもりで睨みつけたが、相手はへらへらと笑うばかりである。

微塵も恐れない。それ相応の実力者らしいと感じ、ベギラスは「ふん」と鼻息荒く覆面に手をかける。


「そんなに望むならば……見せてやろうではないか」

「おおっ」


 ずるり、白い覆面が落ち、その下の緑色があらわになる。

びっしりと生えた緑の鋭いうろこ。

目は爬虫類のそれのようで、動向は縦縞(たてしま)に細まり。

鼻先から口先にかけてはトカゲのようにとがり、ワニのような牙が見えていた。

見るからに爬虫類顔、しかし二本の黄色い角の生えた頭頂部だけは人間のように白髪頭であり、相応に年齢を経ていることがカオルからも伺えた。


「あんた……リザードマン、だっけ? そういう人なのか」

「こちらではそのように呼ばれる、似たような外見の者達も居るようだな。もっとも、私はそのような種族ではないが」


 ぎょろりとその異形のままにカオルを睨みつけ、「どうだ」とばかりに見下ろす。

流石にカオルも少しばかり驚いたと見えて、ベギラスはようやく落ち着いた気持ちになるが。

カオルは彼の予想に反し、にぃ、と口元を歪め、「格好いいな」と笑った。


「いいなあんた。すげえカッコいい!」

「なんだと……?」

「そうか、あんたが『竜魔人』とかいう奴か! アレか? ドラゴンと人が混じった的な奴なのか? それとも元々そういう種族なのか?」

「わ、私はもともと人間だが……」

「ほう、人間なのかよ! どうやったらそんな姿に!? 呪いとかか?」


 好奇心でわくわくがいっぱい。

そんな爛々とした顔で質問攻めにあうのは初めてのことで、ベギラスは驚きのあまり呆気にとられたが。

同時に毒気も抜かれてしまった。


――この男は、私を見て怖くもなんともないのか。


 そういう風に感じられると、この目の前に男に敵意を向けるのがバカらしくなってしまったのだ。


「私のいた世界では、竜とは最も高位の、強く賢い生き物、という認識が人々の間でなされていたのだ」

「この世界とは違う感じか」

「そうだな。だから、竜に認められ、その竜の力をその身に宿すことで竜と同化し、人より更に上の次元へ――竜人(りゅうど)となる事が、その世界における最高の誉れであり、人としての到達点である、と考えられていた」

「それが、その姿か」

「そういう事だ。だが、いざ助けを求められ訪れたこの世界では、この姿はよほど異形に映るらしい。人々は私を恐れ、私を見た者は恐怖と憎悪から避け、あるいは武器を向けるようになった――負けるよしもないが、助けな呼んでおいてそれはないだろう、と思ったまでだ」


 そんなこと聞かせる気はなかったはずなのに、ベギラスはつい、余計なことまで話してしまう。

そう、この男は恐らくはアロエの側の存在なのだ。

敵となる勇者サイドの英雄に、そんなことを聞かせて何になるものか。

笑われるか、バカにされるか、哀れまれるか。

いずれにしても望む反応ではないのだから、話すだけ無意味だろうに、と。

後悔しながらもその反応を伺ってしまう。


「んじゃ、普段は僻地に暮らしてるっていうリザードマンっていうのも、同じ感じで差別的に見られてるんかね?」

「ん? いや、確かにそうかもしれんが……」

「ならそういうのは無くしていかないとな。うちのギルドにもリザードマンはいるけどさ、そういう人らって主にどこら辺に住んでるものなんだ?」

「り、リザードマンならば大陸の東端や北端に行けばいくらでも見られると思うが……いや、待て!」


 話が逸れる。

そんなことは話していなかったはずだと、ベギラスはカオルを見た。

勝手に席についていた。ついでにレイアネーテもその隣に座っていた。

自分一人だけ立ったままである。ネガティブな感情などどこかに消し飛んでいた。

挙句に「あんたも座れば?」と、さも自分の拠点かのように言ってくるのだ。

これにはもう、ベギラスも「たはー」と、顔を抑え息をつくことしかできなかった。

合わせ、正面の席に掛ける。



「――実際問題さ、あんたらは魔王様ってのを護るためにずっとアロエ様と敵対してた訳だろ? じゃあ、ずっと長い間人間たちのどこが悪いかとか見てきたと思うんだよな」

「そんなことを聞きにここに来たのか?」

「いんや? 一番の目的はアロエ様と魔王様とが話し合えるようにするための説得だけど。その為にはまず魔王様と会わなきゃいけないだろ? 誰に会えば話通してもらえるのかってレイアネーテに聞いたら、ここに連れてこられたわけでさ」

「……女神アロエと陛下の話し合い、だと?」


 気の抜けた空気になりそうなところだったが、不意にねじ込まれたシリアスな要件に、ベギラスはぎょろり、カオルを見やる。

冗談を言っているような顔ではなかった。

さっきまで好奇心が抑えられないような少年じみた顔をしていたのに、今ではひとかどの組織の長、といった顔立ちで。


「冗談やふかし(・・・)を言っているわけではないようだが。カオルよ、貴様は、そんな簡単にその両者の会談が叶うと思っているのか?」

「そんな簡単にできる訳じゃないだろ。それこそいくつも調整しなきゃいけないところもあるだろうし、失敗に終わる可能性だってあるだろうさ」

「ならば何故――」

「話し合いで解決する可能性があるならそのほうがいいからに決まってるだろ? それとも何か? あんたらはどうしても殺し合いしなきゃ許せないのか?」


 カオルとて、何も最初からそんな大それたことを考えていたわけではない。

だがレイアネーテの話を聞く限りだと、魔王アルムスルトの傍にいる魔人らは、いずれも女神アロエやこの世界の人類に思うところがあって魔王の傍に仕えていた。

そのいずれも、アロエに対して怒りを感じたりはしていても、憎しみまでは抱いていないように思えたのだ。

そしてそんな彼らが尽くす魔王とて人の上に立つなりの人格者なのだとするならば、話し合いは可能なのではないかと希望が持てた。

だからこそ、こうしてここにいた。

とっかかりは必要なのだ。

どこかのタイミングで必要だったそれを、今できるからしただけ。


 交渉事には慣れていた。

自分はこの世界の人間と違って、変な先入観もなく自分の価値観で話を持っていける。

それはこの世界の人間たちにとって都合が悪い部分もあるかもしれないが、それでも、彼らにはできないことが自分にはできるのだと、そう思っていた。


 その自信に満ちた目が、ベギラスには眩しい。

思わず「そんなことはないが」と、呟くように返してしまう。

レイアネーテから聞いて分かっていたのだ。

彼は、決して理屈の通じない化け物などではない。

どちらかといえば不要な戦いを好まぬ、武人の如き漢なのだと印象を持っていた。

そしてそれは、どうにも正しいらしかったと、その反応を見てカオルは笑う。


「なら、話し合いは可能じゃないか。もちろんそっちだって今までやられ続けて『何をいまさら』って思うかもしれないけどさ、でも、終わらせないと終わらないんだろう? そして、終わらせたいからその方法を模索していた」

「……その通りだ。だが、我々だけでは概念の力を完全に変えてしまうことはできぬ」

「ベギラス……やっぱり、私達だけではダメだっていう事?」

「ああ。最近になって分かったことだがな。クロッカスの研究では、そこまではやはり無理だと」


 人より遥かに力を持つ魔人たちですらできない概念そのものの変化。

これは、カオルにもどうしたらいいか分からない事で、だからこそ放置もできない事だった。


「アロエ様なら、概念の力を断つ方法は分かってるはずなんだ。魔王というシステムそのものを終わらせる方法を、アロエ様は知っている」

「だが、今まで女神アロエは我々を討伐し、陛下を殺すことしか考えていなかった。他に方法があったならば、戦わずに済む方法があるとするならば、なぜもっと早い段階でそれをしなかったというのだ? 私は、それがあるからあの女神が信じられん!」

「できなかったんだろ」

「……なに?」

「今まではできなかったんだよきっと。だってあの人、まだ子供だろ?」

「なっ……」


 ベギラスは唖然とするが、カオルからすればちょっと考えてみれば簡単な話だった。

女神アロエは自身の事を何と称していたか。

彼女は、自身の事を未熟なのだと話していたではないか。

神としての力は確かなもの。だけれどまだまだ未熟なのだ。

それはつまり、子供のようなもの、というよりも子供そのものなのだろう。

こう考えれば全てがしっくりいった。


「俺らから見るとすげえ神様なんだろうけどさ、でも神様が完璧じゃねえってのはアロエ様を見てればよくわかる。だってそうだろ? ずっと人の助けが必要で、ずっと誰かに助けを求めてて、ずっと誰かに協力してもらって無理やり魔王倒してた訳じゃん。一人じゃできなかったんだよ。一人きりじゃ」


 そうして、人の心も解らぬままに人の力を借り、人の身に過ぎない少女を勇者にし、その心を傷つけ裏切られた。

今はその未熟を恥じていたとはいえ、当時の彼女にはそうするしかなかったのだとカオルは考える。

それがどれだけ途方もない過去の話なのかは分からないが、ただ今ある彼女にとってのそれは、幾度も失敗を繰り返した末の、ようやくのチャンスなのだろう、とも思えたのだ。


「今回は違う奴が魔王として倒されることになった。あんたらの尊敬するアルムスルト様は、少なくとも今回は殺されない。なら、この機会に終わらせちまうしかないだろ? 終わりのない殺し合いを終わらせるなら、今しかないんじゃないのか?」

「……だが、魔王グラチヌスを討伐して終わるならば、陛下と女神アロエが話し合う必要などないはずだ」

「そんなことはない。今のままじゃあんたらはアロエ様を信じられないままだろ? 『あいつが死んだら次はこっちに来る』って思ったままだろ? そんなの辛いじゃないか。嫌じゃないか」

「それは……仕方ない事だろう。我々は敵なのだから」

「でも、敵かもしれない俺とは話せてるじゃあないか」


 少なくとも話し合いにはなっている。

カオルが不死身なことなど知らないベギラスからすれば、その気になればいくらでも叩きのめせる相手に過ぎないというのに。

レイアネーテに記憶喪失にさせられた哀れな異世界人。

それくらいにしか思っていなかった英雄が、しかし今は自分を言いくるめようとしていることに、ベギラスは驚愕した。


「カオルよ。何故貴様はそんなにまで我々と話し合おうとする。貴様とて、魔人と相対したのではないのか? 古代竜と戦い、その脅威を見てきたのではないのか?」

「ああ、悪事を働く奴らは許せねえ。人の生活ぶち壊して、人の幸せ奪っていく奴なんて絶対許しちゃなんねえよ」

「だったら――」

「でもそんなの、人間だって同じだった」

「――っ」


 魔人だからではない。古代竜だからではない。

確かにスケールは違うだろう。

だが、もとをただせばそれは、人間の吐き出す憎悪、悪しき感情の所為でそうなってゆくのだ。

魔人となった者達は、この世界の人間に失望した者も多かった。

助ける価値なし、守る価値なしと感じて裏切った者も多い。

そして古代竜は、人間のそんな悪しき感情を概念として喰らい、力を増してゆくのだ。

ならば、人間こそが問題なのではないか。

そんな感情ばかり抱く人間をどうにかするほうが重要なのではないか。


 これは別にずっとカオルが考えていたわけではなく、今ふとそう思い、話に混ぜ込んだだけだが。

だが、声に出してみると不思議とカオル自身、「きっとそれは正しいんだよな」と、自然に感じられた。

今までこの世界で生きてきて、色んなことを目にして気づくことのできた、この世界の都合の悪い事実(・・・・・・・)である。


「人間の方を変えなきゃ、例え魔王をどうにかできたって、あんたらを倒せたって、結局同じことが起きるだけなんじゃないのか? じゃあ、変えるしかないじゃないか、人間の方を。根本から変えなきゃ、何も終わらないんだろう? その為さ」

「……貴様は、何を言っているのだ……?」


 理解できなかった。

ベギラスにとって、この世界の人間とは信じるに値しない、情けない生き物だった。

人の助けを必要とするほど弱いくせに、異形の姿をしているというだけで自分を蔑み嫌い避け続けた。

それは、高みへ到達しようと切磋琢磨し続けた自分の世界の人間と比べあまりにもあさましく、みっともなく、情けなかった。

自分と肩を並べる事ができる者などついぞ一人も居らず、ただただ自分を恐れるばかりだった人間たちに、彼は見切りをつけた。


 そんな人間を変える?

変えられるのか? そもそも変わる気などあるのか? そんなこと考えるくらいなら一度絶滅させて、新たに作り直すほうがよほど楽なのではないか?

神ならばそれくらいするのではないか?

ココというアロエの母は、それをしようとして魔王というシステムを作ったのではないか?

それはつまり、カオルの言う子供のようなアロエではなく、成熟した力を持つ大人の神々ですら、その滅亡を願うほどに救いようがない生き物だという証左なのではないか?

そんな生き物を、更生させる必要など、あるのか?


 様々な思いが巡り、瞬膜(しゅんまく)が瞳を覆い。

わずかな暗黒の後に見えた人間の英雄は、赦すことのできない敵のように見えた。

先ほどまで眩しくさえ思えた相手が、どうにも理解のできない、認められない存在のように思えたのだ。


「――貴様は、その理想論の為に陛下とアロエを会わせようとしたのか?」

「そうだとも。あんたは間違ってるって思ってるみたいだけどな」

「ああ、間違っている。人間に未来などない」

「ちょっと、ベギラス……」

「黙っていろレイアネーテ。私は、この世界の人間に未来など感じていない。あのような愚かな生き物は、この世から消え去らねばならぬとすら思える」

「でもそれは、女神ココっていう人の考え方そのままなんだろう?」

「そうだ! それが――」

「それじゃあんた、アルムスルト様が魔王になっちまってもいいのかよ?」

「――っ」


 唾棄すべき人間などどうでもよかった。

滅びてしまった方が清々するくらいであった。

だが、自らの主は――高潔なる、敬すべき魔王アルムスルトを救いたいという気持ちは、間違いでなどあるはずもなく。


「別にあんたが人間嫌いでもいいんだよ。あくまで俺はそうしたいと思ったら人間を助ける。でもあんたらはその魔王様を救いたいんだろ? なら、その結果人間を救う事になったっていいじゃいないか。目的は、邪魔しあわないんだから」


 勝手にふんぞり返り、偉そうにつん、と上を向きながら鼻先を指で掻く。

なんとも尊大な態度だった。生意気な小僧だった。

だが、腹立たしくも言っていることは正しくも思えてしまい、言い返す言葉が浮かばない。


「……貴様は」

「うん?」

「よほど、恵まれていたのだな」

「ああ、そうだな。俺の周りの人は皆優しかったし、俺が頑張れば皆認めてくれた」

「……そうか」


 環境が違った。

自分がこの世界に来た時と彼がそうなった時とで、何もかも取り巻く世界が違ったのだ。

彼の発想は、幸せな日々の中でなければ得られなかったものなのかもしれない。

どこまでも人間を信じ、人間ならば変わることができると希望を抱けるその思想は、人間に愛されなければ得られなかったはずなのだから。

だから、やはりこの男が許せなく思えたのだ。

みっともない嫉妬だった。

自分はそうなれなかった、ただの浅はかな負け犬なのだと思わされて。

どうしても、憎しみの方が勝ってしまうのだ。


「でもな、盗賊の集団に殺されそうになったり、古代竜やスライムに喰われそうになったり、女悪魔にはぼこられるし、記憶を消されちまうし大切な妹分も殺されちまうし恋人ともどもずたずたにされるしで、正直辛いことも多かったぜ」

「……なに?」

「嫌なこともいっぱいあったって事。俺の今までは、決して楽なことばかりでもないし、幸せなことばかりでもなかったって事さ。当たり前だろ?」


 そう、当たり前なのだ。

人生において幸せなことなど、不幸なことの1割もあるまい。

ただただ不幸な人生の中、苦しみながら悶えながら生き、ようやく得られる小さな欠片。

だからこそ人々は幸せを何より尊く感じるし、得難いと思ってしまう。

ベギラス自身が自分の事を恵まれていないと思ったように。

カオル自身が、自分の元居た世界でそう感じていたように。


「それでもあんたは、いや、多分異世界人のほとんどは、元居た世界ではそれ相応に名の知れた人や、活躍した人なんだろう? それはすごいことだと思うよ。尊敬する。だって俺は――テストで0点ばっかり取る、親にもがっかりされるようなクソガキだったからなあ」


 自分の息子にはそうなって欲しくないぜ、とため息交じりに苦笑い。

親になってようやく、親が自分に何を望んでいたのかが解ってきたのだ。

だからこそ、ちゃんと勉強しなかった自分は、ちゃんと努力しなかった自分は、ダメだったのだとも改めて思えた。

そして、努力の末に成功を収めたであろう異世界人達を、心から尊敬できた。


「あんたはすごいんだよ。その、竜人? とかいうのになれるのはほんとにすごいことなんだろう? じゃあ、その姿はあんたにとって誇らしいはずなんだろ?」

「……当たり前だ。だからこそ、貶められるのが許せず、覆面を――」

「じゃあ尚の事誇れよ。『これこそが我が勲章だ!』くらいに胸を張れよ。どっかで自信がなかったんじゃないのか? 異世界人相手に自分の事を解ってくれないと思ったんじゃないのか?」

「……」

「黙りこくるなよ似合わねえなあ。俺、多分あんたより大分年下だぜ? ベギラスさんは、俺から見たらすげえ格好いい人なんだけどな」


 最初に興奮気味に伝えた感想は、嘘偽りなく本心からのものだった。

漫画かアニメに出てきそうな出で立ちをしていたのだ。

もしそういった作品で出てきたら、主人公にはなれなくとも、その兄貴分やライバルとしてさぞかし人気が出ただろうと思えるほどには、その姿は格好良かった。

これで「竜の力を身に宿して」などと言われれば、それはもう、カオルにはたまらなかった。

現実でそんな人が居て、そんな文化がある世界があるなんてロマン、格好良すぎるではないかと思えたのだ。


「私もまあ、格好いいとは思うわよ? ちょっと強面だけど」

「……うるさい」


 レイアネーテのフォローもあってか、ベギラスは大変珍しく……赤面していた。

自分の事をそうまで正面から褒めてくれる者など、今までどれほどいたものか。

元居た世界ですら称賛されこそすれ、高みに昇り詰めてしまったがゆえに孤独感を感じずにはいられなかったというのに。

親しみを込め受け入れてくれる者がいる温かみが、ベギラスにはなんとももどかしく……そして、哀しかった。


(私も……この男の世界ならば、受け入れられたのだろうか?)


 彼がこの世界に来たのは、竜人へ到達できた自分の力を試したいという腕試しの意味もあったが。

それ以上に、女神アロエからの「助けてほしい」という願いを聞き入れての善意からのものであった。

困っている人たちを助け、竜の力を使い魔人や古代竜という悪しき化け物を討伐してほしいという願いに、彼は歓喜した。

沢山の人を救い世界を平和に導ければ、それは自らにとっての新たな高みになるのではないか。

更なる向上が望めるのだと思って訪れた世界で、彼は奮起し、実際多くの悪しき存在を討ち取ってきた。


(私は……私は、初心を失っていたのか……?)


 そう、更なる高みに昇りたかったのだ。

竜の力を得ただけでは、竜人になれただけでは、彼は満足できなかった。

元来、彼の原動力は、飽くなき向上心だった。

前へ前へ、もっと先へ、どこまでも高みへ。

そう願い生きていた彼がその足を止めてしまったのは何故か。


 どこか、感謝されたいという気持ちがあったのかもしれなかった。

自分が頑張っているのだから、認めてほしいという気持ちがあったのだ。

それは称賛でもよかったし、感謝でもよかったし、喜びの声でもよかった。

ただただ、幸せになって欲しかったのだ。幸せにしたかったのだ。だから頑張ったのに。

頑張っていたはずなのに。


「……お、おお……」

「あっ、ちょ、ベギラスっ!?」


 自然、涙があふれる。

今の自分は、自分の傲慢さの末に、得たいものが得られなかったが故に感じていた怒りが原動力となっていた。

人間の事をあさましい、情けない生き物だなどと断じたさっきの自分は、果たして本当にかつての自分と同じだったのか。

ただ、得たいものが得られなかったから、だだっ子のように気を悪くしただけだったのではないのか。

人間は未熟である。そんなの、自分の世界でもそうだったではないか。

未熟だからこそ、足りないからこそ、足りる存在へ、より高みへと自分たちは昇ろうとし――そして、その高みへ手が届いたのが自分だったのではなかったか。

だというのに、自分は何故、またその未熟な人間のようにへそを曲げ、人間を絶滅しろなどと思ったのか。


 情けなさで、みっともなさで涙が止まらなかった。

彼はようやく気付いたのだ。自分もまた、その未熟な人間なのだと。

どれだけ高みに昇ろうとも、力をつけようとも、結局自分は、未熟なままだったのだと。


「なんか、あんま言っちゃダメなことだったか? 悪い、俺、結構ぐさっとくること言っちゃうタイプみたいで――」


 目の前の大男が突然泣き出すに至り、カオルも少なからず焦ってしまう。

あまりに尊大に語るようだし、少しくらいきついことを言っても大丈夫だろうという安心感があったのだ。

その割に脆かったというか、何か言ってはいけないことを言った気になって罪悪感を覚える。

だが、ベギラスは「いや」と、手を前に、また瞬膜を閉じる。

そのままに、真っ暗なままにすう、と息を吸い――そうして瞬膜を開いた時にはまた、ぎろりとカオルを睨みつけた。


「しかし、貴様の言いたいことは、いちいち胸に突き刺さる……情けない話だが、自分というものがよくわかってしまったよ」

「俺はただあんたは格好いいんだって解って欲しいだけなんだけどな」

「やめろ恥ずかしい! まだ貴様が我らの敵にならぬとは決まっていないのだ。気安く褒めるな!」

「何よベギラス、もしかして照れてるの? めっずらしーっ」

「からかうなバカ者!! 誰がそんな――くっ、今更か」

「まあ、今更だよな」

「今更よねえ」


 照れてる事など解り切っていた。

再度格好いいと言われ、ベギラスはやはり頬を赤く染めていたのだ。

それはなんともこそばゆく……そして、彼がずっと得たいと、言われたいと思っていたことのようで、胸の内がどんどんと熱くなってゆくのだ。


(くそ……こんな若造に……だが、私はこんな若造に、勝てんな)


 彼が本当に自分より遥か年下だったとして。

その短さで、自分ではたどり着けなかった高みに、彼はもうたどり着いてしまっていた。

行く末は何者になるつもりなのか。

そも、彼は成功者である。

成功できなかった、失敗者である自分達には眩しすぎる存在だった。

そんな存在が自分を認めてくれるのに、なぜ自分の事を否定できようか。

胸を張ればよかったのだ。ただ胸を張れば、誇りを胸に抱き頑張っていれば、いつかは報われたかもしれないのだ。


 そのいつかを、自分はただ待てなかっただけなのだから。


「だが、私を説得したところで、陛下と会うにはバゼルバイト様の許しがなければ――」

『――まあ、許しは与えてやってもよいが』


 不意に、部屋に響くおぞましき音、声。

二人の魔人は気にも留めなかったが、カオルには不慣れなもののように感じて……けれど、どこか懐かしさも感じ、不思議な気持ちになる。

直後にぶお、と、空間を歪めたような事象が起こり、誰ぞかが現れる。

それは、ベギラスと比べても不気味な顔立ちの、辛うじて人間か何かだと判別できる生き物だった。


「バゼルバイト様……っ」

「こちらにお越しになるなんてっ……その、私達の方から向かおうかと」


 魔人二人は席から降り、その場に(ひざまず)く。

鼻の曲がるような腐臭と汚物のようなツンとくる刺激臭が部屋に満ちたが、カオルは表情を変えずにその者――魔人筆頭バゼルバイトの顔を見つめた。


「我が顔がそんなに珍しいか?」

「ああ、すげえ不細工だなと思ってな」

「……ほう」

「ちょっと、カオルっ!」

「貴様、なんと不敬な――」


 カオルの物言いに、バゼルバイトは眉をピクリと動かすが、魔人二人は焦ったように立ち上がりカオルの肩を掴んだ。

だが、魔人二人の力を以ってしてもカオルはすぐには抑え込めない。


「気にするなよ、別にバカにしてる訳じゃあない」


 二人の手を払いのけながら、バゼルバイトへとずず、と近づく。

その顔を凝視する。


「そんな不細工な顔に、何の用だ? あまりに不細工すぎて興味でも湧いたか?」


 不細工、などという言葉で形容できる顔ではないはずだった。

気持ちの悪い緑色のどろどろの体液が顔の表面からにじみ出て、これが強烈な腐臭を放っていた。

ゾンビか何かの方がよほど清潔かと思えるほどに汚らわしいそのただれた皮膚には蟲が這い回り、これでもかというくらいに視覚に歪みを与えてくる。

この世で最もおぞましき生き物。もっとも汚らわしく情けない姿。

これこそが、女神ココによって与えられし今の彼女の姿だった。

この世で最も美しいと称えられた二人の女神の片割れの、今の姿である。


 だというのに、カオルは無言のまま見つめ続ける。

あまつさえ手まで伸ばす。頬に触れた手がじわ、と強酸に焼かれたが、それすら顔をしかめず。

そうして……抱きしめた。


「えっ、ちょっ」

「カオル! 貴様何を――っ」

「……どういうつもりだ?」


 今度こそ止めに入る二人の魔人に引きはがされるが、すでに時遅く、カオルの顔や腕は強酸で焼かれ酷く焼け焦げていた。

にもかかわらずである。

カオルは、笑っていた。


「やっぱりそうだ。あんたか、バゼルバイトさん――時の女神様なんだろう?」

「アロエから聞いたのか?」

「ああ。でもそれだけじゃあない。あんたは、俺のよく知っている人とどことなく似てる。突然抱きついちまって悪かった。ハラスになっちまうか? 懐かしく感じてつい……嬉しくなっちまったんだ」


 じわじわと火傷跡が残る顔がすぐに修復され……カオルはすぐに元の姿に戻る。

それを見てバゼルバイトは目を見開き。

そして魔人二人は「その力は」と、声をそろえて驚いた。


「俺はな、未来のあんたと……封印の聖女によってこの世界に連れてこられた者なんだ」


 にやりと不敵に笑うその顔は、ようやく会いたい人に会えたかのようで屈託なくも見え。

バゼルバイトはそんな彼を見て、すべてを察した。


「……そうか。お前の中に私の力を感じる。それだけでなく、ただならぬ聖なる力も――お前の言う事は語りや気狂いではないようだ」


 小さく頷きながらカオルの手を取る。

触れた手がじわじわと焼けるが、カオルは笑っていた。


「よかろう。素性も把握できた。お前を我が主――アルムスルト様と謁見させてやる――覚悟するがよい」

「おぉっ!?」




 掴まれたままに、世界が急に反転した。

目まぐるしく動く風景。それはまるで走馬灯か何かのようで。

カオルは理解できぬままに変わってゆく世界に困惑と焦りと――ちょっとした面白みを感じてしまっていた。


 そんなことが一瞬か永遠か分からなくなるほど続き、やがて世界がまたもとの形に定まってゆく。

ぐにゃぐにゃになった世界の中、ようやく定まった世界の中心に玉座が一つ。

そこに掛ける背の高い美形な男が自身の目的の人物なのだと、カオルは自然に理解した。


「初めまして、魔王様。英雄をやってる、カオルって言います」

「ああ、初めまして。私が魔族の王、アルムスルトだ」


 いつの間にか傍に控えるバゼルバイトに「ご苦労」と手をあげ。

こうして、英雄と魔王の対面が叶ったのである。

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