#24.リトルクイーン
翌日の事。
夜のうちに亡くなったバークレー王の葬儀は、後々の日付を以って執り行われる予定となったが、当面の間は王の死去により国内が混乱しないよう、安定を優先する必要があった。
王の跡を継いだ長子・レオンは、戴冠式などの国民向けの式典は後回しに、まずは国内の政治勢力の掌握から始めるため、バークレー王に従っていた国王派と協力体制を組んでゆく。
混乱の中、カオルとサララの乱入によりなんとかまとまった会談だったが、直後にエルセリア王の遣いが訪れ、バークレー王の弔辞まで述べたことで、バークレー城内は「この上エルセリアの関わりなしでは乗り切れそうにない」と判断し、それまで対立していたエルセリアとも、エスティアを挟んで国交を繋ぐ方針になりつつあった。
「――あの王様、どこまで読んで使節なんて送ったんだろうなあ。ラナニアの時もだけど、俺は時々、あの王様が怖く感じるぜ」
「本当、どの情報からバークレー王が亡くなるって把握してたんでしょうね。それもピンポイントで。間者がいたんでしょうか……」
エスティア王家の第一王女として新たにあてがわれた専用の私室にて、サララはカオルと二人、事の成り行きについて語り合っていた。
話題の中心は、やはり突然現れたエルセリアの使者について。
「金の取引の問題もありますし、エスティアがエルセリアは無視することはできないとは思ってましたが……まさかバークレーに人を送るなんて思ってもいませんでした。『事を構えるつもりはない』って言ってたから、てっきり不干渉のままなのかと」
「事を構えるつもりはないけど、政情が改善されるならってことかなあ。政治の話は複雑すぎて、本当に分かりにくいぜ」
「あはは……まあ、そうですよねえ。私にも読めませんでした」
あまりにも深すぎる世界だった。
老練なエルセリア王の考えること、若い二人には及ぶはずもなかった。
話題がひと段落したところで、苦笑いするサララを、カオルはじ、と見つめる。
「うに? どうかなさいました?」
「いや……自分の事『サララ』って呼ぶのやめてから結構経つなあって」
「あー……そちらのほうが好きでした?」
「そっちのほうがサララっぽかったからな」
妹を助けに行く、という辺りで、サララの口調は大分、大人びたものになっていた。
これが本来のサララなのか、とカオルも感じたほどで、緊迫する状況下、わざわざそれを指摘する気にもならなかったが。
いざ落ち着いてみると、やはりそれは違和感があって、「サララっぽくないんだよなあ」と感じてしまうのだ。
「んー、確かにそうかもしれませんね。猫から戻ってからというもの、ずっとそんな感じでしたし……」
「でも、『私』のほうがサララにとっては普通なのか?」
「そうですね。本来は……でも、別にいいですよどっちでも。カオル様がお好きなら、サララはサララのままでいますから……」
じっと見つめたままの恋人に、サララもはにかみながら座っていた椅子を立ち。
そうして傍まで近づき、腰をかがめておもむろに……口づけした。
「……ん」
「……えっと」
カオルも驚きはしたが、取り乱しはせず。
サララもサララで赤面していたが以前ほど混乱はせず。
互いに顔の距離が近いまま、じ、と見つめ合っていた。
「――お待たせしました。やっと大人になれたようなので」
「そうか」
「ええ」
何を待っていたのか。
何故大人になればいいのか。
そんな考えがすっ飛んでしまいそうなくらいにキスの威力はすさまじかったが。
カオルはカオルで「もう我慢とか考えなくていいんだな」と、ぼんやりと覚悟が決まった感で満たされていく。
「じゃあ、シャリエラスティエ姫」
「おー、ちゃんと名前言えましたね」
「練習したからな」
「つかえずに呼べるようになる練習です?」
「ああ」
そんな練習しなくちゃいけないくらい人の名前もちゃんと呼べない自分がもどかしかったから練習した。
カオルにとっては、それは必要な事だから。
問題はひとまず解決。状況は落ち着き、目の前には成長した、心に余裕ができた恋人がいた。
考えるのは一つだけである。
「――俺と一緒に、また暮らしてくれますか?」
「ええ、喜んで」
期待していたような瞳が期待通りの言葉にたおやかに細められ、今一度顔と顔とが近づき。
黒髪の姫君は――英雄と結ばれた。
「あの……夕べは遅くまで話し込んでしまってすみませんでした。まさか、姉様がいらっしゃったなんて思いがけず、興奮してしまっていて……恥ずかしいです」
「まあ、私も正体を隠していたのは意地悪でしたから」
その後、二人はエスティアに戻る準備を始めていたフニエルの様子を伺いに来たのだが、フニエルは少し眠そうであった。
調子が悪いのなら、と、遠慮しようとした姉に、しかしフニエルは「ただの寝不足ですから」と慌てて引き留め、急遽お茶会をすることに。
「アリエッタも、驚かせてしまいましたね? 昨日も謝りましたけど」
「い、いえいえっ、私の方こそ、姫様になんとご無礼を……」
「貴方は謝らなくていいんですよ? もうちょっと人の顔は覚えたほうがいいでしょうけどね」
「……はい」
傍で控えていたアリエッタはと言えば、前日までの上司と部下の関係が覆っただけでなく、自分がしていた振る舞いから、怖れすら抱いたような表情でサララを見ていたが。
サララは「まあこの娘にはいい薬になったかしら」と、それ以上は意地悪せずに留める。
何より今のサララは機嫌がいいのだ。
目の前の問題が解決し、かねてより想っていた殿方にプロポーズまでされたのだから。
そんな姉を見て、フニエルは不思議そうに首をかしげる。
「姉様……機嫌がよろしいのですね。昨日よりなんというか……」
「なんというか?」
「輝いているように見えます……キラキラとその……嬉しそうな」
「ええ、まあ。いいことがありましたから」
隣に座る婚約者にちら、と視線を向け、また妹ににこりと微笑み。
「そういえば、そちらの方……コックで採用した方ですけど、まさか姉様の大切な方だっただなんて。二重にびっくりしてしまいました」
「ははは、まあ、昨日はサララと話すのが忙しかったようだからまともに話せなかったけども、改めてよろしくお願いします、女王陛下」
「あっ、いえいえ……私こそ、よろしくお願いしますね。将来の兄様」
フニエル的にはもう兄確定の相手であった。
尊敬していた姉の相手なのだ。このまま結婚するのだろう、と。
タイミング的にピンポイント過ぎる反応だったのでカオルもサララと顔を見合わせたが、いい笑顔で「ああ、よろしく」と返す。
「ですが……姉様? 改めて、姉様がいらっしゃるなら、姉様が女王になったほうがよろしいのではないかと思うのですが……」
「私は無理ですよ。長年国を離れて、国民も『今まで何をしていたんだ』って不審がるでしょうし。フニエル、貴方は貴方自身が思っている以上にみんなに愛されているのだから、貴方ならきっといい女王になれますよ?」
「そうでしょうか……私、まだ自分に自信が……ラッセル様やコール兄様が手伝ってくれるので助かっていますが、どこまでやれるのか……」
「政治に満点はありませんからね。ダメな時もあれば、上手くやれる時もありますし。政治に長けた……隣国エルセリアの王ですら、時として判断を誤り、我が子を苦しめることすらあるのですから、誰であっても上手くいく時と、ダメな時があるのですよ?」
正しく、自分たちが介入した結果上手くいった出来事を思い浮かべながら。
王としての自信を抱けぬ妹に、サララは優しく諭してゆく。
「王とは一人で在るのではなく、玉座に座り続けるには多くの人の協力が必要なのです。その点貴方は、沢山の人から協力を引き出せています。勿論私も……時々は助けるでしょうし」
「一緒に暮らしてはいただけないのですか? その、カオル様とご一緒でも私は全然――」
「フニエル」
不安そうに瞳を揺らす妹に微笑みかけながら、サララは優しくその心を包み込むように語り掛ける。
はっ、と、フニエルが顔を上げ、姉の顔を見た。
――昔見た、優しい、知性を感じる微笑みがそこにあったのだ。
「大丈夫だから。貴方ならきっとできますよ。できなかったら助けを呼びなさい。姉さんは、いつでも助けに向かいますから」
「……はい。姉様には、姉様の暮らしがあるんですものね」
「そういうことです。貴方には貴方の人生があるでしょう? ラッセル殿とお幸せになって、末永くこの国を繁栄させてくださいね」
「とっても、難しそうです……でも」
「でも?」
「なんだか、やれそうな気がしてきました。ラッセル様はしばらくはお忙しいでしょうが私も、姉様たちみたいに……」
不安そうな陰りは消え、やる気に満ち溢れた小さな女王がそこにいた。
カオルがまだ出会ったばかりの頃のサララに似た面影を感じる、かよわい少女が。
けれど、国を背負って生きる覚悟を決めた、一人の女王の顔がそこにあった。
「シャリエラスティエ姫が城にいたのに気づいてから何かおかしいと思ってたんだけど……まさか君までその関係者だったとはね」
サララから「まだフニエルに大切なことを教えてなかったので」と先に戻るように言われたので、カオルは先に部屋に戻り、出立の準備をしていた。
そしてほどなく出立の準備ができよう、という頃、ラッセルが部屋を訪れ、二人で向かい合って話し合う。
「色々とすみません。サララの為だったので」
「そのサララっていうのは、シャリエラスティエ姫のファミリーネームなんだよね。君はそれを知ってたんだ」
「知ってたというか、出会ったときに名乗られたのがそれでしたからね」
「それで、呪いを解いて人に戻したのも君、と」
「……なんで呪いが解けたのかいまいちわからないんですけどね」
カオルにしてみれば、今を以って謎が多かった。
なんで自分が呪いを解けたのか。
それがあったからこそサララとの出会えて今があるのだが、では、なぜそれが起きたのか、と。
「僕もフニエルに聞いて知ったことだけどさ、解呪には特定の文言を、猫語で話せないとダメらしいんだよね。人間には発音しにくい、微妙なイントネーションの言葉を発声できないとダメらしくて、猫獣人の、それもかなり高等な教育を受けた人じゃないとできないんだ」
「はあ……俺、猫語は別に使えるわけじゃないんですけどね」
「でも、それっぽいことをしたんだろう?」
「……多分」
もう、具体的にどういうことをやったのかすらうろ覚えになっていた。
その直後のサララの全裸という衝撃的過ぎる光景の所為である。
彼の記憶はとっくに上書きされていたのだ。
「まあ、それだけじゃなくて、身体が水に浸かるくらいに大量の水が必要なことと、呪われてる本人が解呪を望んでいることが重要なんだけど――」
ここまで話を聞いて、ラッセルが何を言わんとしているのか。
それをようやく理解したカオルは「ああ」と、苦笑いする。
「――あの王族の人ら、ほとんどが元に戻りたがらないだけみたいですよ」
「やっぱりそうなのか。はあ……できれば、フニエルには伏せておきたい現実だねえ」
「実際サララもショック受けてましたからね。伏せられる限りは伏せたほうがいいんじゃないですかね」
やる気のないさぼりたがりの王族たちの真意。
それは、血縁のある娘を妻にしようとする男たちにとって、できれば永遠に忘れていたい存在だった。
「まあ、猫獣人は数百年生きるって話だからね、僕らはあくまで彼女たちの……最初の夫になる訳だけど」
「寿命的な問題ですか?」
「そうそう。だからさ、そのうち、その王族の人たちも戻りたいってなるかもしれないし……そうなってからでもいいかな。フニエルが真意を知るのは」
「問題は先送りにして、できれば自分は面倒を被りたくない、と」
「沢山の問題を抱えたままだったし、いい加減楽になりたいんだよぉ。君だってそうは思わないか?」
「思います思います。墓場まで持っていきましょう」
もう少し格好良く言い訳することもできただろうに、わざわざ情けない言い方をして笑いを誘おうとするこのラッセルという王子が、カオルにとっては積年の友人であるかのように思えていた。
気軽に話せてその気持ちもよくわかるのだ。
今までこの世界で生きていて、いろんな問題と直面したが、いい加減静かに暮らしたいという気持ちもあった。
これ以上、面倒ごとが起きてサララの顔が曇るのは見たくなかったのだ。
笑いながらの返答に、ラッセルも満足げに頷き、「やはり君はそういう奴だった」と、嬉しそうに目を細める。
「まあ……でも僕たちはついてるよ。シャリエラスティエ姫もだけど、フニエルも間違いなく美人になる。それも……その、割と僕の好みの、ね」
「ええ、それもすごく愛されているという」
「そうそう、そうなんだよ。猫獣人の子って、恩とか恨みとかすごく重視するらしくてね。『猫獣人の恨みは百倍返し、恩は三倍返し』っていう言葉もあるくらいだし」
「恨みに対しての恩の比率が低すぎる気がするけど、三倍でも十分すぎるくらいでしたよ」
「そうなんだよなあ。もう、フニエルが可愛くてかわいくて……これからはピクニックとかできたらなあって思ってるよ」
ただの男二人の惚気合いである。
だが、今の世で現状二人だけの、猫獣人の王族の娘を妻にできる幸せ者でもあった。
「……まあ、何が言いたいのか自分でもよくわからなくなってきてるんだけどさ。君には友情も感じてるんだ。できれば、またこうやって他愛のない話ができたらって思うよ」
「俺もですよ。今までいろんな国の偉い人と友達になりましたが……普通に話して仲良くなれたのは貴方が初めてですからね。これからもよろしく」
「ああ! いつでもエスティアに寄っておくれ! フニエルともども、歓迎するから!!」
歳も近く、気が許せる友達だった。
笑い合いながら、「そういえばそういう人、そんなにいなかったな」と思い。
友が増えていく喜びと共に、「これが、頑張り続けた自分が得られるものだったんだなあ」と、いつかの自分を振り返り。
その自分が、もう随分遠くにいる様な気がして、それが感慨深くて。
すっかりこの世界の人間になった自分が、それが当たり前のように感じる自分が、どこか誇らしく思えていた。
こうして、エスティアの内政問題、バークレーやエルセリアとの外交問題は一旦は落ち着きを見せ。
カオルたちもまた、新たな旅路につくことになった。
人生の中の、新たな局面へと。