#5.ある酒場での一幕
「あーあ、今日も一日元気に働いたわねえ」
カルナスのギルド『ミリオン』の本部は、遅くまで人で賑わう。
ギルドマスター・カオルの本の影響もあってか、元々カルナスに居た者もいれば他国から流れてきた者もいて、人種も人間だけでなく、ゴブリンやドワーフ、更にはリザードマンと言った、亜人種族と呼ばれる者も少数混ざってきていて、本部のある館は中々にカオス。
受付も兼ねた報酬受け渡し所でその日の仕事の成果を得たギルドメンバー達は、併設された酒場でその日の疲れを癒す。
一人酒を飲むこの赤髪の女冒険者もまた、一日の仕事の終わりに、満足げに深い息をつき、万年樹のジョッキに一杯の果実酒を揺らしながら楽しんでいた。
「ようおつかれさんティア。今日は賊の集団を一人で壊滅させたんだって?」
「ええ、まあね」
「大した腕っぷしだよなあ。どうだ? 俺たちのパーティーに入らないか? 明日から海の魔物を討伐するってんでニーニャの支部に行くんだけどよぉ」
「んーん、悪いけど私は一人で仕事するほうがいいみたいだから」
座っているとすぐに誰かしらが寄ってくる。
そして寄ってきた者達は大体が自分たちの仲間にならないかというお誘いが目当てだった。
彼女はそれを毎回とてもいい笑顔で「ごめんね」と断っていた。
誘った側も、断られるのは承知の上でか「それは残念だ」と頭をポリポリ掻きながら去っていく。
ギルド内での仲間内、手を組み仕事をすれば難解な仕事もこなせるのだから、組むこと自体は悪い事ではなかった。
だが彼女は、誰とも組むことはない。
今のところ、一人で困難だと思った仕事などなかったのだ。
今日終えた賊の討伐だって、危なげなくこなしていた。
(一人の方が気楽だし……それに、仲間だからって油断もできないし)
先ほど誘ってきた男に下心があってかは分からないが、若い女性のギルドメンバーとお近づきになろうと声をかける事案もない訳でもなく。
ギルドマスター直々に「ここはナンパ広場じゃないからな」という笑えもしない注意がされるくらいには、ギルド内は緩い面もある。
「あらティア、今日もおひとり様?」
油断ならないのよねえ、と、ちびちびジョッキの果実酒を飲んでいると、後ろから声。
すぐに反応して視線を向けると、見慣れた金髪の女冒険者の姿があった。
ティアとは同年代に見える、同じ日にギルドに入ったメンバーである。
「レイア。仕事終わったの?」
「ええ。仕事自体は一日で片付いたわ」
「何の討伐だったっけ?」
「ストームアンクの群れの討伐。東部のパイリア村よ」
「うわあ」
何年かに一度、群れで大量に出現し、作物や家畜を食い荒らしてゆく巨大な羽蟲・ストームアンク。
一体一体が人間の腕ほどもあり、一般的な魔物のような存在というよりはただの大きな虫に過ぎないのだが、進行上にあるものを見境なく餌にしようと食らいついて来るため被害が出ていた。
トロルやミノタウロスと比べれば死の危険は少ないものの、数がとにかく多い上に頻繁に繁殖を繰り返すため、通常、群れの討伐には相応の火力と日数が必要とされている。
この金髪の女冒険者レイアは、それを容易く討伐してきたというのだ。
彼女がそんな偉業を成すことには慣れていたとはいえ、ティアは開いた口が塞がらない。
「よくあんなの討伐できるわね……私虫嫌い」
「まああんなのは斬ればすぐ死ぬし魔法でも焼けるしね」
「いいなあ、万能型。私なんて斧で切るくらいしかできないよ」
「いいじゃない斧使い。格好いいわよ?」
テーブルに掛けてあるショートアックスを指さし微笑むレイア。
ティアも褒められて悪い気はしないが、ともあれ彼女が立ったままなのは気になっていた。
「座ったら? 何か頼まないと」
「そうだったわね。よいしょっと……すみませーん、ジンジャーガー! 大き目でー!!」
誘われるままにティアの正面に座りながら注文。
すぐにウェイトレスが「はーい」と元気な返事で返す。
ほどなく注文通りのはちみつ色の液体がなみなみと注がれたジョッキがテーブルに置かれ、レイアは「これこれ」と満面の笑みで手に取り飲み始めた。
「レイアって結構強いお酒飲むわよねえ。美味しいの? それ?」
「うん。私の住んでたところって辛いお酒飲むのが普通だったから、これくらいじゃないと、ね」
「ふーん……私の住んでたところは大陸から離れた南の方でさ、お酒はそんなに強くないのよねえ。甘いのも多いし」
「果実酒ばかり飲んでたのはそういう事か……でも、それで足りる?」
アルコールは強いほうがいいと思っているらしいレイアだが、ティアはそうは思っていなかった。
だから、首をふりふり、「そんなことないよ」と苦笑いを浮かべる。
「お酒は癒しよ。強いお酒なんて飲んだら記憶が飛んじゃうし」
「飛ぶくらい強いほうが楽しいのに……」
「やーよ、目が覚めたら路地裏で寝てたとか冗談じゃない」
「そういう笑い話もあるわよね」
「女だと笑えない笑い話になる奴ー」
治安のいいカルナスではそうそうないが、それでも泥酔した女性の独り歩きなど危険この上ない。
何が起きるか分からないし、何をやってしまうかもわからないのだから。
「目が覚めたら全裸になってて『男に悪戯されたに違いない』って騒いでた子が実際には自分でパンツまで脱いでたとかねー」
「流石にそこまで酔っちゃうのはアレだけど、単純に足元までおぼつかなくなって危ないのよねえ」
「なるほどなるほど……ティア女史はとても慎重なのねー」
「慎重っていうか……まあ、私もここの住民ではないからね。迷惑はかけたくないわ」
自分の世話になっている街に迷惑はかけたくない。
情けは人の為ではないが、人に掛けた迷惑もまた、人だけでなく自分に返ってくるのだ。
ギルドマスター・カオルの本を読んで感銘を受けここを訪れた彼女にとっては、それは常々気をつけなくてはならないと心掛けている事だった。
「だったら、お酒飲まないパートナー作ればいいのに。貴方結構成果上げてるし、お誘いもあるんでしょ?」
「うん、まあ……そうなんだけどね。でも、誘ってくるの男性ばかりだし」
まだ年若いティアにとって、男性メンバーからの誘いはそれ自体は嫌なものではないが、男性と組むというのは未知の恐怖もあった。
恋愛関係にないパートナーだとしても、自分の無防備な背中を他人に預けるというのは勇気が居るのだ。
これが同性同士ならそうでもないのだろうが、今度は組める同性が居ないのが問題になっていた。
「ギルドの女性メンバーって、大体が彼氏持ちか既婚者かで、そうじゃなくても私と組める人ってあんまりいないし……」
「まあ、戦闘向きの人はあんまりいないのは確かねえ」
ティアは、ギルド内でも頭角を現しているくらいには強い。
戦闘向きのメンバーの中でも、指折り数えられるくらいには腕利きであった。
仕事であげる成果も高く、その実績はギルド内でも認められている。
だが、同様に働ける女性メンバーがいないのが問題だった。
単純に成果だけなら同じくらいあげる人はいるが、戦闘とは無縁の依頼をこなす人だったり既にパートナーがいる人だったりで、彼女が組める余地がないのだ。
入ったばかりで経験の浅いメンバーならそれなりの人数いるが、どう頑張ってもティアの片腕ほどの活躍も見込めない者ばかり。
「私には教育とか向いてないだろうし……鍛えるのも無理だろうしなあ」
「私と組む?」
「やめてよやめて、オーガやら野良ドラゴン相手にする人と組むとか命がいくつあっても足りないわよ」
ティアも腕利きの自信はあった。
だが、オーガやら野良ドラゴンやらは衛兵隊や城兵隊が相手をするような化け物。
冒険者が依頼を受けて挑むような範疇からは外れている。
ティアが今日討伐した賊だって、たかだか五人程度の、しかもナイフや野良仕事で使う農具を持っただけのならず者に過ぎないのだから、比べるべくもない。
レイアのような大物狙いができるなら、単独でかつての『ひまわり団』のような盗賊団を相手どることもできるだろうが、ティアにはそれは無理なのだから。
「それは残念ね。いい助手になるかと思ったのに」
「笑えない冗談よ。私じゃ二秒で死ぬわ」
「あはは、酔ってるんじゃないの?」
「そうかもねー」
よくある馬鹿話である。
レイアが本気で誘ってきてるなんてティアは思いもしないし、冗談として流せる。
同期ではあっても、実力差は明確。
冗談としか思えないのだから。
「レイアはさ、こないだ入ったトーマスさんとかと組めるんでしょ? あの、元城兵隊長の」
「ええ、組んだことあるわ。面白いおじいちゃんよね」
「私は怖くて無理だわ。眼光とか妙に鋭いし、お年を召してるのにビシッとしてるし」
「私と組んだ時はそこまで怖くはなかったけど、それでも全盛期を思うと中々大した人よねあの人も」
そんな元城兵隊長殿は、今では経験の浅いメンバーを引き連れ各地で鍛えているのだとか。
そんな話を聞いていたティアは、「やっぱりプロの軍人は違うなあ」と感心半分、恐れも感じていた。
「本物の軍人と比べたら、私なんかはよわよわ女冒険者だし」
「まあまあ、そう卑下しないでよ。皆違ってるし、皆役に立ててるんだから」
「そうなんだけどねえ……まあ、今の仕事でも十分生活できてるしいいんだけどさー」
上を見たらきりがない。
このレイアやトーマスのような化け物相手ができる人材は、それはいたほうが心強いに決まっているが、自分がそうならないといけない訳でもないのだ。
世界は、まだまだ平和。
少し前にはラナニアで古代竜が暴れ、エスティアからは古代竜がどこぞへと飛び去ったなどとニュースが報じられたが、ここエルセリアは平和そのものなのだから。
(その平和も、マスターが築いたのよねえ)
今あるこの国の平和は、国そのものの安定は、内政に関わる問題が早々に解決できた点が大きい。
王城は安定し、政治は滞りなく進み、外交面でも今までになく隣国との友好関係が深化し、更にバークレーとも和解できた。
それらの問題の多くに、自分のギルドのギルドマスターが関わっていたことは、このギルドのメンバーならほとんどが知っている事だった。
そう、彼女たちの上司は英雄なのだ。
だからこそ、自分たちの活動にも自信を持てた。胸を張れた。
「うん、腐らずに、今に邁進するわ。『私は私のできる範囲でやる』のよ」
「本に書かれていた名言ね」
「そうそう。私これ好きなのよねえ」
「良い言葉だと思うわ。自分のできる範囲でやれることをやるのって大事だし」
努力とはつまりそういう事。
やれることを尽くす。そうなって初めて運に頼れるのだ。
為すべきことを成さずに運など得られるはずもない。
それは、本著者であるカオル自身が体感していた、一つの真実だった。
努力とは、すべてを成した先に実るのだから。
(ほんと……本だけ読むと非の打ちどころもない英雄様なのよねえ、あのマスターは)
レイアにとってみれば、それはまさしく理想の英雄像だった。
本人も強く、そして並々ならぬ努力をし、人に認められるだけの苦労を背負い、問題を解決していた。
彼の本を読む通りなら、よくあるたまたま運がよくて成り上がったような輩でもなければ、たまたま環境に恵まれて周囲の力に頼り切りで上手くいった例というわけでもなく、相応に失敗もして、壁にぶち当たって苦労して、その上で周りが味方になってくれたり、機転を利かせて乗り越えたりして成功を勝ち取ったように読み取れていた。
全てが事実ではないのかもしれない。いくらかは脚色された事もあるのかもしれない。
けれど、その多くが事実であると、ほかならぬ関わったとされる国の王族や貴族が認め、広めている。
学者などの知識層から否定的な声も上がらない。王族などに反発する層から批判されることもない。
少なくともその本の内容は、人々に希望を、正しく努力することの大切さを伝え、受け入れられるているという『事実』があった。
これは、現時点で覆しようのない事実。
目の前を見れば、幸せそうな顔で果実酒を楽しむ同期の女冒険者の顔が見える。
それはとても平和的で、とても健康的で、とても愛らしく、そして……とても儚いものだった。
そう、儚いもの。
(こんな笑顔を、私達は奪い去ろうとしていたのよね)
レイアは、自らを偽っていた。
女魔人レイアネーテ。それが彼女の本当の姿。
魔人としての彼女は、人間の国など滅びてしまえばいいと本気で思っていた。
彼女の尊敬する魔王は、生きている限り女神と勇者、そして人間の軍勢に命を狙われ続ける。
彼女たちが栄華を掴むには、魔王が魔王として覚醒しきってしまってもいけないし、人間たちが自分たちと戦争をする気になってもいけないのだ。
だから、潰そうとした。
けれど、その潰そうとした者達の中にも、このように、ただ目先の平和を享受しているだけの者も数多くいることには、レイアネーテは目を閉ざしていた。
そう、知っていたのだ最初から。
自分たちがその気になれば、いくらでも奪い取れ、破壊しつくし、なかったことにできる儚いもの。
平和とは、そして平和への願いとは、そのようなものだった。
(私達の世界と同じ……私達の世界の、民と同じだわ)
変わりがなかった。違いがなかった。
戦争とはどこか別世界の、平和な街でのひと時。
人とは平和な時、それを享受するとき、こんな顔をするのだと。
それが儚いものなのだと、尊くも脆いものなのだと、レイアネーテはよく知っていた。
――だからこそ、奪いたくないとも思えた。
改めて、魔王の方針によってこの街に来て良かったと彼女は考える。
今の彼女は、人間を滅ぼそうなどと思っていなかった。
今の彼女は、魔王の為と称して魔族の軍勢を人間世界に送り込む気もなかった。
何故なら、魔王の為の行動は、人間の為の行動ともつながり始めているのだから。
(人間世界の安定は、人々の心に余裕を生むことにもつながる。平和を享受できれば、争う事の愚かさに気づくこともできる。人は、気づくことのできる生き物。私達の世界ではそれはできなかったけれど……でも、この世界なら)
かつて自分が捨てた世界ではできなかったことが、もしかしたらこの世界でならできるかもしれなかった。
世界の安定化。
その為にもっとも有効な組織へのテコ入れ。
これは魔王軍にとっても重要なことなのだと、レイアネーテは納得し、自分にしかできないことだと理解していた。
「レイア、飲まないの? お酒、ぬるくなるわよ?」
「ごめんごめん、ちょっと考え事をしててね」
「人の顔を眺めて考え事? 変な冗談でも考えてたの?」
「酔った顔が色っぽいなーって思っちゃって」
「やだ、やめてよ、そっちの気はないんだから」
「私の国ではよくある冗談よ、冗談」
冗談としながらも、ティアは上気した頬を隠すように手で隠し、まんざらでもない様子で。
レイアネーテは「この子はこの子で危ないわよねえ」と苦笑いしながら生姜の匂い立ち込める酒を一気に飲み干した。