#8.史実との歪み
「はーっ、はーっ……口ほどにもない奴らだぜ!」
「う、うぐ……」
「ばけもの、め……っ」
カオルの圧勝だった。
奴隷と思しき男を押さえつけていた衛兵らは、突如現れたカオル相手に応戦するも、成すすべもなく地べたに這いつくばる側となる。
カオルもいたるところ殴られ蹴られ汗みずくとなり肩で息をしていたが、まだまだ戦えるくらいの気迫に溢れていた。
村人らはこの突然の乱入者に唖然としていたが、誰かが「あの男」と、指さして声を上げた。
「あいつ、確かこないだ通りかかったエスティアの……なんか、偉い人の馬車に乗ってた人じゃねえか?」
「俺も見覚えがある……確かコックか何かやってた……」
「えっ? エスティアの兵士とかじゃないのか? コックなのに!?」
「コックなのに衛兵倒したのか……」
「衛兵隊弱すぎねえか? ほんとに大丈夫なのかこの国」
次第に波紋が広がってゆく。
驚きの声を上げていたのは村人の中でも男ばかりだったが、突然現れ衛兵隊を蹴散らした男を前に、奇異の視線を向けこそすれ、怒りや侮蔑といった感情は向けていないらしかった。
どちらかといえば、男一人にボコされたふがいない衛兵らに対しての失望、呆れのほうが強いらしく。
そちらに対しては言葉においても容赦のない侮蔑が向けられていた。
「あ、あの……っ」
そうして、押さえつけられていた男もようやく立ち上がり、カオルを見上げる。
解放された喜びというよりは、どちらかといえば恐れのほうが強い表情だったが、助かったのもまた事実で。
カオルが「うん?」と視線を向けると、びくりとしながらもなんとか服についた埃を叩き落とし、頭を下げる。
「ありがとうございました。おかげで俺……処刑されずに済んで」
「処刑ってのもひどい話だな……俺はよく事情を知らずに助けちまったけど……」
「俺……恋人と新天地を求めて旅をしてただけなんです。一緒に暮らせる、二人で幸せになれる場所を求めてこの国に来たのに……」
「それはまた……選んだ国が悪かったというか」
彼の身分がどんなものなのかはカオルには分からなかったが、この国の事をさほど詳しく知らないカオルをして「何故この国にした」と突っ込みたくなるような選択である。
結果として奴隷になって炭鉱送り、逃げだしたら捕まってあんなことになっていたのだから世話はない。
「でも、一度捕まりそうになった時にこのあたりの領主のウォルナッツ卿っていう人が通りかかって、『少しの間労働してくれたら館で雇ってやる』って言われて……それに従っただけなんですよ。奴隷とか、そんなんじゃないはずなのに……」
「衛兵のしてた話だと全く違ってたみたいだな?」
「ああっ、このままじゃ……このままじゃあの娘が……」
事情を聴くにつけ、どうやらその領主のウォルナッツ卿とかいうのに騙されたらしいが、その名を聞いても村人らは「ああ」と、何かに納得したように頷くばかりだった。
「……その領主様ってのは、そんなにあくどいことする奴なのかい?」
「えっ……そりゃ、まあ、することはするけどねえ」
「気に入った若い娘を『館で働かせてやる』って言って連れ去るから、このあたりの村じゃ若い娘は領主様がいる時には外出させないくらいだしなあ」
「配下の衛兵隊も、割と好き勝手するし……税も他の領より高くしてるって聞くし」
「ココだけの話、他に住む場所でもありゃ逃げ出したいくらいだ」
誰一人領主の擁護をする村人はいない。
これに関しては女性陣も思うところがあるのか、嫌なものを見るように視線をそむけていたが……概ね、村人の総意と受け取ってよさそうだった。
それを見てカオルも「そういうことならいいか」と、呆れたようにため息しながら、頭を抱えうずくまる男に向き直る。
「あんた……名前は?」
「えっ?」
「名前はなんていうんだ。名前くらいあるだろ?」
「あ……ああ、俺、ノークっていいます。元々はエルセリアのオルレアンって村で木こりをやってたんだけど、村長の娘さんを連れてかけおちして……」
「……うん?」
カオルは自分から聞いておきながら、彼の名、そして出身や生い立ちを聞いて……不思議な感覚に陥っていた。
何か忘れていたような、そんなこと。
すぐに思い至って「あっ」と、驚きの声を上げる。
「あっ、あのっ、お願いがあるんですっ! 俺の恋人のフィーナが、ウォルナッツ卿の館にいて……その時は『君が働いている間は賓客として館に滞在させよう』っていうから、『ああなんていい人なんだ』って信じちまって……」
「なああんた――」
「お願いですっ! 見ず知らずの人にこんなことを頼むのは迷惑だとは思うけど、フィーナを助け出したいんです! 手伝ってはもらえませんか!?」
「待ってくれ、ちょっと待ってくれ!」
「あっ、はい……」
興奮気味に、そしてカオルの話を聞かぬままにお願いするノークに、カオルは手を前に「落ち着けよ」と制する。
幸いノークもすぐに冷静になるが、それが拒否につながるのではないかと、不安そうに眉を下げていた。
「俺もオルレアン村で暮らしていたんだ。カオルって言う。そんで、そこを旅立つ際に村長さんからあんたとフィーナさんを探してくれって言われてたんだ」
「えっ、村長が……? 俺たちの事、やっぱり怒ってたのか……それで、連れ戻すために……?」
「いいやそうじゃねえよ。むしろ逆で、『もう気にしてないから戻ってきてくれ』って。村長さん自身も反省してたんだ。だけど、フィーナさんは……」
偶然にしては出来過ぎているように思えたが、同時に「これに気づけて良かった」と、カオルは心底その偶然に感謝していた。
気づけなかったら、助けに入らなかったらノークがどうなっていたかなど解ったものではない。
そしてフィーナも……そう考え、嫌な結末になる前になんとかしたいという気持ちが湧いてきた。
「とにかく、あんたたちのことはもう認めてるんだ! フィーナさんが助かったら、一度オルレアン村に戻れ! いいな?」
「あ、ああ……! わかった、わかったよ! だからカオルさん、頼む……どうにか、フィーナをっ」
「……ああ」
行き当たりばったりな決断だったが、カオルは「これを見捨てるわけにはいかねえな」と、彼を連れ馬車へと戻る。
「カオリちゃん、ミリシャちゃん」
「ん……終わった?」
「ああ、終わったけど別の問題になってな」
腕を組んで目をつむっていたカオリは、カオルの後ろに立つ男を見るや「なあに?」と面倒ごとの種を感じ取る。
だが、不快感は見せなかった。
人助けの末にできた面倒ごとなら、それは必要なことなのだろうから。
「悪い。ちょっとこいつの彼女助けなきゃいけなくなってさ……同じ村の、俺たちがずっと探してた人らなんだ」
「じゃあ、案内はできないって事? ゼリーパフェは?」
「またの機会に」
「……カオルさんってずるい人だなあ。嘘つきだし身勝手だし」
すまし顔でそっぽを向いて、口調ばかりはとげとげしく責めながら。
しかし、その横顔はどこか清々しそうな、満足げなものだった。
「悪い。今度会ったら埋め合わせするよ。俺とサララは離脱だ」
「仕方ないなあ。まあ……そんなに急ぎでもない旅だしねえ。どうせ馬車もここまでだろうし」
古代竜もいないみたいだしぃ、と、小さくため息をつきながら席を立った。
自然、寄りかかる様に眠っていたアロエが頭から崩れ落ち、『ぐえっ』という、カエルのような鳴き声が客席に響いた。
「えっ、なになに……? 何が起きたの……?」
「問題が起きたから、カオルさんたち離脱だってー。ここからはまたナビよろしくねアロエ」
「えぇっ!? なんで? なんでなんで? 一緒に旅するって話じゃなかったのカオル君!?」
「いやその……色々申し訳ないんだが」
「事情は私から説明しとくから……急ぎなんでしょ? 行ってあげなよ」
寝ていたはずなのに訳知り顔で、涙目で混乱していたアロエの服の襟を掴んで馬車から降りる。
ミリシャも持ち込んでいた荷物をわきゃわきゃと集め、その後を追った。
「悪いな。じゃあノーク、道案内頼むぜ」
「は、はいっ、ウォルナッツ卿の館は、ここから出て一日もしないところです! お願いしますっ」
未だ困惑気味のまま「どうしてーっ?」「なんでよぉっ」と情けない声を発しながら手をわたわたしていたアロエをよそに話が進み。
ノークを客席に乗せるや、カオル自身も御者席に飛び乗った。
「――急ぐぞ! 腹減ってたら適当にその辺の袋に入ってるものでも食ってろ」
「あ、ありがとうございますっ! まずは向こうから出てもらって――」
「あいよ――悪いなっ、急ぎだから村を縦断させてもらうぜっ」
見た感じ馬車の通り道のように村の中央だけ開いていた為、ノークに指さされるままに馬車を進ませる。
村人が入り口脇に集まっていたのもあって、邪魔になる者もいない。
本来ここで馬を休ませるつもりだったので、「どこかで道草食わせてやらないとな」と考えながら、今ばかりは馬に頑張ってもらう事にしていた。
「――うーん、まさか帰り道でノークさんを見つけられるとは。ある意味運がいいというか……」
「ほんとな。偶然とはいえ、馬車が賊に襲われなければ予定通り到着してて、何も知らないまま通り過ぎてたかもしれなかったわけだしなあ」
馬車が動き出してすぐ、近くにいるノークの気配を感じ取ってか、毛布にくるまっていたサララは目を覚まし、それまでいたカオリらが不在なこと、見知らぬ男が目の前に座っていたことに驚いたものの、カオルの説明ですぐに納得していた。
多少、不満げではあるが、仕方のないことだと割り切ってくれていたのだ。
「すまねえ、寝てたみたいだから勝手に決めちまった」
「ううん、サララもそれは仕方ないと思います。大丈夫ですよ。結婚はお二人を助けてからでもできるんですから」
「そう言ってくれると助かる」
結果的に結婚は遅れてしまう事になるが、それでもサララが受け入れてくれたのがカオルにはありがたかった。
ただ、その話を聞いていて、ノークは「もしかして」と、申し訳なさそうに表情を曇らせる。
「二人も、結婚するつもりだったんですか?」
「ああ、ちょっとエスティアでごたごたがあってな。それが終わったから、二人でエルセリアに戻って……結婚しようと思ってて」
「えへへー、まあ、そういう事なんですよぉ。だから、ちゃっちゃと済ませて戻りましょうねえ」
「本当に……その、迷惑かけてごめんなさい。俺が、もっと甲斐性があれば……自分の力で村長に認められてれば、こんな事には……」
「若かったんだろ? 仕方ないさ」
多分、旅立ったころは村に来たばかりの自分より若いくらいだったのだろうと考え、カオルはへらっと笑って見せる。
自分だって村に来たばかりの頃は功名心ばかりで、とにかくみんなに認められたくて何でもやっていたくらいで。
その頃と比べると今の自分は随分落ち着いたような、大人になったような気がしていたのだ。
それでも我慢できないことというのはあって、ついつい目の前の問題に首を突っ込んでしまっていたが。
結果的にそれが功を奏したことから、カオルはそれは間違えてなかったと思えた。
「なあノーク。鉱山はどうだったんだ? やっぱ、ひでぇ扱いされてたのか?」
「それは……その、最初こそ普通に石炭を掘ってただけなんですが、途中でガスが出たりして何人か動けなくなって、人数が補充されないままそれまでと同じ成果を出せと言われて……どんどん、疲弊していきましたよ、みんな」
「奴隷扱いだったわけじゃないのか?」
「少なくとも俺は『ひどい職場だ』とは思ったけど、奴隷扱いされてるとは思いもしませんでした。休憩時間は……短いけどちゃんと決められた時間にあったし、飯だって出ましたから」
それだけ聞くなら、カオルも確かに労働環境の問題こそあれ、人間として扱われている感はある気がした。
行ってみれば向こうで言うブラック企業的な過酷な環境だったのだろう、と。
だから、酷使されこそすれカオルが想像していた『奴隷のおかれた環境』とはちょっと違うように感じていた。
「だけど、逃げだしたら奴隷扱いされた、と」
「ええ、何日働いても解放されなくて、何かがおかしいと思って……脱走して、なんとかさっきの村にたどり着いたら、村の入り口に衛兵隊が構えていて……いきなり脱走奴隷扱いですよ」
「それでああなってた訳か……しかしまあ、あんな村にそんなにたくさんの衛兵が詰めてるってのがなあ」
「前に通った時にはあんなことになってなかったはずなんですけどね……俺一人、そんなに逃げられたら困るのか」
悔しそうにこぶしをぎゅ、と強く握るノークだったが。
それまで黙って会話を聞いていたサララは、不思議そうに首をかしげながら「あの」と、声をかける。
「もしかしてそのウォルナッツ卿って、最初からフィーナさん目当てで声をかけてきた、とかそういうんじゃ……」
「やっぱりそう思いますか!? ああっ、どうか無事でいてくれ……フィーナの身に何かあったら、俺は……俺は生きてはいけないよっ!!」
駆け落ちまでして恋人に何かあっては、と、その痛々しさにカオルは思うところもあったのだが。
サララは「はぁ」と深く深くため息をつきながらジト目になっていた。
「まあ、無事であることを祈るしかないですね……その領主の人がただの女好きなら、まあ、最悪は……命だけは保証されるんでしょうけど。でも――」
サララは知っていた。
変態に狙われるとどのような目に遭い、どうなるのかを。
エルセリアの、今はもう処刑された王弟だった男が、連れ去った少女にどのようなことをしたのか。
それを考えると、無事だったからと『何事もなく』で終わるとは到底思えなかったのだ。
だから、ノークに覚悟させることにした。
たとえどんな状態になっていても、ノークが受け入れられるように。
一番辛い気持ちになっているであろうフィーナが、それ以上に辛い思いをせずに済むように。
「ノークさんは自分が被害者みたいな顔してますけど、駆け落ちしてまで連れて行った恋人を守れなかったこと、自覚してくださいね?」
「……っ」
「おいおいサララ、それは流石に――」
「黙っていてくださいカオル様。私、怒ってるんですよ? カオル様がノークさんと同じことをしたら、サララがどんな目に遭ってると思います? 聞けばその領主の人は、毎度のように女性がらみでトラブルを起こしてたような人なんでしょう? 貴族なんて相手に困らない立場にいるのに」
想像してみてください、と、口をはさんできたカオルに若干苛立たしげに返しながら、ノークの顔をじ、と見つめる。
ノークは……言い返せなかった。
「貴方は、自分の力でフィーナさんを幸せにするつもりで村から出たんでしょう? なのに、自分で守らずに一時でも他人の手に自分の恋人を預けるなんて、そんなの男の人のすることじゃないですよ。そんなことしたら、間違いが起こらないほうがおかしいじゃないですか。フィーナさん、お綺麗な人だったんでしょう? アイネさんの妹さんですもんね」
「それは……そうだよ。村でも美人姉妹って言われてて……俺はずっと、フィーナの事が好きで……フィーナも、受け入れてくれて……」
「そんな人を、なんで他人に預けるんですか! 取られたら困る人なんでしょう? 何が何でも手元に置かないと! 何かあったら生きられないじゃなくて、何があってもその責任を負うくらいの覚悟をしなさい!!」
「は、はいっ、すみませんっ!」
一部除き豪快な男の多かったオルレアン村で、このように責められてすぐ謝るような男はカオルたちにしても珍しいとは思ったが。
それでも、ノークなりに反省している部分もあるのだろうというのは二人とも分かっていた。
ただ、それを許せたカオルに対し、サララは許せなかったのだ。
女の子を連れだすというのはそういう事なのだと、今更ながらカオル自身も意識を変える。
「絶対に助け出しますよ。どんな目に遭っていても、また笑わせてあげられるように。貴方は、今までの後悔じゃなく、これからの事を考えるべきなんです。心に傷を負ってしまったかもしれないフィーナさんと二人で、どうやって生きていくのかを」
「サララさん……確かに、そうかもしれない。二人で旅をしていて、どこかずっと負い目があって……だけど、認められなかったのは俺が軽い気持ちだったからなんだろうか。もしそうなら……そんなのは、変えなくちゃいけない、変えなくちゃ」
「その意気です。それが解ったなら、例えフィーナさんがどんな目に遭っていても、貴方は耐えなくちゃいけないんです。貴方以上に、フィーナさんが辛いんでしょうからね。今のうちから覚悟をしておきなさい!」
「……はいっ」
ノークの表情は始終落ち込んでいたが、それでもサララの言葉には心を打たれたのか、最後には瞳が揺れていた。
カオルは背を向けていたからわからなかったが、「どうやらうまくまとまったようだ」と安堵する。
「館まではすぐに着くって話だけど、どこかで馬を休ませなきゃいけないからな……悪いけど、適当なところで休ませるぜ」
「はい……その間、俺は思い出せる限り、館の内部の事とか思い出しますから……作戦を」
「じゃあ、難しいことはサララが考えましょう。大丈夫ですよ、サララは救出作戦のプロですから」
特に根拠のないサララの発言にも「久しぶりに聞いたな」とどこかおかしくなってしまうカオル。
けれどノークにとっては、ようやく胸の内に沸いた希望ともいえる二人だった。
こうして馬車は、領主館へと向かう。