#3.変化した世界と変わらぬ英雄
大陸極東、氷におおわれていた大地には、大きな街が現れていた。
魔族たちの王都・リージャント。
魔王のおわす王城を囲むように発展した、かつての魔族たちにとって最大の拠点であった。
再び魔王に仕える為各地より集まった魔族や魔物たちは、今度はここを生活の拠点とし、周辺地域の復興を始める。
かつての勇者たちの来襲、そしてそれに乗じた大陸国家の総力を挙げた殲滅戦争。
魔族たちの家は、街々は破壊しつくされ、魔王城は氷の大地に丸裸にされた。
それがようやく戻りつつある。魔族らは、その顔にわずかばかりの喜びを浮かべ、魔物らも魔族らに言われるまま、だが楽しげに復興を手伝っていた。
魔族とは、人間の考える様な悪逆非道な化け物の集団ではなく、彼らなりの秩序を持ち、彼らなりの正義を持った知恵ある霊長の長。
人間と形を違えた、もう一つの人類なのである。
それが故に、彼らも拠点を欲し、彼らも幸せな日々を求めていた。
「リージャントはすっかり綺麗になってきたわねえ。ほんの一年前までは、形すらなかったのに」
「まだ形だけだけどね……これに関しては、主だった魔族の協調と、魔物たちの数が増え始めてるのが理由かなあ」
翼や巨体などの特徴を多く持つ、人間が言うならば異形とも呼べる特徴を持つ魔族達は、その特異さ故に人間の範疇をはるかに超えた速度での拠点構築能力を持つ。
人間ならば河川を使い半月かけて運ぶ量の木材も、わずか一日で運び込める飛行・運搬能力を持ち、人間ならば複数人で力を合わせて割るような巨大な石材も、一人でゆうゆう叩き割れる膂力を持つ。
そうして、彼らの持つ魔法の力は人間の技術者がどれだけ研鑽を積んでも尚たどり着けない高度かつスピーディな建築を可能にし、瞬く間に家屋が建てられてゆく。
経過報告の為に戻った二人の魔人――レイアネーテとメロウドは、魔王城までの道のり、歩きすがら街の復興度合いも確認しながら語り合う。
「魔物たちがベビーブームなんですって? 苗床もないのによくやるわねえ」
「今は必要があんまりないみたいだよ? 植物系の魔物は今は自分たちで種子を地面に植え付けたりして繁殖したりしてるみたいだし、虫系も人間の身体を媒介しなくても孵化できるようになってるんだってさ」
「より人間に警戒されないように?」
「前までは繁殖の為だけに人間の娘とか子供とかさらってこなきゃいけなくて、そのせいで存在がバレて討伐されてたっていうし、彼らなりの進化なんじゃないの? そういうのが必要ない奴が生き残った、みたいなさ?」
魔物の淘汰と適者生存の歴史は、そのまますなわち人間との生存競争の歴史でもある。
魔物にしてみれば繁殖の為必要な行為も、人間からすれば若い娘や子供を再起不能な状態に陥らせる悪逆極まりない行為で、当然怒り狂った人間は魔物達を何が何でも討伐しようと考える。
そうして狩られた魔物は、世界各地に脅威として知られ、見かけ次第狩りつくされてゆく。
僻地などでひっそりと生きるしかなくなった魔物らは、人間たちに見つからぬよう、人間たちに狩られずに済むよう、その生態そのものを変え生き延びてきたのだ。
そういった意味では、魔族の命令に忠実なことを除けば、今のこの世界の魔物達は、ただの猛獣や害獣といった存在と大差なくなってきている。
どちらかと言うと人類の敵としか言いようのない存在だったかつての魔物の方が存在意義に悖らないのでは、と考えるレイアネーテは「ちょっとつまんないわね」と、唇を尖らせながら魔物達を見ていた。
「……でも、この光景見ちゃうと、やっぱり魔族も人と変わらないんだなあって思っちゃうわよねえ」
「それは確かにそうだね。僕は自分のいた世界の都合上、最初からそういう偏見はなかったけど……レイアネーテは違ったんだっけ?」
「私の世界はだって、こういうのと人間が文字通り生きるか死ぬかの戦いしてた世界だし。互いに互いを殺しもしたし犯しもしたし、もうやりたい放題よ。私も友達を何人か、魔族に殺されてるしね」
「それでよくこっちに着く気になったね……」
「だって、最初女神様から聞かされた話だと明らかに自分たちの世界と同じ感じだったし……でも、実物を見たら全然違ったし。あの女神様、時々恣意的に話を歪める気がするのよね! 悪い人じゃないのは分かるんだけど」
「ああ、うん、確かに……言ってることは正しいしやりたいことも解るんだけど、割と目的の為なら手段を択ばない気がする」
メロウドの同意が嬉しかったのか、レイアネーテも「そうよね、そうよね!」とテンションが高くなり、しきりにうんうん頷いていた。
鼻息も荒い。メロウドはそれを見て「ちょっとうかつだったかな」と、自分の軽率な同意を後悔した。
「でも、実際に対面したら陛下はすごく気さくな方だったし、魔族たちだって……敵対者には容赦しないけど、話せば話せる人たちだったし。事情まで聞いたら、戦えるわけないじゃない、こんなの」
「言い訳無用の加害者だと思ってた相手が、実はただの被害者だったなんてね……誰だって、聞けばがっくり来ると思うよ」
まして勇者として召喚されたレイアネーテである。
そう考えれば、メロウドも「そうなるよなあ」と、その興奮が理解できない訳でもなく、小さくため息をつく。
そう、世界を救うつもりで女神の手を取ったレイアネーテだからこそ、自分を騙そうとしたその女神の欺瞞が、赦せなかったのだ。
恨みこそ抱いてはいないが、本当に殺す以外に方法がなかったのかと考えると、レイアネーテは納得できていないのだろう、と、メロウドは考える。
そしてそれは、今魔王に仕えてる多くの魔人が抱いている共感だろう、とも。
「まあ……戦いが終わるならそれでも、女神さまは許せるけどね。あの人が話を聞いてくれるなら、もっと早く解決した問題かもしれないけど」
「考え方を変えてくれればね……今度の勇者は戦い慣れしてないみたいな話聞くけど、それでも先代魔王の魔人たちは狩られてるらしいから、できれば敵に回したくないなあ」
「前にここに来た勇者の時は、他の仲間たちが私の相手をしたから、勇者相手って今までほとんどないのよねえ」
「そりゃまあ、ほかならぬ女神さまが君の力は知ってるだろうから」
わざわざ避けられる最強相手に本命の勇者や自分は戦わないだろうな、と考え、避けられなかった自分に複雑な気持ちになる。
(……僕なんて勇者相手じゃなすすべもなしだったからなあ)
「メロウドは三回くらい勇者と当たってるんだっけ? 三回とも瞬殺されたってクロッカスが言ってたけど」
「うぐっ……クロッカスめ、余計なことを……」
ちょうど触れてほしくない部分に触れられ、メロウドは恨みがましそうに白衣の魔人を思い浮かべ、呪いの言葉を吐く。
「僕の世界は戦いなんて無縁な世界だったんだ……君みたいに脳筋で魔人としての力を失っても戦える人と違って、僕は素の能力は人間の子供と大差ないんだから、勇者相手じゃそりゃ瞬殺されるよ」
「それでも、人間相手なら圧倒できるはずなんだから、ほんと相手が悪かったわよねえ。あーあ、私が勇者と当たれれば、多分互角くらいには渡り合えると思うんだけどなあ」
「……ずるいよなあ、元の世界でも勇者やってるとか。僕なんて元の世界じゃただの超能力者だし」
「超能力者こそすごいと思うけどなあ。私の世界は勇者なんて割とどこにでもいたし」
「どんな地獄かな?」
「人間含めて生き物全てが悪意ある何かに操られてるとしか思えない地獄よ?」
皮肉にすらならないレイアネーテワールドに、メロウドは「うへえ」と心底嫌そうな顔をし。
そうして、けだるげにうなだれた。
「もういいよ。こんな話やめよう。僕らは僕らの役目を果たすんだよ。それだけでいいよ、それだけで」
「そうねー、ま、報告自体はそんなに掛からないだろうしね」
レイアネーテにすれば、悪い事などほとんどない、気軽にできる報告内容である。
それだけの為にわざわざ魔王城に戻るのは、バゼルバイトより戻れと命令があったからである。
「あっ、レイアネーテさん! お久しぶりですーっ」
「あらあら、久しぶりね郵便屋さん」
「ちは」
「はーい、メロウドさんも! 最近見かけないと思ってたところですよぉ! 西の方にいらしてるとか!」
魔王城の門前に差し掛かったあたりで、郵便屋さんが現れる。
赤づくめの制服、白い郵袋ににこやかな笑顔。
可愛らしい印象を受ける、一見人間にしか見えない少女であった。
「最近はレイアネーテともども、カルナスに居るからね。そっちの方の郵便屋さんにお手紙送ってもらってたけど」
「はいはい! 地域が違うので直接は会ってませんけど、確かにそちらの方からお手紙いただいてます!」
「ちゃんと届いてるようで何よりだ。ま、君らには間違いはないだろうけど」
郵便屋さんとは、女神アロエがこの世界に生みし種族の一つ。
生物同士が互いに意思疎通できるように生み出した、意思疎通を円満に図れるようにするためのシステムである。
今の時代においては手紙によるコミュニケーションが世界中で広まっている為、これに特化したデザインとなっていた。
当然、人間だけでなく魔族もこの種族にだけは絶対に敵対行動をとらない。
敵に回しても何一つ得るものがなく、不便になるからという理由で、人間も魔族も魔物も、古代竜すらも彼女たちは狙わない。
ある意味この世界で最も安全かつ平和を享受している生き物であった。
(この子達も、ある意味概念そのものなんだよなあ)
郵便、というよりは、コミュニケーションそのものを象徴する概念的存在。
それぞれに名前もあり、一見して個があるように見えるが、実際にはそういう風に見えるだけの、実体を成した何かに過ぎないのだ。
その存在は、時代の移ろいではなく、コミュニケーションの取り方が変異することによって変わってゆく。
手紙しかない時代ならば手紙を配達するだろうが、では、これが自分たちの世界のように、光によるネットワーク構築がされた世界や、もっと先の……生体同士の電気信号などでやりとりできる世界ならば、果たしてどんな姿をしているのか。
つまり概念とは、その変化と共に形態を変えていくものなのだ。
メロウドは目の前の、屈託なく笑う少女を見ながらに、この世界の、そして自分たちの変えようとしている者の正体を、なんとなくではあるが理解しようとしていた。
「……? メロウド? どしたの? アルカリアちゃんが気になるの?」
「えー! やだあ、メロウドさん、そんな気が……?」
「いや……違うけど」
不思議そうに首をかしげるレイアネーテと、まんざらでもなさそうな……どちらかというと悪戯げな顔で見つめてくる郵便屋さんに、メロウドは「また変な隙を見せてしまったか」とため息を漏らす。
彼は平素、後悔することの多い人生を歩んでいた。
主に、自分の行動がもとで。
「さっさと報告に行くよ。郵便屋さん、またそのうちカルナスから手紙頼むから」
「はーい♪ また今度お話ししましょうねー、ではー♪」
なにがしか手紙が入っているのか、肩にかけた郵袋を大事そうに抱えながら、郵便屋さんは片足をぎゅるぎゅると地面にこすりつけ始める。
そうかと思えば、《ばびゅん》と、風を切る音と共に一気に駆け出し、すぐに見えなくなった。
「相変わらず速いわねえ。足だけなら私より速いかも」
「あれがこの世界における普及されてる範囲での情報の伝達速度の限界なんだろうね。灯通信とかと等速なんだっけ?」
「私の世界でも同じくらいかなあ。あ、でも魔法の水晶とかあったわ。メロウドのところは違うの?」
「僕の世界は光の速度だから……多分郵便屋さんが存在したら、一瞬で星を回れちゃうんじゃないかな」
「それはすごいわねえ。星をめぐる郵便屋さんかあ……素敵ね♪」
両手をぎゅっと握り締めながらきゃっきゃはしゃぐレイアネーテを見て、「子供っぽいなあ」と呆れながら城門を眺める。
『貴方がメロウドね? 初めまして! 私がレイアネーテよ! 貴方のひとつ前に入った先輩ね! よろしくー!!』
『あ……うん、初め、まして』
(初めて会ったときはすごい綺麗なお姉さんだと思ったのになあ。すぐにメッキが剥がれたというか、勝手に僕が失望しただけなんだけど)
魔王の側近、と言えば聞こえがいいが、レイアネーテはお世辞にも有能とはいえず、後輩たるメロウドもすぐにそのダメさ加減に気づくほどで。
一瞬でもこの娘に憧れを感じた自分が恥ずかしいとばかりに、またため息を漏らす。
(顔だけは……顔だけはほんと、すごく好みなんだけどなあ。近所の綺麗なお姉さんみたいで)
「……? どうかした? 今度は私の顔見ちゃって」
「いや、なんでもないよ。行こう」
自分の抱いた理想のお姉さん像をそのまま表したような娘だった。
だが、その理想は外見はともかく内面から何まで壊滅的だった。
理想とは儚く、傍にあるだけで壊れてゆくものだと、最年少の魔人は当の昔に知っていた。
――やっぱり女の人は内面だよなあ。
身体とは反して心ばかり大人びてしまった少年魔人は、未だ出会ったばかりの頃と内面がまるで変わらないレイアネーテを見て、今日何度目かの諦観を受け入れた。
「二人が戻ってくれて嬉しいよ。役目ご苦労」
「は、はいっ、陛下に置かれましてはご機嫌うるわし、く……っ」
「珍しく噛まずに言えて偉いねレイアネーテ」
「ちょっ、やめてよメロウド! 陛下もバゼルバイト様も見てるのにっ」
久方ぶりの謁見であった。
当初バゼルバイトに報告だけして戻るつもりだった二人は、魔王直々に「今日は気分がいいので」と、謁見を許されていた。
おかげでレイアネーテのテンションは上がったが、相変わらず口上はぎこちない。
メロウドはからかいながらに、それでも目の前の魔王の疲れたような顔に不安さを感じていた。
「陛下、気分がいいと聞きましたけど、もしかして体調はあんまり……?」
「どうかな……試しに見てみるか? 構わないぞ?」
「それじゃ、遠慮なく」
「ちょっ、メロウドっ」
隣のレイアネーテが止めようとするのも気にせず、メロウドは魔王を直視し、その内面を図ろうとする。
彼が見るのは生命の思考、魂が何を考えているかのスキャン。
彼の、魔人としての能力を抜きに唯一の能力であった。
だが、魔王の心を見て、メロウドは安堵する。
「なるほど……確かにご気分がよろしいようで。安心しました」
「ああ。そうなのだ……メロウドはもう分かるかもしれないが、いよいよ力の無効化の方法が最適化されてきたみたいでな」
「そうなのですか!? 良かったです!!」
「クロッカスは頑張ってるみたいだね……僕たちのやってること、あんまり意味はなかった?」
これから報告しようとしていたことは、もしかしたら無意味だったのかもしれない。
そう考えると虚しくはあったが、主人の隣に控えるバゼルバイトは「そんなことはない」と、くぐもった声ながらフォローしてくれる。
これもまた、メロウドにはありがたかった。
「クロッカスが手はずを整えている間にも、世界は日ごとに変わりつつある。その流れを、最も重要なターゲットの監視をすることは、すなわち計画を軌道に乗せるタイミングを計る事にもつながる。お前たちのやっていることは、とても重要なことなのだ」
「バゼルバイト様……そう仰っていただけるなら、このレイアネーテ、頑張っている甲斐があります!」
「レイアネーテがやってるのは主に魔物退治だけどね」
「例の異世界人――人助けの為のギルドとやらを立ち上げたらしいな? お前も手伝っているのだとか」
細かい経過報告については書簡で説明していたものの、バゼルバイトに改めて問われ、レイアネーテは緊張した様子で「はい」と頷く。
「僕は止めたんだけどね……近すぎるし、バレたらどうするんだって」
「だ、だって! やってる事がすごいんだもの! 今まで異世界人でこんな事しようとした人いないでしょ? 私、ちょっと感激しちゃったの!」
「まあ……こちらに実害がない活動ならかまわないんじゃないか? 魔物退治というのも、そちらの方で勝手に暴れている野良のようだしな」
「陛下……はい! 決して魔王軍の迷惑になるようなことはしていません! 実際、変に魔物が暴れて軍備が増強されないようにするためのものでもありますし!!」
魔王が擁護に回ってくれたのがことさらに嬉しいらしく、レイアネーテは緊張をどこへやら、満面の笑みではしゃぎだす。
その様、駄犬のようであった。
「……こほん」
「はっ、す、すみません、ちょっと調子に乗っていましたっ」
そのはしゃぎっぷりが目に余ったのか。
バゼルバイトが紫の煙を吐きながら、小さく息をついた。
それだけでもう、レイアネーテはびくり、身を震わせ首を垂れる。
レイアネーテが忠誠を誓うのは魔王であるが、レイアネーテにとっての恐怖は、このバゼルバイトであった。
「レイアネーテ。陛下がこう仰っている以上咎めるつもりはないが……お前は人間を裏切った側だという事を忘れてもらっては困るぞ?」
「あはは……はい。気をつけます。派手に動いて女神さまに目をつけられても困りますしね」
「そういう事だ。幸い迎撃準備は整いつつあるが、だからとて女神と戦い疲弊するのは避けたいのも事実だ。陛下を苦痛から解放する為にも、我々は勇者一行と事を構えずに済むよう立ち回らねばならん」
「気をつけます……」
見るからにしょぼくれた様は怒られしょんぼりする犬のようで、魔王は「やはりレイアネーテはこうでないと」と、どこか癒しのようなものを感じていた。
そしてメロウドは言うと……そんなレイアネーテに「変わらないなあこの人も」と、諦観。
多分、レイアネーテの精神年齢はもうずっとこのままなのだ。
自分と同じようにはならないのだ、と、それを追い越してしまった自分に残念な気持ちになる。
(他の皆も仲間になってからは全く変わらないっていうし、僕だけなのかな……魔人になってから精神的に大人になったのって)
かつて、この世界に来たばかりの頃はまだ子供だった自分が、しかし今ではすっかり大人の……それも彼のよく知る「ダメな大人」と同様の、諦めと後悔ばかりしている精神に育ってしまっていることに、若干の焦りを覚え。
そうはなりたくないとばかりに首を振り、メロウドは「それはそうと」と、話に区切りをつけてゆく。
「報告、してもいいですか? 陛下」
「ああ、もちろんだとも。そのために来たのだ、聞かせてくれ」
この場を収めるならば、誰よりも重く誰もが言う事を聞く魔王が一番に決まっていた。
だから、メロウドは敢えて魔王に話を振り、了承を得て、そして話を始めてしまう。
「例の異世界人……『カオル』ですけど、彼は瞬く間に大陸の各地に『人助け』という考えを広めていきました。出した本は三冊目。これが飛ぶように売れていて、彼自身が行った事もない様な街にまで、彼の影響が出ているのだとか」
「そうそう、そうなんですよ! 特にエルセリアなんかだと、若い女の子とかがボランティアーとか言いながら清掃やお年寄りの手助けしだしたり、それを見て男の子が女の子の気を惹こうとそれを手伝いだしたり、ブームになってしまってるみたいで」
「人助け、なあ。いや、それそのものは昔からあった考えだとは思うが、彼のそれは従来のものと違うのか?」
「方向性は一緒ですよ? ただ、それが結果的に自分にも返ってくる、つまり利己の為の人助け、という面が強くて、今までの漠然とした『助けたいから』というよりは、いずれの自分の為の保険のようなものらしくて」
従来、人助けというものは多く、教会や孤児院、衛兵隊などが限定的に行うものがほとんどであった。
個人による人助けもない訳ではないが、大体の場合身内や近しい相手に限られたもので、「誰でも助ける」という公共性はほとんどないものばかり。
なので、カオルの立ち上げた人助けギルドという形から始まった『新しい形の人助け』は、それまでにない文化的影響を及ぼそうとしていた。
「これのおかげで、行政が街に割くリソースが大分抑えられるようになって、国がその活動に好意的になったんです。結果的に、エルセリアでは人助けが推奨されるようになって、それに参加した国民全体の民度が上がって、治安や経済的な余裕も増していったようで」
「困った者が助けられれば心の余裕が生まれやすくなり、民度が上がれば自然、犯罪は減り、犯罪者によって不利益を被る者も減る事で経済も正しく機能する……一見して理想的な流れだが、不自然でもあるな?」
「本来ならそんな都合よく人助けしようなんて思いませんからね。利他的な行動なんて、一番自然に反する行動ですから」
「特定の個人ならともかく、大勢がそのような行動をとるのは、確かに不自然ではあるが……それが自然に起こるというだけの、影響力があるという事か」
バゼルバイトの問いに、メロウドも一旦頷きはしたが……同時に魔王の解釈にも頷いて見せ、「そうなんですよね」と、同意した。
尚レイアネーテは難しい話に突入した為始終クエスチョンマークが頭に浮かんでいる。
「カオルの影響力、とりわけ出版した本の影響がすごいんですよ。今までの異世界人だって、政治家になったり国の中枢に入ったりで影響力を行使しようとした人はいたけど、そういう人って大体は自分の力を過信してて、影響範囲はあんまり視野に入ってないんだけど……彼は、この世界で一番影響力を広げる方法を使ってますから」
「本の情報伝達・伝搬効果は侮れんからな……これが広がることで人類が近場だけでなく、遠方にまで文明を広められたのだ。今の時代においても、マジックアイテムや魔法の類を除けば最適解ともいえる手段だろう」
「勿論それだって、ただの異世界人ではここまで成功しなかったんだろうけど……彼は、エルセリアの『英雄』らしいから」
そう、英雄なのだ。
これがこの世界において、これまでの異世界人と最も違う面であった。
彼は、自分の影響力を発信する前の段階で、すでにある程度、それも大陸を代表する国家間において英雄として名が知れていた。
だからこそ、彼の発信する情報には説得力が生まれる。
彼自身が宣伝などせずとも、彼を知る、一般とかけ離れた立場を持つ者達が彼を肯定すれば、それが本の宣伝となり、本の内容が真実であると、意味あるものであると肯定しているようなものなのだ。
そして、彼のシンパともいえる者達は、ほかならぬ大国の王族であったり、貴族であるのだから。
当然その関りで各国の王侯貴族や流行に敏感な者達は、こぞってその情報を取り入れようとする。
時代は未だ多く船と馬車で流通が回り、兵器も艦砲と大砲、武器に至ってはようやく短銃が出回り始め、剣と魔法の時代に終わりが見え始めてきた頃合である。
その世界で、本一冊で大陸中に情報を伝搬する英雄が居たとしたら、世界はどうなるのか。
それが、彼らの目の前に広がる、今の世界である。
「彼は本の中でこう書いています。『人助けは人の為じゃなく、いつかの自分の為にやるものなんだ』って」
「それが、今大陸中に広まっている、と」
「そうみたいです。そう、これが今までにない、『利己的な人助け』。いつか自分が何かを得られるように、いつか自分が困ったときに助けてもらえるようにする、大陸中の人間の新しい日課。当たり前」
「……人間の生活を一変させる概念を、一人の異世界人が生み出したか」
その発端こそは彼の妻が生み出したものではあるが。
実際に運営されたギルドの方針、そして人々を利己的な人助けへと走らせたのは、まぎれもなくカオル自身の考えが反映されたものであった。
それを思い、一同、恐ろしげなものを思い浮かべてしまう。
「かつて、これほどに世界に影響を与えんとする異世界人は、見たこともないな」
「ええ……陛下に関することを除けば、私も……しかし、喜ばしくもあります」
「ふふ、かつてのお前の望んでいたことが起きようとしているな? だが、それはお前の望んでいなかった方法によってだ」
「はい。できることならば、この世界の民自身がそうなってくれればと思っておりました。自らの力で。他者に頼らずに」
過去の話ですが、と自嘲気味に目をつむり。
しかし、まんざらでもないとばかりに口元は歪んでいた。
「メロウド、レイアネーテ。お前たちから見て、このカオルという異世界人……どう見えた? ありていに申してみよ」
「㒒にしてみれば、とても怖い人だと思うよ。この人が道一つ間違えたら……まかり間違って僕たちみたいになったら、いや、なれなかったら、世界は破滅してしまうかもしれない」
「……歪み果てた末に、世界の敵になってしまうかもしれぬか。あの男のように」
「彼はあまりにも影響力が強すぎるんだ。なのに……なのにどうしてか、普通の人みたいに見えた。笑わないでほしいけど、僕には彼が、僕らと大差ない歳の人に見えたんだ。元の世界での、ね」
普通の人に見えるのに、自分とそう大差ない子供のように思えたのに、そんな人間が、絶大な影響力を背負って英雄なんてやっているのだ。
そんなの、危うげに見えないわけがない。
メロウドの危惧は、バゼルバイトの抱いていたそれとそう違いはなく。
故に「そうか」と、噛みしめるようにその言葉を受け入れていた。
「でもでも、私はすごい人だと思いますよ! 私、以前ラナニアであの人と会いましたけど」
「例のラナニアの魔人とやらとの戦いに巻き込まれた、哀れな旅人だったか? 大した偶然よな?」
「あはは……そうなんですよね。私も、彼が元気にやれてるようで安心したというか、嬉しかったというか」
「嬉しい、なあ。例のギルドの件といい、随分と肩入れしているようだ」
「肩入れというか……ある意味、私のいた世界の理想だったというか。『こうなったらいいなあ』っていうのを、結局誰も実行してくれなかったのを、この世界でやってくれてた人ですから」
自分すら、それができなかった。
それをやってくれた。だからレイアネーテは嬉しかったのだ。
まだまだ人間も捨てたものではない。そう思えるくらい、立派な行いのように思えたのだ。
「だから、彼の行動が私達と、陛下のお邪魔にならない限りは、応援したいなあって、思ってしまっています……あっ、もちろん裏切るとかそういうんじゃないですし、敵対するなら容赦しませんけど! しませんけど……彼の姿勢は、とてもすごいことだと思うので」
「お前が裏切るなんて微塵も思ってないから安心していいよ。だがそうか……それだけ立派な人間が居たのだな。いや、居たかもしれないのか、過去にも。気づけなかっただけで」
バゼルバイトではなく魔王からの言葉に、レイアネーテも目を輝かせ「そうなんです!」と全力で乗っかる。
相変わらず調子に乗りやすい性質ではあるが、だが今回ばかりはバゼルバイトも止める気が起きないのか、静かに流れに身を任せていた。
「……よし、バゼルバイト。お前には止められていたが、やはりこの案、通そうかと思うぞ」
「陛下が決意されたならば、私はただそれに従うまで……どうぞご随意に」
「うむ……メロウド、レイアネーテ。お前たちに、新たな命がある。これはとても重要なものだ」
魔王とバゼルバイトが互いに顔を見合わせ。
そうして、二人の魔人に新たな指令が下された。