表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘つき女神と0点英雄  作者: 海蛇
15章.新たな人生の果てに
269/303

#7.狂い果てた世界は予定調和を始める


 戦いにすらならなかった瞬間があった。

渇望の塔。

かつて悪魔となり、正気を失っていたベラドンナが、子供をさらい、助けに来た衛兵らを殺戮した場所。

ベラドンナにとって辛い場所であったが、ここで老商コルルカの正体を確かめるつもりであった。

問い詰め、場合によっては……そう考えていたのに。


(どう、して……?)


 気が付けば、ベラドンナは地に伏し、何もできずにいた。

そもそもおかしいのだ。

崩れ去り、再建され、今は衛兵隊の管理の元、監視所となっている場所なのに。

何故ここは、こんなにも、かつての自分がいた時の塔と同じ様相なのか。


「――お主は、とても悲しい思いをしたのであろう?」


 声の主――コルルカは、姿すら見せずに語り掛けてくる。

だというのに、ベラドンナは答えられない。


「この塔で、幾人もの衛兵を殺した。幾人もの赤子を自らのモノにしようとした。失った、我が子のように」

(やめて――)


 思い出したくない過去。

受け入れなければならない罪。

贖罪していたはずの、解っていたはずの過去が、自分の胸を激しく締め付ける。

苦しい。痛い。辛い。悲しい。

思い出させないで欲しいと、声の主に叫びたいのに、何も言う事ができず、現実を直視させられる。

目の前の光景は、過去のそれ。

正気を失い、愛する人と我が子を失った悲しみに耐えられず、現実逃避しようとしていた自分が、塔に君臨していた。


「もしあの時、カオルが来なんだら。お主は未だに、あの(・・)大魔導士めの掌で操られていたか……あるいは今頃は奴が目的を果たし、この辺り一帯は奴の盟友たるシャリアシャギアに滅ぼされていたかのう……いずれにしても使い捨ての駒か」

(大魔導士……? シャリアシャギアというのは……)


 君臨していたのも束の間、自分の見知った青年が……現れず、別の男が現れる。

他の幾人かの衛兵を引き連れて。覚悟の表情であった。


(あれは……イワゴオリさん? それに、その後ろにいるのは衛兵隊長になった――)


 そう、自分が倒れた後に来たのだという兵隊さん、そして現カルナス衛兵隊長らであった。

そうして戦いが始まる。

圧倒的な速度で次々に衛兵らを倒していく自分、けれど、一人だけ倒れなかった。


(あ……っ、私は、わたしは、カオル様がいなくても、この場で……?)


 激戦の末に討ち取られ、助かることもなく、首を切り落とされて死んだ。

死んだのだ。自分が。目の前で。


「ああ、やはりそう(・・・・・)か。やはり、お主も歪められたのか。人知れず死ぬ定めにあった者が、生き延びてこの世に影響を残す……世界がまた、どんどん狂っていくのう」


 何がやはりなのか。

この老人が何を言っているのか。

ベラドンナには分からないまま、けれど、よくないもののように感じられた。

これはそう、まるで死すべき運命にあった自分が、生きているのが間違っていたのだと言わんばかりに。

不思議とそれが、当たり前なのだと受け入れてしまいそうになる自分に気づけたのだ。


(私は……本来は、こうなるはずだったのでは……? なんで? なんで私はそんなことを……)


 救われたはずなのに。

カオルの手で救われ、親友たる聖女様の説得で心を取り留めたはずなのに。

人としての生を、悪魔でありながら取り戻したはずなのに。

なのにどうしてこんなにも、それが間違っていたかのように思えてしまったのか。

老人の声が、胸をどこまでも締め上げる。

呼吸が、できないほどに。


「ベラドンナと言ったか? ワシはな、お主にいくばくかの恨みも抱いておる。お主のおかげでワシの好きな祭りが危うく流れかけた。まあ、これはあの大魔導士の仕掛けた陽動か何かだったのだろう。アレもこの世界には相当に鬱憤がたまっていたらしいからの」


 それは、ベラドンナからしてみれば唐突に感じる、そんな独白だった。

祭りが阻害されていた事、それそのものはベラドンナも自覚があったが。

だが、そんなことからの恨み言を聞かされるとは、思いもしなかったのだ。

この場で、この場面で。この老人がそんなことを呟くことそのものが、違和感しかない。


「だが……お主はいささか、都合が良すぎたな。頑張り過ぎた、という事じゃ」

(がんばり、すぎた……? 私が? いったい、何を……?)

「もう少しあ奴の……カオルの足を引っ張りでもすれば、こんなことにはならなんだというに。お主は使い魔として、少しばかり便利過ぎた。だから、カオルは地位を得すぎたし、幸せになり過ぎた……」


 一体何を言い出すのか。

困惑が支配していたが、同時に、その声に、今までにない重み、そして憎しみのような感情が込められているようにも感じられ。

何故そうなるのか、なぜそんな気持ちを込めているのか、気になってしまう。

身体は動かない。けれど、心は動いていた。


「のうベラドンナ。お主にも経験があろう? 幸せの絶頂とはどこにあった? 結婚した瞬間か? それとも子供ができたと気づいた時か? あるいは……それを夫に話し、ともに喜び合った瞬間か?」

「それは――」


 声が出せた。

ようやくにして、絞り出すように。

けれど、それまで自身にかかっていた重しが消えたように感じた。

そうして、立ち上がれる。

立ち上がり、視線が上に向き……老人が、宙に浮いていた。

自分を見下ろすように。けれどその視線は、自分を見てはいない事にも気づいた。


「……夫に、あの人、『よくやった』と、褒められた瞬間。あの時が、今の私の人生で一番、幸せを感じた瞬間だったように思えました」

「ほう」

「けれど今は、カオル様とサララさんの結婚を目にすることが、そしてお二人の幸せを見ることが、それに並ぶ幸福であるように感じられるようにもなりました」

「そうかそうか」


 ようやくにしてまともに返答でき。

それを聞いて満足そうに頷きながら、老人は「ならば」と杖をとん、と宙に打つ。


「――っ!?」

そんなもの(・・・・・)はなかった世界は知っておるか? 例えばお主がカオルと出会わなかった世界。カオルが居ても、サララちゃんと出会わなかった世界。あるいは、お主とは関わることなく、二人が元の村で暮らし続けた世界」


 不意に、視界に入るあらゆるものがブれ、変わってゆく。

風景が、空気が、感覚が、そうして世界そのものが歪み、変わり果て。

そうして、目の前で自分の知る猫獣人の少女が、見知らぬ少女の一団と出会うところだった。

死に絶えた賊の群れ。たまたまこれを蹴散らした勇者一行が、たまたま見つけた猫獣人の娘を、人へと戻した瞬間だった。


 そうかと思えば、村人の服を着たまま、のんびりと畑を耕しているカオルと、それを炉端で座りながら眺めるサララの姿が見えたり。

そうしてそれらが、次の瞬間には消え去ってゆく。

強大なドラゴンによって、すべてが焼き尽くされ、消えていく地獄。


「歴史など、所詮運命の女神の掌の中、という事か。あるいはそれすらも超越した人の業が故か。ワシにすらもう、訳が分からなくなっておる」

「……幸福は」

「うん?」

「幸福は、必ずや得られるものではありませんが」

「そうだのう? それで?」

「ですが……得ようという人の心は、いつだって報われてもいいのではないかと、私は思うのです」


 目の前の幸福ですら、かつての幸福ですら、たまたま(・・・・)そういう道をたどっただけだったというのなら。

老人の見せた光景を見て、それでも尚、敬愛する二人が幸せになって欲しいと願うのは、間違いだというのか。

そんなことはない。そんなはずはない。信じることくらいは、赦されるはずだから。

そう願うように、胸の前で両の手をぎゅっと握り締め、祈る様に目を閉じる。

そうして目を見開き、今一度老人の姿を見た。

老人は、笑っていた。

口元を歪め、いかにも愉快であるとばかりに。


「それも人の()よ。のうベラドンナ。幸福とは、誰もが欲し(こいねが)うものよ。だが、世の中にはどうしても、競合する願いを抱く者達も居よう。では、その競合した者達はどうすればよい? どちらかが譲るか? だが、どちらも譲れぬ願いを抱いたなら? ならば……戦うしかないのではないか?」


 幸福を願う事。

それは、人間の業そのものなのだとコルルカは(わら)う。

とん、と杖の先端が地に付き、再び世界が切り替わる。

それは、凄惨な戦場。殺し合いの場面。数多の命が散り、魂がうろつく地獄のような世界。


「かつての世界を取り巻く戦争がそうであった。最初ばかりは民の為人の為皆の幸せのために立ち上がった者たちが、互いに引くこともできずやめることもできず、延々殺し合い続けて千年近くよ。合間合間に古代竜が大暴れし魔王が復活し魔人が暴れ悪魔が暴れ、幾万幾億もの罪なき命が散っても尚、少し前まで終わらせられなんだ」

「……それは、個人の願いが、集団を動かしてしまったから」

「そうだとも。個人の願いを、集団を動かす方便に使ったからだ。願った者だけがそう願うならまだよいが、その願いが多くの者を動かしてしまうと、そこに責任が発生し、そして義務が発生する」


 殺し合い続ける人間たち。

女子供も容赦なく死んでゆくのに、兵士らは顧みる事すらせず殺すことばかりに夢中になる。

それが、ベラドンナには直視に堪えず、つい目をそらしてしまう。

愛する人たちを守ろうとしていた者たちの、その実もう一つの姿が、そこにはあったのだ。


「為政者は責任を果たそうとする。それに従う者たちは義務のままに敵を殺す。そう、それは当たり前のことだ。当然のことだ。だから、何の罪悪感もない。何の後悔もない。敵を殺すのはそんなに難しい事か? 自分たちに害ある存在を蹴散らすことは、そんなに後ろめたい事か? そんなことはなかろう?」


 自分がそうだったから。

その言葉に反論することができなかった。

悪魔として暴れていた自分は、果たして何を以って相手を殺していたのか。

それは正気を失っていたからこそできたことだと思いはしたが、では、今の自分はどうだろうか。

例えばカオルやサララに害成す存在が現れたとして、それを敵とみなせるなら、自分は同じように相手を殺せてしまうのではないか。

相手から見れば、それは間違いなく、自分が正気を失っていた頃と同じことを、躊躇(ためら)いもなく。

けれど、そう思いはしても、ベラドンナはそのままは受け入れられず。

すぅ、と、深呼吸をし、いくばくか落ち着いた心持ちで、コルルカを見つめた。


「恐ろしい事よのう。口では善意を振りまき、街では人々の幸せの為生きていた者が、善人が、正しき者たちが、戦場では同じことを口にしながら、同じ手で同じ人間を殺して回る。ただ、求めた幸福が競合していたから、というだけでな」

「……貴方は、なぜそうも人の事、他者の事を、悪し様に語るのですか?」

「うん? そうか、お主にはそう聞こえるのか。お主はそんななり(・・)をして……そんな角や尻尾や羽を生やして、それでもまだ、善意溢れる人間なんじゃなあ」


 呆れるを通り越して感動するわ、と、まるでそんなことを感じさせないような表情で飄々と語り、そうして何もない空間に腰掛ける。

腰掛けた直後、椅子が現れた。

自分の後ろにもそれが現れ、まるで腰掛けろと促されているように気がして、ベラドンナは腰掛ける。


「ワシなは、究極、人間の事などもうどうでもええんじゃよ。疲れた。正直、人間が戦争をしたがりなことも、人を殺したがりなことも、犯したがりなことも、穢れたがりなことも、どうでもよくなりつつあるのだ」

「……そんなはずはありません」

「そんなはずあるともさ。お主とは見てきた世界が違い過ぎる。お主はせいぜい生まれて30年も経っておるまい? そんな小娘が、世界の何を知った気になっておる? 人間の何が解る? 本質の一つですら、今しがたようやく気付いただけだというのに」

「それは……」

「のうベラドンナ。ワシは沢山見てきたぞ? 聖人面した男が、罪も何もない孤児を虐待していたこともあった。神の為だとか世界の為だとか言いながら戦場に出た村娘が、聖女だと称えていた戦士たちに戦況が変わった途端に裏切られて犯され戦犯にされ断頭台にかけられたこともあった」

「……」

「誰よりも愛された王が死んだ直後、その王が愛したはずの国を、国民が無茶苦茶にしたこともあった。素朴な者たちが皆で幸せになろうと立ち上げたはずの組織が、腐敗し信者を喰らうだけの俗物の集団に成り下がった時はなんとも悲しかったのう」


 絵空事に過ぎない、狂人の戯言。

そう切って捨ててしまえばなんてことのない、自分が見たことも聞いたこともない世界だった。

けれど、いずれも「そんなことあるはずがない」「そんなのはうそだ」と言い切れない業が、人間にあるのだとベラドンナは知っていた。

自国ですら、継承者問題に付け入られ王城が一時機能不全に陥っていた。

他国ですら、未だ内政に問題を抱えている国がいくつもあるではないか。

何故、それが起こりえないと言えようか。

何故、それがありえないなどと言えようか。

感情ならば否定できたことが、理性では否定できないことを、今更のように思い知らされていた。


「人は業の生き物よ。だが、個人である限り、その毒が世界を穢すことはそうはない。だが、それが集団となり、国家となれば話は変わってくる。故に戦争は起き、未だに世界にその爪痕を残し続けておる。魔王らの話も、な」


 呆れた話よな、と、超然的な語りは締められ。

コルルカは、小さくため息を漏らした。


「大したものは求めておらんよ。カオルとサララちゃんはな、ワシにとって希望だった、だけじゃよ。もしかしたら、このくだらない流れを止め、静かな世界に戻してくれるのではないか、となあ」

「……カオル様、達に」

「そうじゃよ。だが、お主は少しばかり、都合がいい駒であり過ぎた。別にバカにしているのではない。有能すぎる。だから、カオルは出世し過ぎ、こんなにも、この大陸の名のある者達が、一か所に集まってしもうた」


 これが善くなかったな、と、苦笑いしながら。

ベラドンナの遥か後ろ、カルナスを見やっていた。


 直後、ボン、と、カルナスの一角が爆ぜた。

突然のことに驚きながら振り向き、そうして立ち上がり。

何が起きたのか理解するより前に、身体はカルナスへと飛ぼうとしていた。


「無駄じゃよ」


 けれど、そこまでだった。

塔から出られない。魔法も使えない。

びたん、と、壁のようなものに物理的に阻まれ、抜けることができない。


「貴方は……貴方は、いったい何をっ!? カルナスがっ、カルナスがこんな――」

「ワシは何もしとらんよ? 強いて言うなら……これ以上カオルが、カオルとサララちゃんが人々に知られることのないように、その活躍の源泉たるお主を、この塔に封印しようとしているだけだからのう」

「封印……っ! 貴方、最初から――」

「ま……こんなことになればこうなるかな、とは思っておった。安心してええよ? お主が居らなんでも、あの場には勇者御一行が居るからな。あんな程度の小物(・・)、瞬殺じゃよ。被害者すら出ないだろうな」


 余裕しゃくしゃくとでも言わんばかりにコルルカはカラカラと笑い。

けれど、すぐに難しそうな顔になる。


「ま、こんな風になるんじゃよ。カオルは。何をしても目立ってしまう。何をしても活躍してしまう。今のカオルはもう、何をしたって誰かが手伝ってくれるようになってしまっておる。それは人間として生きるには確かに便利なことも多かろう」

「……っ」

「だが、それは確実にカオルの人生において、マイナスとなる日が来る。英雄は、静かに生きることも許されぬ。争いの世ならば祀り上げられよう、混乱の世ならば信仰されもしよう。だが、平時においてその影響力は、あまりにも過大すぎる」


 必要のないカリスマが、世界にどのような影響を与えるのか。

そんなこと、ベラドンナには分からなかった。

ただただ誇らしいと。敬愛する人たちが、大切な人たちが幸せになれば、求めるままにやりたいことをやれれば。

そう思い、ただ役に立ちたいと、贖罪も込めて、そして自分が得られなかった幸せを、彼らには得て欲しいからと協力していただけだった。

けれど……それが、そのせいで、彼が目立ち過ぎたのだとしたら。

彼が、目をつけられてはいけない者達から、目をつけられてしまったのだとしたら。


「世界はもう、カオルを中心に動き始めてしまっておる。王族も勇者も魔王も女神ですら、カオルという特異点を中心に動くようになってしもうた。まっこと恐ろしいものよな。ワシですら既にどうにもできんほどに、あのカオルという少年(・・)に惹かれてしまっておるのだ」

「カオル様が、中心に……? カオル様は、一体なぜそんな――」

「くくく……分らんよ。ただ確実なのは、この世界ではもう、魔王は魔王として暴れることはなかろうという事、そして、勇者という、哀れな女神の被害者が、被害に遭うことなく還るであろう事、かのう」


 カオルが居たから。目立ったから。

ただそれだけで、世界は変わる。変わった。

それは、果たしてこの老人と比べてどうだろうか。

この老人は、確かにカルナスで魔力らしきものを撒いていたように感じられた。

何かを改変していたように思えた。

けれど。

けれど、果たして自分の主人と比べ、それはいかほどの意味がある事だろうか。


「世界は変わった。だが、世界はまだ、元の流れに戻ろうともがいおる。本来の流れに戻そうと、無理やり役者たちに『元の役に戻れ』と告げ始めておる。後はそう……役者らがどれだけ、自分たちの求める役を演じられるか、じゃな」

「それ次第では、貴方の知る、酷い結末があるという事ですか?」

「かっかっかっ、そうなるかもしれんなあ? あるいは、もっとひどい末路が待っているかもしれんぞ? 何せ、カオルが居るこの世界など、ワシは今まで一度たりとも観たことがない。アレは面白い男よのう。間違いなく劇薬じゃが」


 ふう、と、深く息をつき。

だが、その表情はようやく口調に見合った、楽しげなものとなっていた。


「だが、その劇薬のおかげで、この争いごとばかりの、竜やら魔人やら魔王やら悪魔やらが人間に混じって殺し合いばかりしておる世界が、少しはマシになるかも知れぬ。そんな期待も抱かせてくれる……いや、それを彼に願ってしまうのは、酷なことのはずなんじゃが、な」

「貴方自身は、カオル様にそれを願っていない、という事ですか?」

「ここまでは願っていなかった、というのが正しいのう。これ以上は、カオル自身の為にならぬ」


 もうやめてほしい。

そう願っているように感じられ、ベラドンナは初めて、この老人が悪意などでなく、むしろ善意でカオルの事を語っていたことに気づいた。

そう、彼は彼なりに、カオルの味方となっていたのだ。

魅せられたかのように。自分と同じで。


「のうベラドンナ。物語には主人公というものが居るだろう? それは多くの場合英雄であったり勇者であったり、あるいは何の事もない村人や街人であることもある」

「……?」

「そうわからぬような顔をするな。簡単な話じゃよ。今のこの世界は、本来の主人公が居るにもかかわらず、別の主人公によって乗っ取られておるのだ。その乗っ取った側の主人公が、カオルよ」


 わかりやすかろう? と。

あまりにもわかりやすすぎて信じられないベラドンナに、コルルカは笑いかける。


「主人公はな、とても強いのだ。世界を変え、人を従え、あらゆる困難に打ち勝つ。いかなり苦境も努力だの勇気だの根性だのでどうにかしてしまえる。あるいは運によってすべてを覆してゆく。まっこと理不尽よな」

「カオル様の努力は、本物のはずです」

「当然じゃ。だからこそ恐ろしいのじゃよ。だってそうだろう? 努力はそうそう実らぬ。正しい努力をしたって運がなければ勝ちを拾えぬ。万全を期したのに些細な行き違いで敗退することなど当たり前のようにある」

「……それは」

「努力しただけで、その努力が正しいだけで成功してしまえる……そんなの、誰にとってだって脅威だろうよ? 恐ろしかろうよ? 勝つための努力(・・・・・・・)でもさせたらどうだ? 魔王すら、女神すら倒せてしまうかもしれんぞ?」


 思い返せばそれはあまりにも上手くいきすぎていた。

けれど、信じるに値する、尊敬できる人だから、信じられた。

すごいと思えた。自分には歩めなかった、歩みたかった世界を歩んでいる人なのだから。

純粋に信じていた。無邪気に信仰していた。けれど、もしそれが、彼に与えられた役目なのだとしたら。

主人公という、役目に過ぎないのだとしたら。


「――そんなこと、信じたくはありません!!」


 けれどそれは、彼自身を冒涜していると思えた。

だから、ベラドンナははっきりと拒絶できた。

そんな事、信じられるはずがない。

あれだけ毎日頑張っている青年が、あれだけ毎日努力し、苦労し、苦悩し、苦しんで、泣いて、怒って、生きている人間が、そんな『役割』だけでその成否が決められているなど、なぜ信じられようか――!


「そうだろうのう。信じたくはあるまいよ。だが、実感もしておろう? 特別な、選ばれし存在のように思えてもいるのだろう? 長くそばにいたなら尚の事、その偉業は常人では成しえないことだとも理解しているはずだ」

「それは――」

「つまり、そういう事よ。ワシはカオルにはそこまで望んでおらなんだ。せいぜいが、街の英雄くらいでとどまってくれれば、この国を救う程度で終わってくれればと思っておった。何故だかわかるか? それで、十分だからだ」


 それ以上は過分であったと、コルルカは笑顔を消し、無表情となる。

まるで顔などそこにはないかのような色の抜けた顔で。

そうして立ち上がり、ベラドンナに背を向け、天を仰ぐ。


「物語には登場人物が居て、各々が役割を果たす。だが、誰しも空想することだろう。『もしここで死ぬ者が生きていたなら?』『もしもこの魔王が勇者と和解していたなら?』。それが今、ワシらの前に広がっておるのだとしたら……人の業は、どこまで世界を変え続けると思う?」

「変わってしまった世界の果てに、何が待っているのですか……?」

「何が待っておるんだろうのう? 人の身で、そんなことを知りたいのか? 知ったところで、何もできぬ絶望しかないというのに」


 笑う事すらバカバカしいとばかりに嘲り。

コルルカは、世界を見ていた。

変わりすぎてしまった、変貌したこの世界を。


「ワシはな。それ(・・)を幾通りも観てきたから、人間に呆れているのだよ」


 色を感じさせない顔のまま。

世界は白色となり、コルルカもまた、白に同化してゆく。

ベラドンナは見たのだ。そこに、人ならざる者を。

無数に集まる、宙を浮く金貨と宝石。

それが、人の姿から細長い……長大な竜へと変わる様を。


『人の業とは。幸せを願う力とは、まっこと罪深いものよな。ただ一組の恋人たちの幸せを願うだけで、世界が狂ってしもうたわ』


 変わり果てた世界を嘆くかのように、金貨と宝石の竜はカルナスの街を眺め、そうして、やがて消え去っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ