#6.わずかばかりの共連れ
「――そんな訳で、エスティアについてからも、ちょっとの間二人と一緒に居ようと思うの」
翌朝の事。
カオリとミリシャが目を覚ますや、女神アロエは勝手な決定を二人に説明していた。
「ええっ? ほ、本気ですか女神様……その、猫獣人と、一緒に?」
「んー、まあ、いいんじゃないの? 猫獣人ってエスティアが故郷なんでしょ? 道も詳しいだろうしー」
「ええ、詳しいですよぉ。セントエレネスまでの少しの間ですが、ちょっとした案内もできちゃえます」
割と本気で嫌そうな顔をするミリシャを気にかけることなく、カオリはサララと微笑み合う。
このあたり従者の不遇な扱いだが、カオルとしても自分の恋人を露骨に嫌がるこの犬獣人の少女に「まあ犬獣人はそうだよな」と、ラナニアでの一件を思い出しながら苦笑いしていた。
「道そのものは私も知ってるんだけどね。でも、現地を知る人がいるほうが手っ取り早いし……何より手間が省けるから」
「手間って……ああ、わざわざ『勇者様御一行でーす』って紹介するの面倒だものね」
「そうそう。それを証明するのも毎度毎度面倒でしょ? 犬獣人連れてる時点で教会関係や王族ならすぐわかってくれるだろうけどー」
生きている勇者証明書とでも呼ぶべきか。
ミリシャの顔を見ながら、アロエとカオリは「それ以外はちょっとねー」と、互いに顔を見合わせる。
ミリシャは不思議そうに首をかしげたが、二人の間では通じているらしかった。
「その点このサララは王族とも関りがあるから手っ取り早いわ。本当は王城には戻らずに手前のホッドっていう村に行ったらエルセリアに戻るらしいんだけど、無理を言って王城までついてきてもらう事にしたのよ」
「まあ、グリフォン使えばすぐの距離だしな」
「こちらとしても、何も言わないまま帰るのもどうかと迷っていたのでお気になさらず~」
カオルらにとってみれば、ちょっとした手間が増える程度のもの。
しかし勇者御一行の度は単なる観光ではなく、あくまで魔王討伐の為の、いわばこの世界の為となるものなのだ。
少しくらい手伝ってもいいだろうというのがカオルの弁で、サララもそれには不満なく頷いていた。
馬車が動き出し、少ししてからというもの。
アロエはまた『夜の為に』とカオリに寄りかかり、サララも毛布に包まり寝入ってしまっていた。
ミリシャは針仕事に集中していたが、カオリはというと、特にすることもなくぼーっと通り過ぎゆく風景を眺めたり、ミリシャの手仕事を見るばかり。
退屈していた中、ふと思い出したことがあって御者席のカオルに視線を向けた。
「そういえば、道中で倒した賊だけど、あいつらそろそろ動けるようになると思うのよね。大丈夫かな?」
「ああ、あの賊なら、街道警備の連中に連絡付けたから大丈夫だ」
「えっ、いつの間に?」
「んー……実はあの場に俺の……ペットの小鳥ちゃんが居てさ。賊を倒した後、連絡を頼んだんだ」
「へえ、伝書鳩的な?」
「伝書……鳩……? ああ、うん、そんな感じ」
自分の世界でも、現代では実用的ではないものの、過去にはそのように鳥を使った連絡方法というのがあったのだと知識で知っていたカオリは、彼の言う事にさほど疑問を抱かなかった。
「この世界の鳥は、比較的賢いものもいますからね。時に魔術に長けた者は使い魔として使役することもありますし、カオルさんもそういったことをしたのでは?」
「まあ、そんな感じだな。何事もなければ今頃あの賊はお縄になってるさ」
「そうなんだ……ふーん、カオルさん、魔法使い系なの?」
「そう見えるか?」
「ううん、全然見えない」
歯に衣着せぬ物言いではあったが、それがかえってすがすがしく。
カオルも「だろうな」と楽しげに口元を歪める。
「でも、私も勇者様に見える?」
「全然見えないな。そこらの女子高生って言われたほうがうなずけるし」
「おー、大正解! ていうかそうだよねえ。昨日学生って教えたもんね? 元の世界なら普通に女子高生だよー。17歳」
「やっぱそうなのか……なんで選ばれたんだ女子高生」
「なんか『波長が合うから』って。そんなんで呼ばれても困るんだけどさ、世界の危機って言われたらなんか『あれ、これ私が助けなかったら後味悪くない?』って思っちゃって」
神様って我儘だよね、と、困ったように眉を下げながら。
けれど、嫌気がさしたわけでもなく、呆れているわけでもなく、楽しげに語るのだ。
「そんなだから、助けに来ちゃった」
「そっか……」
そんなカオリを見てか、御者席の英雄殿は、昨夜のアロエの話を思い出し、幾分思うところもあったが。
それでも、その笑顔はまだまだ生気にみなぎっていて、苦しさなんて全く感じさせない、明るい笑顔だった。
「カオルさんはさ、何を想ってこの世界に来たの? アロエとは違う女神様に誘われたっていう話だけど……やっぱり、世界を救うように頼まれてここに来たの?」
「んー……そうだなあ」
夕べのアロエの話を聞けば、アロエの側についた神々はすでに全滅しているはずだった。
それでも、カオルの知る女神さまは自分をこの世界に寄越したのだ。
しかし……しかし、その目的は果たして、この世界の為だっただろうか?
そこまで考えて、カオルは頬をぽりぽり、正面を向いたまま、目を細める。
「俺は、変わりたいと思ってきたんだ、きっと」
「……変わりたい?」
「ああ。俺は元の世界ではダメなやつでさ。どれだけ頑張っても上手くいかない。何をやってもさえない。女の子相手にもまともに話せなくて、むしろ面倒に感じちゃうくらいでさ。生きててつまんなかった」
向こうでの日々は、カオルにとっては苦痛この上ない毎日だった。
0点を取るたびに母親に呆れられるのは、カオルにとってとても辛いことだった。
母親が、自分に呆れため息をつくのが、何より嫌だった。
そんな日々を想い、彼は自嘲する。
「そんな自分を変えたかった。だけど変えられる訳ないって諦めてたんだ。バカな俺が、どんだけ努力したってうまくいくわけないじゃん、ってな」
「でも、この世界では、変えられたのね」
「そう見えるかい?」
「見えるわ。だって、今のカオルさん、そんなダメな人に見えないもの。信じられないくらいよ」
「……ありがと」
ストレートに褒められ、照れ臭そうに頬を掻く。
気のいい兄貴にしか見えない御者席の英雄殿。
その実、とても身近に感じる、どこにでもいそうな青年だったのだ。
だから、カオリも親近感を覚える。
「私のクラスにもいたわ。勉強ができない人。運動がダメな人。努力しても上手くいかない人」
「そういう奴らだって、別にそのままの自分でいいと思ってる訳じゃないと思うんだけどな……」
「そうなんでしょうね。私は……自分で言うのもなんだけど勉強はできる方だったから、そういう人たちの気持ちは深くは分からないけど……でも、努力すればどうにかなるものじゃないんだろうなあって思ってた」
ただ考えなしに努力するだけでどうにかなるなら誰も苦労などしていないのだ。
正しい努力ができる人間など、そんなに多くはいないのだから。
それを知るカオルは「そうだな」と、カオリの意見を肯定しつつも、「それでも」と、口をにやけさせる。
「この世界でなら、努力すれば努力した分だけ上手くいくって言われてさ。ほんとかどうか疑心暗鬼だったけど、でも……やってみたんだ。そしたら、上手くいった」
「……へえ」
「ま、もしかしたら元の世界でも、頑張れば行けたのかもしれないけどな。この世界に来てからそれに気づいたんだ」
「元の世界に帰りたいとか、そういうのは思わない?」
「……少し思う事もある。これはサララには内緒だぜ? こっちで成功してるからかもしれない。あの時に……あの頃に戻れたら、俺はもしかしたら、ってな」
過ぎ去った日々を思い出し、無為に過ごした毎日を鑑みて。
けれど無情に過ぎていった過去に、どこか後悔しているような。
カオリは、どこか男の哀愁のようなものを、その背に感じていた。
「俺をこの世界に連れてきてくれた女神さまは、多分、世界を救う事なんて考えてなかったと思うぜ」
「……なんで?」
「さあ? そもそも何の目的で連れてきたのかもよくわかんねえ。だけど……そうだな、きっと、そうまでして俺をこの世界に連れてきたかったんだ。そうしないといけないくらい、切羽詰まってたんだ」
自分がこの世界に来るとき、女神さまは果たしてどんな状態だったかを考えれば。
この世界に来た直後を思い出そうとして、それでもかなりの部分忘れている自分に気が付き、カオルは「随分時が経っちまったもんなあ」と、しみじみ感じていた。
「あの人は多分、それくらいしかできなかったんだ。世界を救ったりするとか、最初からそんなことは俺には求めてないんだろうなって」
ただ一人。
それだけ救えればそれでよかったのかな、などと。
だけれど、今となってはその一人が誰なのかも解らず。
カオルはなんとなくでしか、曖昧にしかその答えを見出すことができなかった。
「私はね、その……もう一人の女神様もアロエと同じで、世界を救いたいとか、魔王を何とかしたいとか、そういう目的があるなら――」
「俺は勇者様じゃないみたいだからな」
勇者の言葉に被せるように、英雄は拒絶の言葉を返す。
ハッとしたカオリに、カオルは笑いながら振り向いた。
「だってそうだろう? 俺がこの世界で生きる今の目的は、そこで寝てる猫獣人の女の子と結婚して、幸せにしてやりたいってものだからな。世界を救うだとか、魔王をどうにかするだとか、そんなの考えた事すらねえよ」
「……それでも、女神さまからもらった神器があって、強いんじゃないの?」
「強いかもなー。いや、でもどうだろうな? 俺も魔人を何人か倒したぜ? 倒したけど……負けたりもした。レイアネーテって奴とラナニアでぶつかってな。一時は記憶まで奪われた。まあどうやっても所詮は俺もその程度の奴なんだよ」
「魔人と戦えるなら十分すぎるくらいじゃない! なら、私の仲間になってよ! 戦えるんでしょ?」
多分、以前のカオルだったら迷いなく「俺が役立つなら」と言えたはずだった。
けれど、今の彼にはそれはできなかった。
彼にはもう、守る者ができて。守りたい幸せがあった。
そして世界は今もまだ、それほどには危機に陥っていなかった。
「魔人や魔王と戦うのは、カオリちゃんの役目なんだろ?」
「役目だけど……役目だけど、私達だけ戦わなきゃいけないの? そんなの、ずるくない?」
「ずるいかもなあ。でもさ、じゃあ、俺が魔王と戦う旅について行って、もし死んだら。カオリちゃんは、どうするの?」
「……それは」
「俺は多分、魔王とやら相手じゃなすすべもなく死ぬぜ? その部下の魔人相手でも絶対に無理って思ったくらいだもん。何人かは……倒せたけど。でも、強い魔人がいっぱいいるって聞いたら怯えもするし避けられるなら避けたいと思うよな?」
それは、卑怯としか言いようがない物言いだった。
この世界を救いたくてきた少女にとって、この世界の住民たちは間違いなく彼女に協力する義務がある。
けれど、彼女の目の前にいるこの青年は、彼だけは違った。
彼は、単にこの世界に誘われただけの、自分と似て異なる境遇の人なのだから。
「もし、もしもだ。カオリちゃんが俺の彼女とか嫁さんとか、親友とかでもいい。そういう間柄なら迷いながらでも助けに走ったかもしれないよ。でも俺はカオリちゃんは、昨日出会ったばかりの赤の他人さ。境遇は似てるかもしれない。でも、同じじゃない」
「……そんな言い方、しなくても」
「勇者様。僭越ながら、横から口出しさせていただきますが――」
さっきまで親しげに話していた相手にはっきりと正面から拒絶され、ショックを受けていたカオリだったが。
針仕事をしていたミリシャがその手を止めてまで、じ、とカオリの顔を真顔で見つめているのに気づき、意識がそちらに向く。
「勇者様は、魔王と戦うべくこの世界を訪れた方のはず。我らが女神様は、貴方と心を通じたからこそ、こうしてこの世界に来ていただき、ともに旅をしているはずです」
「それは、そうだけど……でも、仲間は欲しいじゃない。だって、私達だけじゃ、倒せないかもしれないんでしょ?」
「はい……それはもちろん。ですが、これから幸せになろうとしている方を無理に誘うのは、正直やめたほうがよろしいかと……」
「……うん」
カオルの拒絶の理由は、カオリからも明確に分かるものだった。
もうすぐこれから結婚しようという時に、その邪魔だてをしようとしていたのだ。
この世界の為とはいえ、火急を要するものでもなく、未だ世界は平穏無事なまま。
彼の力を今すぐ借りずとも、少なくとも当面の間はカオリたちだけでどうにかできることしか起きていなくて、目的も曖昧なまま、アロエの「なんとなく」で決められているだけであった。
そんな時に、無理に彼を引っ張る必要など何故あろうか。
「馬に蹴られちゃうもんね……ごめんね、カオルさん」
「馬に……? ああいや、解ってくれたならいいんだよ。俺の方こそごめんな」
理由があるとすれば、自分の中の不安。
ただそれだけ。それだけだった。
勇者カオリは、普段こそ平然と賊や魔物を斬り捨てているが。魔人を倒したこともあったが。
それでも時には怖くなる事があるのだ。もし万一、自分が死んだら、と。
この世界においては超越的な力を持つ存在だったが、それでも自分はどこまでいっても普通の女子高生のつもりだった。
そういう意識だったから、不安なのだ。
不安だから、自分と似た境遇の、強そうな人が居て、仲間になって欲しかっただけ。
それがカオルにもわかるのか、一方的に無理を言われたのにも関わらず、申し訳なさそうに謝ってくる。
それが余計にカオリには辛かった。
頼りたいのに、頼ったらダメな人だった。
それが解ってしまったから。
「この世界にも、必ずや貴方と道を同じくする方がいらっしゃるはずです。確かに魔人を倒したというカオルさんは戦力としては魅力的でしょうが……この世界の住民とて、魔人相手に後れを取らず戦える者はいるはずですから」
「ああ、きっと居る。きっと居るから――っ」
「……? きゃっ」
不意に、馬車が止まる。
カオルが手綱を強く引いたのだ。
それに合わせ馬が急に歩を止め、馬車が強く揺れた。
「ど、どうしたの、カオルさん……?」
「突然すぎてびっくりしました……また賊が罠でも?」
「ああいや、すまない……そう、か。勇者。それに、その仲間……」
特には危機が迫っていたわけでもなく。
突然の揺れでぐらりと揺れたが、眠っている二人は目を覚ましたわけでもなく。
カオリも「なんなのもう」と、さっきまでのシリアスな空気をどこかへうっちゃり、迷惑そうにカオルを見つめた。
当のカオルは……虚空を見つめるように上を向き、ぶつぶつと呟く。
その異様な光景が不気味に見えて、それ以上は声をかけられなかった。
「なあ……カオリちゃんの仲間に、プリシラとかヘイゲンって人はいないか?」
「えっ? ヘイゲンさんは知ってるけど……プリシラって?」
「プリシラさんという方は私も存じませんが……ヘイゲン様は、我ら犬獣人の中でも長老と呼ばれていらっしゃる方です。決して表に出てこない方ですが……何故、その名を……?」
「そうか……まだ、なのか」
不意に振り向き問いかけられ。
慌ててカオリが思い出し浮かぶのは、厳めしい顔立ちの老爺だった。
彼女がこの世界に来てから最初に出会った人の一人。
女神アロエと共にこの世界についての知識を教えてくれた人だった。
「その人たちが、どうかしたの? 何か思い当たる事でもあるの?」
「いや……夢か何かなんだろうな。忘れてくれていい」
「夢、ですか……?」
「カオルさん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。急に止めてごめんよ。先を急ごう」
またぱしり、手綱が揺れ、馬車が動き始める。
先ほどまでとはまた違った意味で重苦しい雰囲気のまま、馬車は揺れていた。