#6.祝福の時、そして
「病める時も、健やかなる時も、お互いに想い合い、お互いを大事に、お互いを尊敬しあう事、誓いますか?」
「誓います」
「誓います」
結婚式当日。
多くのゲストや参観者に見守られながら、カオルとサララの結婚式は始まった。
特別あつらえの金の紋章が誂えられた白いスーツの新郎・カオルに対し。
サララは、一般の新婦とは少々異なり、黒のドレスに純白のヴェールといった、猫獣人の伝統的な花嫁衣装で現れ、会場を驚きと感嘆に湧かせる。
「サララちゃん、とっても綺麗」
若い街娘が頬に手を当てながら感嘆のため息を漏らす。
「カオルも、随分立派な男になっちまって。格好いいじゃねえか」
年配の村男がそう言いながら、感極まり湿る目元を拭う。
その場の誰もが二人を見て喜び、二人の幸せな将来を信じて疑わない。
若い娘の黄色い声。
若い男の力強い声。
年かさのいった男女の、応援するような声。
年配の者たちの、昔を懐かしむような声。
いずれもが温かく、柔らかく、楽しげで何より、今日結婚する二人にとって、優しかった。
「ではお二人の幸せを、幸福な行く末を願い、互いの将来を祈り、神前でのキスをしてください」
「……」
「……っ」
互いに向き合う。
覚悟の決まったカオルに対し、サララはこの場において、かなり緊張してしまっていた。
恥ずかしいのだ。こうして顔と顔を合わせ、じ、と見られ、そして……そして、「本当にこの人のものになるんだ」と意識すると、途端に恥ずかしくなって、直視できなくなる。
「……? サララさん」
「あ、は、はい……大丈夫です」
「サララなら大丈夫さ」
いつまでも始めない二人に、聖女様が不思議そうに首をかしげたが。
その問いを以ってサララもなんとか覚悟が決まり、またカオルを見つめる。
恥ずかしい。けれど、これからはこれが当たり前なのだから。
静まり返った人々の前で、二人は誓いのキスをした。
にわかに湧き上がる聖堂。
そしてそのざわめきが伝導し、聖堂の外に集まった人々も湧き立つ。
声が、喜びの、祝福の、感動の、感激の、幸福の声が今、カルナスという街を包み込んだ。
「すごい、声」
「皆が祝福してくれてるのさ。皆が、な」
「……はい」
「幸せになろうな」
「……はいっ」
サララにとっては、これ以上ない相手だった。
ずっとずっと好きだった相手が自分をお嫁さんにしてくれる。
これ以上ない幸せだった。
だから、自分が受けた以上に幸せにしたいと、そう感じさせるくらいに頑張りたいと思った。
カオルにとっては、選択肢など最初からなかった。
こんな綺麗な女の子と一緒に暮らせて、一緒にいられて、好かれて愛されて。
結婚までできるのだ。
絶対に幸せにしたいと思ったし、絶対にこの日の事を忘れないようにしたいと、そう思った。
かくして新たな夫婦が生まれ、新たな幸せが芽吹き、新たな世界が始まる。
聖堂での式が終わると、今度は披露宴の始まりだった。
王侯や貴族ならば当たり前の披露宴だが、貴族でもない者がやるのはこの国でも最初の試みだとかで、聖堂の外に集まっていた人たちも、二人が聖堂から中庭に移動してくるや、さらなる歓声で出迎える。
「カオル様、シャリエラスティエ様、おめでとうございます……間に合ってよかった……!」
「カオルっ、サララちゃんっ」
そうして群衆を割って、ステラ王女と兵隊さんが現れた。
これにはカオルもサララも驚きで、互いに顔を見合わせ、そして満面の笑みになる。
「なんじゃお前ら、間に合わんと思っておったぞ?」
既にゲストとして、カオルらを後ろから見守っていた国王が愛娘らに皮肉の一つも聞かせるや、ステラ王女も「突然の事でしたので」と、申し訳なさそうに眉を下げる。
「帰路の海上にて古代竜に襲われまして……そのことはあとでお話しますが、勇者様御一行に助けられ、無事帰還する途中で郵便屋さんに報せていただいたのです」
「お、郵便屋さん間に合ってたか。よかったぜ」
「大変な旅路だったのに、急がせてしまったみたいですみません、ステラ様」
「いえいえ! 私も、パーティー用の衣装ではありますがお二方の結婚式に相応しいかどうか……こんなことがあるなら、結婚式向きの衣装も用意すべきでしたわ」
姫君の説明に、二人も心底驚いたが。
姫君と兵隊さんが無事なこと、何よりこの二人がここに来てくれたことが、カオル達には嬉しかった。
「――あらあら、ステラ王女だけじゃなくマークス王までいらっしゃるなんて。貴方は本当、大した人だったみたいねえ」
そうこうしている内に、更に別のざわめきが聞こえ、貴人の一団が現れる。
美しき青きバラの紋章の飾りを縫い付けたドレス。
ラナニアのリースミルム女王一行だった。
「ほほ……ラナニア公、来るとは聞いておったが、随分とゆっくりだったのう?」
「ええまあ、弟たちが私が城から出るのを嫌がってしまって。私はリーナだけ外に出すのは嫌だから、ついてきたかったんだけどね」
「弟らの説得に時間がかかった、と。まあ、それでも間に合っただけ大したものじゃがな」
「でも、マークス王がこちらにいらっしゃるなら、私達はむしろ邪魔になるくらいかしら?」
結果的にエルセリアとラナニアの王同士の会談が発生してしまう。
これにはその場の群衆も驚きが隠せず、「どうなってしまうんだ」とその後の式の流れを気にする声も聞こえ始めた。
だが、そんな不安も消し飛ばすように、カオルとサララが国王両名の間でにこやかに笑みを見せる。
「リース女王、きてくれてありがとうございます」
「本当に感謝してくれてる? 邪魔になってなければいいのだけれど?」
「邪魔だなんてとんでもないですよぉ。それに……リーナ様も」
「あ……はい。お二人とも、おめでとうございます」
姉の後ろに隠れてはいたが、リーナ姫も大人しめの衣装で控えていた。
「貴方がリーナ第二王女ですか。初めまして、エルセリアのステラ第一王女ですわ」
「あ、はい……はじめ、まして」
「私は初めてではないわね。お久しぶりね、随分大人びてるじゃない」
「はい、リースミルム陛下も……戴冠、お祝い申し上げますわ」
「そんなに嬉しい戴冠でもないけれどね。でも、ありがとう」
ラナニアに王女がいれば、エルセリアにも王女が在り。
当然そこに外交が生まれる。
王と王、姫君が二人並ぶ光景は中々に壮観であり、人々は「こんな光景夢みたい」と、歴史に残る光景を胸に焼き付けていた。
「いやあ、間に合ってよかったわぁ」
「本当なら宣言の時にその場にいてあげたかったくらいなんだけどね。そうすれば女神像じゃなく、私自身が祝ってあげるくらいなのに」
ロイヤル過ぎるゲストに負けないくらいに新郎新婦は偉大だったが、披露宴の場には、ひっそりと勇者一行も混ざっていた。
あくまで目立たないような地味な衣装で。
けれど、新たな夫婦の誕生を心から祝って。
「いやあ、いいねえ結婚式。私も、いつかはああなりたい」
「カオル君もサララちゃんもいい感じに新婚さんって感じだしねえ。でもほんと、間に合ってよかった」
「でもミリシャが来るとは思わなかったよ。いいの? 猫獣人の祝福とか。てっきりこないと思ってたけど」
「どんなに嫌っている種族でも、結婚式くらいは祝いますわ……あら?」
「どうしたのミリシャ?」
「あ、いえ……生き別れた姉様がここにいるような……気のせい、ですよね……あれ? あれぇっ!?」
同じく、隅っこの方でひっそりと祝っている一団もあった。
ラナニアの娼館、『偽りの花園』から、イザベラをはじめとして五名ほど。
マダムこそ来れなかったが、式の案内が届いて、祝いの為に駆け付けたのだ。
「カー君、すごい奴だったのね……」
「まさか両国の国王とかお姫様が来るような場だったなんて……ねえ、イザベラ姉さん、どうする?」
「あたしら、明らかに場違いじゃない?」
「だ、大丈夫だって。ほら、見た感じ村娘っぽいのもいるし、くたびれたおじいちゃんとかもいるし、見た目だけなら負けてないし!」
最初こそ他の群衆と同じで「おめでとう」と声をあげていた娼婦らだったが、華やか過ぎるゲストを前に、自分達があまりにもこの場に相応しくないように思えてしまったのだ。
「――姉様っ! やっぱりイザベラ姉様ではありませんか!!」
「ぐふっ!? うぇっ!?」
そして不意に、本当に不意に、イザベラが真横からタックルされる。
ぶつかってきたのは同じ犬獣人の娘。他ならぬミリシャである。
「ちょっ、ミリシャッ!? あんたなんでこんな場所にっ」
「ああ姉様っ! やっと会えました!! まさかこんなところにいらっしゃったなんて!!」
姉妹の感動の再会、という体のミリシャだが、イザベラにとっては気まずさ全開であった。
「その……姉さんの、妹さん?」
「随分と可愛らしい……というか、身綺麗な子だね」
「姉様? こちらの方々は……? というか、今まで何を……?」
「いや、その……話すと長くなるというか……」
後髪をポリポリ、妹と仲間を前に実に居心地悪そうに視線をそらしながら、イザベラは「誰か何とかして」と途方に暮れた。
「なんというか、すごいことになってるねえ」
「この中に混ざるのは、勇気がいる気がします……でも、行かなくちゃ」
今更のように到着したカップルもいた。
バークレーのラッセル王子、そしてエスティアのフニエル女王のカップル。
既に二国間で外交話が始まっている中、この上さらに国が関わるのだ。
聞いたのが唐突だったので誓いの儀式には間に合わなかったが、この中では一番、新婦と関りが深い二人でもあった。
「でも、姉様のドレス姿……とっても、綺麗です」
「……うん。そうだね」
ただただ尊敬する姉の美しい姿に目をキラキラと輝かせるフニエルに対し、ラッセルは別の意味で胸をときめかせそうになり押さえつけるのに大変だったが。
同時に、そのサララの姿は未来のフニエルの姿でもあって、それが保証されていて。
「……僕も、いつか君と」
「ふぇっ?」
「ああいう風になるからね? カオルみたいに」
「は、はい……私も、姉様みたいに……」
今はまだ赤面して縮こまってしまうフニエルだが。
いつかはあの美しき姫君のように、胸を張って自分の横に立ってくれるのだろうか。
あるいはこのまま、自分から離れられないくらいに恥じらってくれてもいいな、と、ラッセルは思いながらもその肩に手をまわし、歩む。
「行こう、世話になった人たちだ。ちゃんとお祝いしないとね」
「……はいっ」
二人の未来の幸せのために。
披露宴は賑わいの中で進み、テーブルに並べられた様々な料理は祝いに訪れた人々に区別なく振舞われ。
たまたまその街についただけの行商や旅人まで騒ぎに混ざり、一つの祭りとなる。
ここぞとばかりに旅の踊り子らが方々で色気を振りまき、負けじと街娘らは美しく着飾り男たちの視線を誘い、男たちは美酒に酔いしれ、女たちは思い出話に花を咲かせる。
この世界で一番の幸せが、そこにはあった。
幸福の象徴。カルナスが明るく彩られる、そんな一大イベント。
(カオル様、サララさん、よかったですわ。本当に)
流石に国王一行が訪れる場に悪魔だった自分の姿は晒せないと考えたベラドンナは、一人、静かになった聖堂の奥の部屋にて、窓から眺めてひそかに祝っていた。
幸せな結婚。愛する人との幸福の絶頂。
それは彼女にも間違いなくあって、そうして今はもう失われた、過去の出来事。
けれど、あの恋人たちはそうなることはない。
きっと幸せなまま、過ちなどないままでいられるに違いないと、そう思いながら。信じながら。
ベラドンナは、祈りの姿勢と共に、二人の幸せを願い……そうして、その中の一人の行商に、目が向いた。
(あの人は……?)
ただの老人だった。
見知らぬ、だけれどどこにでもいそうな、少し裕福そうないでたちの老人。
だけれど気になりだすと無視はできなかった。
気が付くともう、ベラドンナはその老人を、目で追ってしまっていた。
広場にて。
賑わいの中、少し疲れを感じてベンチに腰掛ける老人がいた。
旅の老商・コルルカである。
「いやあ、カオルとサララちゃんの結婚式が見られるとは、長生きはするものだのう」
一人ごち、そしてのんびりとした心持ちで街を見渡す。
祭りである。此度の主役は新たに生まれた夫婦二人。
自分と会ったばかりの頃は新参者だった二人が、今ではかけがえのない、この街の『顔』となっていた。
「それに、今ばかりは人々の心も、穏やかになっておるように見える……二人の影響か。人の身でこれが叶うとは……まっこと、大したものだのう」
顎に手をやりながら、満足そうに何度も頷きながら。
そうしてコルルカは、新たな夫婦から生まれた『幸せ』が、人々に伝搬されている事を喜んだ。
(今はまだ、それでよい。こんなことが増えてくれれば、いずれは――いずれはワシも……)
言葉には出せぬ想いの中に、理想を見て。
しばし黙り、静かに世界を見た。
「――あの」
「うん?」
ベンチにかけていたコルルカは、しかし、不意に声をかけてきたシスター――ベラドンナに意識を引き戻される。
「お前さん、その角と翼は……」
「私はベラドンナと申します。かつて、『カルナスの女悪魔』と呼ばれておりましたが」
「そうかそうか……あの女悪魔か。しかし、カオルに敗れ今こうしてここにおるという事は、改心しなすったのか」
それは何より、と、愉快そうに頷く。
だが、ベラドンナは微塵も笑っていなかった。
「貴方は、何者ですか?」
「ワシか? ワシはコルルカ。しがない行商じゃよ。昔からメリアという国で『コルルカ商会』という、ちょっとした商会を開いて――」
「メリアにそんな商会はありませんわ」
「……」
ただ一言。
バツリ、切り捨てられ、コルルカの眉がピクリ、動いた。
「私はこんな姿になる前は行商の妻でしたから。子供ができる前まで一緒に旅をし、メリアの各地も何度も回っています」
「なるほどのう。元本業相手ではそうもなるか」
「それに、私には分かります。貴方は、何もしていないように見えて、周囲に何かしら『蒔いて』いますね? 魔力のような……」
「ほうほう。悪魔になっただけあってワシの正体にも気づきかけておるようだ。難儀なものだのう」
だが、この場で諍いを起こす気はない。
それは双方とも考えている事らしく、ベラドンナもコルルカも、見た目上は穏やかな会話しているようにしか見えなかった。
「一緒に来てくださいますね? 貴方も、カオル様がたの結婚式を邪魔する気はないはず」
「無論じゃ。あの二人はワシにとって数少ない友人じゃからのう。この場にも、祝いに来ただけで邪魔などとんでもない事じゃよ」
あくまで警戒心を表に出すベラドンナに対し、コルルカはカラカラと笑って見せ、ゆったりとした仕草で立ち上がる。
ただそれだけ。それだけである。
(……これは、一体)
不意に、身体がぐらつく。
視覚が一瞬歪んだような。何かが切り替わったような感覚に支配され、何もわからなくなった。
本当に一瞬だけ。だからなんとか立っていられた。
けれど、抗えなかったように思えたのだ。何かが起きた。けれど、何が起きたのかが解らない。
「では、ゆくかのう。そうさな、お主に縁のある……あの『渇望の塔』ででも」
「……ええ」
自分と魔人ゲルベドスとの、忘れたくても忘れられぬ因縁の地。
敢えてそこを指定するこの老人は、やはりただの老商などではないと、油断なく睨みつけた。
「あら、あの二人――」
そうして、広場を離れていく二人を、偶然見かけた女神がいた。