#13.全て変わる歴史の果てに
カルナスに戻ったカオルらは、そのままの足でオルレアン村へとフィーネとノークを送り届ける。
ようやくにして再会を果たした娘に、村長は驚きと共に感極まり涙を流し「すまなかった」と謝罪し。
フィーネもまた、数年の間に年老いた父を見て、ノークと共に「出て行ってごめんなさい」と頭を下げることができた。
「これでますますオルレアン村がにぎやかになりますね~」
「ああ、ほんとにうまくまとまってよかったぜ。二人が見つかってくれて……」
ほくほくとした顔でカルナスへと帰る馬車の道。
カオルとサララは、二人のカップルが無事村に戻れたことを喜び合っていた。
「今はアイネさんがいませんから、村長さんにとっては本当に嬉しいサプライズだったと思いますよ。これからは近くで二人を見守れるんですから」
「ああ……そうだな。アイネさん、いないんだったな」
すっかり遠い過去の出来事のように思えていたが。
アイネは、今聖地リーヒ・プルテンで修行の日々を送っているらしく、当面戻れないのだ。
それを思い出し、カオルは「そういえば」と思考を上へと向ける。
(……フィーネさんが辛い目に遭ってて、ノークが……村長さんに言えないような事になるのって、女神様はやっぱ『先』を知ってたって事かな……棒切れの事もあるし、一度聞いてみたいんだが)
女神さまの夢は、中々見られなくなってしまっていた。
全く見られないわけではない。
けれど、大体そういう時は女神さまの様子がおかしくて、空間そのものもノイズが走っていて無茶苦茶な状態がほとんどで、会話どころではないまま終わってしまったり、そもそも女神さまが不在だったりで、結局まともに話せないのだ。
だが、聞きたいことは多かった。
何故女神さまが魔人筆頭バゼルバイトの杖を持っていたのか。それを自分に託してくれたのか。
そして、女神さまの本当の目的は何なのか。なぜ自分だったのか。
会えない内に気になる事は増え、そして、それが聞けないままの時間が長くなってもやもやしていく。
「カオル様、カオル様……? 考え事です? 話、聞いてます?」
馬車の客席から顔をのぞかせたまま、不思議そうに首をかしげるサララ。
サララにしてみれば、ずっと話しかけていたのに途中から急に反応が鈍くなったのだ。
唇を尖らせ問うてみるとすぐに「おう」と反応してくれたが、どうにも恋人は心あらずな様子で不満であった。
「難しい事でも?」
「いやその……女神さまについて考えててさ」
「女神さま……アロエ様の事ではなく、カオル様の知っている方の、ですよね」
「そうそう。アロエ様と会ってさ、いろいろ気になる事が増えちゃって。色々聞きたいなあって」
女神さまについてサララに隠すことは、もう何もなくなっていた。
今の自分の思いすら、しまい込む必要はないのだ。
サララは全部受け入れてくれる。一緒に考えてくれる。
そういう信頼が、すでに出来上がっていた。
「でも、中々会えないんだよな」
「女神さまと会う時って、寝てる間とかなんですっけ? なんか、変な空間にって」
「ああ。だけど最近その空間も変な感じで中々会えないし……何かあったのかなって」
「うーん……神様についてはサララもよくわからないですけど、そうなると、女神さま側に何か不都合があったりするのかもしれませんね? こう、同調することができなくなってるとか」
「そうなのかもなあ」
そも、女神さまの身体はカオルがこの世界に来た時点で滅びていたはずだった。
だから、あの謎空間の中でだけ存在できるか……あるいは、時限でそれすら無理になるか、そういう存在だとカオルは思っていたのだ。
自分の事を女神と称している幽霊のような何か、とでも言われたほうがしっくりくるのかもしれない。
そう思いながらカオルは「でもな」と、振り向いて笑いかける。
「なんとなく、あの人は、いつも俺を見てくれてたように思えるんだよな。いつでも見守っててくれたような、そんな気がしてさ」
「へえ……まるで守護霊か何かの様ですねえ」
「まあ、そんな感じかな。だから、気にはなるけどそこまで心配ではないというか……」
「じゃあ、そんなに心配ではない女神さまより、まずは自分たちの事を考えませんと!」
「うん? ああ、そういう話だったか?」
「そういう話ですよー! 結婚式の日取りとか、新居の間取りとか、することは沢山あるんですからーっ」
頬をぷくーと膨らませる子供っぽい仕草も、今となっては大人びた美女のする変顔のようで、カオルには笑えてしまう。
だが、「確かにそうだった」と思いなおし、「それじゃあ」と、二人きりの馬車で話し合うのだ。
二人の旅路の為に。カオル達はもう、その旅路をどう進むか、考える時期に来ていたのだから。
「結婚おめでとうございます! カオル!!」
バポン、と、クラッカーの音が鳴り響く。
謎の空間にて。久しぶりに、本当に久方ぶりに、カオルは女神さまと再会できた。
「女神さま……ほんと、久しぶりだな」
「すみません。今まで存在の整合性が取れなくなっていて……今日になってようやくこの姿に戻れたと言いますか」
以前と比べてもだいぶん整った顔立ちだった。
赤の他人が女神さまを自称しているだけなのではないかと言うほどに。
けれどカオルは不思議と、これが慣れ親しんだ女神さまであると認識できていた。
空間そのものもどこか華やいでいて、まだつぼみが多いものの草花が萌えていた。
「しかし結婚おめでとうはまだ早いぜ。婚約してるだけだぜ?」
「でも、街に戻ったら結婚式、挙げるんでしょう?」
「ああ、そのつもりだけど……」
「その時には、こうして会う事はできないかもしれませんし」
「整合性が……ってさっき言ってたけど、そんなに難しいのかい?」
「ええ、私がこの世界にいるのは、本来あり得ないことですから。カオルの身体を通して今のこの世界を見ることはできますが、こうして会うのはどんどん難しくなっていくはずです。今回、それがより顕著になりました」
本当に心から嬉しそうに笑ってくれる女神さまだったが、その存在は未だ不安定らしく、激しいノイズが走る。
その都度外見が微妙に変化してゆく。一瞬だけ怪物のような顔の女になったり、見たこともない美女の顔になったり。
そうして中間地点とも言える今の顔になり、穏やかな面持ちでカオルを見つめた。
「何か、きっかけとかあるのかい? その、女神さまが大変なことになる、さ」
「ありますよ。明確なきっかけが」
「それは、どんな――」
「私が知る、この世界ではなくなっていくこと」
静かな一言だった。
穏やかな空間の、しかし、明確にカオルの心を締め付ける、そんなフレーズ。
「やっぱり女神さまは、知ってたんだな。未来を」
「ええ……けれど、大分その未来は変わってきました。恐らく、私の知る未来には、もうならないでしょうね」
「なんで断言できるんだい?」
「そうなる要素が大分狂いましたからね」
「……要素って?」
「兵隊さんはあのお姫様と異国へ、ラナニアは犬獣人の人が再起してくれて滅びずに済み、バークレーは二人の王子による内戦に陥らず、結果的にフィーナとノークは生きて無傷のままオルレアン村に戻れました」
カオルにも覚えのある出来事ばかりだった。
そしてそれを聞き、カオルは「そうならなった世界」を想像し、ぞわ、と背筋を粟立たせる。
そう、女神さまは、そうならなかった世界を知っているのだ。それに気づいてしまった。
「私の知る世界では、兵隊さんはアイネさんと恋人同士になり、何故かステラ王女によってアイネさんが命を狙われたことから二人で放浪の旅に。そのさなかで封印の聖女としての力に目覚めたアイネさんが、兵隊さんと共に勇者カオリちゃんのパーティーに誘われ、そのまま魔王を討伐することになったのです」
「……何を言ってるんだい、女神さま」
「貴方はステラ王女を可愛らしい、素直でいい子だと言っていましたが、私はそう思いませんでした。自分以外の王族を皆殺しにして実権を握って、理由もなくひたすらに追っ手を差し向けてくる悪女のような人だと思っていましたから」
まさかあんな理由があったなんて、と語りながら、女神さまは庭園のようになった世界に座り込む。
すぐそばに生えていた、まだつぼみのままの植物を手に取るや……それを瞬く間に満開にさせてゆく。
「ラナニアは、地獄のような状態でした。沢山の人が死んでいて、王城は隕石によって潰されていて。生き残った王族は虫の集団に追い詰められ、目の前で死んで。軍隊や衛兵隊が必死になって住民を逃がそうして、尻尾の一薙ぎで全滅。国土の大半が無茶苦茶になって、かつて人間だったモノがたくさん転がっている、そんな酷い世界があったのです」
「……俺が、いなかったら……?」
「そうですよ。貴方がいたから。貴方が居たおかげで、歴史が変わったんですよ? 死ぬはずだった人が死なず、生き延び。その結果、古代竜は甚大な被害を残しながらも、国を亡ぼすまではいかないままに討伐されたんですから」
美しく花開いた白の一輪。
しかしやがてそれが醜く枯れ、散ってゆく。
まるで恐ろしいのでも見る様に目を見開くカオルに「どうしたんですか?」と、大変美しい顔で微笑む女神さま。
「私の知る世界では、沢山の悲劇が起こっていました。貴方があの瞬間にノークと出会えなければ、ノークはそのまま捕らえられ、牢屋の中で餓死。想い人を失い、フィーナは悪徳貴族の性奴隷みたいな扱いになって、それでも狂えずに日々を生き続けたんです。再会した時は随分たくましくなっていましたよ。心の方は……取り返しがつかないくらい歪んでましたけど」
「……」
「もう、大丈夫ですよ。カオル、貴方が何を成さずとも、世界は変わり続けてくれるはずです」
とても綺麗な笑顔だった。
カオルが今まで見たこともないくらいに。
それこそ、サララの笑顔ですら及ばないのではないかと思うくらいに、その笑顔はとても美しく……そして、哀しかった。
「女神さまの……いいや、貴方の世界じゃ、俺みたいな奴はいなかったのか。アイネさん」
「ええ。いませんでした。だから、カオリちゃんも涙を流して悲しむことになりました。兵隊さんも死んでしまって、私も――女神様を信じられなくなってしまって」
かつて見た悲しい光景。
カオルが、自分自身がいない世界。
それは紛れもなくあったことなのだ。
少なくともこの……女神さまを名乗っていた村娘にとって、実際に起きた事だったのだ。
それが解り、カオルは唇をわなわなと震わせていた。
「貴方は……貴方は、自分の想いを諦めてまで、世界を変えようとしてたのかよ!?」
「そうですよ♪ だって、誰よりも好きだった人が、ずっとずっと愛していた人が、生きられる世界なんですよ? 幸せに暮らせる世界なんですよ? これ以上ないじゃないですか?」
「でもその世界はっ、今のこの世界はっ、貴方が兵隊さんと――」
それ以上言えなかった。
唇に指をあて、大人びた顔立ちの女神さまは微笑むのだ。
「あの娘の幸せは、兵隊さんだけじゃありませんから。確かに好きだし愛してもいます。けれど……生きている限り、貴方の知るアイネさんは、きっとある程度は満足して生きられるはずなんです。だって――」
唇から指を離しながら。
視線を上へと向け、想いを告げる。
晴れ晴れとした顔だった。迷いなどかけらもない顔だった。
「――私は、そう願いましたから。好きな人のいない世界なんて嫌だって。たとえ自分と結ばれなくても、生きていてくれさえすればそれでよかったって。そうしたら、私と同調してくれる人が居たんです」
「それが、魔人筆頭っていう……」
「そうです、バゼルバイトさん。アロエ様を倒したあの方が、私に言ってくれたんです。『歴史を変えてみないか』と」
「……あの酷い顔って、そういう事かよ。アイネさんだって全然気づけなかったもんな」
「そうでしょうね。今のこの顔だって、あの人と私の中間くらいの顔っていうだけで、本来は違うんですからね」
本当、これだけが不満で、と、ため息交じりに自分の頬をぷにぷに両手で押していた。
本来なら笑いどころかもしれないそんな仕草。
けれど、カオルの知るアイネなら、確かにこんな女神さま顔よりよっぽど美人になってもおかしくはなかった。
村一番の、いいや、カオルが知る限り世界で一番の美人さんだったのだから。
「あの人もそうだったんですよ? あの人と精神的に同調して、その内面を知って……この世界がどんな歴史を歩んでいたのかを知って。そして、『狂ってる』って思ったんです」
「……ああ。俺も一部はアロエ様から聞いたよ。でも、貴方から見てもそうなのかい?」
「何も知らなかったから平然としていられて。けれど、沢山の悲しみの上にあったんですよ、この世界は。だから、変えなくちゃいけないと思ったんです。あの人と私の利害は一致していた。けれどあの人にはもう、力が残っていなかったから――私があの人を取り込む形で、過去の世界に影響を与えようとしていたんです」
女神さまの目的。
それは、この世界そのものの改変。
まるで漫画かラノベかのような壮大な話で、けれどカオルには笑う気になれなかった。
その為に、自分が滅びるような状態に陥っている人を目の前にして、なぜ笑えたものか。
そして女神さまは成したのだ。
兵隊さんが無事で、エルセリアが無事で、ラナニアも無事で、エスティアもバークレーも、フィーネもノークも苦しまずに済む世界。
「なら、カオリちゃんたちも泣かずに済むのか?」
「……どうでしょうね。私の時には兵隊さんがいましたけど、今の彼女の傍に、兵隊さんの代わりになれるような人はいませんから」
「……兵隊さんが、カオリちゃんの方に行っちゃう可能性は?」
「ないでしょうね。今、兵隊さんは遠く海の向こうにいますから。そして私の知る最終決戦は、そうかからず始まるのです。でも、そんな気配微塵もないでしょう?」
「……つまり、あの決戦は起きない……?」
「起きないか、起きたとしてもまだまだ先なんでしょうね。悔しいですが、あれだけ兵隊さんラブなステラ王女が、兵隊さんをそんな長い期間何もせずに放置しておくとは思えませんし。まして魔王討伐の旅になんて出すはずがないですから」
その点だけは信頼してるんですよ、と、目を細めながら、また新たな花を摘む。
「じゃあどうなるのか。こういう時世界は、代替現象によって空いた穴を埋めようとするのです。兵隊さんと違う、何かしらの救済措置を」
「まるで物語の世界みたいだな」
「ふふ……そうですね。世界は案外、小説の中の物語みたいなものなんですよ。私達は微塵も意識しませんけど、案外そうなんです」
いいことを言いますね、と、機嫌よく笑いながら手元の花をまた花開かせる。
今度は赤い花。くるくると指先で弄り、ぽとり、落としてしまう。
「ねえカオル。私の言ったことを覚えていますか? この世界に来る前の事。私は貴方に、勇者になれとは言いませんでした。好きなように生きて欲しかった。努力して、それが実って……努力した者こそが救われるのだと、知って欲しかったから」
「……俺ももう、この世界の住民みたいなもんさ。だから、貴方の言いたかったことはわかるよ」
「ふふっ、そうですか……良かった。貴方は、私達にとって大事な――でも、そんな貴方だからこそ、諦めてほしくなかったのです」
それが嬉しいとばかりに微笑みながら。
けれど、その手はもう、何も掴めなくなっていた。
わなわなと震え、小さく息をつき。
そうして次第に、何も見えなくなってゆく。
何も触れなくなってゆく。
「カオル。私はですね……貴方の事を、ずっと心配していました。『本当に大丈夫なのかしら』って。けれど、貴方は私が思っている以上に頑張ってくれた。私が願っていた以上の世界を、私に見せてくれましたね」
「……アイネ、さん?」
「私、すごく嬉しかったです。貴方が成長してくれて。貴方がこの世界で幸せを手に入れられて。貴方が……生きたいと思ってくれて」
「なあ、アイネさん、もしかして――おい、急すぎるだろ!?」
何が起きようとしていたのか。
それを悟ってしまい、ぼんやり眺めていた自分に後悔した。
カオルは、理解してしまったのだ。
――別れの時は近いのだ、と。
「カオル――どうか、幸せな日々を。そしてどうか最後には――笑顔のまま――」
「――っ」
手を伸ばした時には、もう届かなくなっていた。
初めてであった時のような泣き笑いの笑顔。
けれど今度は満足そうな、幸せそうなその笑顔に、なぜ「行かないでくれ」と言えたものか。
霧のように消えゆくその身体に、触れることすらできぬまま。
カオルは夢の中の女神さまと、最後の別れを――
「なんて嘘つきな女神様なんだよ」
涙で腫らした目で、ぼんやりと暗い部屋の天井を眺め、手を伸ばす。
その先にはもう何もいない。
不思議とずっと一緒だと思っていた女神さまとの、唐突な別れだった。
悲しさよりも「ちくしょう」という気持ちのほうが強くて、いっそ笑えてしまった。
「俺は、生き続ければいいのか。俺の道を。それで満足なのか、女神さまよ?」
返答など返ってくるはずもなかった。
けれど、そう自嘲気味に笑いながら呟くことしかできなかったのだ。
世界は、もう変わってしまったのだから。
彼女の知っていた世界は、もう存在しない。
他でもない自分自身が変えたのだから。
自分一人でこれだけの変化である。
こんなことしてたら、それは異世界人が入ってくるたびに狂っていくと思えた。
そうだ、そんなことをしているから、この世界は狂っているのだ、と。
幸せは目前にあった。
それを手放す気なんて更々なかった。
けれど、同時に疑念も沸いてしまった。
(俺は、このままでいいのか……?)
小さな疑念だった。
そのままいけばハッピーエンド直行の人生に、わずかに生まれた靄のようなものだった。
今はまだ小さいそれが、新たな旅路を進むカオルの心にいつまでも、消えずに残っていった。