#2.友人たちとの再会
ギルド支部への顔出しが終わった後は、カオルは、その地域の知り合いに挨拶に行くことを決めていた。
まず真っ先に尋ねたのは地域の長である町長で、こちらは以前より目に見えて生気に満ち溢れていた。
特に困ったこともなく、また幽霊騒動の解決や観光地化の話を聞き、以前出て行った住民もまた戻ってくる者も出始め、町に活気が戻りつつある事に喜んでいたので、カオルも一安心である。
次に顔を出したのは、『海鳥の止まり木亭』。
以前ニーニャに訪れた際には拠点として宿泊していた宿屋だったが、今では女主人ハーヴィーは結婚して町を出てしまい、切り盛りしているのはまだ幼い妹のリシュアだった。
ただ、こちらも町に人手が増えてきたおかげもあり、時折ギルドに手を借りるものの概ね回せるくらいにはなっているらしく、リシュア自身、姉のいない寂しさなど感じる暇もないくらいに忙しない日々を送っているらしかった。
「姉さんからは毎週手紙が届きますが、最近になって赤ちゃんができたとか。相手の方にも大切にされているようで何よりです」
「へえ、相手の人って、やっぱ元々町に住んでた人なのかい?」
「いいえ、中央の領土なしの貴族様ですね。王都にお屋敷を構えているのだとか」
「おおう、すげえな……どういう出会いだったんだ?」
「もう十年以上前でしょうか、たまたま親子で国内を旅行していた時にこちらにお泊りになって。それで、相手の方もまだ幼かったのですが、ご両親ともども姉さんのことをいたく気に入ってしまったらしくて、『ぜひとも我が家に』と」
「なるほどなあ。まあ、綺麗な姉さんだったもんな」
「はい! ですから、姉さんも粗相がないように、少しでも貴族の奥方らしい振る舞いができるようにと、時々講師の方がお客様として来ていただけていたらしいです。姉さんが結婚する前に教えられたんですけど」
おかげで今では何の恥じらいもなく貴族の奥様なのだというから、元宿屋の娘としてはとても頑張っているはずであった。
ハーヴィーの、時折見せる優雅な振舞いの意味を理解し、カオルも「なるほどな」としきりに頷く。
「私も、一緒のお屋敷で暮らさないかって誘われてるんですけど……私には、両親が遺してくれたこの宿屋がありますから。それに、何かあった時の姉さんの帰れる場所を残しておかないと」
「リシュアはほんとお姉さんが大事なんだな。立派だぜ」
「えへへ……まあ、私は姉さんみたいに愛想がそんなによくないですからね。貴族様みたいな暮らしは、きっと無理ですよ」
姉の事を大事に思っている気持ちは変わらずに、それを褒められて照れながらも、貴族として暮らすのは難しいと考えてしまう。
それはそう、一般人にしてみれば、貴族などその生活すら想像もつかないのだから無理もなかった。
だが、カオルは知っていた、貴族も、そこまで町で暮らす民と違いがないことを。
「まあ、多少生活に違いはあるけどさ、同じ人間だから、案外同じだよ」
「そうなのですか……? お客さんは、以前来た時もそうでしたが、今ではより、博識になってらっしゃいますね」
「そ、そうか? はは……まあ、色々旅したからな」
「ギルド本部のマスターさんですもんね。私、お名前を聞いてびっくりしちゃいましたもん。『あのお客さんが?』って」
「ま、今後とも頼むぜ」
「はい! 支部の方々にはお世話になってますし、お泊りやご宴会の際には是非、『海鳥の止まり木亭』に!」
まだまだ幼さを残してはいるものの、リシュアはもう、立派な宿屋の女将となっていた。
何の心配もない。そう思わせてくれる、力強い笑顔。
はきはきとしたその受け答えの良さに、カオルだけでなく、後ろで見ていただけのクラウンも自然、口元が緩んでしまっていた。
『おや、見覚えのある方がいらっしゃいましたな?』
町の漁協など、世話になった人たちに挨拶しながら次に向かった先は、波止場だった。
船幽霊騒動の際、部下たちが浄化されていた中、一人だけ残ってしまった旧海軍提督・アルメリス。
今も尚変わらぬ様相で、不安定な出で立ちのまま安定して港に残っていた。
「提督、元気そうで何よりだぜ」
『ははは、見ての通りの有様ですが、私は元気と言えるのでしょうかな?』
「そうだと思うが。何か問題でも?」
『そうですなあ……問題ではありませんが、少し前に、気になる御仁がここに訪れましてな』
「気になる人って?」
『その方はちょうど一年ほど前……カオル殿が結婚したという辺りに訪れて……ああそうそう、ご結婚おめでとうございます、ずっと伝えたかったのですよ、祝意を』
「ああ、ありがとう」
話の途中で突然逸れて一年越しのお祝いをされ、カオルとしても嬉しい反面「今か」と苦笑いしてしまう。
いや、この提督ならばそれくらいはするのだ。
誠実で真面目で、礼には礼を以って応ずる海の紳士なのだから。
だからか、カオルも変に突っ込んだりせず「それで?」と、先を促す。
『その、結婚式に間に合わせるためだとかで、急遽姫様たちをお乗せになった船が……ただこれがラナニア海軍の軍艦でしてな』
「ああ……そういえば、そんな話もあったな。古代竜が南西に出たとか」
『ええ。その時ばかりは眠っていた我が部下たちが蘇りそうになったほどで……不穏な空気が流れていたのですが』
「そうなのかい? なんでだ?」
今一話のつながりが分からない。
カオルは首をかしげながら、幽霊提督を見やった。
提督は、周りを気にしたのか、周囲を見て……そしてカオルとクラウンしかいないのが解り、小さくため息ながらに「実は」と続ける。
『我が艦隊は……姫様の手前、あの時こそ「嵐にやられた」と申しましたが、実際のところは、グラチヌス海軍を撃破した直後、疲弊したところをラナニア主力艦隊による奇襲を受けた為に壊滅したのです』
「それじゃ……提督たちにとってラナニアは……」
「歴史が、変わってしまう……」
後ろに控えた執事すら、黙っていられないくらいの衝撃の事実だった。
クラウンは自分で口にしてからはっとそれに気づき、「申し訳ございません」と、黙っていられなかった非礼を詫びる。
だが、無理もないことだとカオルも思った。
それまでの歴史において、大戦時にエルセリアとラナニアは、睨み合いこそすれ一度も戦っていないことになっていた。
これがもとで終戦直後から、多少溝があろうとも友好国として付き合えていたわけで、実はラナニアがエルセリアに攻撃を仕掛けていた、などと知れれば当然、その前提からして崩れることになる。
だからといって今の時代にその友好関係が無くなるとまではカオルも思わなかったが、レトムエーエム戦の戦中戦後、エルセリアがラナニアを助けたのは間違いようのない事実で、その上で歴史の上でまでそのような負い目があれば、両国のパワーバランスは著しく傾いてしまう事にもなりうるとは思えたのだ。
「それは……提督、黙ってくれててよかったぜ」
『ええ……私自身、今の時代に、戦中の私達の事を理由に不和になられては辛いという気持ちがありました。ですので、墓の中に持っていこうとは思ったのですが……その、訪れてきた方の中に、その時我々を襲撃してきた艦隊の提督を祖父に持つ、という方が居りましてな』
「爺ちゃんがラナニア艦隊の指揮執ってたって事か。そりゃ、複雑な……」
『ええ、複雑なのですよ。聞けば、その祖父殿は我々との戦いに勝利したことに誇りを以って報告したというのに、国はそれを不都合な事実として隠蔽し、「エルセリアとの間に戦いはなかった」という扱いにしてしまったのだとかで』
「あちらとしても、その戦いは不都合だったわけか」
その不都合な、あってはならない戦いの所為で、提督とその部下たちは死んだのだ。
やるせないものがあるよな、と、カオルも小さくため息をつく。
提督も苦笑いであった。
『その、孫の方が言うのですよ。「彼らは命を賭して戦ったというのに、何故それを認められないのか」と。「今でもそれが納得がいかないのだ」と』
「まあ、お孫さんからすれば、自分の爺ちゃんたちの頑張りや犠牲が無駄になったわけだからな……でも、それを提督に言うのか? 言ってみりゃ、被害者みたいなもんだろ提督は」
『ははは……まあ、済んだことではありますが、かつての私ならば……彷徨っていた頃の私なら、迷わず部下に撃てと命令してしまったでしょうな。話を聞いてみて、あちらとしては我々がラナニアに攻撃を仕掛けようとしているように思ったから、迎撃に出たらしいという話なのですが』
「あっちはあっちで侵略されると思ってやっちまった訳か」
『上からは止められたらしいですけどね。でも、「国の為に」という気持ちで戦った者を……笑ってバカにする気にもなれませんでした』
提督と三人、海を眺める。
海は変わらぬ。
だが、海の向こうにも人が居た。
海の向こうの人たちにも、暮らしがあり、人生があったのだ。
自分達と同じ、人生が。
『彼は迷っていたようでした。戦いに勝つこと以上に大事なこともあるのだと、私はそう聞かせて……彼は、何かに納得がいったようでしたな』
「戦いに勝つこと以上にって、どんな?」
『大事なものが、幸せに在る事。ただそれだけですよ。守りたかった者が無事ならば、戦う者にとってこれ以上などないのですから』
「……あのシーン見たら、無事に生きて帰れるのが一番だと俺は思うけどな」
『確かに。ですが私には、我々には、それは叶わなかったですから……それが得られた彼らは、とても幸せなはずなのですよ』
自分たちは生きて帰れなかった。
けれど、彼らは生きて帰れたのだ。
そうして、不満に思いながらも孫との日々を過ごせたはずだった。
それは、無念に思う事こそあれ、幸せな日々のはずだったのだ。
『幸せとは、気づこうとしなければ得られないものなのかもしれません。すぐそこに在るのに、当たり前に得られてしまうから、それに気づけないのです』
「……そっか」
『私は、そんなことに……死んでから気づいたのですよ。沢山の部下の、当たり前の幸せを奪ってしまったのだと』
「提督自身も、後悔してるのか」
『提督としての私には何ら後悔はありません。ですが、人としての私は……消えることのないこの苦しみを、永遠に感じ続ける事でしょう』
それこそが残ってしまった意味なのかもしれないですから、と、提督は続け。
しばし三人、無言のまま海を眺めていた。
変わらぬ海。
けれど、世界は変わりつつあるのだ。
(幸せは、気づこうとしなければ気づけないもの……)
提督の言葉が、カオルの胸に、大きく反響し続けていた。
それは、かつての自分に向けての言葉のように思えてしまったのだ。
何一ついいことのない人生を送っていた自分は、果たして本当に何一ついいことがなかったのだろうか、と。
両親は元気で、自分は怒られながらも親から愛されていないわけがなかった。
怒られるのが嫌で嫌で仕方なくて、失望されるのが辛くて、ダメな子だと思われるのが悲しくて。
やるせない気持ちになるから、虚しくなるから、できる人と比べられてしまうから、テストの度に憂鬱になった。
けれどそれは、気づけなかっただけなのではないか。
今でこそ感じられる幸せは、本当に、あちらでは得られなかった幸せだったのだろうか?
幸せは、もしかしたら、得ようと努力していれば、いとも簡単に得られたのではないだろうか?
――この世界じゃなければならなかった理由なんて、本当にあったんだろうか?
英雄になった彼だからこそ、そんな疑問が浮かんでしまった。
成功者だからこそ、幸せを得られた今だからこそ、努力が実っているからこそ思えた。
かつての自分は、本当に、今と同じになれなかったのだろうか、と。
疑問に思いながらも我に返り、「次の予定があるから」と提督に別れを告げ、最後の予定地だった場所へと向かう。
海岸沿いの小さな家。
その傍に、小さな墓標が立てられていた。
墓前には祈る様に膝をつく老人が一人。トーマスであった。
「……アリサさん、いつ?」
「つい先日でござる……観光客が訪れるようになり、ギルドの支部が建ち……町が発展する兆しが見え始めた中でござった」
彼が世話になっていたアリサ婦人は、既に深い眠りについた後だった。
手紙などでも知らされず。
これはひとえに、「老人の死など知らせたくない」と思ってのものか。
いずれにしても、カオルには寂しさを感じずにはいられなかった。
「ですが、苦しんではおられなんだ。す、と、夜眠りに入り、そのまま朝に、お目覚めになられなんだだけで……実に、楽に亡くなり申した」
「そっか……それはいい死に方だ」
「うむ……私も同じように逝けたらと思う。最も、我が手は血に染まり過ぎた……楽に逝くのは、いささか高望みやもしれぬが」
軍人として生きたトーマスは、民間人として生きたアリサ婦人と比べても、明らかに人の血にまみれた人生を送っていた。
ただ戦場で戦っただけではない。
城兵隊長として、城内の不正や問題に直接かかわり解決してきたからこそ、その手は常人ならぬほどに穢れていたのだ。
だが、それはカオルには、格好いいとすら思えていた。
「トーマスさんは、格好いいぜ? やろうとしたことをやり続けて、沢山の人を護ったんだろ?」
「ほう……そう言っていただけるか。それならばこの老骨も、少しは救いがあるというものだが……だが、この年になり、一線を退き、アリサ殿を助けながら生き……その死を目の当たりにすると、な。いくらかは、考えさせられる」
彼にとっても、人生というものを振り返る機会だったのだ。
アリサ婦人との短い共同生活。
それでも、トーマスにとっては数少ない、家庭というものだったのだ。
「子でも作れば、あるいは何か違う人生を歩んだのかもしれぬ。だが私は、国が為民が為、そして姫君が為……アリサ殿の為、生きて参った。人ならば、孫かひ孫が為生きてもよい歳じゃ……」
「トーマスさんは、結婚とかしなかったんだってな」
「ああ。若輩の頃はご婦人がたと関わるは、どこか気恥ずかしさもあり……母からこれという娘を紹介されたりもしたが、『今は軍務が忙しいので』『いつ死ぬかわからぬこの戦時に妻など娶れぬ』と先延ばしにし続け……思えば、親不孝な息子であったと思う」
それは後悔なのか。
否、あくまで過去を振り返っての言葉に過ぎなかった。
その証拠に、トーマスの表情には微塵も悔恨を感じられず。
ただ、懐かしむように……少し、寂しそうに語るだけなのだから。
「トーマスさん。ギルドに入らないか?」
「人助け、か。私のように老いぼれが参加しても、と、見守るのみにするつもりであったが」
「貴方なら一線でやれるだろう? オーガやドラゴンを倒せるくらい強いんだから」
「くくく……ここで暮らすようになってからも、素振りだけは忘れておらんがしかし……流石にここにきて、老いが見え申した」
それでも、そう言いながらも、トーマスは揺らぎなく立ち上がって見せ。
そして、自信ありげな、にかりとした顔を見せていた。
カオルも、だからトーマスの言う事が解っていたのだ。一見拒否するかのようで、しかし、違うのだと。
「――この老骨でも、役に立てる場があるならば」
「存分に力を奮ってやってくれよ。色々若い奴らに教えてやってくれ。そして、貴方の持ってるものを、皆に受け継がせるんだ」
「後継が……そうですな。私が今まで身につけたもの。見知った事。沢山の事を、これから――多くの者に」
「お年寄りにだってできることはある。でも俺は、トーマスさんがそんなしょぼくれるとは思ってないけどな! 死ぬ寸前まで剣振るって大暴れしてそうなイメージあるぜ」
「くかか……そう言ってもらえるなら、期待には応えねばなぁ?」
もう、老いに老けこもっていた老人の姿はそこにはなかった。
今カオルの前に立つのは、かつてカオルが知る老兵としてのトーマス。
城兵隊長として初めて会った時の、あの威厳溢れる漢の姿だった。
これで、ギルドはますます盛り上がるだろう、と。
カオルは心強さを感じながら、「来てよかった」と、心の底から喜んだ。
こうして、その日のうちにカオルたちはニーニャを発ち、次の目的地へと向かう。