#5.結婚前夜
カルナスの街は、祭りの時期でもあるまいに、まるで祭りでも始まらんと言わんばかりに賑わいが増していた。
市場では元々の店だけでなく露天商なども店を並べ、若い娘がアクセサリーや余所行きの服、特にドレスなどを見てはしゃいでいたり。
若い男はといえば、ここぞとばかりに指輪や宝石などを見ては、届かぬ懐事情に青いため息をついたり。
そうかと思えば酒場では昼間だというのに男たちが「新婦がどんな色のドレスを着てくるか」「新郎が宣言を噛まずに言えるか」などくだらないことで賭け事を始めたり、広場では洗濯をしに集まった井戸で女たちが自分たちの結婚した時の話を語ったり。
今、カルナスの街は、一組のカップルの結婚式の話題で持ちきりになっていた。
「……何か、すごいことになってるなあ」
夜でも酒場やダンスホールを中心に、自分たちの話題が尽きない。
カオルはそんな中、自宅のバルコニーで夜風に当てられながら、夜尚もにぎわう街を見下ろして苦笑いしていた。
結婚式前夜だった。
明日には、サララと結婚する。
準備も整い、招待状も間に合う限り出した。
来てくれるかは分からないが、知り合いの御者に頼んでポチを使って送迎までしてもらっている。
……もうすぐだった。
「旦那様、先ほど、ニーニャの町長さんが宿に到着したと」
夜風に吹かれていると、リリナが後ろから声をかけてくる。
呼んでいたゲストの到着。
カオルにとっては嬉しい報告だった。
「そっか。これで十人目だな。いや、皆来るの早いなあ」
「オルレアン村の方などは三日前には着てらっしゃいましたし、皆様、お二方の結婚式の為にできるだけ急いでくださっているようですね」
「ありがたいな。俺たちの為に……」
「それだけ、旦那様がたが方々で人様の助けになった、という事ですわ。結婚式の為に、労力を厭わず顔を出してくださっているのですから」
感無量。
カオルの心中を表すならば、まさにその一言に尽きる。
自分のしてきたこと。自分たちのやっていた事の成果。
これを求めてやっていたわけではないが、やってきた事の先にこれが待っていたなら悪くはない、と。
街から聞こえてくる賑わいから何から、すべてが自分たちを祝福してくれていることが、何よりうれしかった。
「サララは?」
「今は眠れそうにないからと、キューカを連れてお散歩を」
「誘ってくれればいいのにな」
「今は顔を見るのが恥ずかしいから、と仰っておりましたわ」
「今になって照れてるのか」
――俺はもう、覚悟が決まったというのに。
思えばサララは結構な照れ屋というか、恥ずかしがり屋だった気がした。
それを強気な態度や誘い受けなどでごまかすのがサララという女の子なのだ。
カオルにはもう、それが解っていた。
「なあリリナ。俺たちって、上手くいきそうかな?」
「それは勿論。これ以上ないと思いますが?」
「そっか……」
「自信がなかったのですか?」
「実感が湧かなかった、かな。自分達では上手くやってた気がしたけど、人から見てどうかなって、気になって」
そして今、その実感も湧いた。
リリナの肯定は、カオルにとっては大変ありがたいものだった。
自分たちは上手くいく。きっとそうに違いないと思える、ただそれだけの材料。
それだけでもう、カオルは前向きになれた。
人は、誰かに背中を押してもらえれば、それだけでいいのだ。
「俺さ、恋人とかできるの初めてで……結婚ももちろん初めてだけどさ。どうしたらいいのかなって、迷う事が何度もあって。だけど、サララとずっと一緒に居たいって、ずっと思ってたからさ」
「はい」
「だから、結婚できるのが嬉しいよ。皆が祝福してくれることも。幸せな結婚って奴が、どこか他人事みたいに思えてたけど……実際にできるとなると、いいもんだな」
「この街の賑わい……祝福は皆さま、貴方がただけの為にしているのですから……私としては、誇らしい限りですわ」
主従、顔など見ない。
顔を見るまでもない。互いの顔など解り切っている。
確かな信頼があった。
付き合いこそそこまで長くないはずなのに、確かなつながりが感じられた。
「――旦那様。どうか、皆様の為にも、お幸せに」
「ありがとうな、リリナ」
一足先の祝いの言葉。
自分達と一緒に暮らしていた、ただ一人のその人だからこそ、一番最初の祝いを許せた。
嬉しかった。ありがたかった。
そうして振り向くと、やはりリリラは満足げで、誇らしげで。
そして、普段以上にキリリとした表情で深く深く、お辞儀をしてくれたのだ。
「ありがとうな」
再び感謝の言葉を告げて。
そうしてカオルは、バルコニーから家の中に引っ込んだ。
「はあ、明日には結婚式かあ。ああ、今でもドキドキします」
その頃、サララはキューカを伴い、街の中をぶらついていた。
まだそこまで遅い時間でもない、夕食後のちょっとした余暇。
家々から楽しげな声が聞こえたり、酒場から賑わいが伝わったり。
自分たちについての話題がそこかしこで聞こえ、通り過ぎる人からも言葉こそないながら、祝福するように笑顔を向けられる、そんな散歩道。
「姫様のご結婚となれば、市井もにぎやかなるかな、と思いますが」
「ああ、私の身分とかは関係ないですよ。多分」
「そうなのですか……?」
「ええ。この街では、私はただの猫獣人の少女でしたから。沢山の人とお友達になって、カオル様と一緒に暮らした、かけがえのない街です」
サララにとっては、オルレアン村に続いてこの街もまた、故郷のように思えた場所だった。
それだけ親しみもあり、住み慣れ愛した街でもある。
「姫様は……やはり、もうエスティアには思い入れは?」
「ないと言えば嘘になりますねー。でも、もう心配ではないかなあ」
「……フニエル様がいらっしゃるから、ですか?」
「それもあるけれど。でも、これからは兄上や周りの人間もちゃんと支えてくれるでしょうし、ラッセル王子もいくらかは頼りがいがあるように思えましたし、ね」
サララ視点では、もうフニエルとラッセルの仲は認めたうえで、これから二人の歩み次第で国がどうなるか変わるもの、という感覚だった。
困ったことがあれば手伝う事もあるかもしれない。
けれど、そうでなければ関わる気もない、生まれ育った故郷の国。
そこに寂しさは感じはするけれど、自分の今の幸せを優先しようとすれば、確かにそれは間違いではないと、自己肯定もする。
国について考えるときに、辛い気持ちにならなくて済んだのは、サララにとっては幸せなことだった。
「キューカさん、私はですね、もう人の妻になるのですよ。英雄の妻に。これからの私は、一つの国の為に何かを、なんて状態じゃないと思うんです」
「……はあ」
「じゃあ聞きますけど、貴方は英雄の妻が、どんなことをしなきゃいけないと思います? まず第一に」
「それは……ううん……やはり、子作り、でしょうか」
「そうです! とっても重要なことですよね。子供は夫婦の間を取り持つ、最良の仲人ですからね」
それこそが大事なのです、と、照れながらも答えたキューカにずびしぃ、と指を向ける。
キューカも驚いたように目を見開くが、コクコクと素直に頷いた。
「……私は、時々とても不安になる事があるんですよ。これはカオル様には内緒ですけど」
「不安に、ですか?」
「そう。あの人は、時々突拍子もないことを言い出して、実行してしまうから……誰かを助けるために本気で命を捨ててでも助けようとしちゃうから。まあ、死なないんですけど」
「はあ……死なないの、ですか? それなら――」
「死なないから、人間じゃないほうに寄って行ってしまってる気がするんです」
それが怖くて、と、おどけた態度をしまい込み、本音を漏らす。
そう、ずっと怖かったのだ。最愛の人がある日突然死んでしまうんじゃないかと。
そして死なないと解った後は、人間とは違う、途方もない化け物になってしまうんじゃないかと。
「人は、痛みを覚えるからこそ、人を傷つけるのをためらうんです。行く先に死があるからこそ、愚かな行動を控えられる。けれどあの人は……」
「姫様……」
「自分でも、難儀な人に恋をしちゃったものだとは思ってるんですよ? でも、多分それはもうどうしようもないですよね。猫のままで終わるかもしれなかった一生が救われたんですもの」
その救いは、彼女にとって間違いなく、人生を覆すものだった。
そしてその後の彼との日々は、彼女の人生そのものを変えていった。
これ以上ないインパクトで、すべてが塗り替えられた。
もう、これからの自分の人生全てが、カオルが隣にいるという前提でしか考えられないほどに。
「貴方も、多分そうですよね?」
「え……?」
「救われましたし。恋人とかもいなかったんでしょう?」
「そ、それは……そんな、恐れ多いですっ」
「でも、救われましたよね」
「う……ぁ……はい」
サララは、キューカが自分達の元に来た理由を分かっているつもりだった。
猫獣人は、恩に報いる。
フニエルがそうだったように、自分がそうだったように、キューカが自分を救ってくれた相手に、強烈な好感を抱いてしまうのは無理もなかった。
それが猫獣人なのだから。
自分達を生み出してくれた神様に恋してしまったから、離れて暮らすことを選んだ種族の末裔なのだから。
「まあ、浮気は許しませんが、勝手に想う分には構いませんよ。私は過去に……そういう女の子を認めましたから」
今はもういないですけど、と、かつての友達を思い出しながら。
それくらいいですよね、と、小さく呟きながら、また歩き出す。
「いいですかキューカさん。あの方は鈍感ですけど意外とモテるんです。オルレアン村にいた時も、とっても可愛い女の子と、そんな気もないのにお喋りしてたり、この街でもパン屋の女の子にデレデレしてたり。もう方々で浮気の心配をしなくちゃいけないくらいでした」
「はあ……そ、そうなの、ですか?」
「ええ。だからまあ、身内にそういう人が居てもいいですよ、別に。貴方は賢い娘でしょうからね」
愚かな真似はしないはず。
そんなあてにもならない事を思い込もうとしながら、にへら、と笑って見せる。
正妻の余裕。それくらいは見せないと、奥さんになる意味なんてないのだから。
「でも、あの人の一番は私ですから」
「……はい」
二番目は認めた相手なら別に許すけれど、一番は自分じゃなきゃ嫌。
独占欲も、これくらいなら嫌がられないはず、と。
サララは笑顔を振りまきながら、少しは抑える努力をした。
「あら、サララさん。それにキューカさんも」
「まあ、なんとなく歩いているだけでしたが、なんとなく教会に来てしまっていたようですね」
いつの間にか、足が教会に向いてしまっていたらしく。
丁度聖堂から出てきた聖女様に声を掛けられる。
「ベラドンナさんは?」
「お二人の結婚式の為に聖堂を使ってしまいますので、今は奥で簡易的な礼拝所を作っておりまして……そちらで、悩み相談などを受けている最中ですわ」
「そうでした……教会にも、大変なことをお願いしてしまいましたね」
「いえいえ。結婚は人生において華やかなる幸せの象徴ですわ。お二人には是非とも幸せになっていただけませんと。そのためにここの聖堂が使われるのは、私どもとしても光栄ですのよ?」
愛の象徴として。幸せの儀式として。
愛する二人の為に使われるならば本望と、聖女様は柔和に微笑む。
出会ったばかりの時には重苦しい雰囲気すら感じられた聖女様も、今では大分、丸くなったようにサララには思えた。
「それに、これを機にこの街でも、結婚する恋人たちが増えれば……幸せが増えれば、世の中もいくらかは明るくなるでしょうから」
「ふふ、責任を感じちゃいますね。それじゃ、頑張って華やかな結婚式にしないと」
「期待しておりますわ。そのための準備も、もうほとんど完了して居ますから……ただ、席ばかりは足りないので、明日朝のうちに、庭園の方に臨時の席を作るつもりですが」
「あはは……ちょっと、呼ぶゲストの数が絞り切れなくって、すみません」
本当は、大事なゲストだけ呼ぶつもりだった。
でも、世界中に大事な人が多すぎて、親しい友人が多すぎて、結局聖堂だけでは足りなかったのだ。
本当にいろいろなところに顔を出したから。
色々な人たちと、親しくなったから。
「でも、間に合うか解らない人たちもいますから、いくらかは余裕も欲しくて」
「存じておりますわ……大丈夫です、当教会始まって以来の賑やかなる結婚式ですし……必ずや、成功させましょうね」
「ええ。お願いします」
今、ここで聖女様と打ち合わせるつもりはなかったが。
結果的に、明日への意気込みとなっていた。
愛する人との結婚式。
照れてしまって、どきどきしてしまって定まらなかった心の音が、ようやくにして定まったような、そんな気持ちになってゆく。
「絶対に忘れないくらいに素晴らしい、そんな明日にしましょうね」
だから、サララは満面の笑みで以って笑いかける。
幸せになるのだから。
幸せになれるのだから。
自分たちを祝う人たちの為に、何が何でも幸せになってみせると、そう思いながら。