#2.ぶらり乗合馬車の旅
「馬車の旅ってのんびりしてていいけど、だんだん話すことがなくなって退屈になっちゃうのよね~」
森の中を走る馬車、窓の外を眺めながら。
ぼんやりと窓枠に腕を置き一人ごちる勇者・カオリ。
このような一言は退屈な時よく口ずさむ彼女の癖のようなもので、従者のミリシャも「はあ」とだけ聞き流して針仕事などに精を出していたのだが。
「そうかい? 俺は自分だけじゃなく相手の話もよく聞いたりするから、退屈することは少ないけど」
今日は珍しく、それに反応する人がいた。
カオリの席の対面に座っていた、旅人カップルの男だ。
いつもと違う反応、展開にはカオリも思わず興味惹かれ、向き直る。
「そんなに話すことあります? いつもどんな事話してるんですか?」
「よくあるのは世話になった村でのこととか、拠点にしてる街の事とか。あとは旅に出た先の事なんかを話してると、まあ二日三日は余裕で過ごせるな」
「旅……旅かー。私たちの旅はちょっと話せるものじゃないからなあ」
勇者カオリにとっての旅とは、魔王に与する魔人や古代竜の討伐を主としたもの。
今のところ魔人ばかりで古代竜はまるで討伐していないが、それでも合間合間の道すがら、地域に迷惑をかける魔物や賊の類を殲滅しながら旅を続けてきた。
そこにあるのは、多く悲劇。楽しい話題などほとんどない。
魔物に傷つけられ、大切なものを失った村人もいたし、賊にさらわれ恥辱の限りを尽くされた村娘もいた。
この世界に来たばかりのころのカオリにとって「別世界」を感じさせるほどのカルチャーショックを受けるだけのそれらは、今ではカオリにとってさほど珍しくもない、日常のようなこの世界の裏側となっていた。
平和なはずの世界の、しかし平和ではない部分。
そんなもの、人に聞かせるようなものではないのだ。
「じゃあ、旅先の料理とか」
「料理……料理かー。東の方のラナニアっていう国の料理はスパイシーで中々刺激的な味だったわねえ」
「おお、ラナニア行ったことあるんだ。あそこの料理は香辛料たっぷりだもんなあ。一度食べたら忘れられないぜ」
「そうなのよねえ。私たちの旅の始まりはリーヒ・プルテンっていうところだったんだけど、結構質素な食事も多かったからラナニアでの食事は衝撃的だった!」
語れることなど何もないと思っていたカオリだったが、料理の事となると意外と口をついて出てくる。
会話なんてそんなに楽しめないものと思っていたのに、相手の話題に乗っかって、普通に話せてしまっていた。
それが、カオリ自身驚きだったが。
「リーヒ・プルテンか……俺の知り合いもそっちの方に旅に向かったって聞いたけど、無事についてるといいなあ」
「巡礼の方ですか? 今はかなり危険な旅路になると思いますが……アークデーモンとか出ますし」
「アークデーモンくらいなら俺の村の近くにもいたから大丈夫じゃないかな」
「へ、へぇ……」
故郷の話になるやミリシャも会話に混ざるが、途端に男の話が怪しくなってくる。
アークデーモンとは、この世界における最上位の魔物である。
そんなのが村の近くにいたら普通に考えて即滅亡すると考えていい。
話半分に聞きながら「変わったこと言う人だなあ」と、カオリは苦笑いしていた。
「お兄さんは、どこ出身なんですか? この辺の人にしては、こう、体格がいいなあって思いましたけど」
「俺? 俺はエルセリアって国の人間だよ。この国とはあんまりかかわりない国だから、他の人らとは違って見えるかもな」
「はー、エルセリアの……まだ行ったことなかったなあ。平和な国ですか?」
「平和っちゃ平和だけど、最近までは問題も多かったかな。国の中枢が魔人によって混乱させられたり、地方の港町に船幽霊が現れたりしてたし」
サラっと言っている割には大変すぎる情報だった。
先ほどから変なことばかり言ってたのもあって「どこまでが本当なのかな」と困惑しながらも、魔人に関わる話とあっては無視もできず。
カオリは、男の目をじ、と見つめる。
――嘘をついているようには、見えなかった。
「どうかしたか?」
「いえ。その魔人騒動って、どうなったんですか? その、被害の規模とか……」
「……さあ、どうなっただろうな? エルセリアの王様にでも聞いてみればわかるんじゃないかな?」
「あ……そうですよねえ」
がたいはいいとは言っても、ただの旅人にしか見えない男性である。
そんな人が言う事に信ぴょう性があるかは別としても、そんな、国の中枢に関わる部分での話の顛末など解るはずがない。
ただ、魔人についての話が本当なら、それが噂として知れる程度には国は情報として流しているか、周知の事実となっているという事だと思い、カオリはそれ以上の情報は得られないものと考えた。
「でもね、なんだかんだ色々あったけど、今は平和な感じだよ。どこもそうだな。ラナニアも古代竜が突然現れたりしたけど、なんとかなったしな」
「古代竜……見たんですか?」
「見たよ、でかかった。街よりでかいんだもん、まいっちまったよ」
口から出まかせ、という風には感じられないが、古代竜を前にしてその程度の感想というのは軽すぎる気もして、これもカオリには正誤の判別がつけられなかった。
人類の不倶戴天の敵を見て、まるで観光で見てきたかのように語るのだ。
千の言葉を尽くしても語りつくせぬほど強大なはずの人類の敵。
それが古代竜のはずなのに。そう聞いていたのに。
「レトムエーエムって名前の奴でよ。尻尾の一薙ぎで街が区画ごと吹っ飛んでくんだもん。何かの冗談みたいな光景だったよ」
「何かの冗談なのは……間違いないでしょうけど」
カオリが女神アロエから聞いた情報では、覚醒した古代竜は、最も弱いものでも戦闘向きの魔人と対等かそれ以上の力を持つと言われている。
国一つ容易く滅ぼせるレベルの存在からすれば、街を破壊することなど実に容易いはずであった。
「良く生きてられましたね」
「ああ、自分でも不思議なくらいだ」
そんな化け物と相対して、生きていられる理由など解るはずもない。
これに関しては、あいまいな彼の返事にも納得がいくというものである。
「まあ、そんな大変な旅ばかりしてるけど、とりあえずは落ち着けるかなあって感じだよ。これからエルセリアに戻って、この娘と結婚するつもりでさ」
「結婚ですか……あの、おめでとうございます」
「ありがとな。まあ、結婚って言っても、どうするのかとか全然考えてなくて、これからなんだけどな」
思いがけない祝福に、男も照れ臭そうに頬をぽりぽり掻きながら口元を緩める。
その身に寄り添うようにして眠っている女性も、幸せそうで弛緩しきった顔をしていた。
なんとなく眺めていただけのカオリをして「いいなあ」と思える、そんな幸せそうな顔。
「エルセリアでしたら、結婚式はリリーナよりもカルナスの教会をお勧めしますわ。カルナスには、徳の高い聖女がおりますから……」
「ああ、その聖女様とは顔見知りだぜ。一時世話になったこともあった」
「まあ、そうなんですか。私もあの子とは聖女としてリーヒ・プルテンに巡礼に参った際に顔合わせしたことがありました。今も元気であればよいのですが」
「今は元気だよ。俺が旅に出る前には街の人達の悩み相談もやってたし」
「まあまあ、それは微笑ましい……」
会話に混ざりながらも針仕事は器用にサクサクと進んでゆく。
手にしたマントは勇者のもの。旅の中でほつれたものを直していただけなので、その作業もあっという間に終わる。
「……すみましたわ。どうぞ」
「ありがと。相変わらず器用ねえ」
「リーヒ・プルテンで暮らす者は、皆が多くのことをできなくてはならなかったので……自然と」
「俺も自分の服とかがほつれてると直そうとするけど、そういう作業は手指が細い女の子のほうが上手いんだよなあ」
どれだけやっても上達しねえぜ、と笑う男に、ミリシャも目を細める。
対して、カオリはというと居心地が悪そうであった。
「別に……女の子だから得意って訳じゃないし、上手い訳でもないはずなんだけどなあ」
「仕方ありませんわ。カオリ様は異世界の方ですから、私どものようにすべて自分でこなす必要のある生活はしてこなかったでしょうし」
「……異世界?」
「そ……私、異世界から来たのよ。まあ、信じなくてもいいけど」
変なこと言うお兄さんの前だから変なことを言ってもいいかな、などといくらかガードを緩め、ちょっと遠い目をする。
男もまた、興味深げにカオリの話に意識を向けたようだった。
「いやいや信じるぜ。異世界って、どんな?」
「んー……車っていう、馬なしでも自動で走る乗り物があったり、飛行機っていう空を飛ぶ乗り物があったりしてて……平和な世界よ?」
「へえ……学校とかあったり?」
「学校? ええ、学校もあるわ。私は学生だったし。それに――」
よくわかる人ねえ、と、話ながらに不思議な感覚に陥りそうになっていたが。
話を続けようとした矢先、不意に馬車がぐら、と揺れる。
「うぉっ」
「きゃぁっ」
「あぅんっ」
突然の事だったので驚かされたが、カオリはとっさにミリシャとアロエを抱きかかえ姿勢を維持。
だが正面の二人は、と見ると、男のほうが恋人をぎゅっと抱き締め、なんとか踏ん張っていた。
……愛を感じた。
「お客さんっ、大変ですっ」
「どうしたの?」
「賊かっ?」
御者のただならぬ声に、その場で起きていた全員の意識がそちらに向く。
男の方はすぐにその理由に気が向いたらしかった。
「ええ、恐らくは……道の先にクマばさみが置かれていて……これは賊がよく使う、馬止めの罠ってやつですぜ! 覚悟を決めてくだせぇ!」
「賊かー……まあ、ずっと動かないのもアレだし、ちょうどいいかなあ」
賊と聞き、どこからか取り出した剣を片手に馬車から飛び降りるカオリ。
ミリシャも降りたが「貴方はここでアロエを守ってて」とだけ命じ、歩き出す。
「一人で行くつもりか?」
「ええ。私、賊の討伐は慣れてるから」
「そうか」
男からの問いに心配してくれるのかと思ったがそうでもないらしく、納得したように頷きながら、男も馬車から降りて懐から奇妙な棒切れを取り出していた。
「……ワンド? 魔法使いさんかな?」
「よく言われる。ま、馬車の方は守っとくから。やばそうなら大声上げろよ」
「そんなことにはならないと思うけど……でも、助かるわ」
自分一人で戦う事には慣れていた。
賊の集団を単独で殲滅することくらい、訳はない。
けれど、賊だってただ獣のように一人だけを狙うわけでもない。
時にはカオリの相手を仲間に任せ、無防備な馬車なりキャンプ地なりを狙おうとする者達もいる。
カオリは勇者としてこの世界を訪れ、人知を超えた戦闘能力を女神より賜ったが、それはあくまで戦闘能力だけ。
空を飛べる訳でもなければ、馬車より速く走れる訳でもない。
勇者の力はあくまで魔人と魔王を打ち倒すためのものでしかないのだ。
だから、オフェンスに回ろうとする自分の代わりにディフェンスを買って出てくれる人の存在はありがたかった。
この男の力がいかほどのものかはわからないが、ミリシャもいるので傷を癒し身体能力を向上させることもできる。
よほど見掛け倒しでもなければ、自分が戻ってくるまで耐えられるはずだった。
賊程度が相手ならば。
「――いくわよ!!」
一瞬で意識を戦闘に全振りし、勇者殿は、遠くに構えているであろう賊の集団へと駆け出した。