#5.女神の蹉跌
そこは、荒涼とした廃墟だった。
半日前までは荘厳な、巨大な城だった場所。
それが今は、今にも崩れんばかりに痛んだ廃城である。
「はぁっ、はぁ……終わったわ。これで、終わる――」
その城主――魔王は、今しがた死んだ。
彼女が……アロエ達が、殺したのだ。
神にとってすら強大な魔王という名の化け物。
味方となる神々のそのほとんどが滅び、他世界からの助力によってなんとか倒した魔王。
自らの母が生み出した凶悪すぎる存在だったが、アロエはようやく、母のしでかしたことの責任を果たすことができる、そう思っていた。
「――死んだ、の?」
「ええ……貴方のおかげよリエラ。おかげで、この理不尽な戦いも終わる――」
「……そう」
傍に寄り添うのは、ずっと一緒に戦ってくれた戦友。
異世界に助けを求め、この世界の為に手を貸してくれた、アロエにとってもかけがえのない友人ともいえる少女だった。
そんな少女勇者が、魔王の力を消し去ろうとしていたアロエの前に立つ。
そうして――魔王を背に、アロエへと剣を向けた。まるで、魔王の遺体を守らんとせんばかりに。
「リエラ……? 貴方、何を――」
「この人は、ただの、戦うのが嫌いな人だったわ」
「それは……でも、魔王の力でおかしくなってしまったのよ。貴方だって戦って解っていたでしょう?」
「この人は! 優しい人だったの!! 私に笑いかけてくれて、私と遊んだり、おしゃべりしたり、楽しい思い出だってあったのに!!」
緑色の瞳からは涙をあふれさせ。それでも尚キッとアロエを睨みつけ。
両の手に構えた剣はカタカタと震えながら、それでもアロエへと狙いを定め。
そんな友人の姿に、アロエは信じられないように目を見開き……そして、悲しそうに細める。
「……そう。なら、私を恨んでくれていいわ」
「どうしてなの!? どうしてこの人じゃなきゃいけなかったの!? 他に方法はなかったの? なんで私が……なんで私が、この人を、好きになった人を殺さなきゃいけなかったの!?」
「そうしなきゃいけなかったの。そうしないと、この世界が滅びてしまうから。沢山の人が――」
「そんなのどうでもいいわよ!! 私は、私がこの人を殺したことをずっと抱えなきゃいけないのよ!? この世界を救うために来たのに、なんでそんな辛いことを背負わなきゃいけないの!? こんな、こんな気持ちになるために……こんな辛い思いをするために、勇者になったんじゃ……なかったのに……!」
――私だってそんな気持ちにさせたくて連れてきたんじゃなかったのに。
他人の、自分と全く関係ない世界を救うために手を貸してくれた、笑顔で進んで手を取ってくれたこの少女が、そんな悲しそうな顔で泣いているのを見て、アロエは、その言葉を飲み込むことしかできなかった。
これは、自分の業なのだ。母が残した業を何とかするために招いた、どうにもならない業。
こうなることなど予見できなかったし、こうなることを防ぐこともできなかった、自分が愚かだったが故に起きた、哀しい事故。
「リエラ。私は、この為に貴方を巻き込んでしまった。貴方が傷つくことにも気づけず、貴方にとって辛いことを強要してしまったかもしれない……だから、そのまま私を斬り捨ててもいいわ」
「……っ」
「だけど……これだけはやらなくてはいけないの。今よ。今しかないの。今魔王の力を引き剥がさないと、この人は今後永遠に魔王として復活してしまう。貴方と同じ気持ちになる人が、出続けてしまうかもしれない」
覚悟を決めていた。
この友人がどれだけ傷つこうと。自分がこの友人に切り捨てられようと、構わないくらいの覚悟。
自分が背負っているのはこの世界の未来。
この世界に神がいなくなろうと、平和でさえあればこの世界の生命は存続しうるかもしれない。
けれど、もし今後……また魔王が復活し、その時に誰の助力も得られず自分一人で戦い……自分まで滅びるようなことがあれば、いったい誰がこの世界の住民を守るのか。
ならば、今その流れを断つしかないのだ。今こそできるこのチャンスを、逃すわけにはいかない。
その為に、今目の前の友人に斬り捨てられるなら、それでもいいと思ったのだ。
「それが終わった後なら、いくらでも斬り刻んでくれてもいい。この世界の住民では無理でしょうけど、異世界人の貴方なら、私を殺すことは難しくないはずよ」
「……アロエ……そこまで」
「私は、その為にここにいるの。その為だけに、今まで戦い抜いてきた」
魔王が復活するたびに。
この世界の住民が傷つくのを見るたびに。
なんとかしたいと、助けてあげたいと思っていたからこそ、彼女は両親とその取り巻きをこの世界から追い出し、わずかな仲間と共にこの世界を守ってきた。
その本懐を果たすだけ。それだけだった。
剣を向けられたまま、構わず魔王の力の源――概念の力を消失させるための儀式を始める。
自らの神としての力を用いて、遺体となった魔王の体から煙のように抜け出てゆく力――これを打ち消すのだ。
魔王の力の源、概念の力は、鎖のようにこの世界の生命体――特に人間に強く紐づけされている。
これを解き放ち、人類が生きる限り無限に供給され続ける因果を断ち切れば、今後二度と古代竜は復活できなくなり、魔王は、蘇らなくなる。
妨害なく儀式は進む。
あと少し。あと少しで、ようやく長かった戦いに終止符を打てる。
その時にどうなるのか分からなかった。けれど、アロエは友人に感謝していた。
辛い気持ちになって、泣いてしまったけれど。
でも、それでも自分を妨害せず、儀式を終えさせてくれるのだから。
例えそのあとリエラが自分に刃を向けたとしても、笑顔でお礼を言おうと、そう心に決めていた。
「――アロエはさ。最初から人間の事なんて考えてないよね」
「……えっ?」
だというのに、ずっとうつむいていたリエラがぼそりと呟いた言葉が、アロエをびくり、震わせた。
「自分の目的が果たせればそれでよかったんでしょ? そのために傷つき苦しむ人がいる事なんて、どうでもよかったの」
「何を言っているの、そんなことはないわ。私は皆の為に――」
「でも、異世界人がどうなろうと、構わなかったんでしょ? 自分の世界の民が傷つくのは許せなくても、他人の世界の民がどうなろうと――」
「リエラ。それは違うわ……魔王の力を抑えるためには、この世界の住民では無理なことだった。異世界の人の力がないと、この世界の最高神だったお母様の力に対抗できないの。この世界の住民は……お父様とお母様によって創り出された存在だから」
そこまで説明して尚、アロエには友人の変節が信じられなかった。
例え傷つき哀しい気持ちになっても、自分に剣を向けるくらい怒っていても、それでもどこかで許してくれると、この世界の為に、今だけはその気持ちを譲ってくれると、そう信じていたから。
ずっと二人で、その為だけに戦ってきたのだから。
リエラが、狂気に歪んだ瞳で自分を見ていたことに気づき「あっ」と、小さく喘いだ。
気づけなかったのだ。儀式ばかりに集中していて、友人が、そんな目をしていたことを。
自分に対し――憎悪と侮蔑を向けていたことに、初めて気づいたのだ。
「私を、ずっと利用してたんでしょ? 都合がよかったんだよね。魔王の力をどうこうできるっていう、概念を弄る力? それを持ってたから。皆、こうなるのが解ってて貴方に手を貸さなかったんだわ。私は、私が、バカだったから――」
「そんなことないわ。そんな悲しいこと、言わないで……」
「どんな言葉をかけられても、どんな慰めを言われても――例え貴方を斬り殺しても、私の気持ちは癒えることがないのに――バカみたい」
「あっ――リエラっ!?」
剣は投げ捨てられ、肩を掴まれ押し倒された。
儀式は終わっていない。このままでは、概念の力はこの世界の民に紐づけされたまま。
断ち切らなければならない力を、しかし、アロエは断ち切れなかった。
「世界を繋ぐ概念の力。全ての生命に紐づけされているなら――みんなが魔王になっちゃえばいいのよ」
「やめてリエラっ! 邪魔をしないでっ! 私たちの今までが――この世界のこれからが、無茶苦茶になっちゃう!」
「アロエ。私、貴方のことが大好きだったわ。初めて会った時、『なんて可愛い人がいるのかな』って思ってしまった。貴方が人間を本当に愛していたのも解ってた。だから、例え辛くても戦えた。友達の貴方の為なら、沢山傷ついても、死ぬほど怖くても我慢できた――でもね」
リエラが、概念の力を書き換えてゆく。
アロエですらすぐには打ち消せないほどに高速で書き換えられてゆく、概念の情報。
怒り、憎しみ、悲しみ、悦び、欲望、羨望、愛情。
古代竜を形成する概念の力を次々に書き換え、人々に紐づけされたままに情報が上書きされ、どんどんアロエの手の届かない状態にされてしまう。
「――私が好きな人だけが救われない世界なんて、いらない」
「――っ」
全てが、失敗に終わった。
儀式は憎悪で塗り替えられ、この瞬間からこの世界に紐づけされるあらゆる存在に、魔王としての力が降りかかる可能性が発生してしまう。
それを感じ、アロエは――涙を一筋、流すことしかできなかった。
上辺でしか理解できなかったのだ。この少女がどんな気持ちで戦っていたのか。
どんな気持ちで、好きになった男を殺したのか。
それをさせた自分に、どんな感情を抱いていたのか。
今の今まで、言葉でしか、上辺でしか理解できなかったから。
友人だった少女が、そうまでして自分に伝えたかった想いを、今しがたようやく理解できたのだ。
「リエラ……ごめん、なさい」
「どうでもいいわ。どうでも。もう、どうでもいいの」
諦めが支配したような顔だった。
何もかもどうでもよくなって、だからこそ、全て滅びればいいと思ってしまっていた。
友人がそんな顔をしているのを見て、アロエはようやく気付いたのだ。
自分が、今までどれだけこの少女に無理をさせていたのかを。
神である自分と共闘するために、この少女がどれだけ自分の心を傷つけてまでついてきてくれたのかを。
戦いを終わらせることばかり考えて、この世界を救う事ばかり考えて、アロエは結局、一番自分のことを助けてくれた人の気持ちを、ないがしろにしてしまったのだから。
「助けになんて、こなければよかった」
それが、リエラの最後の言葉。
自らの首に刃を向け、ぐしゃり、突き刺してそのまま絶命。
悲鳴一つ上げず、苦しみに呻くこともなく。
少女は、この世界に来てからの自らの愛剣によって、命を絶った。
「……ごめん。ほんとうに、ごめん、なさい」
一人遺されたアロエは、ただ泣くことしかできなかった。
自分に味方してくれた人はみんな死んでしまった。
同じ神々の生き残りも、異世界からの協力者も。
もう、独りぼっち。
なんでこんなことになったのか分からなかった。
自分は運命の女神として、最高神だった両親に望まれて生まれたはずだった。
誰よりも美しく愛らしい彼女を両親は溺愛したし、他の神々も祝福してくれたはずだった。
自分の存在は、この世界の為に大切なものなのだと言われながら育ち、最も愛しい創造物たちを愛するべきだと今の今まで信じていた。
その為に、神として消失することすら覚悟していた。戦う事から、逃げなかったはずなのに。
結局彼女は、何も分からなかったのだ。
人間の気持ちなど、些細なことで変わっていくのだと。
もし、彼女が儀式よりもリエラの心を慰めることを優先していたら、こんなことにはならなかっただろうか。
あるいは……剣を向けられた時点でリエラを力づくで黙らせていたなら、少なくとも儀式だけは成功したのではないか。
運命の女神の癖に、はずれの道を選んでしまった自分が、どうにも情けない。
「――また、同じことの繰り返しのようだな」
一人涙するアロエの後ろから声が聞こえ――目元をぬぐいながら見た先には、醜い顔をした女が一人。
魔王の側近、そして魔王の寵愛を受けし最強の魔人、バゼルバイト。
魔王との決戦の直前に、勇者と二人係でどうにかして倒したはずの魔人筆頭が、無傷のままでそこにいた。
「繰り返しなんかじゃないわ。より、悪くなってしまった」
けれど、戦いなど起きなかった。
そもそもアロエは、彼女とは敵対する気がなかったのだ。
バゼルバイトもそれは同じで、ただ主が狙われるから戦っただけの話だった。
魔王亡き今、双方に戦う理由などない。
「何をしたのかわからぬが……迷惑な話よ。我が主はまた、魔王の力とやらで蘇らされ、お前たちと戦わされるのか」
「……解らないわ」
「解らぬ、とは?」
「誰が魔王になるのか、解らなくなってしまったの。この子が……リエラが、システムに介入してしまったから」
「それはまた……ふふふふっ」
大層に驚いたような、そんな大仰な口調で笑いながら、バゼルバイトは今しがた死んだリエラを見下ろす。
「この娘――陛下に懸想していたようだった。陛下も記憶を失っていらしたからその時は私も手を出しかねていたが――それにしても哀れな者よ」
「……」
「お前は、気づいていなかったのか? この娘の想いに。この娘はずっと、負けたがっていたというのに」
「リエラが……?」
「だってそうだろう? 好いた相手を斬り捨てるなど、尋常なものではない。そんなことをしたら、どんな勇者であろうと心がへし折れるに決まっている。この娘は神ではないのだ。お前のように、生まれ持って精神が強靭な訳ではない。苦悩し嘆き悲しむ普通の人間の少女だろうに……お前は酷なことをするものだと、ずっと思っていたわ」
バゼルバイトの言葉が、茨のようにアロエの心を締め上げる。
今しがた友人が目の前で自分のしたことを後悔しながら死んでいったのに。
それを更に攻めるように、いや、嘲る様に聞かせてくるのだ。
耳を覆いたくなるような言葉だった。けれど、それすらできないほど、アロエは絶望に打ちひしがれてしまっていた。
「私は……間違っていたの? だって、そうしないと、この世界が――」
「間違ってなどいないだろう? ただこの娘が弱かっただけだ。所詮人間などそんなものよ。だからこそお前はわざわざ身を粉にしてまで守ろうとしたのだろう? 脆弱極まりない、過ちばかり犯す生き物を」
「バゼルバイト……貴方だって、私の気持ちはわかるでしょうに」
「ああ、解るとも。お前の母親にこんな姿にされるまでは、きっとお前の気持ちに同情し、涙すら流しただろうよ」
長く伸びた緑色の爪を、醜く爛れた頬へとなすりつけ。
歪に腫れ上がった唇を歪めながら、バゼルバイトはアロエを見下ろす。
「だが、今の私にそれを求めるな。私はお前を恨んではいないが、陛下を殺したお前を愛せるほどに寛容ではない――」
「……」
「そも――お前たち神々とは既に袂を別った身だ。この身は陛下と――私をこんな姿にしたココとその夫への恨みを晴らす、ただそれだけの為に在るのだ」
「貴方が私に協力してくれるなら、問題はもっときれいに終わったはずなのよ……?」
「協力できると思うか? お前の母親に、ただ『私より美しいのが許せない』と言われ、こんな醜い姿にされた私が、お前に? お前の母親の尻拭いの為に?」
「……わかってるわよ。全部、お母様が悪いんだから」
全ての業は自らの母に直結していた。
自分にとっては尊敬もしている母親だった。惜しみなく愛してくれて、大切に育ててくれた母親。
けれど、他人にしてみれば最悪な女神だったのは間違いなく、その悪意は神も人も魔族も区別なくあらゆる者に降り注いでいた。
美貌の女神、ただ世界で最も美しくありたいと願ったがために、何ら罪のない時の女神を化け物へと変え神々の世界から追放したのも、女神ココの業の一つ。
それが解るからこそ、アロエには彼女に助力を願う事ができなかった。
バゼルバイトもまた、協力する気などなかった。
「加害者の娘が、被害者面をするな。お前がこの世界を背負ったのはお前自身の選択だ。自らの手で両親とその取り巻きを追放し、根本的な解決を自力ですると決めた以上、あらゆる苦しみを自分で負うべきなのだ。こうなること自体は分からずとも、そんな簡単に解決するとは思ってもいなかったのだろう?」
「初めての友達だったのよ? そんなこと言わなくてもいいじゃない」
「私は友人も地位も立場も奪われ、今しがた、こんな姿になった今の私すら受け入れてくれた愛する方を失ったのだが?」
「……」
笑わせるなよ、と、バゼルバイトが自嘲気味に笑う。
不気味この上ない笑顔。けれどかつては、世界で最も美しいと言われた慈愛に満ちた笑顔だった。
それを知るアロエは、ただそれを「そうね」と、受け入れることしかできなかった。
自分の母親がそれをしたのだ。
娘である自分が、責任を取らなければならなかった。
母を愛し誇るなら尚の事、母のしたことは、自分のしたことも同然なのだから。
「――だが、この娘に関しては、私自身も思うところはある」
「えっ……あっ」
不意に、バゼルバイトの指先が揺れる。
驚きと共にその指先の示すもの――リエラの遺体へと視線が向いた。
「この娘は完全な被害者。私と同じだ。愛する者を失わざるを得ない運命に導かれてしまった、哀れな小娘だ」
「時の力――貴方、この娘の為に――」
「覚悟しろよアロエ。お前を憎み苦しみ続けた娘が、何事もなかったかのようにケロっと笑顔を向けるようになる。心が狂いそうになるほど辛いことだぞ? 一緒に過ごした時間がなかったことになり、何事もなかったかのように笑いかけられるのは、な」
いつの間にか取り出された棒切れのような神器、時空杖ハイネス・カーツェ。
時を操作し、時空を歪めることすらできる時の女神バゼルバイトの、その愛杖がそこにあった。
リエラの遺体が、時を巻き戻されて修復されてゆく。
「お前は、耐えられるか? 自分との関係をリセットされた少女を前に」
「それでも、生きてくれるなら。この悲劇をなかったことにできるなら」
「なかったことになどなるものか。お前はきっとこれを繰り返すよ。何故なら、お前は今『それでも生きててくれるならよかった』と思っているからだ。そんな顔をしている」
「……私を試しているの?」
何一つ愉しくなさそうな、けれど挑発するような語りに、アロエは若干の苛立ちを覚えながらバゼルバイトを睨みつける。
「私は、何があろうと目的を果たすわ。お母様のしたことを、その責任を果たさなくてはいけない」
「なら、私のこの姿もいつかは戻すつもりか?」
「そのつもりよ。だから――今後も邪魔をしないで」
「ふふふ……陛下が蘇りでもしなければ、邪魔などするものか。だがな、お前はきっと繰り返すぞ。そしてそのたびに絶望に染まり――いつか気づくのだ。『自分は間違っていたのだ』とな」
「……間違っていないと、さっき言っていたでしょう?」
「だからこそさ。神としてのお前に間違いなどなかろう。だが、それは所詮、ずっと安全圏にいた奴が、安全なまま上から目線で愛玩動物を助けようとしているに過ぎん。そういう意味では、間違っていないと言っただけさ」
創造した側に、創造された側の気持ちなど解るはずがない。
だからこそ、今のままではだめなのだ。
暗にそう教えてくれたように感じて――アロエは、倒れたままのリエラを今一度見つめた。
傷は完全に塞がり、血の一滴も零れていない。
「でも私は、貴方も正しいとは思っていないわ。きっと、みんな間違っているのね。間違いながら、なんとかしようとしているんだわ」
「どうだろうね……私ももう、何が正しいのかわからなくなりつつある。そも、本来の在り方は下天した時点で失われたしな――」
「……バゼルバイト」
「あの頃の私は間違いなく自らを正しいと思っていた。人々を愛し、世界が正しくあれば、みんなが幸せになれると信じていたが……現実は、そんな明るいものではなかったようだし、な」
創造した神々すら歪んでいたのだ。
何故この世界が正しくあれたものか。
端から狂っていたならば、それを正そうとする者は果たして正気なのだろうか。
バゼルバイトは皮肉げに鼻で笑いながら、アロエらに背を向ける。
「次に陛下が蘇った時こそ、我らが覚悟を決めなければならない時なのかもな。アロエ。次の勇者は、物分かりがいい娘だといいな?」
「……ええ」
それが皮肉でしかないのはアロエにも解っていたが。
事実、問題を解決するためには物分かりのいい勇者のほうが都合がいいのも事実だった。
そして……ようやくアロエは気づいたのだ。
自分すら、都合で相手を選んでいたのだと。
「そうか、そうだったのね……私は……私は結局、リエラの言っていたように――」
感じていた友情も、愛着も、すべてが自己都合の上に成り立っていた。
ただただ協力してくれた善人を、自分はどのように扱ったのか。
「フン……」
そんなアロエに、つまらなそうに鼻を鳴らしながら、バゼルバイトは消え去った。
始めから何もいなかったのように、音すらなくその場から消失し……アロエにも探知できなくなる。
「……私は。わたしは……」
そも、探知などできるような状況ではなかった。
アロエは今、自分の傲慢さを改めて思い知らされ……そして、絶望していたのだから。
「――あの時の私は、結局他者を都合よく使う事しか考えてなかったんだと思うわ。一緒になって戦っていても、戦わせている相手がどんな気持ちで戦っているのか、考えてすらいなかったのだから」
野営地にて。
それまで起きた事をふつふつと語るアロエに、カオルとサララはじ、と耳を傾けていた。
焚火の炎だけが揺れ、ぱちり、音が鳴り響く、静かな夜。
「神様なんだから、仕方ないんじゃないかな」
「そうかしら?」
「人間じゃないしな。まして神様が人間を作ったって言うなら、尚の事対等になんて見られないだろ」
遥か昔の思い出語り。
カオルの持っている棒切れの由来を説明しているうちに、なんとなく語ることになった昔の失敗だったが、カオルらは笑ったりせず、神妙な顔で、しかし重く受け止め過ぎずにいた。
それが、アロエにはありがたかった。
「それでも、私にとっては大事な失敗だからね。次こそは失敗しないようにって。ちょっと重く考えすぎてたから」
「まあ、そういうのあるよな。思い込みすぎるとよくないっていうか。気を張り詰め過ぎちゃうと失敗しやすいし」
「女神さまもそんなことがあるんだなあって、聞いててちょっと安心しました」
不思議と気軽に話せる二人だった。
女神と聞けば大概の人間は「そんな馬鹿な」と信じようとしないか、必要以上にへりくだってしまうもの。
だというのにこの二人は、自然体のまま話してくれる。
アロエにとってこんなこと、珍しかったのだ。
「貴方達は変わってるわねえ。話してて気楽に話せるし、聞かせたことだって軽いことじゃないのに、気軽に聞いてくれるし」
「俺としては女神さまの思い出話より、この棒切れがそのバゼルバイトっていう……魔王の側近のものだったことのほうが驚きなんだがな」
「オーガを一撃で倒したりするなりの逸品だったんですねえ……ていうか、本当に神器だったんですねそれ」
「魔人は人間がなるものって聞いてたけど、女神様でも魔人になるものなんだな。びっくりだぜ」
「まあ、あの人の魔人は、異世界人が魔人になるよりずっと前の……『魔に落ちたもの』という意味合いでつけられたものだからね。今でいう魔人とは意味合いがかなり異なるから」
「へえ……色々と深いんだなあ」
「『人に由来あり』というからね。私としてはカオル君達の事情をもうちょっと知りたいところだけど……」
気楽な気持ちで話ができる。
それはありがたいことだった。
魔王討伐の旅は、アロエにとって慣れたものではあったが、同時に「前と同じ過ちを犯さないようにしないと」と、強く気負ってしまっていた部分もあったのだから。
前の反省をしなければならないのに、それに対して気負ってしまっていたのだ。
そんな張り詰めた気持ちを解きほぐしてくれる、そんなひと時が今だった。
「じゃあ、俺達が今までやってきたこととか話してみるか」
「おー、いいわね、聞きたい聞きたい」
「私はもう眠くなってきたので、ここで寝てますね……ふあああ」
眠くなってきたのか、サララはカオルの肩にこてん、と寄りかかり、そのままスゥスゥ寝息を立て始める。
残ったカオルとアロエは苦笑しながら「じゃあこのままで」と、会話を続けた。